尾関山公園の紅葉はそれはそれは見事じゃった。
紅葉を堪能した後、築城当時の尾関山城の本城であった比熊山城へ向かいます。
事前に調べたところによると、まともに行けば南東麓からほぼ頂上までの登山になるんですが、北側からは城の近くまで車道が繋がっているとのこと。
下の図の道ですね。
秋も深まり、日暮れが早いですから、これを利用しない手は無い。
そんなわけで、尾関山公園から国道375号線に入り、そのまま左に折れる国道を直進して県道39号線へ。
しばらく行くと左側に西城川へ流れ込む細流沿いに入る道が見えるので、左折してしばらく走り、農道へ左折。
道はなかなか立派で、快調快調と山を駆け上がっていったんですが、途中、大きく右に曲がるコーナーから急に道路状況が変わりました。
その変わり目の所に資材置き場のような場所があるんですが、そこから先へはほとんど通行が無いようで、落ち葉が積もってアスファルトが見えない状態。
しかも・・・濡れている。
マップを見ても、ここからまだ1km以上はありそう。
マジかよ・・・
一面を埋める濡れ落ち葉に対抗するには、我が稚拙なライディングテクでは危険すぎる。
行きの上りはまだ勢いで抜けられるとしても、帰りの下りはフロントのグリップがズルっと抜けて確実にやっちまう図が目に浮かぶ・・・
というわけで、止むを得ずここでバイクを乗り捨て、徒歩で城へと向かうことに。
歩き始めてすぐ、道を通すために削った部分の横壁が崩れてて土砂がダラっと道へ流れ出た状態の場所もあり、乗り捨ての判断は正しかった。
ただ・・・遠いんだよ!
坂の先は平坦で、雑草が道の裂け目から勢いよく伸びていたり、脇の木々からの枝が進行を妨害してくる以外は快調で、十分バイクでも走れそうでしたけど、やっぱりあの濡れ落ち葉は越えられへんなぁ
こうして20分ほど歩くと、道は突き当りに到達し、道が二股に分かれていました。
どちらかが城に通じているはずです。
しかし、どちらも藪!
そして、藪を掻き分ける装備なんて持ってるはずもなく。
んー次の城も時間が厳しいしな・・・
というわけで、ここまで来ながら断念。
もっと簡単に行けると思ってたんやけど、甘かった。
気を取り直し、来た道を戻って西城川を渡り、市街地の北端を東西に貫通している道へ。
この道をしばらく行った畠敷の所から北側の住宅地に入り、細い道を辿って岩屋寺方向へと向かいます。
そこにあるのは比叡尾山城。
比熊山城を築く前の三吉氏の本拠です。
ただ、この住宅地から岩屋寺へ向かう道は非常に狭く、完全に車1台分の幅しか無い為、対向車が来たらバイクでもお手上げでしたね。
かなりヤバい道です。
幸い、対向車は来ませんでしたが。
途中、岩屋寺へ向かう分岐を過ぎ、農道のような道を進んで行くと、ようやく城の案内が出て来ました。
案内のある場所は城のある峰とは別で、そこから一旦下ってからようやく登山道となります。
こんな山間ですが、まずは王子谷池がお出迎え。
往時にも存在していたのなら、水源だったかと思われます。
この池が見える場所の近くに、城の全体図がありました。
図を見ると解りますが、城は山頂部から領地のあった南へ郭を重ねる城だったようですね。
通常のルートで登って行くと、まずは堀切が確認できました。
堀切を過ぎ、そのまま登って行くと、北ノ丸から本丸といった主郭部へ出ます。
まずは北ノ丸。
かつての石垣の証なのか、ぐり石のような大きさの石が散乱していました。
そこから二ノ丸へと廻ります。
二ノ丸からの三次市街の風景。
雲海の発生率がかなり高いそうです。
三次市街自体が、川の合流点ですしね。
霧の材料となる水分の供給は十分ですな。
眺望を堪能したところで、二ノ丸から本丸へと向かいます。
大手と思われる部分には石段が。
本丸は2段構成になっていました。
下は本丸の下段で、二ノ丸と本丸上段の間の削平地。
そして本丸。
縁辺に土塁が綺麗に残っていますね。
本丸を散策した後は、二ノ丸から南へ辿って行きます。
二ノ丸の下の三ノ丸。
この写真は三ノ丸の北西側ですが、明確に土塁が残っていました。
そして、見付けたこんな木・・・
く、熊?
いやいや、鹿の角研ぎやろ。
うん、きっとそうだ!
そう言い聞かせながら、更に下へ。
三ノ丸の下にもまだ郭が続いています。
案内には三ノ丸までしか書かれていなかったので、三ノ丸下段とするのが正しいのかも知れませんが、四ノ丸として独立させていいほど大きな削平地でした。
ここから再び二ノ丸に戻って、改めて上から覗いてみます。
二ノ丸の切岸上から三ノ丸を確認すると、城の規模の大きさが解かりますね。
帰りは石塁があるというルートで行きます。
そのルートに入って早々には、穴倉という穴がありました。
用途は不明のようですが、他の三吉氏系の城にもあるとのことなので、なんらかの特別な役割があったのか、それとも宗教的な意味を持つものなのか、気になりますね。
そのまま下って行くと、中腹には屋敷跡の削平地があり、石塁が見られます。
ここもどういう目的だったのかちょっと不明な構造なんですが、重臣の武家屋敷があったんでしょう。
さらに進むと、石垣が。
立派な石垣なんですが、ただ、石垣の筋が斜めに見えるんですよね。
つまりは、谷積っぽい。
谷積だと江戸時代以降の石垣ということになるけども・・・
どちらにしろ、位置からして城本体の防御施設でないことは確かなようですな。
いやー、比叡尾山城は良い城でしたわ。
整備もバッチリ行き届いてて、感謝感謝ですな。
大満足のお城です!
続く
参考:
比熊山城
比叡尾山城
地図付きはこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