2014年6月30日月曜日

兵庫城 その3

時々、発掘調査を極秘裏に監視している兵庫城ですが、28日(土)に現地説明会がありました。
でも、仕事だったんだよ・・・

学芸員の説明は諦めるとしても、せめて配布資料の確認や現地の見学ができたらなと思ってなんとか16時頃に行ってみた結果、
撤収作業すらもオワットル・・・
という非常に残念な結果と相成りました。

今回の現地説明会の概要は、神戸市のホームページにありました。
ニュースリリースなので、いつまでリンクが生きてるかは分かりませんが、
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2014/06/20140625841001.html
です。
昨年の現地説明会では、兵庫城の石垣基部が発見されたというのがありましたが、今回の発掘は江戸時代の兵庫津の町屋や街路に関するものが主なようです。
江戸時代を通じて整然と町が営まれており、武家屋敷とは一線を画す造りで、兵庫城時代の上級武士の屋敷があった場所の可能性はあるが、町屋造成の際に町割が一新されたかもしれないとのこと。
つまり、今回の発掘では城の痕跡は辿れなかったみたいですな。
ちなみに、当日の配布資料はまだupされていませんでした。
探している内に、フラフラと端谷城なんかの配布資料を見てみると、どうやらこの城は良い城らしい、ということが分かりました。
ここならすぐ行けるぞ!
蚊と、蒸し暑さと、殺さんとする勢いの太陽が無ければ!
 
参考:
兵庫城
地図付きはこちら

 

2014年6月23日月曜日

蛍を見に

この前、ホタルを見に行ってきました。
広島県まで泊まりで。
毎年のことなんですが、総勢10人以上が集まります。
いつも2泊3日なんですが、今年は運良く3日とも晴れるという予報。

おう、晴れか。
晴れるのか。
・・・。
バイクやな。

これは仕方ありませんな(笑)
梅雨時に山間で3日晴れるなんて、10年に1回ぐらいしかない。
うん、ないはず。
ともかく、様々なシガラミを脱ぎ捨て、バイクで行くことにしました。
1日目は行くだけ。
2日目は鞆ノ浦へ。
3日目は帰るだけ。
実質、日帰りツーリングみたいなもんなんですがね(^^;)
 
鞆ノ浦の旅日記は後日として、とりあえずは蛍をば。

 
1日目の夜は、見に行ったのが10時頃と遅く、快晴で満月が明るかったのもあって、数はかなり少なかったですね。
一転、2日目は曇って月明かりが無く、かなり多くで出てました。
あんなに多かったのは、ここ7・8年では記憶に無いなぁ
色んな意味で、今年は当たり年でした(^^)
 

2014年6月17日火曜日

小田原城リベンジ その5 (掛川城)

前回のあらすじ

頼りにしていたgooglemapに騙されるとは・・・
 
駿府城巽櫓と東御門の内部の資料館を見て回り、大急ぎで静岡駅へ向かって電車に飛び乗ると、掛川までは再び鈍行の旅。
掛川城に行けるかどうかと思っていたけど、どうやら時間的には大丈夫そう。
途中、携帯で城めぐりと国盗りの位置ゲーをしながら、気付くと携帯を握り締めて爆睡・・・
景色がワープしてました(笑)
そりゃ朝から歩きっぱなしで疲れますわな(^^;)

掛川駅に到着したのは16時過ぎ。
時刻表を確認すると、新幹線は30分に1本の模様。
散策を考えると16時台は間に合わないので、17時過ぎの列車になるみたいですな。
というわけで、掛川城に向けて最後の行軍。
この掛川の市街地はコンパクトで、何となく寂れた雰囲気がいいですね。
観光客向けの店もチラホラと見えますが、平日のこんな時間にはもう商売っ気がありません。
そして車も少ない。
いや~いいですわ~
こんな雰囲気大好き(^^)

そうこうしてる間に掛川城へ到着。
道から見える城がサマになってますな。


意気揚々と掛川城へ乗り込む自分。
行けるかどうかという不安を乗り越えた安堵感と共に、余裕の心持ちで16時15分頃に入城券の券売所を覗き込む。
「・・・・・・?」
カーテン閉まっとる・・・
他に券売所があるかと周りを見回す自分。
券売所を2度見してもカーテンはやっぱり閉まってる。
そして見付ける開館時間の案内。
冬季は16時・・・まで・・・だと?
そう、北国でもないのに冬季の掛川城は早く閉館するのです!
ぬかったわ!
ってか、雪国でもないんやから閉まらんといてくれ~
まさか、小田原城のリベンジに成功して、掛川城で再び天守に登れぬとは!
傷心のあまり、本丸で立ち尽くす・・・

まぁ四の五の言ってもしょうがないので、気を取り直して掛川城を散策。
天守に登れなかったので、天守丸から掛川市街をば・・・

 
天守丸で写真を撮ってると、天守の職員さんから、今日はもう閉館ですけどまた来てくださいねとのお声を頂く。
いや、遠いんでなかなか簡単には来れないんすよ・・・(涙)
つらいっすわ!
でも、天守以外にも見所はある!
例えば十露盤堀!

