ちょっと遅くなりましたどころじゃないけど、5月も末という事で、ギリギリ前月の4月に明石公園で花見にお呼ばれした時の写真をば。
明石城の城跡は、今は県立の明石公園になっているのですが、ぼちぼち桜もあって、明石近辺ではちょっとした花見スポットとなっています。
春の夜はまだまだ寒いですが、お酒が入るとそうでもないかな?
と言っても、2年前にお呼ばれした時は真冬並みの寒さで、とてもじゃないが耐えられないという状況でしたが(笑)
取りあえず、夜桜。
次は、明石城の坤櫓のライトアップ。
合わせ技で、坤櫓と夜桜。
なかなかスマホのカメラでは難しいですね。
最後に、月と夜桜。
月ちっちゃ!
こういう時に良いカメラが欲しくなるなぁ
参考:
明石城
地図付きは
こちら
24日、アメリカの格付け会社ムーディーズが、中国の長期国債の格付けをA1に格下げしたと発表しました。
詳しくは下から。
http://jp.reuters.com/article/column-china-downgrade-idJPKBN18L07Z
記事中にあるように、同じく大手格付け会社のフィッチは、先行して同クラスに格付けを引き下げています。
格付けは、3大格付け会社と呼ばれるフィッチ、ムーディーズ、S&Pが有名ですが、このうち2社が引き下げたことになり、中国に対し弱含みの見方が一般化してきていると言えるのでしょう。
ちなみに、日本のレーティングもA1で同じです。
これは、上から5番目の格付けで、投資対象としては十分なのですが、最上級のAaaとは明確な差がありますね。
ただ、日中どちらも国債消化は国内資金がほとんどである為、象徴的な意味にしかなりません。
とは言え、中国はこれから外資導入を進めていこうかという段階であったので、少し冷や水を浴びせられたような状態とも言えるでしょうか。
これにやや関連する話として、AIIBの件が少し気になりますね。
先頃、中国で一路一帯の国際会議がありましたが、それに伴ってAIIBについても語られていました。
しかし、AIIBの出資金はまだまだ集まっておらず、今年春の段階で、総額の6.8%という数字が報じられています。
世界銀行、ADBと、この種の銀行は、出資されたお金を基金として債権を発行し、インフラ工事に融資するわけですが、AIIBの場合はその債権の格付けが決まっていません。
AIIB参加国の拠出金には、GDP準拠かつアジア以外の各国は減額というルールがある為、最大の出資国が中国になるのですが、最大の出資国の格付けが債権に大きく反映される為、高い格付け、すなわち低い利率で債権を発行することができないのです。
また、こういう事情があるのは中国も自覚しているので、日本やアメリカに門戸を開いているというコメントがしばしば出てくるわけですな。
ところが、アメリカや日本にとっては、影響力が行使できるADBで事足りるわけで、しかもAIIBとの協調融資という仕組みもある為、中国が事実上の拒否権を持っているAIIBに参加する意味が本当にありません。
出資したからといって、日本企業が受注できるわけではないですし、そもそも日本企業はADB案件の受注も少ないですからね。
今回の格付け引き下げが、地味にAIIBの方に影響するかもしれないというところは、今後、ちょっと興味深いですな。
前回のあらすじ
香川県に、ごめんなさい
勝瑞城が急造の城という可能性が指摘されているという話を前回に触れましたが、なぜそのような話が出てきたかと言うと、本体がかなり大きいという事が判ってきたからなんですね。
その本体とは、勝瑞館です。
細川一門の中でも宗家に次ぐ勢力を持っていた阿波細川家の居館で、後に三好氏に下剋上された後は、三好氏の館でもありました。
勝瑞城からは、県道14号線を挟んで南西方向にあります。
かなり前から発掘調査が行われ、現在も継続中。
この日も、東側の庭園の発掘調査中でした。
まずは、館跡の入口の案内板。
説明によると、現在残る形への拡張は、三好家の手によるようですね。
細川氏を傀儡化し、細川家臣でありながら足利家臣でもあった三好長慶は、当時最も天下人に近い人物だったでしょう。
