2020年1月30日木曜日

鹿児島熊本ツーリング その4

前回のあらすじ

高山城はさすが大隅の雄肝付氏の城だけある!
 
高山城からは、県道561号線を使って最初は西に、次いで西南方向へと進み、一気に大隅半島の西海岸へ。
この県道、1.5車線の部分も多いですが、立派な2車線の部分も結構長くて、なかなか良い道でした。
突き当りの西海岸の海沿いを南北に走っているのは国道269号線で、この道は18年前に佐多岬を目指してトコトコと走った道です。
そう思うと感慨深いですな。
国道沿いにも佐多岬まで○○kmという案内表示が見え、懐かしさがより高まります。
あの時は、佐多岬から高山城を目指しましたが、今回は逆順ですね。
とは言っても、佐多岬までは行きませんが。
今回の目的は、根占。
と言っても根占には大根占と小根占があって、大きくは同じ根占なんですが、市町村も錦江町と南大隅町で分かれているからちょっとややこしい。
根占は、古くは禰寝と書かれ、やがて禰寝院という行政単位となりました。
その禰寝院の南部を指す南俣と呼ばれる一帯の地頭が、地名そのままの禰寝氏です。
禰寝氏は、この小根占を中心に、戦国時代には一時、種子島を制圧したほどの勢力を持ち、島津氏に対抗した肝付氏を中心とする連合の、主な一角でした。
後に島津氏に臣従し、直系血族は断絶しますが、島津氏から養子が入ったことにより薩摩藩家老の家系として続くと共に小松姓に改名し、幕末の小松帯刀へと続くわけですな。
その禰寝氏が本拠とした富田城が、今回の目的地です。
富田城へは、国道269号線を雄川沿いに東へ走り、南へと折れる国道を尻目に直進し、諏訪神社の脇を抜け、しばらく山へ入った場所にあります。
案内板の標柱は小さく、うっかり見過ごしてしまうかも知れないほどでした。
 
 
この民家の脇を進んで行くと、富田城が現れます。
 
 
左手の盛り上がりが本丸、右手の盛り上がりが東城とのこと。
しかし、どちらも道が完全に自然へと還ってしまっていました。
なんとか藪を掻き分けて東城へ辿り着いたものの、内部へと入る道は分からず終い。
下は、バッと見、何が何だか分かりませんが、東城下の空堀です。
 
 
念の為、城の北側の道も回ってみましたが、城へ入れそうな道はありませんでした。
禰寝さんって大隅の歴史じゃ重要な役どころやと思うんやけどなぁ
整備してもらってないのが残念です(> <)
 
このツーリングの2日目の宿は、指宿に取ってありまして、この根占から出ているフェリーなんきゅうで錦江湾を突っ切って薩摩側に渡る予定にしてました。
富田城で不満足な散策を終え、すぐ近くの根占港に行ってみると、15:00の便が出たばかり。
そして、次の便は16:20の模様。
よし、乗れなかったんじゃなく逆に時間に余裕があるっちゅうことか!というわけで、緊急にもうひとつ城を回る事にしました。
その城は国見城。
巨艦のように台地が突き出してきた地形にある城で、一時は禰寝氏も本拠としていた城です。
そうと決めたのなら、急いでスマホを手繰って情報を収集し、いざ出発。
国道269号線を北へ戻って大根占の市街に入り、適当に右折して城内地区を目指しましたが、なかなか台地へ入って行く道がありません。
台地の麓の道でUターンして少し南へ戻ってみたところ、何とか台地方向へ向かう道を発見し、1車線分の幅しか無いような道を進んで行くと、急に2車線の広い道に出ました。
その変化に内心驚きながら、快適なヘアピンカーブを抜けて上って行くと、城内集落を貫く道に入り、集落の真ん中に国見城の説明板を発見。
 
 
城らしい痕跡はこの周囲にありませんでしたが、削平地を利用して後に小学校が建てられていたようですね。
 
 
今はもう何てことはない広場にしか過ぎないんですが、この変遷も古城らしいと言えば古城らしい歴史でしょうか。
学校の敷地になっているというのは、意外と多いですからね。
この後、周囲を散策してみると、土塁や空堀らしき遺構はあったんですが、縄張図が無かった為、残念ながら全体像はよく分かりませんでした。
 