 
例えば三日月堀!

 
例えば黒土塁!

 
そして、全国でも現存数が少ない御殿!

 
ざっと見て回った所で時計を見ると16時34分。
おや、16時40分台に新幹線があったよな。
天守が閉まっている以上、長居してもしょうがない。
ダッシュだ!(おっさんというのは取り敢えず忘れた模様)
1日歩き続けた挙句、最後に駅までダッシュとは、なかなか神様も試練を与えて下さる。
というわけで、冬なのに汗をかきかき、無事に新幹線に飛び乗ることができました(^^;)
しかし、リベンジに成功したような失敗したような、なんか複雑な気分。
ちくしょ~
次は掛川城リベンジだ(涙)
 
参考:
掛川城
地図付きはこちら
 

2014年6月10日火曜日

小田原城リベンジ その4 (駿府城)

前回のあらすじ

江尻城、いいところですわ。
遺構は無いけど、川があって、落ち着いた町で、散策が何故か楽しいぜ。
 
江尻城を散策し終わった後、予定では清水駅に戻って静岡に向かうことにしてましたが、ふと、結構駅から遠かったなぁと頭に浮かんだんですな。
スマホでマップを見てみると、選択肢が2つ。
来た道を返してJR清水駅に行くか、それとも入江岡駅に行くか。
パッと見では入江岡駅がやや近く、道も簡単。
よし、入江岡駅に行こう。
そう、下調べもせずに決めたんですな。
そう、入江岡駅はJRの駅と思ってたんです!
入江岡駅に着いて、おやまぁびっくり・・・
シズテツ?
んなアホな。
だってJR線の所に駅があるんやもん。
やだ~、JRの駅と思うじゃないですか~
・・・
・・・
言うてる間に、JRのオレンジ帯の列車が当然ながら陸橋の下を止まらずに通過していく・・・


「引き返すか?」
「いや、そんな時間のロスはもったいない!目的地の近傍まで行けるか調べるんだ!」
「名前からすれば確実に近くまでは行けるはずだ」
「よし、それならこのまま行こう!ロスは最小限に防げるはずだ!」

こういう風に会話調に書けば格好いいんですがねぇ
実態はオロオロに近かったかも(^^;)
旅先で急遽予定変更すると、たまにこういう事態に見舞われますな。
ちゃんと下調べしとけよ(笑)
今回は途中下車可能な距離になるので、交通費は当日払い無しのつもりでしたが、新静岡までの290円で静鉄初体験となりました。
近江鉄道や江ノ島電鉄もそうですが、岡山の路面電車、長崎の路面電車など、こういう地方の鉄道はなんか風情があってなかなか乙なもの(^^)
 
静鉄の終着駅は、新静岡。
JRで行くより恐らく遅くなったと思いますが、幸いにも駅は駿府城のすぐ近く。
駅から商店街を歩いて北へ抜け、北門から城内入りを目指します。
途中、石ちゃんのロケに遭遇しました。

 
鰹の角煮のお店のようですね。
帰った後、しばらく番組覧を見たりしてチェックしてたけど、見逃したな~
関東ローカルやったんかな?

ロケをじっくり見学する事無く、スタスタと歩き北御門に到着。

 
これが中堀と北御門。
この北御門を抜けると城内ですが、駿府城の城内は軍の駐屯地として使われていた為、内堀である本丸堀も埋め立てられ、だだっ広い公園となっています。
当然ながら、天守台の石垣もありません。
ま、駿府城の天守はあまり運に恵まれなかったようで、完成後にすぐ焼失し、再建後も25年ほどしか存在できませんでした。
遡ってみれば、最初に駿府城に天守を築いたのも家康でしたが、数年しか在城できず江戸へ移され、江戸城の天守も徳川幕府成立後に建てられましたが50年ほどで焼失。
そして、隠居城として駿府で再び築いた天守も短命。
駿府の前の居城、浜松城にはそもそも近世でも天守が無かったようですし、家康は天守とは縁が薄かったのかもしれないですね。
そんな天守跡の近くに建つのは、家康像。

 
駿府は、家康が人質として幼少期から青年期までを過ごした場所ですし、特別な思い入れがあったのは想像に難くないですね。
ま、人質と言っても、君主一門の嫁を貰ってるし、嘘か真か師として太原雪斎を付けられたという話もあるし、厚遇されていたのは間違いない。
人質と言えば世間では悲惨な語感がありますが、織田家における蒲生氏郷のように、有力被官の子弟の中から有能な者を取り立てて一門化し、柱石にしていくという戦略の中で選ばれた注目の若武者であり、松平家からしても、今川家の中枢に食い込めば家も安泰ということで、当時は望まれていた部分もあったはずです。
あくまで離反しなければ、の話ですが。
面従腹背の家から出された人質なんかだと、正に人質そのもので、毎日生きた心地がしなかったでしょうけどね(^^;)
ただ、テレビなんかでの歴史の話になると、そういうメリットがほとんど語られないってのが、なんか消化不良で納得いかないですな。