その威光が知れますね。
とは言っても、ここを統括していたのは弟之虎(義賢・実休)で、阿波国内での下剋上を仕掛けたのも、これまた之虎ですが。
次いで、全景。
広大ですな。
所々、発掘の際に取り除かれた土が盛ってあるのが生々しい。
この敷地に入って左手が、現在進行中の発掘現場です。
池泉式庭園の跡ですね。
館には、南西側にも庭園があり、そちらは水を用いない枯山水の庭園でした。
館は、最大10m程度の幅を持つ堀で区画されていたようです。
単純な区画ではなかったようで、下のように堀が並ぶような場所も。
この写真の奥側には、枯山水庭園の跡があります。
発掘が終わって、埋め戻されているので、庭園の岩だけがありました。
長年来たかったから、満足ですわ(^^)
興味無い人が見たら、ほんま何にもない空間ですけども(笑)
勝瑞館からは、旧吉野川を北へ越え、県道12号線へ入り、東進して鳴門I.C.へ。
春にも来た鳴門I.C.。
去年から神戸淡路鳴門道には縁があるようですな。
夕暮れ迫る中、大鳴門橋を渡り、淡路へ入ったものの、もう日の入りが近い。
海岸沿いを走りたかったのですが、止むを得ず北淡I.C.まで高速道路で北上して時間短縮。
北淡I.C.からようやく淡路島の西岸に出て、海岸沿いを北へ走っていきます。
この道は、淡路サンセットラインと名付けられた道で、夕日が素晴らしいですね。
そうこうしている内に陽が沈んでしまいました。
Mission Failure.
一応SSTRやのに、あかんがな。
ま、ほんの15分程度ですけどね!
こうして、無事に反対側の海岸に到着。
到着して一休みしていると、月が上がってきました。
秋の月はいいねぇ(^^)
いや~、思ったより距離もあったし、時間も掛かったし、走り甲斐のあるルートでしたわ。
SSTRというより、三大橋物語とでも呼んだ方が良さそうな感じでしたが。
反対の海岸に来ても、家まで近いというのも尚良し。
この後、松帆の郷で橋の夜景を見ながらぐったり。
淡路島に来た時は、これで締めないとなんかすっきりしなくなってしまいましたわ。
ほんま、ええ景色やね(^^)
合計 452km
参考:
勝瑞館
勝瑞城
大鳴門橋
岩屋松帆温泉
明石海峡大橋
地図付きはこちら(
徳島・
兵庫)
ちょっと遅い話題ですが、朴槿恵大統領の解任により、韓国で大統領選挙がありました。
勝ったのは、かなり前から有利に戦いを進めていた文在寅氏。
リベラルで親北朝鮮の人物です。
系統としては、李明博、朴槿恵と続いた保守系統から、それ以前の金大中、廬武鉉路線への転換で、実際、文氏は廬武鉉陣営の中で活動していましたから、リベラルの本流と言えるでしょう。
保守系だった朴政権からの揺り戻しですかね。
ただ、問題なのは、トランプ大統領就任以降のアメリカは、北朝鮮への圧力を強めており、中国とも何らかの合意があったようで、中国から北朝鮮への経済制裁も強まっています。
これに対し、文氏の公約には、開城工業団地の再開や観光事業の復活など、北朝鮮に外貨を獲得させる政策が含まれており、アメリカの政策と相容れません。
更には、アメリカによる先制攻撃がはっきりした場合、北朝鮮に対話を促す、という公約さえあります。
これは、先制攻撃は機密情報ですから、機密情報の北朝鮮への暴露ということになり、とてもトランプ政権に受け入れられるものではないでしょう。
漏らされるのであればと、外交軍事的に蚊帳の外に置かれる可能性すらあります。
この辺り、外交分野では政治センスが無いように思われますが、今後、現実路線に修正するのか、気になる所です。
経済制裁については、ひと月ほど前にトランプ政権が、北朝鮮と取引のある企業について、資産凍結などの処置に出る可能性について新たに言及しました。
これは、主に中国企業が当てはまるわけなんですが、開城工業団地など経済支援活動が再開された場合、関わった韓国の企業はアメリカで商売ができなくなってしまいます。
最悪、ドル決済が行えなくなるかもしれません。
