鞆城跡は城の痕跡少なし。
でもめっちゃ景色ええわ~
鞆城跡の民俗博物館から南へ下って行くと、途中に稲荷社があり、下り切ればそこはもう鞆の懐かしい感じの町並みです。
ただ、こんな狭い道なのに、意外と車通りが多い。
こりゃ危ないですわ。
市街を迂回する道路の話が出るのも納得。
振り返ってみると、鞆城へは結構な勾配となってることが分かりますね。
稲荷社が腰郭だったんでしょうか。
なんて事は無い写真ですが、なんか気に入ってる構図です。
下り切った所には鞆の浦の商家として保存されている建物なんかもあり、雰囲気を味わいつつそのまま海まで抜けると、そこはもう鞆湊。
保存状態が良いという雁木が目に入ってきます。
こんなにちゃんとした状態で残っているのは、相当珍しいらしいです。
港湾として生き続けている以上、施設改修の手は入り続けるということなので、時代にそぐわなくなったものは造り替えられる運命にありますからね。
残って尚且つ現役というのは凄い。
この港の周辺には、鞆の町の代表的な風景である細い路地が、昔の風情を色濃く残して入り組んでました。
下の写真で少しは伝わりますかね?
凄く雰囲気が宜しいです(^^)
何故かアヒル隊長のひな壇(笑)
場所によっては人ひとり分の幅しかない路地も。
こんな路地、大好物ですわ。
観光地でも、すぐ路地裏の人通りの少ない道に行こうとする癖が(笑)
そんな路地マニアの好奇心をくすぐる路地多し。
昔からの湊町だけに、歴史に所縁のある場所も多いです。
下は、坂本竜馬がいろは丸事件で談判した町屋。
今は普通の旅館として運営されているみたいですね。
下は、政変によって長州派の貴族7人が京都から落去した七卿落ちの際に立ち寄った民家。
保命酒という医用酒を販売していた中村家の住宅で、中村家の廃業もあって太田家の所有となり、今は太田家住宅七卿落ち遺跡という名になっています。
しかし、鞆という町は雰囲気がある上にコンパクトで、徒歩での散策とはとても相性が良いですね。
そして、早朝に来て良かった。
観光客がいないというのが、路地マニアとしては最高ですな(^^)
つづく
参考:
鞆ノ浦
地図付きはこちら
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