前回のあらすじ
とんでもない悪夢が頭をよぎったが・・・
無事比叡尾山城は攻略完了!
比叡尾山城を下ると、もう既に陽は落ち、残照の世界となっていました。
三次も盆地やから、日暮れは早いもんですわ。
一応、未到達も含めて本日の予定は完了。
そのまま畠敷から東へ走って三次東I.C.から尾道道へと入り、南へ。
尾道道は対面通行ながら車列がみっちりと詰まっていて、なかなか交通量が多いですな。
しかし、尾道道って字面悪くないですかね?
書いてみると、なんか凄く面倒くさい字の並びです。
他に適当な名称は無かったのか・・・
まぁそれはともかくとして、この日の宿は尾道市御調地区の尾道ふれあいの里温泉です。
ただ、素泊まりなので先に晩飯を調達しないといけない。
そんなわけで、尾道道尾道北I.C.で出て下道へ・・・・って
やっぱり道道してて見にくいわ!
ほんま面倒くさい字面やわ(笑)
こうして、JHの仕掛けるゲシュタルト崩壊の罠に嵌りつつ、国道184号線と国道486号線が交わる交差点のコンビニで一旦休憩し、尾道ふれあいの里の場所を確認します。
この交差点付近は、建物が少なくて長閑な感じですが、御調地区の中心地なんでしょうね。
付近には、大きな病院とか消防署なんかもありました。
取りあえず御調地区周辺で尾道ラーメンが食べられる所を検索すると、山を越えた南に味平というラーメン屋さんが。
ここが一番近いし、今夜のご飯はここに決定。
引き続き、国道184号線を南進です。
コンビニからの距離は8kmほどですが、信号も無い山道なので、味平には10分ちょいで到着。
時間はまだ6時過ぎで、ビジータイム手前という事もあって並ばずに席に着けました。
なかなか、いつもには無いスマートさですな。
いつもはキリのいい所まで走ってしまって、コンビニ飯とか昼飯抜きに陥るんですが(笑)。
味平のラーメンは、普通に美味しかったですね。
久々の尾道ラーメン。
大変満足ですわ。
後で知ったんですが、この味平のラーメンがお土産屋さんで販売されているんですね。
接客は店長と思われる方がしてくれたんですが、そのお土産のパッケージにもその人が載っていて、「おぉこの人この人!」と、妙な親近感がありました(笑)
腹も落ち着いたので、そのまま来た道を戻って御調に戻り、バイクにも晩御飯を。
給油を済ませたら、尾道ふれあいの里温泉の案内に従って山へと入って行きます。
温泉に着いたのは18:57。
予約時に19:00到着予定と伝えていたので、なんというか、ビジネスマナー的に完璧な時間ですな。
いや~、こんなスマートに進行するツーリングは久しぶりやね。
得体の知れない達成感がありますわ(笑)
この尾道ふれあいの里温泉は、単純放射能泉で、これぞ温泉といった浴感はあまり無かったのですが、妙に視界が広い浴室で、開放感がありました。
日帰り入浴もあるんですが、自分の入った7時過ぎというのがご飯時間に当たるのか、人も少なくてのんびりできて良かったです。
走った距離は少ないですが、今日はスムーズで妙に満足感のある行程でしたな。
比熊山城のあの濡れ落ち葉以外・・・
参考
尾道ふれあいの里温泉
地図付きはこちら
2017年11月29日水曜日
2017年11月24日金曜日
備後ツーリング その1
さぁ、今年も秋のツーリングに行くぞ!
という意気込みを鈍器で殴打するように、
2週連続週末台風・・・
んなアホな。
10月やぞ、10月!
バンバン台風が来る季節じゃないのに、なんてこったい。
というわけで、怨嗟の声を呻き出しながら、昨年の秋のツーリングを思い出すわけです。
昨秋は、いつもツーリングに行っている10月にどうしても連休が取れなくて、勝手にSSTRをやったんですが、結局、連休が取れたのは、11月も半ばに差し掛かっての事でした。
さすがに11月ぐらいになると、早朝出発で動くのが難しくなります。
もう寒いですからね。
過去には、冬用のグローブを紛失して11月の朝6時に夏用グローブで高速に乗り込み、手が千切れる手が千切れると叫びながら走った事もありますが、まぁそれぐらい寒いわけです。
それぐらいってどれぐらいやねんと思いつつ話を進めて結論から言うと、たまには弾丸的ではない、ゆっくりとしたツーリングにすることにしました。
ただ、ブラタモリでもやってたし自分的に旬やな、と思ってた宮島は、2日目の月曜の雨がどうやら不可避のようなので、断念。
直前まで天気予報とにらめっこしつつ、以前から中国山地の城はあんまり行った事が無いなというのもあって、これを良い機会にして三次に目的地を定めました。
出発当日、起きたのは普通に7:30頃。
のそのそと起きだして朝飯を食べ、ネットから本日の宿を探します。
と言っても日曜なので、宿探しも余裕。
ただ、三次には程良い宿が無かったんですよね。
そういうわけで、宿は尾道の北の温泉に予約を入れました。
こりゃ晩飯は尾道ラーメンしかないっすな!