政策に実現性があるのか、それとも違う方法で公約を回避するのか。
新大統領の腕の見せ所ですね。
これに関しては、国内でも全銀協の会長や経団連が、以前にテロ資金規制法の遅れに懸念を表明したりと、一見畑違いの経済方面から声が上がったりしてたわけですが、最終的にはアメリカ国内やドルで商売できないという切実な理由があるからなんですね。
商売の根幹にかかわる部分。
そりゃ懸念も表明しますわ。
テロ三法が成立し、次段階としてテロ防止法があるわけですが、野党は今も共謀罪を声高に叫んでいます。
しかし、FATFという国際的な金融の作業部会の決まりがあり、そこから日本は法整備が遅れていると指摘され、危うくグレーリスト入りしそうだったことを考えると、ダラダラ審議している場合じゃないと思うんですがね。
国際組織犯罪防止条約や、それを踏み台とするFATFでは、準備段階での処罰が義務とされています。
アメリカの法制度次第ですが、FATFからハイリスク国の指定をされれば、連動して自動的に経済活動が制限されかねません。
現実にはそうならないと思いますが、わざわざリスクを取る必要もないですからね。
北朝鮮でさえ批准している条約の整備ができないなんて、野党はもっと大きな目で物事を見てほしいですな。
フランス大統領選が終わりました。
結果は、大方の予想通り、中道を掲げたマクロン氏の勝利となりましたね。
ルペン氏との得票率は、ほぼ2:1というぐらいの圧勝だったわけですが、極右と呼ばれるルペン氏は敵も多く、中道のマクロン氏相手では当たり前の結果と言えるのかもしれません。
ルペン氏も、もっと左翼的な相手であったのなら分かりませんでしたが。
選挙は熱烈な少数の味方よりも、曖昧な多数の忌避感情が勝敗を決するものです。
より悪くない者を選ぶ、というのが選挙というシステムですからね。
それはさて置き、ルペン氏は極右極右と呼ばれていますが、今の時代、本当に極右という定義が合っているのでしょうか。
伝統的に、右翼とは国粋主義、左翼とは国際主義ですが、冷戦時代の自由主義、共産主義の観点から見ると、自由主義は右翼、共産主義は左翼です。
さらに遡れば、資本家層が支持したのが右翼にあたり、労働者層が支持したのが左翼でした。
ルペン氏を支持する層は、移民や東欧の安い労働力を嫌う国内の労働者層、つまりはかつての左翼支持層であり、自由主義と共産主義の観点から言えば反グローバリズムなので、これまた自由主義とは軸足が反対方向を向いています。
そう考えると、右翼左翼の定義が、昔とねじれをおこしてるんですね。
グローバリズムが進んだ現在、自由主義的な施策で安い労働力を得られる資本家はリベラルを支持し、その安い労働力に雇用を奪われる労働者は保護主義的な右翼を支持する傾向にあります。
その労働者の不満が噴出した結果が、ブレグジットであり、トランプ大統領でもあるわけですな。
フランスはEUのビッグ2であり、グローバリズムが浸透している国なので、英国や米国のような結果にはなりませんでしたが、それでも3人に1人は保護主義を支持しているというのは、非常に重要な事実だと思います。
何にしろ、これだけ広範な支持を得られる政党、主張を極右とするのは、もう間違っているといえるでしょうね。
極というのは、字の通りきわみであって、あくまで相対的な基準にすぎず、広範なものではないのですから。
前回のあらすじ
バイカーの人に激励を。
BMWの人に花束を。
備前常山城を出た後は、国道30号線を東へ戻り、玉野市へ。
国道30号線の、この南へと方向を向ける区間は、山の中を走っており、後で建設されたバイパスっぽいですな。
並走する県道22号線が、恐らく昔は国道30号線だったのではないでしょうか。
宇野港が四国からの玄関口であった時代、宇野近辺はトラック等で渋滞したでしょう。
できるだけ海岸沿いを進んできたので、できればその県道22号線を進みたい所ですが、日没を考えるとちょっと時間が無くなってきてるので、止むを得ず国道30号線のまま南へ。
しばらく進むと、宇野港近くにループ橋がありました。
おぉループ橋!
何個目かな?
