2019年の走り納めはいつするかな~なんて思いつつ過ごしていると、暖かい予報だった18日は強風に阻まれ、最後の8連勤を考えると、もう残ったのは21日しかない。
しかし、下り坂の予報。
そんな条件にもめげず、行くかと走り出したら、5kmほど走った所で雨が降ってきました。
終~了~
こうして、走り納めとも言えない往復10kmで今年のバイク生活を納めました。
個人的には色々と環境が変わった年になったけど、何とも締まらん年末だねぇ
ま、しょうがないか。
というわけで、良いお年を!
2019年12月31日火曜日
2019年12月29日日曜日
2019年のM-1
1週間も前の話で何なんですが、今年のM-1は久々にじっくりと見れました。
自分は関西人なので、漫才は昔から好きで良く見てるんですが、今年はレベルが高かったですね。
しかも、オーソドックスな漫才が評価された年でした。
個人的には、歴史好きのサガなのか、変化球のすゑひろがりずがツボでしたが(^^;)
優勝したミルクボーイにしろ、次点のかまいたちにしろ、スタイルはオーソドックスで、ネタ自体もとてもシンプル。
ミルクボーイはコーンフレークと最中について延々と、かまいたちは言い間違いで、突き詰めれば本当に何気ない話なんですよね。
それをあれだけ面白く広げていくんだから凄い。
今は諸々の理由でお目に掛かれませんが、チュートリアルが優勝した時のネタを思い出しました。
あの時も題材は家電とか自転車とかでしたからね。
キャラ先行型とかもインパクトはあるんですが、おっさん的には、こういう漫才が安心ですな(^^)
自分は関西人なので、漫才は昔から好きで良く見てるんですが、今年はレベルが高かったですね。
しかも、オーソドックスな漫才が評価された年でした。
個人的には、歴史好きのサガなのか、変化球のすゑひろがりずがツボでしたが(^^;)
優勝したミルクボーイにしろ、次点のかまいたちにしろ、スタイルはオーソドックスで、ネタ自体もとてもシンプル。
ミルクボーイはコーンフレークと最中について延々と、かまいたちは言い間違いで、突き詰めれば本当に何気ない話なんですよね。
それをあれだけ面白く広げていくんだから凄い。
今は諸々の理由でお目に掛かれませんが、チュートリアルが優勝した時のネタを思い出しました。
あの時も題材は家電とか自転車とかでしたからね。
キャラ先行型とかもインパクトはあるんですが、おっさん的には、こういう漫才が安心ですな(^^)
2019年12月22日日曜日
鹿児島熊本ツーリング その2
前回のあらすじ
新造船はピッカピカでいいね~
南港発のフェリーが、鹿児島県は志布志港に着くのは、定刻では9:40。
その時間からの行程を考えると、昼ご飯の時間がもったいない。
なので、朝食バイキングをできるだけ遅い時間に、たくさん食べて、ノンストップ作戦で行くことにしました。
とは言っても、フェリーでは早くに目が覚めてしまうんですよね。
暇を持て余して早く寝てしまうからでしょうか。
朝から風呂に入って、部屋でまったり朝のテレビを見て、多くの人が食べ終わった頃合いを見計らって食事を摂りに食堂へ。
食事後は、ダラダラと身支度をしてると、ようやく志布志港へ到着しました。
そこから、フェリーにとって一番大事なお客さんであるトラックが下船して、ようやく一般旅客の下船となります。
前回来た時は、下船後、そのまま東へ向かってすぐの志布志城へ行きましたが、今回は国道220号線を西へ。
まず、目指すのは北原城という城。
北原城は、大隅に勢力を持っていた肝付氏の庶族北原氏の本貫で、伝承では、肝付氏初代の兼俊の子である兼綱か兼幸が木田原に住して木田原(北原)を称したとあります。
しかし、この頃の北原氏の動向は不明なんですね。
南北朝時代に真幸院の飯野城へ移ってから、日向の主な豪族として成長を遂げ、歴史上に存在がはっきりしてきます。
そういうこともあってか、国道220号線から串良川沿いに北西に進んでも案内板の類は無いどころか、最も近い道が串良川の右岸であった為、川の左岸に位置する城の近くへ向かう道すらありませんでした。
地図にプロットされている城の場所の北には、堀代わりの細流があり、2つの川を渡らずにまともに近付けそうなのは北西方向しかないんですが、国道269号線まで出てみても、とても道は無さそうなんですよね。
本腰入れて道なき道を進まないと、無理っぽいですな。
ちょっとバイク旅には要害過ぎひん?