ちょっと話がズレました。
城内は、ほんとだだっ広くてお城感が薄いんですが、南のほうは櫓や大手の御玄関前御門が復元されているほか、本丸堀も一部が発掘展示されていて、お城感が出てきてまいす。

 
この御玄関御門から巽櫓にかけては資料館になっていて、駿府城に関する資料が展示されていました。
一番の収穫は、今川時代の駿府はもっと河川が入り乱れていたことが分かったことですかね。
こういうのは今の地図からでは読み取れないだけに、今川時代の姿を想像する一助になります。
ちなみに、今川時代の居館は、今の裁判所付近である駿府城の三ノ丸にあったとされていましたが、明確な遺構は出てこなかった模様。
これだけ有名な大名なのに、居館が出てきていないとは、難しいもんですな。
しかし、県庁所在地という都市部にこれだけの広さの城地が残されていて、中堀全部と外堀の一部も残っているというのは、なかなかありがたいことです。
整備も継続してされていくようですし、これからも楽しみですな(^^)
 
つづく
 
参考:
地図付きはこちら
 
 



2014年6月5日木曜日

小田原城リベンジ その3 (江尻城)

小田原城攻略という主目的を果たした後は、在来線に乗って西へと向かいます。
今回の旅路は、小田原から行けるだけ西へ行く!
そういう旅なのです。

車中から見える空模様は、かなりどんよりとしていましたが、伊豆へと入る少し手前でついに雨が降り出しました。
つい数ヶ月前に泊まった湯河原も雨。
見覚えのある景色が所々に見えますが、雨だと印象はかなり違います。
それにしても、平日というのにお客さんが多い。
普段の混み具合は分からんけど、さすがこれは普段より多いよな?
もう帰省が始まってるのか、正月休暇の前倒し組なのか。

電車は熱海行きで、多くの人がここまで乗ってました。
「熱海に行く人、多いんやなぁ」なんて思ってると、結構な割合で乗り換えの電車に・・・
え?
乗り換えの電車、3両しかないんやけど?
マジですか?
そんなこんなで、平日の昼間なのにちょっと通勤電車状態になりました。
耳に入ってくる会話を聞くと、やっぱり学生さんが多い模様。
もう冬休みに入ってるから、帰省が始まってるみたいですな。
しかし、熱海までと、そこから先の格差が半端無い。
一気にローカル線化ですわ^^;

この3両の電車は沼津行きだったので、沼津で再び島田行きに乗り換えて出発進行!
しかし、クロスシートを期待していたのに、この電車はロングシートでした。
ま、相変わらず人が多くて座ることすらできなかったんですけども。
サンドイッチ買ってるけど、どこで食べようか・・・
なんて悩んでると、次第に人の数も減ってきたので、ドアのところで立ち食いです。
鈍行の旅ってこういうところがちょっと辛い(笑)
そんなぼちぼちと鈍行で進む旅ですが、バイクで気持ちの良かった原町辺りの海沿いの所は、電車で眺めていてもなかなか良い景色ですな。
また、新蒲原の辺りは、沿線を走ったので、おぅおぅここ走った走ったってな感じで、なんだか懐かしい。
雨もやんだし、いい感じ(^^)
 
次に下りる駅は、清水駅。
目当ては江尻城。
名物にたいして興味はない自分やけど、桜海老のお吸い物だけは飲みたい!
しかし、時間がそれを許さない。
電車の旅だと徒歩の時間が増えるから、時間はどうしても掛かりますな。
というか、それだけ出してくれる店なんてあるんかな?

江尻城は、清水駅からほぼ西に真っ直ぐ行けば到着します。
現在は、本丸跡が清水江尻小学校になっていて、遺構の類はありませんが、小学校と魚町稲荷社の間に城址碑があるほか、その近くに説明板もあります。
 
 
説明板には、縄張図も描かれています。

 
この案内板は上の方に設置されてるので、逆光の加減もあって写真を撮るのが難しい・・・
この図を見ると解るように、巴川が湾曲してる辺りに城が築かれていたんですが、この湾曲部分は今は河川改修で直線化されていて、現地では全く違う川のようでした。
小学校の外周をぐるっと周ってみても、遺構は無いんですが、小学校には本丸門という校門があり、名前に痕跡が残っていました。
大阪の茨木城の校門は別格にしても、こういうのってなんだかいいですね(^^)

 
また、その近くには、二ノ丸町に関する説明板もあります。

 
このような、城の痕跡が微妙に残ってて、周辺の散策は楽しかったです(^^)
遺構は無くとも、痕跡を辿れるってのは、城好きには重要ですな。
 
つづく
 
参考:
茨木城
江尻城
地図付きは大阪はこちら静岡はこちら