バイパスとして、強引に勾配のきつい場所に通された道の証。
岬と同じで、なんとなく通った満足感がありますな(^^)
国道30号線の突き当りから西に折れると、道は国道430号線へと変わります。
ここから海岸沿いを進んで児島市街へ。
この辺りは、高速道路開通以降は交通量が減ったのか、のんびりとした道ですな。
児島市街のココイチで昼食を摂ったのが13:30。
まずい。
日没まで時間が足り無さそうだ。
仕方がないので、瀬戸大橋を渡った先は高速ですっ飛ばすとしようか。
児島I.C.から瀬戸中央道へ入り、瀬戸大橋を通る時に毎回休憩する与島へ。
こうやって橋脚を間近に見ると、橋というのもやっぱり明確な構造物ですな。
めっちゃどっしりしてますわ。
本体を下から撮ると、イメージが変わってスマートかつ巨大な橋です。
瀬戸大橋を渡って四国に入りましたが、残念ながら海岸沿いをのんびり進んで行く時間はありません。
香川県には申し訳ないですが、高松道でサクっと通過。
徳島県に入り、板野I.C.で高松道を降りました。
なぜここで降りたかと言うと、目標は藍住町の勝瑞館。
近年、発掘が進み、かなり勝瑞館の姿が明確になってきているということで、確認しに来たわけですな。
I.C.近くのコンビニでトイレとコーヒーと地図確認を終え、県道1号線から同じく14号線へ。
しばし走ると、懐かしき見性寺の水堀が見えてきました。
この見性寺の境内が勝瑞城の跡で、見性寺は三好氏の菩提寺です。
城跡に相応しい寺ですね。
境内には、三好氏の菩提寺らしく、三好四代のお墓もあります。
この見性寺の境内は、土塁と水堀に囲まれており、いかにも城という感じがして好きですね。
最近では、天正10年(1582)の中富川の合戦の際に急造された城という説も出ていますが。
ちなみに、中富という地名は勝瑞の数km西で、三好勢は城を出て矢上に陣取り、中富川を挟んで西中富と東中富の辺りで合戦が行われたとされています。
ただ、地図を見ても、当時と河道が変わっているので、位置関係がイマイチ分かりにくいですね。
当時の吉野川は今の旧吉野川で、今の吉野川は当時にその名前だったのかは知りませんが、旧別宮川で、中富川は今の前川らしいのですが、名前だけでこんがらがります(^^;)
更に、戦いの状況を調べてみると、中富付近での戦いなら川を挟んで西の長宗我部軍と東の三好軍になるはずですが、長宗我部軍は南から渡河したとあるんですよね。
当時は、今の前川が昔の吉野川と別宮川を北西から南東に結んでて、その南北岸で対峙したのかな?
んーほんま、分からんわ・・・
つづく
参考:
瀬戸大橋
勝瑞城
地図付きはこちら(
岡山・
徳島)
前回のあらすじ
長い間行きたかった室山城制覇!
国道250号線の七曲りを越えると、相生湾の海岸沿いへと出てきます。
奥深い湾の海際に工場が並んでいる風景は、いかにも天然の良港という感じですな。
この相生に新幹線の駅があるのは、今ではちょっと過大なように感じますが、かつては第一次大戦の際の投機的買い付けで他の商社を圧倒した、あの鈴木商店の直系、播磨造船所の創業の地として繁栄した造船の港でした。
この播磨造船所は、同じく鈴木商店系であった神戸製鋼の一部門という期間を経て、再び独立し、昭和35年に石川島重工業と合併して、石川島播磨重工業株式会社になります。
この名前を初めて聞いた時、
長すぎるやろ・・・
と思ったのですが、今の銀行名なんかを考えると、大して長くも感じなくなりました(^^;)
ともかく、石川島播磨重工業ことIHI誕生から、12年後に山陽新幹線が岡山まで開通し、新幹線の相生駅も開業するわけですが、その頃は仕事で利用する人も多かったんでしょうね。
まぁこの相生駅の開設理由については諸説がありますが、実需も考慮されたのは間違いないと思われます。
ただ、今はそのIHIの相生勤務の従業員もかなり減っているようですがね。
そんな相生を過ぎると、国道250号線は高取峠を越えて真っすぐ赤穂へと向かいますが、そこは海と縁深いSSTR、一番海沿いを走る県道を辿りましょうか。
この道、相生発電所や海際の工場の横を通って行く道なのですが、1.5車線区間も多いながら、なかなか心地よい道です。