国見城からフェリー乗り場に戻ったのは、出発の受付時間を考えて16:00の少し前。
しかし、この時間でもフェリー待ちの車が全くいない・・・
何かおかしい。
なんでや?というわけで受付でもう一度よく確認してみると・・・
なんと16:20の便は旅客専用!
マジか!
この瞬間、開聞岳と夕日を撮るという野望は潰えた・・・
あ~あ。
と凹んでもいられないので、近くの観光名所を探してみると、なんと徒歩圏内に温泉があるではないか!
なんという幸運!
ここでダラけることに決定(^^;)
この温泉は、ねじめ温泉といい、ネッピー館という愛称の温泉施設として営業されていました。
 
 
その特徴は、豊富な湯量と、海水ちゃうんかとツッコミたくなるほど塩辛い泉質。
1Lの温泉の残留物が1gを越えれば成分が濃いなと思うのに、この温泉はなんと37.88gと言う値を弾き出していたんですね。
ただ、塩化物イオンとナトリウムイオンを足して約29g。
海水が3%食塩水ですから、これはほぼ海水が温められた温泉というわけですな。
でも、なかなかここまで濃い塩化物泉も無いですし、貴重な体験でした。
ねじめ温泉から歩いてフェリー乗り場に戻ると、ぼちぼちと車が集まって来てましたね。
やっぱりフェリーはこうでなくっちゃ。
もうチケットは買ってあったので、当然バイクの1番乗りでフェリーに乗船。
のんびりと1時間弱の船旅で、山川に着いた時にはもう暗くなっていました。
あとは指宿の宿に向かうだけ。
今日はやらかしもあって、結局のんびりな行程でしたな(^^;)
 
つづく
 
参考:
富田城
国見城
ねじめ温泉
地図付きはこちら
 

2020年1月24日金曜日

第201回通常国会

1/20に通常国会が開会しました。
この通常国会の前に、旧民主党系の立憲民主党と国民民主党の合流が議論されていましたが、流れましたね。
毎年恒例ではありませんが、年末になると政党の合従連衡話が出てきます。
立憲民主党と国民民主党の合流も、その例年の流れに沿ったものでしょう。
これは、通常国会前というタイミング的なものもありますが、もうひとつ、大きな要因として、政党助成金の要件が1月1日を基準としているからなんですね。
かつては、フロム5なんていう、あからさまにそれ狙いやろ的な政党もありましたが、あれも要件に「5人以上の政党」というのがあるからなんですな。
お金の無い立憲民主党。
民主党、民進党の財産を受け継いでお金はあるが、人気が無い国民民主党。
お金の面から見ると、また違った構図が見えてきますね(^^;)
 
さて、今回の通常国会、序盤は、桜の会というスキャンダルを引っ張りたい野党と、それを流してしまいたい与党との対決になるんでしょうな。
報道各社の支持率調査にも如実に表れていますが、スキャンダルを追求すれば政権支持率が数%~10%程度落ちるのが恒例です。
そして、今回も年明けの支持率調査にてき面に出ていますが、報道が止まると戻る、といういつもの流れでした。
野党にとっては、来たるべき衆議院議員選挙に向けてスキャンダルを突いて目立ちたい所というのはよく解りますが、中東はきな臭い状態ですし、新型コロナウイルスも気に掛かる。
まして春節で人の大移動が起こってる最中ですから、優先順位を付けて議論して欲しい所ですね。
良くない事は良くないのは間違いないんですが、突いたところで国会を開く経費以下の問題にしかならないのなら、費用対効果が薄すぎます。
そういうのは、警察や検察、特捜といった専門機関に任せるべきでしょうね。
一国民としては、山積する課題に対する議論が深まるよう願います。
 

2020年1月21日火曜日

終了連絡

先日、こんなメールが来ました。
 
『平素は「MapFan.net」をご愛顧頂きまして、誠にありがとうございます。
 
お客様には以前よりご案内させて頂いておりますが、
「MapFan.net」は、2020年3月31日をもちましてサービス終了致します。
 
それに伴いまして、代替となるパソコン用地図ソフトの準備を進めていることを
ご案内しておりましたが、サービスのご利用状況や市場動向も考慮しながら
検討を重ねて参りました結果、ご提供を取りやめる決断に至りました。
 
ご期待くださっていたお客様には、大変申し訳ございませんが、
何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
 
