ま、かれこれ9ヶ月ぐらい前の話なんですが、バイクもオフシーズンということで、許してつかぁさい(笑)
毎年、蛍の頃に訪れているのが広島県は備後地方なんですが、去年は梅雨の時期に全部晴れるという予想だったので、居ても立ってもいられずバイクで出撃しました。
蛍目当てと言っても、当たり前の事ながら昼間はホタルも出ないので、ガッツリとバイクで出掛けられるという寸法。
バイクで出掛けたのは土曜日。
最終目的地は鞆の浦なので、渋滞が予想され、そこから逆算すると、いつものツーリングのように朝5時の起床。
山間だけあって早朝は寒い。
まず、備後を南北に縦断する国道182号線に出て、国道2号線へ入り、県道22号線で鞆へ、という計画。
主要幹線だけで行けるから楽やわ~なんて思ってましたが、帰りにもっと簡単なルートが発覚する、というのは置いておくとしましょう(笑)
国道182号線に入って驚いたのは、バイクの数。
こんな早朝、しかも気温10度ちょっとしかなくて走ると寒いというのに、ライダーがやたらと走ってる。
たしかにこの道は神辺から北に抜けた所にヘアピンがあるし、その北も山間部を抜けていくコーナーが多い道という割にアップダウンが控えめで走りやすい感じ。
備後ライダーの定番ワインディングロードになっているんですかね。
色んなバイクがいて、ちょっと楽しかった(^^)
そんなこんなで、懐かしい神辺を過ぎて福山東に入り、国道2号線経由で芦田川沿いの県道22号線へ。
大きな川の河口部らしい緩慢な流れが、もう海かと見間違うほどですな。
そういえば、この近くに中世に栄えた草戸千軒があったのを思い出しました。
昔の芦田川は瀬戸川とぶつかる辺りから東に大きく湾曲する分流を出しており、この県道22号線が芦田川を越える辺りで再び合流してたんですが、その間の中洲に河口港としての町があったんですな。
それが草戸千軒と呼ばれる町で、中世に栄え、江戸時代に洪水で滅んだことから、日本のポンペイと呼ばれることもあったそうな。
河川改修で分流が無くなったのと、河川幅が拡げられてはいますが、この緩慢な流れを見ていると、河口港としての優れた立地が想像できます。
県道22号線は、途中で芦田川に別れを告げて少し内陸を走り、やがて海沿いへ。
そこからはずっと海沿いで、仙酔島が見えてくると間もなく鞆に到着。
ちなみに、一般には鞆の浦として知られていますが、町の名は「鞆」が正しく、港は「鞆港」、かつての行政区分は「鞆町」です。
鞆の浦の名は、そのまんま鞆という町のすぐ近くの海という意味ですな。
あくまで、正確には、という話ですけども。
つまり何が言いたいかと言うと、ここにあった城は、「鞆の浦城」ではなく、「鞆城」となるわけです。
というわけで鞆城はこちら。
何かよく分からん写真(笑)
今は城跡に歴史民俗資料館が建っておりまして、城っぽさはほぼ無い、というわけです。
ただ、資料館の北側には、下のように明らかに古い時代の石垣が残っていました。
あと、立地もいいですな。
将軍足利義昭がしばらく居た場所だけに、風光明媚。
城跡からは、鞆の浦と、戦国時代に村上水軍が使っていた大可島城が左手に見えます。
もっと城らしい写真が欲しいですか?
これなんかどう?
めっちゃ石垣してますな!
でもこれ、復元石垣なんですよね。
資料館建設に伴って出土した基底部を元にした復元。
写真の石垣の隅部の3段目から上が少し色も違ってるし、復元部分かな?
でも雰囲気は出てます(^^)
さてさて、第一目標の鞆城も攻略し、いよいよ次は鞆の浦の散策です。
つづく
参考:
鞆城
地図付きはこちら
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