知る人ぞ知る道なんでしょうね。
バイクも何台か見掛けました。
こうして赤穂へ抜け、赤穂市街を貫く4車線道路を過ぎ、旧道という感じの国道250号線に戻ってしばらく行くと、岡山ブルーラインの表示が見えてきます。
岡山ブルーラインは、自分が学生の頃は有料道路でしたが、今は無料化され、気軽に通りやすくなりましたね。
基本的には山を縫っていく道ですが、所々で視界が開けて海の景色が見えるという、そのギャップがお気に入りの道です。
途中、黒井山のパーキングで休憩を入れつつ、流れに任せて国道2号線の岡山バイパスへ合流し、バイパスから再び海際を進むべく左折。
旭川に沿って児島大橋を渡ろうかな・・・と思ったんですが、堰上の面白そうな道を見つけたので、そこから児島半島へ渡りました。
地図を見ると、この堰から東が児島湾で、西が児島湖と書かれています。
児島湾干拓の最前線の場所だったんですね。
なんかちょっと感慨深い。
縁もゆかりも無いけども。
ちなみに、児島半島は、干拓が始まる前は児島という島で、そのほか、陸地に内陸部に地名として残る早島、連島、玉島などの島や、浦、崎といった海や海際特有の地名は、かつての島や海岸だった頃の地名の名残です。
地図を見てみると、規則正しく水路が走っている場所がほぼ干拓地と見ていいでしょう。
恐ろしく巨大な土地が、干拓で生まれたということですね。
もちろん、人力だけではなく、高梁川、旭川、吉井川という三大河川による土砂の運搬という要素も大きかったのですが、それにしても土地を変えていく人の力というのは大きいものです。
児島半島に入った後、児島半島をぐるっと廻りたかったのですが、そろそろ昼時に差し掛かり、日暮れまでに反対側の海へ到着するというタイムリミットがちょっとヤバくなってきました。
仕方がないので県道45号線を南西方向へ走り、さらに宇野線沿いを経て国道30号線へ。
更にそこから西へ進み、常山へと向かいます。
ここには、備前常山城という城があるんですね。
落城間際、城主の奥方が女中を連れて奮戦したという伝承が残る城です。
城へは、常山駅の少し西から車道が出ていました。
すれ違い不可能という、本当の意味で1車線しか無い道ですが、道自体は悪くありません。
途中、頑張ってペダルを漕いでいるバイカーがいましたが、この山道を上ろうなんて凄いとしか言いようがありませんね。
心の中で頑張れとエールを送りつつ、文明の利器を使ってなんか申し訳ないなと思いつつ、山城でこれだけ道がしっかりしてれば上等とバイクを走らせていると、何やら先が急に怪しげな感じに。
近付いて見ると・・・
これが道路決壊というやつか・・・
大崩海岸では決壊現場まで見ませんでしたが、インプットされた言葉がまざまざと脳裏に浮かびました。
ウロウロしていると、遅れてバイカーの人も到着しましたが、ちょっとこれは無理ですねぇという話に。
バイカーの人によると、岡山ローカルではテレビに採り上げられるほど心霊スポットとしては有名な場所のようです。
同じく心霊スポットとして有名な八王子城にも登ったし、霊感ゼロの自分は何でも来い!ですが(笑)
ただ、ここから獣道が出てまして、ここを訪れた猛者は徒歩に切り替えて登って行ったんでしょうね。
今回は時間が無いので登れませんが、次回はガッツリ登山装備で来ないといけませんな。
この後、バイカーの人と別れて道を下っていると、何故かBMWのスポーツカーが上ってきました。
この人も心霊スポットに来たんかな?
しかし、すれ違い不可の山道。
こちらはバック不可のバイク。
それを察してサクッとBMWが下がってくれました。
しかも、スポーツカーらしく、クィックィッというハンドル捌きで。
おぉさすが!なんて思いながらソロソロとついていくと・・・
ガシャ!
ガードレールの途切れた場所に掛けられていた金網にこすってはりました・・・
あぁぁぁぁこちらは何も悪くないんやけど、とてつもなく申し訳ない・・・
深々と頭を下げてお礼を言い、無事下山しました。
最後に、常山駅からの遠景。
なんで2枚ともぼかしが入ってんねん!
つづく
参考:
備前常山城
大崩海岸
岡山の地図付きは
こちら
静岡の地図付きは
こちら