香川県に、ごめんなさい
勝瑞城が急造の城という可能性が指摘されているという話を前回に触れましたが、なぜそのような話が出てきたかと言うと、本体がかなり大きいという事が判ってきたからなんですね。
その本体とは、勝瑞館です。
細川一門の中でも宗家に次ぐ勢力を持っていた阿波細川家の居館で、後に三好氏に下剋上された後は、三好氏の館でもありました。
勝瑞城からは、県道14号線を挟んで南西方向にあります。
かなり前から発掘調査が行われ、現在も継続中。
この日も、東側の庭園の発掘調査中でした。
まずは、館跡の入口の案内板。
説明によると、現在残る形への拡張は、三好家の手によるようですね。
細川氏を傀儡化し、細川家臣でありながら足利家臣でもあった三好長慶は、当時最も天下人に近い人物だったでしょう。
その威光が知れますね。
とは言っても、ここを統括していたのは弟之虎(義賢・実休)で、阿波国内での下剋上を仕掛けたのも、これまた之虎ですが。
次いで、全景。
広大ですな。
所々、発掘の際に取り除かれた土が盛ってあるのが生々しい。
この敷地に入って左手が、現在進行中の発掘現場です。
池泉式庭園の跡ですね。
館には、南西側にも庭園があり、そちらは水を用いない枯山水の庭園でした。
館は、最大10m程度の幅を持つ堀で区画されていたようです。
単純な区画ではなかったようで、下のように堀が並ぶような場所も。
この写真の奥側には、枯山水庭園の跡があります。
発掘が終わって、埋め戻されているので、庭園の岩だけがありました。
長年来たかったから、満足ですわ(^^)
興味無い人が見たら、ほんま何にもない空間ですけども(笑)
勝瑞館からは、旧吉野川を北へ越え、県道12号線へ入り、東進して鳴門I.C.へ。
春にも来た鳴門I.C.。
去年から神戸淡路鳴門道には縁があるようですな。
夕暮れ迫る中、大鳴門橋を渡り、淡路へ入ったものの、もう日の入りが近い。
海岸沿いを走りたかったのですが、止むを得ず北淡I.C.まで高速道路で北上して時間短縮。
北淡I.C.からようやく淡路島の西岸に出て、海岸沿いを北へ走っていきます。
この道は、淡路サンセットラインと名付けられた道で、夕日が素晴らしいですね。
そうこうしている内に陽が沈んでしまいました。
Mission Failure.
一応SSTRやのに、あかんがな。
ま、ほんの15分程度ですけどね!
こうして、無事に反対側の海岸に到着。
到着して一休みしていると、月が上がってきました。
秋の月はいいねぇ(^^)
いや~、思ったより距離もあったし、時間も掛かったし、走り甲斐のあるルートでしたわ。
SSTRというより、三大橋物語とでも呼んだ方が良さそうな感じでしたが。
反対の海岸に来ても、家まで近いというのも尚良し。
この後、松帆の郷で橋の夜景を見ながらぐったり。
淡路島に来た時は、これで締めないとなんかすっきりしなくなってしまいましたわ。
ほんま、ええ景色やね(^^)
合計 452km
参考:
勝瑞館
勝瑞城
大鳴門橋
岩屋松帆温泉
明石海峡大橋
地図付きはこちら(徳島・兵庫)
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