2014年6月10日火曜日

小田原城リベンジ その4 (駿府城)

前回のあらすじ

江尻城、いいところですわ。
遺構は無いけど、川があって、落ち着いた町で、散策が何故か楽しいぜ。
 
江尻城を散策し終わった後、予定では清水駅に戻って静岡に向かうことにしてましたが、ふと、結構駅から遠かったなぁと頭に浮かんだんですな。
スマホでマップを見てみると、選択肢が2つ。
来た道を返してJR清水駅に行くか、それとも入江岡駅に行くか。
パッと見では入江岡駅がやや近く、道も簡単。
よし、入江岡駅に行こう。
そう、下調べもせずに決めたんですな。
そう、入江岡駅はJRの駅と思ってたんです!
入江岡駅に着いて、おやまぁびっくり・・・
シズテツ?
んなアホな。
だってJR線の所に駅があるんやもん。
やだ~、JRの駅と思うじゃないですか~
・・・
・・・
言うてる間に、JRのオレンジ帯の列車が当然ながら陸橋の下を止まらずに通過していく・・・


「引き返すか?」
「いや、そんな時間のロスはもったいない!目的地の近傍まで行けるか調べるんだ!」
「名前からすれば確実に近くまでは行けるはずだ」
「よし、それならこのまま行こう!ロスは最小限に防げるはずだ!」

こういう風に会話調に書けば格好いいんですがねぇ
実態はオロオロに近かったかも(^^;)
旅先で急遽予定変更すると、たまにこういう事態に見舞われますな。
ちゃんと下調べしとけよ(笑)
今回は途中下車可能な距離になるので、交通費は当日払い無しのつもりでしたが、新静岡までの290円で静鉄初体験となりました。
近江鉄道や江ノ島電鉄もそうですが、岡山の路面電車、長崎の路面電車など、こういう地方の鉄道はなんか風情があってなかなか乙なもの(^^)
 
静鉄の終着駅は、新静岡。
JRで行くより恐らく遅くなったと思いますが、幸いにも駅は駿府城のすぐ近く。
駅から商店街を歩いて北へ抜け、北門から城内入りを目指します。
途中、石ちゃんのロケに遭遇しました。

 
鰹の角煮のお店のようですね。
帰った後、しばらく番組覧を見たりしてチェックしてたけど、見逃したな~
関東ローカルやったんかな?

ロケをじっくり見学する事無く、スタスタと歩き北御門に到着。

 
これが中堀と北御門。
この北御門を抜けると城内ですが、駿府城の城内は軍の駐屯地として使われていた為、内堀である本丸堀も埋め立てられ、だだっ広い公園となっています。
当然ながら、天守台の石垣もありません。
ま、駿府城の天守はあまり運に恵まれなかったようで、完成後にすぐ焼失し、再建後も25年ほどしか存在できませんでした。
遡ってみれば、最初に駿府城に天守を築いたのも家康でしたが、数年しか在城できず江戸へ移され、江戸城の天守も徳川幕府成立後に建てられましたが50年ほどで焼失。
そして、隠居城として駿府で再び築いた天守も短命。
駿府の前の居城、浜松城にはそもそも近世でも天守が無かったようですし、家康は天守とは縁が薄かったのかもしれないですね。
そんな天守跡の近くに建つのは、家康像。

 
駿府は、家康が人質として幼少期から青年期までを過ごした場所ですし、特別な思い入れがあったのは想像に難くないですね。
ま、人質と言っても、君主一門の嫁を貰ってるし、嘘か真か師として太原雪斎を付けられたという話もあるし、厚遇されていたのは間違いない。
人質と言えば世間では悲惨な語感がありますが、織田家における蒲生氏郷のように、有力被官の子弟の中から有能な者を取り立てて一門化し、柱石にしていくという戦略の中で選ばれた注目の若武者であり、松平家からしても、今川家の中枢に食い込めば家も安泰ということで、当時は望まれていた部分もあったはずです。
あくまで離反しなければ、の話ですが。
面従腹背の家から出された人質なんかだと、正に人質そのもので、毎日生きた心地がしなかったでしょうけどね(^^;)
ただ、テレビなんかでの歴史の話になると、そういうメリットがほとんど語られないってのが、なんか消化不良で納得いかないですな。

ちょっと話がズレました。
城内は、ほんとだだっ広くてお城感が薄いんですが、南のほうは櫓や大手の御玄関前御門が復元されているほか、本丸堀も一部が発掘展示されていて、お城感が出てきてまいす。

 
この御玄関御門から巽櫓にかけては資料館になっていて、駿府城に関する資料が展示されていました。
一番の収穫は、今川時代の駿府はもっと河川が入り乱れていたことが分かったことですかね。
こういうのは今の地図からでは読み取れないだけに、今川時代の姿を想像する一助になります。
ちなみに、今川時代の居館は、今の裁判所付近である駿府城の三ノ丸にあったとされていましたが、明確な遺構は出てこなかった模様。
これだけ有名な大名なのに、居館が出てきていないとは、難しいもんですな。
しかし、県庁所在地という都市部にこれだけの広さの城地が残されていて、中堀全部と外堀の一部も残っているというのは、なかなかありがたいことです。
整備も継続してされていくようですし、これからも楽しみですな(^^)
 
つづく
 
参考:
地図付きはこちら
 
 



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