なんだかんだと下調べをして、出発したのは9:30。
いや~のんびりですわ。
道は、いつもの西行きの行程と同じで、第二神明から各国道2号バイパスを西へ西へ。
そして、今回は姫路西バイパス経由で国道29号線を北上西進し、山崎I.C.から中国道へ入りました。
ここまでノンストップだったので、ひとまず揖保川P.A.で休憩。
バイクの横で地図を見てると、観光バスからひとりのおばちゃんが近寄ってきました。
何でも、息子さんがバイクに乗ってて、それで声を掛けたとの事。
親としては子供がバイクに乗ってるのはやっぱり心配なようで、旅に行く度に危ないからやめた方がいいんじゃないのという話をしていたら、旅の話をしてくれなくなってしまったらしい。
確かに嬉しい話に水を差されたら話す気は段々と無くなるやろうなぁとは思ったけど、それが親心なんやろね。
「バイクの事故率ってベテランになると普通の車より低いんで見守ってあげて下さい」とは言ったけど、なかなかすぐに修復ってのは難しいかもしれないなぁ
揖保川P.A.を出て、日曜でも空いている中国道をひたすら西へ進んで行きます。
津山、院庄辺りは走った記憶が割と残ってるんですが、そこから先は走ったことはあるものの、記憶は割と朧気で、こんな景色やったっけ?と妙に新鮮でした。
大佐S.A.で昼前になったので昼食を摂り、新見、東条と走って行きます。
この辺り、高速でありながら60km/h制限の道で、かなりコーナーのRがきつく、なかなか楽しかったですね。
高速道路でコーナーを楽しめるとは意外でした(^^)
中国道を三次I.C.で降り、三次市街を抜けて、目指すは尾関山公園。
ここが第1目標の尾関山城です。
江の川の川沿いから尾関山公園へ行くと、三江線のガード下をくぐるのですが、ちょうど列車が過ぎようとしていたので記念撮影。
慌てて撮ったからピンボケしてるやん・・・
ローカル線に出くわす確率は低いので、なんだかラッキーな気分になりますね。
今日はちょっと運がいいかも、なんて思いながら尾関山へ行ってみると、びっくりするぐらいの人出。
城跡なんて大抵が閑散としているので、この人の多さ、車の多さには圧倒されます。
どうやら、紅葉の名所として有名のようですね。
というわけで、お城の前に紅葉の写真をば。
上の列車の写真にも見えているのがこの紅葉。
鮮やかさと東屋との対比がいい感じ。
尾関山公園に入ると、小川と紅葉が出迎えてくれました。
池泉式庭園風ですね。
この入口部分から少し入った碑のある広場も紅葉が綺麗でした。
最後に紅葉のアップ。
この季節だけの紅い景色は、何とも言えず綺麗ですね。
尾関山公園の紅葉の見所は比較的低い場所にあるんですが、公園の高い場所も人がいっぱいでした。
そこへ向かう遊歩道の脇には、かつての石垣の痕跡が。
痕跡をもういっちょ。
こちらは石垣の内側に埋めるぐり石が多いですね。
尾関山城は、毛利家臣だった三吉氏の配下、上里守光が最初の城将で、築城時期は天正19年(1591)頃か、その少し前のようですが、関ヶ原の合戦で福島正則が広島に入ると、正則の重臣である尾関正勝が城代となり、本格的に改修されました。
尾関山の名は、この尾関正勝に因みます。
福島領内に整備された支城は、すべてが石垣造であったようで、この尾関城にも確実に石垣がありました。
総石垣が主要部のみかは何とも言えない所ですが、中腹にも痕跡があるので、少なくともほぼ総石垣に近い城であったと思われます。
福島正則が改易になった後、それらの支城は破却されるのですが、尾関山ほど痕跡が少なくはないので、尾関山の石垣は後の世に石材として転用されたのかも知れません。
よく使われるのが河川の堤としてですが、江の川も近いですし、用材としては転用し易いでしょうね。
ちょっと話が逸れましたが、公園は遊歩道や広場としてきちんと整備されているものの、当時の縄張の影響も色濃く残していました。
ぐるっと回ることができるのですが、縄張の姿を想像しながら歩くのは楽しいですね。
下が本丸だったと思われる頂上部の広場です。
この一角には展望台もありました。
展望台の下には石垣の痕跡が見え、ぐり石だったと思われる小石も散在しています。
展望台から三次市街の眺め。
この左側に視線を移すと、三次浅野藩の菩提寺だった鳳源寺が見え、その後背の山が三吉氏時代の尾関山城の本城である比熊山城のあった場所です。
本丸から南西側に下りると、そこにも広い削平地がありました。
全方位的に城郭化された城だったんですね。
石垣が残ってれば、かなりの堅城振りだったと思います。
最後に、公園北側にある浅野神社。
言うまでも無く、浅野氏を祀った神社です。
マイナーなのか、誰も人はいませんでしたが・・・
つづく
参考:
尾関山城
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という意気込みを鈍器で殴打するように、
2週連続週末台風・・・
んなアホな。
10月やぞ、10月!
バンバン台風が来る季節じゃないのに、なんてこったい。
というわけで、怨嗟の声を呻き出しながら、昨年の秋のツーリングを思い出すわけです。
昨秋は、いつもツーリングに行っている10月にどうしても連休が取れなくて、勝手にSSTRをやったんですが、結局、連休が取れたのは、11月も半ばに差し掛かっての事でした。
さすがに11月ぐらいになると、早朝出発で動くのが難しくなります。
もう寒いですからね。
過去には、冬用のグローブを紛失して11月の朝6時に夏用グローブで高速に乗り込み、手が千切れる手が千切れると叫びながら走った事もありますが、まぁそれぐらい寒いわけです。
それぐらいってどれぐらいやねんと思いつつ話を進めて結論から言うと、たまには弾丸的ではない、ゆっくりとしたツーリングにすることにしました。
ただ、ブラタモリでもやってたし自分的に旬やな、と思ってた宮島は、2日目の月曜の雨がどうやら不可避のようなので、断念。
直前まで天気予報とにらめっこしつつ、以前から中国山地の城はあんまり行った事が無いなというのもあって、これを良い機会にして三次に目的地を定めました。
出発当日、起きたのは普通に7:30頃。
のそのそと起きだして朝飯を食べ、ネットから本日の宿を探します。
と言っても日曜なので、宿探しも余裕。
ただ、三次には程良い宿が無かったんですよね。
そういうわけで、宿は尾道の北の温泉に予約を入れました。
こりゃ晩飯は尾道ラーメンしかないっすな!
