いやぁ~阿蘇ってほんっとに素晴らしいものですね。
阿蘇五岳を縦断し、阿蘇市のほうへ下りると、内牧城があります。
ここからほど近い場所に阿蘇神社がある為か、某ゲームのある作品では阿蘇神社の大宮司から武家として身を興した阿蘇氏の本拠になったりしていますが、実際の内牧城の歴史はそれほど詳らかではなく、阿蘇氏配下の一支城という域を出ません。
実際の阿蘇氏は、阿蘇山の外輪山からも出て、南の通潤橋のある辺りに進出していましたしね。
勢力拡大を目指した結果、肥後の平野部へ出るのに都合の良い拠点だったのでしょう。
しかし、一支城とは言え、内牧城は個人的に馴染みのある城。
寄らないわけにはいかない!
内牧城は、内牧温泉の一角にあり、現在は体育館と中央公園になっています。
この体育館への案内表示があちこちに出ている為、迷う事無く簡単に行けました。
しかし、この日はやたらと車が多かった。
なんでこんな盛況なんやろう?と思っていると、体育館の辺りには警備員がおり、幟も立っていて、どうやらイベントが催されている様子。
まずい!
能登七尾城で城の入口まで行きながら城に入れなかった悪夢が蘇る・・・
でも、体育館の駐車場は完全にイベント会場となっていましたが、その裏手や中央公園は会場から外れてて助かりました。
縦横無尽に走り回るセグウェイの試乗会に羨望の眼差しを送りつつ、体育館の裏手や中央公園を散策し、城の痕跡を探してみます。
まず、本丸北側の堀だった黒川の旧河道。
なかなか風情がありますね。
下の現地案内板の写真にあるように、黒川は江戸時代に流路が変えられましたが、幸運にも城近辺の区間は親水池として残存しています。
本丸が、参勤交代の際の休憩所である御茶屋として活用された為、池水庭園代わりとして残されたのかもしれませんね。
二ノ丸は、行政の会所として使われていました。
現在は、池に面した部分が遊具公園となっています。
全体としては、城が存在したのが一国一城令の頃までで、廃城してから月日が経っていることや、街道に面していることもあって変遷が激しかったのか、遺構と見られるものはほとんどありませんでした。
でも、堀として使われた黒川の旧河道を追って行くと、朧気ながら城の縄張を確認することが可能です。
そういう残存するものを加味して、あれこれ想像するのも史跡散策の醍醐味でしょうかね(^^)
長閑な内牧を後にして、次に向かうのは菊池。
国道212号線の楽しいワイディングロードで外輪山を駆け上がり、外輪山上の牧場脇を縫って西進する菊池阿蘇スカイラインへ。
この道もかなり爽快な道で、阿蘇谷の景色がかなり良かった(^^)
お勧めの道ですわ。
阿蘇らしい草原と谷の景色が雄大で素晴らしい。
そんなスカイラインの横には、またまたヘリによる観光飛行の拠点なんかもありました。
ほんま日本離れしとるな!
菊池阿蘇スカイラインを西へ西へ行くと、国道387号線に当たり、そのまま進んでいくと菊池城の城跡に建つ菊池神社の真横に出ます。
こりゃ地図見んでも迷わんから楽やわ~とのんびり走っていると、急に視界右側に元居城という文字が。
なぬ!?
城か?
城なのか?
ならば寄らねばなるまい!
予定より押し気味の時間を気にしつつ、Uターンして案内される方向へ。
後で調べて知ったのですが、元居城は菊池氏所縁の支城網である菊池十八外城のひとつです。
位置的には、東側の第一防衛線である菊池渓谷の市成城や掛幕城に続く第二防衛線となる城群のひとつですかね。
往時は、菊池川沿いの人や物の流れを押さえていたと思われます。
ただ、この城は予習無しで辿り着くのは難しかった(> <)
2ヶ所ほど途中で案内があるのですが、その2ヶ所目の先が不明瞭。
矢印の指す方向には十字路があって、その先まで一旦進んでみたものの、道は大きく右に曲がりながら民家へと続いており、失礼ながら民家の庭先でUターンするハメに。
こっち?と十字路を右に行っても左に行っても見当たらず。
もう諦めるかと途方に暮れていましたが、スマホから幾つか元居城を紹介しているページを見ていると、行き方を載せている親切なサイトが!
よくよく見ると、民家へと右に曲がっている道と左の果樹園の間に畦道のような細い道があり、そこを下っていくらしい。
こんなん初見で分かるか!
いや~情報化社会ってすごいねぇ
元居城は、この道を下って一旦視界が開けた先の竹林の中にありました。
下るという、城にあるまじきアクセスなので、往時は本丸から東か南方向の川筋に向かって郭が伸びていたんでしょうね。
本丸には城址碑と2つほど説明板があります。
奥行きも結構ありそうなんですが、ご覧の通り竹林で散策はできませんでした。
川筋に向かって構成されているなら、この先にも郭が伸びていると予想されるんですが・・・
この本丸への道の途中には次段があり、次段から見ると本丸の切岸はなかなか切り立っております。
当の次段もこんな感じで竹だらけ。
この他には、次々段らしい削平地と帯郭らしき細長い平地、堀切の跡と見られる窪地がありました。
竹を取り払ったら、結構遺構がしっかりと残っていると思われますが、取り払われたりはしないんやろなぁ
なかなか、惜しい城ではあります。
つづく
参考:
内牧城
菊池阿蘇スカイライン
元居城
地図付きはこちら
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