割にどの地図にもプロットされてる城なんですが、到達情報の乏しい城でした。
まさかの緒戦から撤退というダメージを受けつつ、次に向かうは鹿屋城。
大隅地方の中心である鹿屋の城ですな。
道は簡単で、先ほどの国道269号線を少し南西に走れば、ひたすら真っすぐな道になり、そのまま道なりで城山公園の横に出ます。
とは言っても、うっかり一旦過ぎてしまって引き返しましたが(^^;)
駐車場にバイクを止め、公園に向かうと、まずは説明板が出迎えてくれます。
うん、繁茂し過ぎて邪魔ですな・・・。
鹿屋城は、説明板にもあるように中世から戦国時代にも史料に記述がありますが、具体的に城がどのようであったのかは詳細不明です。
この場所にあったかすら分からないらしい。
現在残っている遺構は、天正8年(1580)から伊集院忠棟によって築かれたものとされ、残っている遺構は一部ではあるものの、シラス台地を存分に利用した鹿児島の戦国時代の城に比べると、かなり近世的な雰囲気がありますね。
ただ、本丸は貯水場となっていて、城っぽさはありません。
公園化されているのは二ノ丸と今城で、二ノ丸からは城下だった鹿屋の旧市街が一望でき、水運で活用されたはずの肝属川を含め、経済性が重要視されつつあった戦国時代末期の時代の流れが感じられますね。
また、地図を見ると、志布志湾へ注ぐ肝属川以外にも、錦江湾まで陸路で1里ほどど、城の立地は非常に良いですな。
大隅地方の第一の都市の礎はこの辺りにあるのかもしれません。
二ノ丸へ向かう道は、シラス台地特有の深い空堀の堀底道となっています。
ここにも城址碑がありました。
先に進んで行くと二ノ丸です。
上は二ノ丸の突端の部分。
複数の段があり、最上段に妙に幅があったので、土塁とも櫓台とも判断がつかない場所でした。
公園には、古いながら展望台もあります。
展望台から鹿屋市街。
この日は何かイベントがあったようで、城跡の直下の広場には非常に多くの人がいて、賑やかな感じでした。
写真には写ってませんが・・・
晴天率の高い秋ですし、イベントには良い季節ですね。
この日はちょっと天気が良くなかったですが、ここからの景色も晴れてたらもっといい眺めなんでしょうね。
この二ノ丸への入口には大きな空堀があるんですが、空堀を挟んだ向こうに今城という郭があります。
そこも公園として整備されていました。
これは上段。
今城は2段構成で、下の段はこんな感じ。
この今城は、二ノ丸に比べて、特有の鹿児島の古城らしさがかなり漂っていましたね。
この後、城の北側を散策してみましたが、それらしい部分はあったものの、遺構とまではっきりしたものはありませんでした。
残っている部分を見るとかなりいい感じなんで、もっと遺構が残っていたらな~と思わせる城でしたね。
つづく
参考:
北原城
鹿屋城
地図付きはこちら
新造船はピッカピカでいいね~
南港発のフェリーが、鹿児島県は志布志港に着くのは、定刻では9:40。
その時間からの行程を考えると、昼ご飯の時間がもったいない。
なので、朝食バイキングをできるだけ遅い時間に、たくさん食べて、ノンストップ作戦で行くことにしました。
とは言っても、フェリーでは早くに目が覚めてしまうんですよね。
暇を持て余して早く寝てしまうからでしょうか。
朝から風呂に入って、部屋でまったり朝のテレビを見て、多くの人が食べ終わった頃合いを見計らって食事を摂りに食堂へ。
食事後は、ダラダラと身支度をしてると、ようやく志布志港へ到着しました。
そこから、フェリーにとって一番大事なお客さんであるトラックが下船して、ようやく一般旅客の下船となります。
前回来た時は、下船後、そのまま東へ向かってすぐの志布志城へ行きましたが、今回は国道220号線を西へ。
まず、目指すのは北原城という城。
北原城は、大隅に勢力を持っていた肝付氏の庶族北原氏の本貫で、伝承では、肝付氏初代の兼俊の子である兼綱か兼幸が木田原に住して木田原(北原)を称したとあります。
しかし、この頃の北原氏の動向は不明なんですね。
南北朝時代に真幸院の飯野城へ移ってから、日向の主な豪族として成長を遂げ、歴史上に存在がはっきりしてきます。
そういうこともあってか、国道220号線から串良川沿いに北西に進んでも案内板の類は無いどころか、最も近い道が串良川の右岸であった為、川の左岸に位置する城の近くへ向かう道すらありませんでした。
地図にプロットされている城の場所の北には、堀代わりの細流があり、2つの川を渡らずにまともに近付けそうなのは北西方向しかないんですが、国道269号線まで出てみても、とても道は無さそうなんですよね。
本腰入れて道なき道を進まないと、無理っぽいですな。
ちょっとバイク旅には要害過ぎひん?