なんだかんだと下調べをして、出発したのは9:30。
いや~のんびりですわ。
道は、いつもの西行きの行程と同じで、第二神明から各国道2号バイパスを西へ西へ。
そして、今回は姫路西バイパス経由で国道29号線を北上西進し、山崎I.C.から中国道へ入りました。
ここまでノンストップだったので、ひとまず揖保川P.A.で休憩。
バイクの横で地図を見てると、観光バスからひとりのおばちゃんが近寄ってきました。
何でも、息子さんがバイクに乗ってて、それで声を掛けたとの事。
親としては子供がバイクに乗ってるのはやっぱり心配なようで、旅に行く度に危ないからやめた方がいいんじゃないのという話をしていたら、旅の話をしてくれなくなってしまったらしい。
確かに嬉しい話に水を差されたら話す気は段々と無くなるやろうなぁとは思ったけど、それが親心なんやろね。
「バイクの事故率ってベテランになると普通の車より低いんで見守ってあげて下さい」とは言ったけど、なかなかすぐに修復ってのは難しいかもしれないなぁ
揖保川P.A.を出て、日曜でも空いている中国道をひたすら西へ進んで行きます。
津山、院庄辺りは走った記憶が割と残ってるんですが、そこから先は走ったことはあるものの、記憶は割と朧気で、こんな景色やったっけ?と妙に新鮮でした。
大佐S.A.で昼前になったので昼食を摂り、新見、東条と走って行きます。
この辺り、高速でありながら60km/h制限の道で、かなりコーナーのRがきつく、なかなか楽しかったですね。
高速道路でコーナーを楽しめるとは意外でした(^^)
中国道を三次I.C.で降り、三次市街を抜けて、目指すは尾関山公園。
ここが第1目標の尾関山城です。
江の川の川沿いから尾関山公園へ行くと、三江線のガード下をくぐるのですが、ちょうど列車が過ぎようとしていたので記念撮影。
慌てて撮ったからピンボケしてるやん・・・
ローカル線に出くわす確率は低いので、なんだかラッキーな気分になりますね。
今日はちょっと運がいいかも、なんて思いながら尾関山へ行ってみると、びっくりするぐらいの人出。
城跡なんて大抵が閑散としているので、この人の多さ、車の多さには圧倒されます。
どうやら、紅葉の名所として有名のようですね。
というわけで、お城の前に紅葉の写真をば。
上の列車の写真にも見えているのがこの紅葉。
鮮やかさと東屋との対比がいい感じ。
尾関山公園に入ると、小川と紅葉が出迎えてくれました。
池泉式庭園風ですね。
この入口部分から少し入った碑のある広場も紅葉が綺麗でした。
最後に紅葉のアップ。
この季節だけの紅い景色は、何とも言えず綺麗ですね。
尾関山公園の紅葉の見所は比較的低い場所にあるんですが、公園の高い場所も人がいっぱいでした。
そこへ向かう遊歩道の脇には、かつての石垣の痕跡が。
痕跡をもういっちょ。
こちらは石垣の内側に埋めるぐり石が多いですね。
尾関山城は、毛利家臣だった三吉氏の配下、上里守光が最初の城将で、築城時期は天正19年(1591)頃か、その少し前のようですが、関ヶ原の合戦で福島正則が広島に入ると、正則の重臣である尾関正勝が城代となり、本格的に改修されました。
尾関山の名は、この尾関正勝に因みます。
福島領内に整備された支城は、すべてが石垣造であったようで、この尾関城にも確実に石垣がありました。
総石垣が主要部のみかは何とも言えない所ですが、中腹にも痕跡があるので、少なくともほぼ総石垣に近い城であったと思われます。
福島正則が改易になった後、それらの支城は破却されるのですが、尾関山ほど痕跡が少なくはないので、尾関山の石垣は後の世に石材として転用されたのかも知れません。
よく使われるのが河川の堤としてですが、江の川も近いですし、用材としては転用し易いでしょうね。
ちょっと話が逸れましたが、公園は遊歩道や広場としてきちんと整備されているものの、当時の縄張の影響も色濃く残していました。
ぐるっと回ることができるのですが、縄張の姿を想像しながら歩くのは楽しいですね。
下が本丸だったと思われる頂上部の広場です。
この一角には展望台もありました。
展望台の下には石垣の痕跡が見え、ぐり石だったと思われる小石も散在しています。
展望台から三次市街の眺め。
この左側に視線を移すと、三次浅野藩の菩提寺だった鳳源寺が見え、その後背の山が三吉氏時代の尾関山城の本城である比熊山城のあった場所です。
本丸から南西側に下りると、そこにも広い削平地がありました。
全方位的に城郭化された城だったんですね。
石垣が残ってれば、かなりの堅城振りだったと思います。
最後に、公園北側にある浅野神社。
言うまでも無く、浅野氏を祀った神社です。
マイナーなのか、誰も人はいませんでしたが・・・
つづく
参考:
尾関山城
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備後ツーリング その2
前回のあらすじ
尾関山公園の紅葉はそれはそれは見事じゃった。
紅葉を堪能した後、築城当時の尾関山城の本城であった比熊山城へ向かいます。
事前に調べたところによると、まともに行けば南東麓からほぼ頂上までの登山になるんですが、北側からは城の近くまで車道が繋がっているとのこと。
下の図の道ですね。
秋も深まり、日暮れが早いですから、これを利用しない手は無い。
そんなわけで、尾関山公園から国道375号線に入り、そのまま左に折れる国道を直進して県道39号線へ。
しばらく行くと左側に西城川へ流れ込む細流沿いに入る道が見えるので、左折してしばらく走り、農道へ左折。
道はなかなか立派で、快調快調と山を駆け上がっていったんですが、途中、大きく右に曲がるコーナーから急に道路状況が変わりました。
その変わり目の所に資材置き場のような場所があるんですが、そこから先へはほとんど通行が無いようで、落ち葉が積もってアスファルトが見えない状態。
しかも・・・濡れている。
マップを見ても、ここからまだ1km以上はありそう。
マジかよ・・・
一面を埋める濡れ落ち葉に対抗するには、我が稚拙なライディングテクでは危険すぎる。
行きの上りはまだ勢いで抜けられるとしても、帰りの下りはフロントのグリップがズルっと抜けて確実にやっちまう図が目に浮かぶ・・・
というわけで、止むを得ずここでバイクを乗り捨て、徒歩で城へと向かうことに。
歩き始めてすぐ、道を通すために削った部分の横壁が崩れてて土砂がダラっと道へ流れ出た状態の場所もあり、乗り捨ての判断は正しかった。
ただ・・・遠いんだよ!
坂の先は平坦で、雑草が道の裂け目から勢いよく伸びていたり、脇の木々からの枝が進行を妨害してくる以外は快調で、十分バイクでも走れそうでしたけど、やっぱりあの濡れ落ち葉は越えられへんなぁ
こうして20分ほど歩くと、道は突き当りに到達し、道が二股に分かれていました。
どちらかが城に通じているはずです。
しかし、どちらも藪!
そして、藪を掻き分ける装備なんて持ってるはずもなく。
んー次の城も時間が厳しいしな・・・
というわけで、ここまで来ながら断念。
もっと簡単に行けると思ってたんやけど、甘かった。
気を取り直し、来た道を戻って西城川を渡り、市街地の北端を東西に貫通している道へ。
この道をしばらく行った畠敷の所から北側の住宅地に入り、細い道を辿って岩屋寺方向へと向かいます。
そこにあるのは比叡尾山城。
比熊山城を築く前の三吉氏の本拠です。
ただ、この住宅地から岩屋寺へ向かう道は非常に狭く、完全に車1台分の幅しか無い為、対向車が来たらバイクでもお手上げでしたね。
かなりヤバい道です。
幸い、対向車は来ませんでしたが。
途中、岩屋寺へ向かう分岐を過ぎ、農道のような道を進んで行くと、ようやく城の案内が出て来ました。
案内のある場所は城のある峰とは別で、そこから一旦下ってからようやく登山道となります。
こんな山間ですが、まずは王子谷池がお出迎え。
往時にも存在していたのなら、水源だったかと思われます。
この池が見える場所の近くに、城の全体図がありました。
図を見ると解りますが、城は山頂部から領地のあった南へ郭を重ねる城だったようですね。
通常のルートで登って行くと、まずは堀切が確認できました。
堀切を過ぎ、そのまま登って行くと、北ノ丸から本丸といった主郭部へ出ます。
まずは北ノ丸。
かつての石垣の証なのか、ぐり石のような大きさの石が散乱していました。
そこから二ノ丸へと廻ります。
二ノ丸からの三次市街の風景。
雲海の発生率がかなり高いそうです。
三次市街自体が、川の合流点ですしね。
霧の材料となる水分の供給は十分ですな。
眺望を堪能したところで、二ノ丸から本丸へと向かいます。
大手と思われる部分には石段が。
本丸は2段構成になっていました。
そして本丸。
縁辺に土塁が綺麗に残っていますね。
この写真は三ノ丸の北西側ですが、明確に土塁が残っていました。
そして、見付けたこんな木・・・
く、熊?
