イベント会場のすぐそばでも、休日の家族が遊ぶ遊具公園のそばでも、ひとりぼっちなおっさんが歩いているのは気にしないでください。
元居城を出たのは13時頃。
昼飯はまだ。
ここから菊池本城、隈部館、城村城と寄って長洲からフェリーに乗る予定なのだが、ちょっと雲行きが怪しくなってきた・・・
例によって例の如く、昼飯を抜くにしても、予定してた便はちと無理かも。
ま、無理なら無理で対策を立てねば。
元居城から国道387号線に戻ると、あとは道なりに進むだけで次の目的地である菊池城、別名隈府城に到着します。
この隈府城という名、某歴史シミュレーションで使われてまして、菊池城や菊池本城、守山城といった名前よりも個人的には馴染みがあるんですが、現地では使われていない様子でした。
国道から見ると、右手に菊池氏の英主3代を祀る菊池神社、左手に菊池公園です。
本丸が菊池神社、二ノ丸以下が菊池公園ということなので、恐らく本丸と二ノ丸の間の堀切を活用して道路が造られたんじゃないでしょうか。
とりあえず、ということで、菊池公園のほうから回りましたが、いきなり段郭のような地形が。
これは明らかに城跡を流用してますな。
その反対の山側を見ると、こちらにも櫓台のような地形が。
ここから金比羅神社にかけて、横一列に郭が並んでいたとされています。
本丸から二ノ丸以下に共通して、東側に低い段が構えられており、高低の段を持つ同じような形状だったようですね。
高地を背後として、麓の菊池市街に相対するように構えられていたのがありありと解ります。
そして規模もなかなか大きい。
ただ、戦国時代に菊池氏へ大友氏から義武が入り、隈本(熊本)へと本拠が移され、後に隈部氏の持城となったことから、現在残っている城の規模は隈部氏時代の改修によるものとされ、菊池氏時代の規模は不明確らしい。
菊池城の本丸はというと、前述のように菊池神社の境内になっており、ぐるっと回った限りでは遺構の類はほとんどありませんでした。
堀が残っているらしいのですが、残念なことに見付けられず。
菊池本城を一番感じたのはこの菊池十八外城の石碑でしたね。
この碑は、なんかいい(^^)
どことなく、南北朝時代の頃の団結の強さが感じられます。
菊池城を後にして、市街を突っ切り、県道18号線を北上して向かうのは鞠智城・・・・・・と言いたい所ですが、どう考えても時間が押してるので已む無くスルーして隈部館へ。
前述の菊池城最後の城主であった隈部親永の居館ですな。
県道18号線を走っていると、隈部館の案内が出てくるので、この城も迷うことはありません。
上永野の集落へ入り、山をグリグリと上っていくのですが、要所要所に案内が出ていてここでも分かり易い。
館があるのは、山の麓と言っても稜線が穏やかになり始めたという場所なので、結構な高度があります。
正確に言えば中腹。
そんなところなので、バイクやし坂道に駐車とかだと始動時にバランスに気を使うしUターンせなあかんし嫌やな、と思ってましたが、現地には立派な駐車場がありました。
うん、整えられている!
さすが国指定の史跡。
さあ、これから城の中へ。
城の構造としては、方形の居館部があり、その南側に城門の桝形を挟んで馬屋という細長い郭が玄関のようにくっついています。
桝形は備えていますが、本格的な防御構造はあまり無く、あくまで普段の住居で、背後の詰城が防衛力を担っていたということでしょう。
馬屋は石垣で囲われ、その付け根部分には空堀が明確に残っていました。
長さもあり、なかなか立派な空堀です。
この右手に桝形。
そして桝形を抜ければ広大な居館部分です。
居館部分には居館の礎石や排水溝などが露出展示されていました。
この山側に1段高い櫓台跡らしき地形があり、隈部神社が建立されているのですが、その更に北側を見てみると、明確に空堀が確認できます。
これも残り具合が素晴らしい。
最後に、居館部分からの眺望を。
ちょっと霞んでますが、いや~爽快!
遺構も景色も大満足ですわ~
フェリーの時間?何それ?(笑)
つづく
参考:
菊池城
隈部館
地図付きはこちら
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