割にどの地図にもプロットされてる城なんですが、到達情報の乏しい城でした。
まさかの緒戦から撤退というダメージを受けつつ、次に向かうは鹿屋城。
大隅地方の中心である鹿屋の城ですな。
道は簡単で、先ほどの国道269号線を少し南西に走れば、ひたすら真っすぐな道になり、そのまま道なりで城山公園の横に出ます。
とは言っても、うっかり一旦過ぎてしまって引き返しましたが(^^;)
駐車場にバイクを止め、公園に向かうと、まずは説明板が出迎えてくれます。
うん、繁茂し過ぎて邪魔ですな・・・。
鹿屋城は、説明板にもあるように中世から戦国時代にも史料に記述がありますが、具体的に城がどのようであったのかは詳細不明です。
この場所にあったかすら分からないらしい。
現在残っている遺構は、天正8年(1580)から伊集院忠棟によって築かれたものとされ、残っている遺構は一部ではあるものの、シラス台地を存分に利用した鹿児島の戦国時代の城に比べると、かなり近世的な雰囲気がありますね。
ただ、本丸は貯水場となっていて、城っぽさはありません。
公園化されているのは二ノ丸と今城で、二ノ丸からは城下だった鹿屋の旧市街が一望でき、水運で活用されたはずの肝属川を含め、経済性が重要視されつつあった戦国時代末期の時代の流れが感じられますね。
また、地図を見ると、志布志湾へ注ぐ肝属川以外にも、錦江湾まで陸路で1里ほどど、城の立地は非常に良いですな。
大隅地方の第一の都市の礎はこの辺りにあるのかもしれません。
二ノ丸へ向かう道は、シラス台地特有の深い空堀の堀底道となっています。
ここにも城址碑がありました。
先に進んで行くと二ノ丸です。
上は二ノ丸の突端の部分。
複数の段があり、最上段に妙に幅があったので、土塁とも櫓台とも判断がつかない場所でした。
公園には、古いながら展望台もあります。
展望台から鹿屋市街。
この日は何かイベントがあったようで、城跡の直下の広場には非常に多くの人がいて、賑やかな感じでした。
写真には写ってませんが・・・
晴天率の高い秋ですし、イベントには良い季節ですね。
この日はちょっと天気が良くなかったですが、ここからの景色も晴れてたらもっといい眺めなんでしょうね。
この二ノ丸への入口には大きな空堀があるんですが、空堀を挟んだ向こうに今城という郭があります。
そこも公園として整備されていました。
これは上段。
今城は2段構成で、下の段はこんな感じ。
この今城は、二ノ丸に比べて、特有の鹿児島の古城らしさがかなり漂っていましたね。
この後、城の北側を散策してみましたが、それらしい部分はあったものの、遺構とまではっきりしたものはありませんでした。
残っている部分を見るとかなりいい感じなんで、もっと遺構が残っていたらな~と思わせる城でしたね。
つづく
参考:
北原城
鹿屋城
地図付きはこちら
2019年12月16日月曜日
米中協議に英選挙
先週末は、世界で色々な事が動きましたね。
まずは、米中合意があったこと。
と言っても、内容を見ると、あくまで第一段階の合意でしかなく、やや先送り感はあるのですが。
ただ、成長率鈍化が相当鮮明になってきた中国側としては、15日に予定されていた関税上乗せの発動が避けられたのと、15%の関税分が半分になることは、非常に大きい成果でしょう。
中国による米農産品の輸入は、今や食料輸入国になっている状況を考えればメリットもありますし、折り合える部分だったと思います。
アメリカも、15日に関税が発動する予定だった分野は消費者向けが多かった為、個人消費の下振れ圧力になるという懸念があり、よく言われるように、そこは選挙も絡んだ政治的判断だったんでしょうね。
ただ、2500億ドル分に掛けられた25%の関税は温存されたままで、また、アメリカ議会は党の区別なく対中強硬派が多くなっているという状況もありますから、今後、またちゃぶ台返しが発生する可能性も捨てきれません。