いやいや、鹿の角研ぎやろ。
うん、きっとそうだ!
そう言い聞かせながら、更に下へ。
三ノ丸の下にもまだ郭が続いています。
案内には三ノ丸までしか書かれていなかったので、三ノ丸下段とするのが正しいのかも知れませんが、四ノ丸として独立させていいほど大きな削平地でした。
ここから再び二ノ丸に戻って、改めて上から覗いてみます。
二ノ丸の切岸上から三ノ丸を確認すると、城の規模の大きさが解かりますね。
帰りは石塁があるというルートで行きます。
そのルートに入って早々には、穴倉という穴がありました。
用途は不明のようですが、他の三吉氏系の城にもあるとのことなので、なんらかの特別な役割があったのか、それとも宗教的な意味を持つものなのか、気になりますね。
そのまま下って行くと、中腹には屋敷跡の削平地があり、石塁が見られます。
ここもどういう目的だったのかちょっと不明な構造なんですが、重臣の武家屋敷があったんでしょう。
さらに進むと、石垣が。
立派な石垣なんですが、ただ、石垣の筋が斜めに見えるんですよね。
つまりは、谷積っぽい。
谷積だと江戸時代以降の石垣ということになるけども・・・
どちらにしろ、位置からして城本体の防御施設でないことは確かなようですな。
いやー、比叡尾山城は良い城でしたわ。
整備もバッチリ行き届いてて、感謝感謝ですな。
大満足のお城です!
続く
参考:
比熊山城
比叡尾山城
地図付きはこちら
尾関山公園の紅葉はそれはそれは見事じゃった。
紅葉を堪能した後、築城当時の尾関山城の本城であった比熊山城へ向かいます。
事前に調べたところによると、まともに行けば南東麓からほぼ頂上までの登山になるんですが、北側からは城の近くまで車道が繋がっているとのこと。
下の図の道ですね。
秋も深まり、日暮れが早いですから、これを利用しない手は無い。
そんなわけで、尾関山公園から国道375号線に入り、そのまま左に折れる国道を直進して県道39号線へ。
しばらく行くと左側に西城川へ流れ込む細流沿いに入る道が見えるので、左折してしばらく走り、農道へ左折。
道はなかなか立派で、快調快調と山を駆け上がっていったんですが、途中、大きく右に曲がるコーナーから急に道路状況が変わりました。
その変わり目の所に資材置き場のような場所があるんですが、そこから先へはほとんど通行が無いようで、落ち葉が積もってアスファルトが見えない状態。
しかも・・・濡れている。
マップを見ても、ここからまだ1km以上はありそう。
マジかよ・・・
一面を埋める濡れ落ち葉に対抗するには、我が稚拙なライディングテクでは危険すぎる。
行きの上りはまだ勢いで抜けられるとしても、帰りの下りはフロントのグリップがズルっと抜けて確実にやっちまう図が目に浮かぶ・・・
というわけで、止むを得ずここでバイクを乗り捨て、徒歩で城へと向かうことに。
歩き始めてすぐ、道を通すために削った部分の横壁が崩れてて土砂がダラっと道へ流れ出た状態の場所もあり、乗り捨ての判断は正しかった。
ただ・・・遠いんだよ!
坂の先は平坦で、雑草が道の裂け目から勢いよく伸びていたり、脇の木々からの枝が進行を妨害してくる以外は快調で、十分バイクでも走れそうでしたけど、やっぱりあの濡れ落ち葉は越えられへんなぁ
こうして20分ほど歩くと、道は突き当りに到達し、道が二股に分かれていました。
どちらかが城に通じているはずです。
しかし、どちらも藪!
そして、藪を掻き分ける装備なんて持ってるはずもなく。
んー次の城も時間が厳しいしな・・・
というわけで、ここまで来ながら断念。
もっと簡単に行けると思ってたんやけど、甘かった。
気を取り直し、来た道を戻って西城川を渡り、市街地の北端を東西に貫通している道へ。
この道をしばらく行った畠敷の所から北側の住宅地に入り、細い道を辿って岩屋寺方向へと向かいます。
そこにあるのは比叡尾山城。
比熊山城を築く前の三吉氏の本拠です。
ただ、この住宅地から岩屋寺へ向かう道は非常に狭く、完全に車1台分の幅しか無い為、対向車が来たらバイクでもお手上げでしたね。
かなりヤバい道です。
幸い、対向車は来ませんでしたが。
途中、岩屋寺へ向かう分岐を過ぎ、農道のような道を進んで行くと、ようやく城の案内が出て来ました。
案内のある場所は城のある峰とは別で、そこから一旦下ってからようやく登山道となります。
こんな山間ですが、まずは王子谷池がお出迎え。
往時にも存在していたのなら、水源だったかと思われます。
この池が見える場所の近くに、城の全体図がありました。
図を見ると解りますが、城は山頂部から領地のあった南へ郭を重ねる城だったようですね。
通常のルートで登って行くと、まずは堀切が確認できました。
堀切を過ぎ、そのまま登って行くと、北ノ丸から本丸といった主郭部へ出ます。
まずは北ノ丸。
かつての石垣の証なのか、ぐり石のような大きさの石が散乱していました。
そこから二ノ丸へと廻ります。
二ノ丸からの三次市街の風景。
雲海の発生率がかなり高いそうです。
三次市街自体が、川の合流点ですしね。
霧の材料となる水分の供給は十分ですな。
眺望を堪能したところで、二ノ丸から本丸へと向かいます。
大手と思われる部分には石段が。
本丸は2段構成になっていました。
下は本丸の下段で、二ノ丸と本丸上段の間の削平地。
そして本丸。
縁辺に土塁が綺麗に残っていますね。
本丸を散策した後は、二ノ丸から南へ辿って行きます。
二ノ丸の下の三ノ丸。
この写真は三ノ丸の北西側ですが、明確に土塁が残っていました。
そして、見付けたこんな木・・・
く、熊?
いやいや、鹿の角研ぎやろ。
うん、きっとそうだ!