この度のご案内となりましたことを心よりお詫び申し上げますとともに、
今までご愛顧頂きましたお客様には深く御礼申し上げます。』
 
次のソフトがあるのかなと思ってたんですが・・・
やらんのか~い!
まぁ、Googleが無料であれだけの地図ソフトを出し、しかもスマホであれだけ使われているとなると、PC向けの地図ソフトを出しても、なかなかビジネスとしての展望が見えないでしょうな。
いや~、いよいよ本格的な移住を考えなくてはいけませんな・・・
 

2020年1月17日金曜日

鹿児島熊本ツーリング その3

前回のあらすじ
 
木田原城は地図にプロットしてあるのに現地に気配が全く無い!
 
鹿屋の市街を出て、東に進んで行くと、台地の上に新しい市街地が見えてきます。
地図を見ると、この辺りは比較的新しい区画のようで、整然と縦横に道が切られていました。
そして、道沿いには大きな店舗がそこそこあって、今や全国各地の郊外に見られるような見覚えのある光景となっていますね。
2001年に来た時にはもう夜だったので記憶は全く参考にならないんですが、合理化が進むと大規模化と均質化が進むんだなぁというのを走りながら感じました
よく旅行に行く人間としては、各地の特色が無くなって行くというのはちょっと寂しいんですけど、生活している人にとっては、便利さには代えられないですしね。
そんな鹿屋の新市街を東端の辺りまで走り、南に折れ、南東方向に進んで行きます。
目指すは、かつて日没サドンデッドとなった高山城のリベンジ。
国見小中学校の付近から、高山川を越える辺りは広く綺麗な道から旧道へと変わる場所なんですが、なんとなく見覚えがあり、当時より旧道の区間が短かったですね。
高山川を過ぎれば城はすぐで、左手に見えてくる旧本城小学校が目印です。
 
高山城は、言わずと知れた肝付氏の居城で、その中でも英主であった兼続は、他の大隅の豪族達の盟主となり、大いに島津氏と争いました。
その兼続の嫁さんが、島津忠良の娘である御南というのは割と有名で、島津氏と対決するにあたって離縁を迫る兼続に対し、御南は頑なに拒否したという逸話があります。
この辺り、薩摩女の意志の強さを感じますね。
ただ、戦国時代の血縁関係というは何とも複雑だなと思うのは、兼続の妹が忠良の嫡子で島津宗家を継いだ貴久の初期の正室となっていることです。
つまり、争った兼続と貴久は、二重の義兄弟なんですね。
貴久は島津四兄弟の上3人を生んだ雪窓夫人を、継室として入来院氏から迎えていますから、争った頃には恐らく兼続の妹は亡くなってはいるんですが、濃い親戚であることには間違いない。
更に、この雪窓夫人の出身である入来院氏には、兼続の別の妹が嫁いでいます。
雪窓夫人の甥重嗣の正室ですね。
おまけとして付け加えると、兼続から島津氏との争いを引き継いで戦った兼続の嫡子も、忠良からの偏諱を受けて良兼と名乗ってますな
もう世代すら跨ぐ複雑さで、整理が追いつきませんわ。
 
何だかんだ話がずれましたが、旧本城小学校の校庭にバイクを置いて、いざ散策スタート。
まず出迎えてくれるのは、旧小学校の校庭の端にある案内板。
 
 
縄張図もあって、なかなか親切ですな。
このすぐ後ろに馬乗馬場という碑が建っているので、城外にも馬場があったんでしょう。
縄張図では、城内を分断するようにも馬場がありますね。
城へと進んで行くと、大手口という碑があり、そこからいよいよ城内。
最初に、本丸方向へと向かう道と、湯沸場という区画へ続く道に分かれています。
まずはその湯沸場へ。
湯沸場は、大手口からそれほど標高差の無い郭で、朽ちた説明板によると、往時は馬乗馬場や大手口付近の士小路が一望できる水源地兼炊事場であったようです。
 
 
今度は、来た道を戻って本丸方向へ。
なんとなくしか分からなかった三ノ丸とされる段を左に見ながら進むと、大来目神社と球マ?(王へんに麻)屋敷の段があります。
この段は2段構成でした。
下段から神社のある上段への階段。
 