この米中合意のすぐ後に出てきたのが、イギリス総選挙の保守党の圧勝です。
保守党有利という情報は出ていましたが、選挙戦後半は労働党が巻き返しているようなニュアンスの報道も多かっただけに、ブレグジットに続いて報道機関の論調とかなり違う結果となりました。
離脱を巡って混乱が続いていたイギリス議会も、これでようやくEU離脱に向けて進んで行くだろうという安心感と同時に、イギリスもリベラルメディアの凋落が激しいなと感じましたね。
アメリカに関しては、CNNを始めとしたリベラルメディアの報道を日本のメディアが報じるので、かなりリベラル側に寄った報道となっていますが、実際のトランプ政権の支持率は発足当初からずっと40%強という水準を確保しており、ロシアンゲートだのウクライナ疑惑などと報じられている割には、イメージ以上に安定しています。
もしかしたらイギリスも同様で、単純にイギリスメディアのほとんどがリベラル側なのか、日本のメディアがリベラル側メディアしか引用しないのか判りませんが、リベラル側からの報道や分析にかなり偏っているのかもしれません。
少なくとも、ブレグジット以降は、一時期より保守に傾いている世論を正確に追い切れなくなっていると考えるのが、合理的でしょうね。
選挙結果よりも、そういう乖離が改めて気になった選挙でした。
まずは、米中合意があったこと。
と言っても、内容を見ると、あくまで第一段階の合意でしかなく、やや先送り感はあるのですが。
ただ、成長率鈍化が相当鮮明になってきた中国側としては、15日に予定されていた関税上乗せの発動が避けられたのと、15%の関税分が半分になることは、非常に大きい成果でしょう。
中国による米農産品の輸入は、今や食料輸入国になっている状況を考えればメリットもありますし、折り合える部分だったと思います。
アメリカも、15日に関税が発動する予定だった分野は消費者向けが多かった為、個人消費の下振れ圧力になるという懸念があり、よく言われるように、そこは選挙も絡んだ政治的判断だったんでしょうね。
ただ、2500億ドル分に掛けられた25%の関税は温存されたままで、また、アメリカ議会は党の区別なく対中強硬派が多くなっているという状況もありますから、今後、またちゃぶ台返しが発生する可能性も捨てきれません。
この米中合意のすぐ後に出てきたのが、イギリス総選挙の保守党の圧勝です。
保守党有利という情報は出ていましたが、選挙戦後半は労働党が巻き返しているようなニュアンスの報道も多かっただけに、ブレグジットに続いて報道機関の論調とかなり違う結果となりました。
離脱を巡って混乱が続いていたイギリス議会も、これでようやくEU離脱に向けて進んで行くだろうという安心感と同時に、イギリスもリベラルメディアの凋落が激しいなと感じましたね。
アメリカに関しては、CNNを始めとしたリベラルメディアの報道を日本のメディアが報じるので、かなりリベラル側に寄った報道となっていますが、実際のトランプ政権の支持率は発足当初からずっと40%強という水準を確保しており、ロシアンゲートだのウクライナ疑惑などと報じられている割には、イメージ以上に安定しています。
もしかしたらイギリスも同様で、単純にイギリスメディアのほとんどがリベラル側なのか、日本のメディアがリベラル側メディアしか引用しないのか判りませんが、リベラル側からの報道や分析にかなり偏っているのかもしれません。
少なくとも、ブレグジット以降は、一時期より保守に傾いている世論を正確に追い切れなくなっていると考えるのが、合理的でしょうね。
選挙結果よりも、そういう乖離が改めて気になった選挙でした。
2019年12月11日水曜日