そう言い聞かせながら、更に下へ。
三ノ丸の下にもまだ郭が続いています。
案内には三ノ丸までしか書かれていなかったので、三ノ丸下段とするのが正しいのかも知れませんが、四ノ丸として独立させていいほど大きな削平地でした。
ここから再び二ノ丸に戻って、改めて上から覗いてみます。
二ノ丸の切岸上から三ノ丸を確認すると、城の規模の大きさが解かりますね。
帰りは石塁があるというルートで行きます。
そのルートに入って早々には、穴倉という穴がありました。
用途は不明のようですが、他の三吉氏系の城にもあるとのことなので、なんらかの特別な役割があったのか、それとも宗教的な意味を持つものなのか、気になりますね。
そのまま下って行くと、中腹には屋敷跡の削平地があり、石塁が見られます。
ここもどういう目的だったのかちょっと不明な構造なんですが、重臣の武家屋敷があったんでしょう。
さらに進むと、石垣が。
立派な石垣なんですが、ただ、石垣の筋が斜めに見えるんですよね。
つまりは、谷積っぽい。
谷積だと江戸時代以降の石垣ということになるけども・・・
どちらにしろ、位置からして城本体の防御施設でないことは確かなようですな。
いやー、比叡尾山城は良い城でしたわ。
整備もバッチリ行き届いてて、感謝感謝ですな。
大満足のお城です!
続く
参考:
比熊山城
比叡尾山城
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2017年11月18日土曜日
希望はどこへ
先日、希望の党を立ち上げた小池さんが党首を辞任しました。
党の規約としては、最初は2人での共同代表制にする予定で、代表は1名以上となっていますが、実質的には小池さんから玉木さんへのバトンタッチという感じになりましたね。
その理由として、都政に専念するとのことですが、例の排除発言以降、完全に波に乗れなくなってしまった印象です。
党の規約なんかを見ると、小池さんは明確に共同代表として影響力を残す方針だったはずですし、あわよくば衆議院選挙にも出馬する予定だったのかもしれません。
ただ、勝負を急ぎ過ぎた。
党勢拡大を優先するあまり、異質な人を受け入れて色が見えなくなった印象ですね。
うまくやれば、立憲民主党と同じような評価を違う立ち位置で得られたとは思うんですが、そこは勝負のアヤといったところでしょうか。
この辺りは、風という見えないモノが相手ですから、難しいのはしょうがありません。
しかし、いくら世論の支持が得られなかったとは言え、選挙以降はやや腰が引け過ぎな気がします。
元々がワンマン体制の党ですから、創立メンバーが弱体化してしまってる今、看板の人がこのようなままでは、分裂まで行き着いてしまうのではないでしょうか。
その証拠に、党首選挙では党是とは明らかに違うリベラル系の大串さんが出て来ました。
選ばれはしませんでしたが、それだけ看板や創立メンバーの影響力が低下した証拠でもあるんでしょう。
その辺りの人達が元気なら、リベラルな人がとても立候補するような空気にはなっていなかったはずです。
しかし、外から見ると、予想通りというか何というか、民進党内の左右の足並みの乱れをそのまま持って来てしまった印象すらありますな。
実際、旧民進党系の議員のほうが多くなってしまってますしね。
どの組織でも同じですが、こういう時にこそリーダーシップが必要なんですがねぇ
そういう意味では、同じような地域政党から発展した大阪維新の会の橋下元代表には、リーダーシップがありました。
手法には賛否がありましたが、1枚看板はどうあるべきか、というひとつのケーススタディになるかと思います。
小池さんも、窮地に負けず、頑張って欲しいですな。
党の規約としては、最初は2人での共同代表制にする予定で、代表は1名以上となっていますが、実質的には小池さんから玉木さんへのバトンタッチという感じになりましたね。
その理由として、都政に専念するとのことですが、例の排除発言以降、完全に波に乗れなくなってしまった印象です。
党の規約なんかを見ると、小池さんは明確に共同代表として影響力を残す方針だったはずですし、あわよくば衆議院選挙にも出馬する予定だったのかもしれません。
ただ、勝負を急ぎ過ぎた。
党勢拡大を優先するあまり、異質な人を受け入れて色が見えなくなった印象ですね。
うまくやれば、立憲民主党と同じような評価を違う立ち位置で得られたとは思うんですが、そこは勝負のアヤといったところでしょうか。
この辺りは、風という見えないモノが相手ですから、難しいのはしょうがありません。
しかし、いくら世論の支持が得られなかったとは言え、選挙以降はやや腰が引け過ぎな気がします。
元々がワンマン体制の党ですから、創立メンバーが弱体化してしまってる今、看板の人がこのようなままでは、分裂まで行き着いてしまうのではないでしょうか。
その証拠に、党首選挙では党是とは明らかに違うリベラル系の大串さんが出て来ました。
選ばれはしませんでしたが、それだけ看板や創立メンバーの影響力が低下した証拠でもあるんでしょう。
その辺りの人達が元気なら、リベラルな人がとても立候補するような空気にはなっていなかったはずです。
しかし、外から見ると、予想通りというか何というか、民進党内の左右の足並みの乱れをそのまま持って来てしまった印象すらありますな。
実際、旧民進党系の議員のほうが多くなってしまってますしね。
どの組織でも同じですが、こういう時にこそリーダーシップが必要なんですがねぇ
そういう意味では、同じような地域政党から発展した大阪維新の会の橋下元代表には、リーダーシップがありました。
手法には賛否がありましたが、1枚看板はどうあるべきか、というひとつのケーススタディになるかと思います。
小池さんも、窮地に負けず、頑張って欲しいですな。
2017年11月6日月曜日
2017衆議院議員選挙後の諸々
選挙が終わり、各政党、色々な動きが出てきましたな。
勢力を落とした希望の党の日本維新の会は、内部の突き上げが外部に漏れてきています。
とは言え、どちらも橋下さん小池さんの個人人気が突出している党ですから、その風を求めて集まった面々が文句を言うのはちょっと違うような気もしますが。
ワンマン体制から集団体制に移行する過渡期の現象かも知れませんが、下手をすればみんなの党のように瓦解してしまうかも知れませんね。
あそこも渡辺さんの個人商店のような党でしたから。
ともかく、組織内部のことは組織内部で完結して外に出さないというのがどの組織でも鉄則で、その辺りのコンプライアンスがどちらも甘い気はします。
それに比べ、議席がほぼ半減した共産党は素晴らしい。
一切、外部に批判がましいことは聞こえてきません。
統制がしっかり取れているということでしょうね。
しかし、それが完全なる平等を目指す共産党であるのはちょっと皮肉めいてる気もしますな。
めっちゃ上下関係がしっかりしてるやん、と。
近くの小学校より広い自宅敷地を持つ不破さんの話なんかは有名ですが、赤い貴族とも呼ばれる共産党の上層部は締め付けがうまいですわ。
ところで、今回もあったんですが、選挙後になると出てくる話があります。
それは、得票率や絶対得票数の話。
