2014年8月25日月曜日

ぼちぼち記事取り消しから3週間

ぼちぼち記事取り消しから3週間、と言ってもこのブログではなく、朝日新聞の話。
例の慰安婦強制連行の記事の取り消しです。

どのように落ち着いていくのか、と興味深く様子を見てたのですが、まだまだ落ち着く様子はありませんね。
産経新聞や各週刊誌などでも、追求の記事が出続けています。
更には、年間購読の契約解除や、広告出稿を今後しないと明言する企業も出てきており、経営に一定の打撃を与えることは必至でしょう。
とは言え、今のテレビや新聞は不動産業という側面も大きくなっているので、倒産という話にはならないと思いますが。

まぁ、この強制連行の話が出た直後に現地済州新聞の記者が実際に現地で島民に話を聞いて、そんな話はなかったと報道しているのを見ても、報道当初から裏付け調査がいい加減だったという事は、ネットでは知られた話でした。
報道した植村記者の義母が、慰安婦関連訴訟の利害関係者というのも、普通に考えればおかしな話ですしね。
報道の中立性を担保する為に、普通はそういう関係性のある人間は排除します。
記者はひとりではないのだから。
そして、極め付けは、吉田清次氏がフィクションを織り交ぜて書いたことが1990年代半ばに自身の証言で明らかになった事。
これらから、捏造だというのがネットの常識でした。
ただ、この吉田清次氏の発言が明らかになった時に訂正していれば、朝日新聞は今ほどの打撃は受けなかったのかも知れません。
しかし、それから約20年。
長い。長過ぎる。
ちょっと興味を持った人であればフィクションだと示す証拠に簡単に辿り着けてしまうインターネットが普及し、多くの人が朝日新聞の過誤を知っている状況で放置し続けたというのは、企業のガバナンス、リスクマネージメントとしても最悪だったのではないでしょうか。
今回の取り消しについても、読者から度重なる質問があって隠し続けられなくなった結果のように思います。
タイミングとしては、きっかけは何も無かったわけですから。

個人的経験として、不祥事を起こし、マスコミに追求される企業を間近で見たことがあります。
それは、会社ぐるみではなく、社員のひとりが取引先と共謀して起こした事件で、企業として主体性を持って起こした事件ではなかったというのは刑事裁判で確定していますが、それでも管理不行き届きとしてマスコミに追求されました。
その会社は、社内で一番大きな会議室をマスコミの記者に開放し、揚げ足取りを警戒して一般の社員には緘口令を敷き、社員の方も非常に気を使って仕事をしておられました。
事件に関しては擁護することは無いですが、報道に気を使いながら記者達に接している様子は、なんだか昔に言われていた羽織ゴロを連想させ、なんだかなぁと、かなりの違和感を持ったのを覚えています。
イメージとしては総会屋に近い感じですか。
他の不祥事の記者会見で、鬼の首を取ったように激しい口調で追求する記者を見て、言論を扱う人間としてはちょっと質が悪すぎひんか?という思いが心の根底に刷り込まれていたのかも知れませんが。
個人的感覚はともかくとして、今回の事は、不祥事には紙面を何行も割いて嬉々として報道しているようにすら見えるマスコミが、自らの失敗にはこんな程度で済ますのかと、正直、大いに失望しました。
いや、やっぱりな、という言葉がぴったりかもしれません。
マスコミの報道の負の側面が一般に共有されだしたのは、O-157の食中毒の際のカイワレ報道の辺りでしょうか。
あれからいくつも誤報がありましたが、朝日新聞に限らず、誤報の分量に対して訂正や謝罪の分量が著しく小さいのが常です。
言う時はあれだけ言うくせに訂正はちょびっとよな、というのが周囲の共通したマスコミ評です。
しかも今回の朝日新聞は、訂正とは名ばかりで、自分の与えた影響には目を瞑り、問題のすり替えを行う始末。
手に負えん。
16本の記事を取り消したなら、16面に渡って訂正と謝罪、記事が出た過程や問題点の検証、今後の対策について掲載すべきでしょうな。
失った信用を得るには、それぐらい大胆な事を行うべき。
報道が各方面、外交にすら与えた影響を考え、まずは自らの身を律して欲しい。
 

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