鹿児島熊本ツーリング その1
令和元年もそろそろ年納め・・・なんですが、まだ去年の旅日記がまとまっていないんですよね。
今年1年色々ありまして、あちこち手が回っていない状態です。
でも、そろそろまとめてみようかな・・・というわけで、去年の秋のツーリングは、鹿児島から九州西部を北上してきました。
鹿児島熊本ツーリングと銘打ってはいますが、正確には、鹿児島熊本福岡東部大分西部ツーリングなんですね。
長ったらしいので、短くしましたけども(^^;)
ま、そんなわけで、綴って行きましょうかね。
九州鹿児島と言えば、当然のように関西からはフェリーになります。
大阪南港~志布志便は、今回で2度目の利用ですな。
しかも、新造船。
うむ。
前の船を知っているだけに、余計楽しみじゃ(^^)
ただ、大分や門司なら仕事帰りに乗れる時間なんですが、志布志便は18:00の出港。
とても仕事帰りじゃ間に合わない。
なので、乗る日の昼は全く空いてしまうんですよね。
それが悩ましい。
ぼーとしてても勿体ないので、今回は、南港への行きがけの駄賃とばかりに、オープン直前の尼崎城に寄って行きました。
公園としての体裁はまだまだですが、建物本体の工事は終わっていました。
ま、これを書いている時にはとっくにオープンしているんですけども(^^;)
これから内装工事ぐらいかな?
城の窓はガラスで、模擬天守らしさが存分にあるんですが、建てかけの家もそうであるように、ガラスに新品の時に貼られているラベルがまだ貼ってあって、普通の模擬天守以上に近代建築という香りがプンプンしてましたな。
いずれ、公園も出来上がってくると、もっと馴染んで来るんでしょう。
尼崎城視察を終え、次は新造船の視察です。
国道43号線の梅香交差点から舞洲、咲洲を経由して南港へGo!
梅香の辺りは、昔、舞洲で草サッカーの試合がある時によく通っていたんですが、ここもUSJができた事で色々と様変わりしたなぁなんて感じながら、橋を渡って舞洲へ入り、咲洲から前回の時は大渋滞だったトンネルを抜けて南港へ。
そして、ATCとWTCの脇を抜けて南へ・・・辿っているとどうもおかしい。
前回は南港の南端が乗り場で、何度も案内が出ていたんですが、今回は全くありません。
バイクを止めて調べてみると、今はATCの裏手から出ている模様。
まさかそんなことになっているとは。
ATCの近くやと、高速と大きな道が入り乱れる部分を走らなくて済むので、気が楽ですな。
ATCで早めの夕食を摂り、いざ乗り場へ。
新造船のきりしまがお出迎えです。
船体がピカピカですな!
乗り込んでみると、前回は確か一番底かその手前ぐらいのフロアでしたが、今回止めたのは乗り込んだ地階(?)フロアでした。
いよいよ、客室へ。
今回予約を取ったのはプライベートシングルです。
個別にテレビも付いてるし、なかなか良いですな。
次はもうひとつ上の部屋を試してみようかな~なんて思いながら、部屋で寛ぐこともなく、いそいそと荷物を置いてデッキへ。
そして、年甲斐も無く写真を撮っていると、船内アナウンスで自分が呼ばれているではありませんか。
なんで?
訝しみながらインフォメーションの所へ行くと、どうやらトラックを先に出す為にバイクをもう少し奥に止めて欲しいとのこと。
ちゃんと指定された通りに止めたのに。
きたんと段取り頼むでホンマ。
バタバタやんか(> <)
そんなこんながありまして、いざ出港です。
ちょっと写真では見にくいですが、地上スタッフが青いペンライトを振って見送ってくれました。
しかし、新造船、いいですな。
客室もプライベートルームの数が増えているし、お風呂も通路分ぐらい広くなっていて、脱衣場も広くなっています。
なんか雰囲気がホテルに近くなりました。
さて、起きたら鹿児島!
走るぞ!