http://blogos.com/article/255456/
などに書かれていますが、今回の自民党の得票率は、小選挙区で47.8%、比例代表で33.3%。
この得票率で大勝はどうなのか、という意見です。
確かに一理ある話なんですが、この辺りは選挙戦略と絡む問題でもあり、数字をそのまま受け取るのもどうかと思いますね。
選挙も闘いである以上、そこには、数字は悪くなるが実を取るという野球における敬遠フォアボールのように、制度やルールを踏まえた戦略があり、それによって数字も上下するわけです。
アメリカのトランプ大統領は、大統領選挙に勝利はしていますが、全米での得票数では負けていました。
やや極端な例になりますが、民主党の票田であったカリフォルニア州を負け州として捨てるという戦略を取らず、トランプ陣営が最大の力を結集してキャンペーンを繰り広げ、票差が100万程度になったとするならば、どうなるでしょう。
カルフォルニア州の票差が約430万ですから、330万票も差が縮まれば全米での得票数は逆転します。
しかしながら、最終的な各州の選挙人の獲得には影響がないわけです。
それなら、他の州で選挙人の数を稼ごう、となるわけですね。
日本も同様で、小選挙区に強い候補のいる選挙区は割と放置され、与野党共に僅差の選挙区にマンパワーや人気のある政治家を応援として送り込みます。
結果、どちらが勝っても死に票は増えることになるんですね。
これはもう、選挙をやる以上は宿阿みたいなものです。
また、投票する人に目を向けてみると、日本の場合はバランスを取る人が多い。
アングロサクソン系のアメリカやイギリスのように、がっつり1つの党に賭ける、というのはあまり多くないようです。
個人的な見聞きに過ぎませんが、小選挙区と比例代表で同じ党に投票する人は、固定の党を支持している人以外では多くないようで、小選挙区が与党なら比例は野党といった風に分散させるというのをよく聞きました。
今回の選挙でも、小選挙区と比例代表で、自民党の得票率が大きく変わっていますが、これが日本人のバランス感覚なんでしょう。
そういう背景を踏まえて上の記事を見ると、単純に記事の内容を受け入れるには躊躇いがありますね。
まして、絶対得票数が1/4程度しかないので白紙委任ではない、とういうような意見には首を傾げたくなります。
2009年の政権交代の選挙は注目を集め、投票率は69%を越えました。
今回は、それより15%以上も低い。
数にして2000万票ほどもあります。
その人たちの内、結構な割合が消極的支持なのではないでしょうか。
ガラっと勢力図が変わる時は意思表示したけど、現状に特に不満が無い時は意思表示しない。
実生活を振り返っても、そんな感じがします。
取り立てて不満が無い時と、明確に不満がある場合なら、どちらが意思表示する確率が高いか、ということですね。
ただ、個人的には、これだけ選挙公報に時間と税金が使われているのに、選挙で意思表明をしない人の意見を斟酌する必要があるのか?という思いはありますね。
ちゃんと意思表示した人は、意思表示をしない人間の意見が尊重されてしまうと、不公平に感じるでしょう。
それこそ、流行りの忖度ではないのか、と。
また、野党候補の得票全部を合わせたら与党候補に勝ってた論にも凄い違和感があります。
その野党連合の内、嫌いな党が入っていれば、投票しなくなる人が多いんではないでしょうか。
個人的には、共産党の「夢しか無い政策」は論外ですからね。
もし入れようとする候補がいても、共産党が公認や推薦に入っているなら、現状では入れることはありません。
また、ネットで政策に関する情報が氾濫している今、風頼みや印象だけで勝つのは難しくなってきている上、野党連合を政策的に見た場合、事後に揉める事がほぼ確定で、まさに野合という状態です。
野党連合が組めたとしても、この政策的ねじれを嫌う層はそこそこいるんではないでしょうか。
野党からは、政権選択という言葉が選挙戦初期に出ていましたが、政権交代は政策遂行の手段であるべきで、目的ではないんですよね。
自民が嫌い、安倍首相が嫌い、ではロクな政策も出てきません。
対抗するには、もっと自分たちの政策を深めて説得力を持たせないと。
もう少し、大人な主張を掲げてほしいものです。
なんだか散文的になりましたが、現状、小選挙区制には色々問題があり、雪崩現象が起きやすいので中選挙区制ぐらいが安定するのではないかと思っていますが、どの制度にも長所と短所がありますからね。
それを踏まえつつ、民主主義としての選挙制度を深化させて行ってくれれば、と思いますな。
勢力を落とした希望の党の日本維新の会は、内部の突き上げが外部に漏れてきています。
とは言え、どちらも橋下さん小池さんの個人人気が突出している党ですから、その風を求めて集まった面々が文句を言うのはちょっと違うような気もしますが。
ワンマン体制から集団体制に移行する過渡期の現象かも知れませんが、下手をすればみんなの党のように瓦解してしまうかも知れませんね。
あそこも渡辺さんの個人商店のような党でしたから。
ともかく、組織内部のことは組織内部で完結して外に出さないというのがどの組織でも鉄則で、その辺りのコンプライアンスがどちらも甘い気はします。
それに比べ、議席がほぼ半減した共産党は素晴らしい。
一切、外部に批判がましいことは聞こえてきません。
統制がしっかり取れているということでしょうね。
しかし、それが完全なる平等を目指す共産党であるのはちょっと皮肉めいてる気もしますな。
めっちゃ上下関係がしっかりしてるやん、と。
近くの小学校より広い自宅敷地を持つ不破さんの話なんかは有名ですが、赤い貴族とも呼ばれる共産党の上層部は締め付けがうまいですわ。
ところで、今回もあったんですが、選挙後になると出てくる話があります。
それは、得票率や絶対得票数の話。
http://blogos.com/article/255456/
などに書かれていますが、今回の自民党の得票率は、小選挙区で47.8%、比例代表で33.3%。
この得票率で大勝はどうなのか、という意見です。
確かに一理ある話なんですが、この辺りは選挙戦略と絡む問題でもあり、数字をそのまま受け取るのもどうかと思いますね。
選挙も闘いである以上、そこには、数字は悪くなるが実を取るという野球における敬遠フォアボールのように、制度やルールを踏まえた戦略があり、それによって数字も上下するわけです。
アメリカのトランプ大統領は、大統領選挙に勝利はしていますが、全米での得票数では負けていました。
やや極端な例になりますが、民主党の票田であったカリフォルニア州を負け州として捨てるという戦略を取らず、トランプ陣営が最大の力を結集してキャンペーンを繰り広げ、票差が100万程度になったとするならば、どうなるでしょう。
カルフォルニア州の票差が約430万ですから、330万票も差が縮まれば全米での得票数は逆転します。
しかしながら、最終的な各州の選挙人の獲得には影響がないわけです。
それなら、他の州で選挙人の数を稼ごう、となるわけですね。
日本も同様で、小選挙区に強い候補のいる選挙区は割と放置され、与野党共に僅差の選挙区にマンパワーや人気のある政治家を応援として送り込みます。