 
そして、大来目神社のある上段。
 
 
左手に見える神社の後背は、なかなかきつい切岸になっています。
その切岸の先には山伏が籠ったという山伏城。
 
 
なかなか広い郭ですね。
山伏城の南は二ノ丸ですが、この山伏城と二ノ丸の間に大手門があったようです。
 
 
この向こう側には堀切がありました。
シラス台地は台地と平地という構成が多いので、台地の下の動線は割と平坦な場合が多く、明確に堀切という形で動線が遮られているのは珍しいですね。
続いて、本丸西側の二ノ丸。
 
 
ここもかなり広い。
さすが大隅をまとめ上げた肝付氏の城だけあります。
次は、本丸北西側の桝形城。
この郭は2段構成で、防衛的に重要な機能を持たされていた雰囲気のある郭でした。
下の写真は上段。
 
 
そして、中核たる本丸。
本丸だけは、虎口付近が桝形になっていました。
桝形の登場年代から考えると、肝付氏が斜陽になってからの改修の可能性が高そうです。
下は、本丸へと続く道の桝形。
 
 
本丸内部。
 
 
縁辺の土塁も明確ですね。
本丸から先に進むと、馬乗馬場という区画に出ます。
 
 
この先には奥郭というが続いているんですが、藪の為に散策を諦めました。
高低があまり無さそうなので、家臣の居住区域だったのかもしれませんね。
規模としては、この馬乗馬場までの主郭部分と、この奥の奥郭群で同じぐらいのようです。
この奥郭まで城の範囲として考えると、大隅でも屈指の規模になりますね。
さすがですわ。
 
つづく
 
高山城
地図付きはこちら
 

2020年1月10日金曜日

BOM再び

以前、pythonでBOMと呼ばれる問題を取り上げましたが、その簡単な解決策があったので、備忘的に。
 
この年末年始、例のpythonのCGIを含んだサイトを自前サーバーから商用のサイトに移設する作業を、正月番組を見ながらダラダラとしてたんですね。
で、やっぱりというか何んと言うか、そのまま商用サイトへ移すと、自前サーバーの時の症状そのままに Internal Server Error が出るんですよ。
前回ハマっていたので、BOM問題であることは想像がついたんですが、今度は前と違ってコンソールからnkfコマンドを叩いて対処というわけにはいかない。
なので、BOMの対処ができるエディタを探しました。
色々候補はあったんですが、最終的に Virtual Studio Code というマイクロソフト謹製のエディタを導入することに。
使ってみると、pythonはもちろん、phpやperlなどのすぐ触りそうな言語や、batからSQL、WEB周りまですべて網羅している優れものでした。
 
 
何より、マイクロソフト謹製だけに、余計な設定をせずに簡単にインストールできるのがいいですね。
BOMの対処も保存形式を選択するだけ。
 
 
お手軽ですわ。
今後も、色々と頑張ってもらうことになりそうですね。
 

2020年1月4日土曜日

2020年走り初め

明けましておめでとうございます。
 
というわけで、どういうわけで?、走り初めをしてきました。
行き先は、例年通り神出神社。
不詳ながら神出城跡とも言われている、神戸市は西区の雌岡山にある神社です。
自宅から30分弱と、体が冷え切る前に着くことができて、調度いいんですよね(^^)
と言っても、今年の年末年始は暖かく、朝方に例年通り程度に冷え込んでも、昼は10℃を超える日が多かったので、30分程度で体が冷え切ったりすることはなかったんですが。
ただ、年始になってからは、陽が差していても風がいつも強くて、走り初めは結局、4日の今日になりました。
神出神社への道は、山道もあってそこそこ走り甲斐もあり、久々にバイクを駆っている感がありましたね。
走り納めがイマイチだったので、ブランクのリハビリにも調度良かった(^^)
頂上の神社に着き、財布を見ると硬貨が無かったので、毎年買っている缶コーヒーを先に買ってお札を崩し、お参り。
そして、恒例のおみくじ。
結果は・・・
大吉じゃ!
でも旅行の項目はあまりいい感じでは無かったな~
わざわざ大三島の大山祇神社まで遠征して凶を引いてきた事を思えば、上出来か(^^;)

最後に、能楽堂がかつてあったという展望台から写真をば。
 
 
なんか冬らしくなく、妙に霞んでました。
暖かいからかな?
それでは、本年もどうぞよろしくお願いいたします(^^)