つづく
参考:
尼崎城
地図付きはこちら
今年1年色々ありまして、あちこち手が回っていない状態です。
でも、そろそろまとめてみようかな・・・というわけで、去年の秋のツーリングは、鹿児島から九州西部を北上してきました。
鹿児島熊本ツーリングと銘打ってはいますが、正確には、鹿児島熊本福岡東部大分西部ツーリングなんですね。
長ったらしいので、短くしましたけども(^^;)
ま、そんなわけで、綴って行きましょうかね。
九州鹿児島と言えば、当然のように関西からはフェリーになります。
大阪南港~志布志便は、今回で2度目の利用ですな。
しかも、新造船。
うむ。
前の船を知っているだけに、余計楽しみじゃ(^^)
ただ、大分や門司なら仕事帰りに乗れる時間なんですが、志布志便は18:00の出港。
とても仕事帰りじゃ間に合わない。
なので、乗る日の昼は全く空いてしまうんですよね。
それが悩ましい。
ぼーとしてても勿体ないので、今回は、南港への行きがけの駄賃とばかりに、オープン直前の尼崎城に寄って行きました。
公園としての体裁はまだまだですが、建物本体の工事は終わっていました。
ま、これを書いている時にはとっくにオープンしているんですけども(^^;)
これから内装工事ぐらいかな?
城の窓はガラスで、模擬天守らしさが存分にあるんですが、建てかけの家もそうであるように、ガラスに新品の時に貼られているラベルがまだ貼ってあって、普通の模擬天守以上に近代建築という香りがプンプンしてましたな。
いずれ、公園も出来上がってくると、もっと馴染んで来るんでしょう。
尼崎城視察を終え、次は新造船の視察です。
国道43号線の梅香交差点から舞洲、咲洲を経由して南港へGo!
梅香の辺りは、昔、舞洲で草サッカーの試合がある時によく通っていたんですが、ここもUSJができた事で色々と様変わりしたなぁなんて感じながら、橋を渡って舞洲へ入り、咲洲から前回の時は大渋滞だったトンネルを抜けて南港へ。
そして、ATCとWTCの脇を抜けて南へ・・・辿っているとどうもおかしい。
前回は南港の南端が乗り場で、何度も案内が出ていたんですが、今回は全くありません。
バイクを止めて調べてみると、今はATCの裏手から出ている模様。
まさかそんなことになっているとは。
ATCの近くやと、高速と大きな道が入り乱れる部分を走らなくて済むので、気が楽ですな。
ATCで早めの夕食を摂り、いざ乗り場へ。
新造船のきりしまがお出迎えです。
船体がピカピカですな!
乗り込んでみると、前回は確か一番底かその手前ぐらいのフロアでしたが、今回止めたのは乗り込んだ地階(?)フロアでした。
いよいよ、客室へ。
今回予約を取ったのはプライベートシングルです。
個別にテレビも付いてるし、なかなか良いですな。
次はもうひとつ上の部屋を試してみようかな~なんて思いながら、部屋で寛ぐこともなく、いそいそと荷物を置いてデッキへ。
そして、年甲斐も無く写真を撮っていると、船内アナウンスで自分が呼ばれているではありませんか。
なんで?
訝しみながらインフォメーションの所へ行くと、どうやらトラックを先に出す為にバイクをもう少し奥に止めて欲しいとのこと。
ちゃんと指定された通りに止めたのに。
きたんと段取り頼むでホンマ。
バタバタやんか(> <)
そんなこんながありまして、いざ出港です。
ちょっと写真では見にくいですが、地上スタッフが青いペンライトを振って見送ってくれました。
しかし、新造船、いいですな。
客室もプライベートルームの数が増えているし、お風呂も通路分ぐらい広くなっていて、脱衣場も広くなっています。
なんか雰囲気がホテルに近くなりました。
さて、起きたら鹿児島!
走るぞ!
つづく
参考:
尼崎城
地図付きはこちら
2019年12月4日水曜日
ガンダム六甲に立つ
先日、こんな記事が神戸新聞に載っていました。
「こんなに早く…最高」コスプレ姿で関西最速オープン満喫 六甲山スノーパーク
もうそんな季節かと、何の気に無しにさらりと読み流していたんですが・・・
!?
ガンダムがおるやないか!!
40代の自分はガンダム世代なんですが、思わず2度見しました(笑)
白いウェアが絶妙にマッチしてて、写真の立ち姿もいい!
こんなカット、アニメでもあった気がします。
やるなぁ~
思わず朝から唸ってしまいました(^^)
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