結果、どちらが勝っても死に票は増えることになるんですね。
これはもう、選挙をやる以上は宿阿みたいなものです。
また、投票する人に目を向けてみると、日本の場合はバランスを取る人が多い。
アングロサクソン系のアメリカやイギリスのように、がっつり1つの党に賭ける、というのはあまり多くないようです。
個人的な見聞きに過ぎませんが、小選挙区と比例代表で同じ党に投票する人は、固定の党を支持している人以外では多くないようで、小選挙区が与党なら比例は野党といった風に分散させるというのをよく聞きました。
今回の選挙でも、小選挙区と比例代表で、自民党の得票率が大きく変わっていますが、これが日本人のバランス感覚なんでしょう。
そういう背景を踏まえて上の記事を見ると、単純に記事の内容を受け入れるには躊躇いがありますね。
まして、絶対得票数が1/4程度しかないので白紙委任ではない、とういうような意見には首を傾げたくなります。
2009年の政権交代の選挙は注目を集め、投票率は69%を越えました。
今回は、それより15%以上も低い。
数にして2000万票ほどもあります。
その人たちの内、結構な割合が消極的支持なのではないでしょうか。
ガラっと勢力図が変わる時は意思表示したけど、現状に特に不満が無い時は意思表示しない。
実生活を振り返っても、そんな感じがします。
取り立てて不満が無い時と、明確に不満がある場合なら、どちらが意思表示する確率が高いか、ということですね。
ただ、個人的には、これだけ選挙公報に時間と税金が使われているのに、選挙で意思表明をしない人の意見を斟酌する必要があるのか?という思いはありますね。
ちゃんと意思表示した人は、意思表示をしない人間の意見が尊重されてしまうと、不公平に感じるでしょう。
それこそ、流行りの忖度ではないのか、と。
また、野党候補の得票全部を合わせたら与党候補に勝ってた論にも凄い違和感があります。
その野党連合の内、嫌いな党が入っていれば、投票しなくなる人が多いんではないでしょうか。
個人的には、共産党の「夢しか無い政策」は論外ですからね。
もし入れようとする候補がいても、共産党が公認や推薦に入っているなら、現状では入れることはありません。
また、ネットで政策に関する情報が氾濫している今、風頼みや印象だけで勝つのは難しくなってきている上、野党連合を政策的に見た場合、事後に揉める事がほぼ確定で、まさに野合という状態です。
野党連合が組めたとしても、この政策的ねじれを嫌う層はそこそこいるんではないでしょうか。
野党からは、政権選択という言葉が選挙戦初期に出ていましたが、政権交代は政策遂行の手段であるべきで、目的ではないんですよね。
自民が嫌い、安倍首相が嫌い、ではロクな政策も出てきません。
対抗するには、もっと自分たちの政策を深めて説得力を持たせないと。
もう少し、大人な主張を掲げてほしいものです。
なんだか散文的になりましたが、現状、小選挙区制には色々問題があり、雪崩現象が起きやすいので中選挙区制ぐらいが安定するのではないかと思っていますが、どの制度にも長所と短所がありますからね。
それを踏まえつつ、民主主義としての選挙制度を深化させて行ってくれれば、と思いますな。
2017年11月2日木曜日
2017衆議院議員選挙整理
今回の衆議院選挙、野党がテンヤワンヤでどうも実数が把握しにくいですな。
定数が10減った中で、自民党が数を維持したわけで、自民党の勝利というのは間違いないというのは確かなんですが、野党の勢力変遷がどうも、ね。
そんなわけで、少し整理をば。
まずは前回の2014年の衆議院選挙のおさらい。
選挙後の主な党の議席配分は以下の通り。
・自民党 小選挙区:223(追加公認1) 比例代表:68 計291議席
・民主党 小選挙区:38 比例代表:35 計73議席
・維新の党 小選挙区:11 比例代表:30 計41議席
・公明党 小選挙区:9 比例代表:26 計35議席
・共産党 小選挙区:1 比例代表:20 計21議席
これが解散時には下のようになってました。
・自民党 284議席(議長含まず)
・民進党 88議席(副議長含まず)
・公明党 35議席
・共産党 21議席
・日本維新の会 15議席
・希望の党 11議席
自民党の減少は、不祥事離党組や欠員3議席などですね。
比例や比例復活ながら希望の党へ移った若狭議員や福田内閣府副大臣もいます。
民進党は、民主党と維新の党の合併で議員は増えていますが、維新の党自体は維新の会系とみんなの党を割って出た結の党系で分裂しており、大まかに見れば、みんなの党や日本維新の会の流れを汲む第3局の内、大半が民主党との合併を選び、一部が再び設立された日本維新の会に残ったというところでしょうか。
そして、解散の3日前に設立した希望の党が11議席。
これは、民進党離党組や前述の自民党離党組と無所属の野間議員です。
そして、公示日にはこうなっていました。
・自民党 前議席284
・希望の党(設立組) 同 11議席
・希望の党(民進組) 同 45議席
・立憲民主党 同 15議席
・無所属(民進組) 同 18議席
・公明党 同 35議席
・共産党 同 21議席
・日本維新の会 同 14議席
民進党全体で合流を目指した前原代表でしたが、小池さんはそれを受け入れず、希望の党公認での出馬は前職45人にとどまりました。
ただ、排除とまで言い切った割に、政策については党として共有できておらず、立候補者によってまちまちの解釈だったように思われます。
この辺り、民進党のグダグダ部分を希望の党が引き取った印象すらありますね。
また、希望の党から弾かれた、または合流を拒否した人は立憲民主党と無所属に分かれて立候補しました。
この結果、政策が解かり易くなった立憲民主党、そして個人の政治信条で闘うことになった無所属の前議員は、イメージ的にはかなりプラスになったのではないでしょうか。
細かいところですが、日本維新の会の小沢鋭仁議員が希望の党へと移籍しています。
選挙後の勢力は以下の通り。
・自民党 284議席
・立憲民主党 55議席
・希望の党 50議席
・公明党 29議席
・共産党 12議席
・日本維新の会 11議席
冒頭のように、定数が10減ってますから、現状維持の自民党は勝利ということになりますが、前回当選で欠員となった3議席を含めると、比率で考えれば前回より上がるものの、絶対数としてやや減少ということになるでしょうか。
また、公明党を合わせた与党という意味では、順当な比率で減ったことになります。
躍進したのは立憲民主党。
民進党の左派が中心で、政策がすっきりした面が人気を集めたのでしょう。
ただ、右派左派混在の民進党を嫌って共産党に投票していたリベラル支持層が中心だったようで、共産党は大幅に得票を減らし、議席はほぼ半減となりました。
よくよく考えれば、野党共闘が話題に出てから共産党は躍進しているので、結局、野党共闘は共産党が得をしただけという気がしないでもありませんな。
追い風が逆風に転じた希望の党は、野党第2党にも届かないという厳しい結果になりました。
