2017年11月24日金曜日

備後ツーリング その1

さぁ、今年も秋のツーリングに行くぞ!
という意気込みを鈍器で殴打するように、
2週連続週末台風・・・
んなアホな。
10月やぞ、10月!
バンバン台風が来る季節じゃないのに、なんてこったい。
というわけで、怨嗟の声を呻き出しながら、昨年の秋のツーリングを思い出すわけです。

昨秋は、いつもツーリングに行っている10月にどうしても連休が取れなくて、勝手にSSTRをやったんですが、結局、連休が取れたのは、11月も半ばに差し掛かっての事でした。
さすがに11月ぐらいになると、早朝出発で動くのが難しくなります。
もう寒いですからね。
過去には、冬用のグローブを紛失して11月の朝6時に夏用グローブで高速に乗り込み、手が千切れる手が千切れると叫びながら走った事もありますが、まぁそれぐらい寒いわけです。
それぐらいってどれぐらいやねんと思いつつ話を進めて結論から言うと、たまには弾丸的ではない、ゆっくりとしたツーリングにすることにしました。
ただ、ブラタモリでもやってたし自分的に旬やな、と思ってた宮島は、2日目の月曜の雨がどうやら不可避のようなので、断念。
直前まで天気予報とにらめっこしつつ、以前から中国山地の城はあんまり行った事が無いなというのもあって、これを良い機会にして三次に目的地を定めました。
 
出発当日、起きたのは普通に7:30頃。
のそのそと起きだして朝飯を食べ、ネットから本日の宿を探します。
と言っても日曜なので、宿探しも余裕。
ただ、三次には程良い宿が無かったんですよね。
そういうわけで、宿は尾道の北の温泉に予約を入れました。
こりゃ晩飯は尾道ラーメンしかないっすな!
なんだかんだと下調べをして、出発したのは9:30。
いや~のんびりですわ。
道は、いつもの西行きの行程と同じで、第二神明から各国道2号バイパスを西へ西へ。
そして、今回は姫路西バイパス経由で国道29号線を北上西進し、山崎I.C.から中国道へ入りました。
ここまでノンストップだったので、ひとまず揖保川P.A.で休憩。
バイクの横で地図を見てると、観光バスからひとりのおばちゃんが近寄ってきました。
何でも、息子さんがバイクに乗ってて、それで声を掛けたとの事。
親としては子供がバイクに乗ってるのはやっぱり心配なようで、旅に行く度に危ないからやめた方がいいんじゃないのという話をしていたら、旅の話をしてくれなくなってしまったらしい。
確かに嬉しい話に水を差されたら話す気は段々と無くなるやろうなぁとは思ったけど、それが親心なんやろね。
「バイクの事故率ってベテランになると普通の車より低いんで見守ってあげて下さい」とは言ったけど、なかなかすぐに修復ってのは難しいかもしれないなぁ
 
揖保川P.A.を出て、日曜でも空いている中国道をひたすら西へ進んで行きます。
津山、院庄辺りは走った記憶が割と残ってるんですが、そこから先は走ったことはあるものの、記憶は割と朧気で、こんな景色やったっけ?と妙に新鮮でした。
大佐S.A.で昼前になったので昼食を摂り、新見、東条と走って行きます。
この辺り、高速でありながら60km/h制限の道で、かなりコーナーのRがきつく、なかなか楽しかったですね。
高速道路でコーナーを楽しめるとは意外でした(^^)
中国道を三次I.C.で降り、三次市街を抜けて、目指すは尾関山公園。
ここが第1目標の尾関山城です。
江の川の川沿いから尾関山公園へ行くと、三江線のガード下をくぐるのですが、ちょうど列車が過ぎようとしていたので記念撮影。
 
 
慌てて撮ったからピンボケしてるやん・・・
ローカル線に出くわす確率は低いので、なんだかラッキーな気分になりますね。
今日はちょっと運がいいかも、なんて思いながら尾関山へ行ってみると、びっくりするぐらいの人出。
城跡なんて大抵が閑散としているので、この人の多さ、車の多さには圧倒されます。
どうやら、紅葉の名所として有名のようですね。
というわけで、お城の前に紅葉の写真をば。
 
 
上の列車の写真にも見えているのがこの紅葉。
鮮やかさと東屋との対比がいい感じ。
尾関山公園に入ると、小川と紅葉が出迎えてくれました。
池泉式庭園風ですね。
 
 
この入口部分から少し入った碑のある広場も紅葉が綺麗でした。
 
 
最後に紅葉のアップ。
 
 
この季節だけの紅い景色は、何とも言えず綺麗ですね。
尾関山公園の紅葉の見所は比較的低い場所にあるんですが、公園の高い場所も人がいっぱいでした。
そこへ向かう遊歩道の脇には、かつての石垣の痕跡が。
 
 
痕跡をもういっちょ。
 
 
こちらは石垣の内側に埋めるぐり石が多いですね。
尾関山城は、毛利家臣だった三吉氏の配下、上里守光が最初の城将で、築城時期は天正19年(1591)頃か、その少し前のようですが、関ヶ原の合戦で福島正則が広島に入ると、正則の重臣である尾関正勝が城代となり、本格的に改修されました。
尾関山の名は、この尾関正勝に因みます。
福島領内に整備された支城は、すべてが石垣造であったようで、この尾関城にも確実に石垣がありました。
総石垣が主要部のみかは何とも言えない所ですが、中腹にも痕跡があるので、少なくともほぼ総石垣に近い城であったと思われます。
福島正則が改易になった後、それらの支城は破却されるのですが、尾関山ほど痕跡が少なくはないので、尾関山の石垣は後の世に石材として転用されたのかも知れません。
よく使われるのが河川の堤としてですが、江の川も近いですし、用材としては転用し易いでしょうね。
ちょっと話が逸れましたが、公園は遊歩道や広場としてきちんと整備されているものの、当時の縄張の影響も色濃く残していました。
ぐるっと回ることができるのですが、縄張の姿を想像しながら歩くのは楽しいですね。
下が本丸だったと思われる頂上部の広場です。
 
 
この一角には展望台もありました。
展望台の下には石垣の痕跡が見え、ぐり石だったと思われる小石も散在しています。
 
 
展望台から三次市街の眺め。
 
 
この左側に視線を移すと、三次浅野藩の菩提寺だった鳳源寺が見え、その後背の山が三吉氏時代の尾関山城の本城である比熊山城のあった場所です。
 
 
本丸から南西側に下りると、そこにも広い削平地がありました。
 
 
全方位的に城郭化された城だったんですね。
石垣が残ってれば、かなりの堅城振りだったと思います。
最後に、公園北側にある浅野神社。
言うまでも無く、浅野氏を祀った神社です。
 
 
マイナーなのか、誰も人はいませんでしたが・・・
 
つづく
 
参考:
尾関山城
地図付きはこちら
 

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