排除という厳しい言葉がマイナスになったと言われますが、個人的には排除を徹底しないから民進党のグダグダに巻き込まれたように思います。
ちなみに、民進党系と希望の党の気になる勝率は、
・立憲民主党 15/15
・民進党系無所属 18/21
・民進党系希望 26/45
・希望の党結党組 5/11
という内訳で、明暗がかなりはっきりと分かれました。
個人的には、自民党から離党した福田前議員、日本維新の会から離党した小沢前議員、民進からの合流組である松野前議員の落選は良かったのではないかと思っています。
小沢前議員は日本新党での初当選から、新党さきがけ、民主党、日本維新の会、希望の党と渡り歩いてきた人で、選挙区も山梨であったり近畿比例だったりと根を下ろさず、風を読むのがうまいという能力はあると思うんですが、如何せん政治的な信条が感じられない人でした。
松野前議員もしかりで、維新の党のゴタゴタは記憶に新しい。
この人も日本新党を皮切りに、新進党、民主党、維新の党、そして民主党に戻り、今回は希望の党です。
元自民の福田前議員は、政党は渡り歩いていませんが、なにしろ選挙に弱い。
常に比例下位での復活当選ですからね。
それなのに副大臣に抜擢されたのだから能力はあると評価されているんでしょうけど、今回は職を投げ出して風に飛びついた印象しかありません。
繰り返しますが、この風頼み、風見鶏の方々が落選したのは、政治の成熟を考える上では良かったように思います。
今回は、野党分裂の選挙となりましたが、今後、立憲民主党が期待に応えられる政策を出せるのか、政策があいまいな希望の党が第2の民進党になってしまうのか、その辺りを注目していきたいですな。
定数が10減った中で、自民党が数を維持したわけで、自民党の勝利というのは間違いないというのは確かなんですが、野党の勢力変遷がどうも、ね。
そんなわけで、少し整理をば。
まずは前回の2014年の衆議院選挙のおさらい。
選挙後の主な党の議席配分は以下の通り。
・自民党 小選挙区:223(追加公認1) 比例代表:68 計291議席
・民主党 小選挙区:38 比例代表:35 計73議席
・維新の党 小選挙区:11 比例代表:30 計41議席
・公明党 小選挙区:9 比例代表:26 計35議席
・共産党 小選挙区:1 比例代表:20 計21議席
これが解散時には下のようになってました。
・自民党 284議席(議長含まず)
・民進党 88議席(副議長含まず)
・公明党 35議席
・共産党 21議席
・日本維新の会 15議席
・希望の党 11議席
自民党の減少は、不祥事離党組や欠員3議席などですね。
比例や比例復活ながら希望の党へ移った若狭議員や福田内閣府副大臣もいます。
民進党は、民主党と維新の党の合併で議員は増えていますが、維新の党自体は維新の会系とみんなの党を割って出た結の党系で分裂しており、大まかに見れば、みんなの党や日本維新の会の流れを汲む第3局の内、大半が民主党との合併を選び、一部が再び設立された日本維新の会に残ったというところでしょうか。
そして、解散の3日前に設立した希望の党が11議席。
これは、民進党離党組や前述の自民党離党組と無所属の野間議員です。
そして、公示日にはこうなっていました。
・自民党 前議席284
・希望の党(設立組) 同 11議席
・希望の党(民進組) 同 45議席
・立憲民主党 同 15議席
・無所属(民進組) 同 18議席
・公明党 同 35議席
・共産党 同 21議席
・日本維新の会 同 14議席
民進党全体で合流を目指した前原代表でしたが、小池さんはそれを受け入れず、希望の党公認での出馬は前職45人にとどまりました。
ただ、排除とまで言い切った割に、政策については党として共有できておらず、立候補者によってまちまちの解釈だったように思われます。
この辺り、民進党のグダグダ部分を希望の党が引き取った印象すらありますね。
また、希望の党から弾かれた、または合流を拒否した人は立憲民主党と無所属に分かれて立候補しました。
この結果、政策が解かり易くなった立憲民主党、そして個人の政治信条で闘うことになった無所属の前議員は、イメージ的にはかなりプラスになったのではないでしょうか。
細かいところですが、日本維新の会の小沢鋭仁議員が希望の党へと移籍しています。
選挙後の勢力は以下の通り。
・自民党 284議席
・立憲民主党 55議席
・希望の党 50議席
・公明党 29議席
・共産党 12議席
・日本維新の会 11議席
冒頭のように、定数が10減ってますから、現状維持の自民党は勝利ということになりますが、前回当選で欠員となった3議席を含めると、比率で考えれば前回より上がるものの、絶対数としてやや減少ということになるでしょうか。
また、公明党を合わせた与党という意味では、順当な比率で減ったことになります。
躍進したのは立憲民主党。
民進党の左派が中心で、政策がすっきりした面が人気を集めたのでしょう。
ただ、右派左派混在の民進党を嫌って共産党に投票していたリベラル支持層が中心だったようで、共産党は大幅に得票を減らし、議席はほぼ半減となりました。
よくよく考えれば、野党共闘が話題に出てから共産党は躍進しているので、結局、野党共闘は共産党が得をしただけという気がしないでもありませんな。
追い風が逆風に転じた希望の党は、野党第2党にも届かないという厳しい結果になりました。
排除という厳しい言葉がマイナスになったと言われますが、個人的には排除を徹底しないから民進党のグダグダに巻き込まれたように思います。
ちなみに、民進党系と希望の党の気になる勝率は、
・立憲民主党 15/15
・民進党系無所属 18/21
・民進党系希望 26/45
・希望の党結党組 5/11
という内訳で、明暗がかなりはっきりと分かれました。
個人的には、自民党から離党した福田前議員、日本維新の会から離党した小沢前議員、民進からの合流組である松野前議員の落選は良かったのではないかと思っています。
小沢前議員は日本新党での初当選から、新党さきがけ、民主党、日本維新の会、希望の党と渡り歩いてきた人で、選挙区も山梨であったり近畿比例だったりと根を下ろさず、風を読むのがうまいという能力はあると思うんですが、如何せん政治的な信条が感じられない人でした。
松野前議員もしかりで、維新の党のゴタゴタは記憶に新しい。
この人も日本新党を皮切りに、新進党、民主党、維新の党、そして民主党に戻り、今回は希望の党です。
元自民の福田前議員は、政党は渡り歩いていませんが、なにしろ選挙に弱い。
常に比例下位での復活当選ですからね。
それなのに副大臣に抜擢されたのだから能力はあると評価されているんでしょうけど、今回は職を投げ出して風に飛びついた印象しかありません。
繰り返しますが、この風頼み、風見鶏の方々が落選したのは、政治の成熟を考える上では良かったように思います。
今回は、野党分裂の選挙となりましたが、今後、立憲民主党が期待に応えられる政策を出せるのか、政策があいまいな希望の党が第2の民進党になってしまうのか、その辺りを注目していきたいですな。
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