2018年10月29日月曜日

安倍首相の訪中

安倍首相による中国訪問が終了しました。
日本の首相としては7年振りですので、日本における久々の長期政権となっている安倍首相にとっても、初めての訪問ということになりますね。
先の訪米での日米共同声明では、6項目目に、例えば「某O谷選手」ぐらいの隠し方で、中国狙い撃ちの項目が入っていました。
抜き出してみると、「知的財産の収奪、強制的技術移転、貿易歪曲的な産業補助金、国有企業によって創り出される歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行」と、これでもかと中国を連想する言葉が列挙されています。
これを受けての訪中ですから、どのような交渉になるのか、注目していました。
ただ、米中摩擦を受けてか、先に中国側が歓迎ムードを醸成し、終始友好的な訪中になりましたね。
大きなトピックとしては、対中ODAの終了、円元スワップの再開、一路一帯構想や第三国へのインフラ投資への協力などですが、表面上は中国側にとって利の多い交渉になったように思います。
これにはどういう思惑があるのか。
安倍首相は米中両建てに近い方針なのか、それとも鞭たるアメリカ・トランプ大統領に対応するように飴役となっているのか。
気になりますね。
現状ではちょっと内情は窺えないですが、アメリカを含めて国際情勢にまだ紆余曲折がありそうです。
 

2018年10月23日火曜日

ぶらり佐用 その2

前回のあらすじ
 
台風22号と木枯らし1号の往復ビンタ!
そんなもん勝てませんわ・・・
 
利神城の現況を確認できたので、第1の目標は達成できました。
でも、ちょっと粟倉の方まで走ってみようかな~なんてうっすら思っていた昼からの予定は、キャンセル。
寒すぎるんじゃい!
ここから更に山側へ入るのなんか無理ですわ。
というわけで、方向を変えて西へ。
佐用I.C.からひと区間だけ中国道を走って山崎I.C.で降り、中国と並走している国道29号線を更に西へ走ります。
この山崎から少し西へ行った安富には、前から気になっていた富栖の里というのがありまして、日本で唯一の坑道ラドン浴ができるという温泉(?)なんですな。
寒いし、せっかくなんで行ってみようか、と思ってここまで戻ったんですが、よく考えると、ラドン浴なんですよね。
ラドン浴。
そう、湯に入らない。
暖まらねぇ!
ということで、行くのをやめました(^^;)
そこで、同じく前から何度も前を通っていて気にいなっていた林田陣屋へ目的地を変更。
国道29号線で林田地区まで南下して行きます。
さすがにこの辺りは幾分寒さがマシでした。
ほんの数度も差はないぐらいなんですが、佐用は寒かったですね。
国道29号線の林田交差点から西へ折れ、林田川を渡り、恐らく江戸時代に曲げられたであろう鈎状の道を過ぎると、林田中学校が右手に見えますが、その手前を北へ折れると、聖ヶ岡公園という小丘陵に突き当たります。
ここが林田陣屋跡。
戦国時代には、前身として窪山城という城があったようですね。
10m程度とは言え、川沿いの独立丘陵ですから、拠点としては最適の立地です。
バイクを止めて、丘陵を散策してみる・・・というほどの大きさでもないんですが、丘陵の遊歩道を歩いて行くと、石垣が健在でした。
 
 
近寄ってみると、野面積で結構古い時代の石垣であることが判ります。
 
 
隅部もありました。
 
 
隅部はきっちり整えられていて、江戸時代前期頃の石垣というのが判りますね。
ここから遊歩道を更に歩くと、頂上部は削平されていて、いかにも城跡の公園という感じでした。
公園中央に城址碑と説明板があります。
 
 
更に奥へと足を伸ばすと、梅林となっている一角にやや台地状の地形が。
ここは櫓跡でしょうね。
城のシンボルとしての櫓があったんでしょう。
 
 
最後に、当時の想像図。
 
 
この他に、丘陵東側には建部神社という、藩主建部氏を祀った神社があります。
この神社境内は、頂上部より1段低く、おそらく次段だったんでしょう。
ただ、この神社の周囲にも石垣がたくさんあるんですが、いつの時代の石垣かは判断できませんでした。
丘陵南面に残っている石垣は確実に往時の石垣かと思うんですが、それに比べて石材が小振りで、積み方も谷積系の新しい時代の積み方なんですよね。
神社創建の際に積まれたのかもしれませんが、なんとも言えない・・・
でも、南面の立派な石垣が確認できたので、満足ですな。
 
合計:207.4km
 
参考:
林田陣屋
地図付きはこちら
 

2018年10月17日水曜日

慶喜のこと

西郷どんがいよいよ戊辰戦争に入りました。
戊辰戦争から江戸城無血開城までは、西郷隆盛の人生の中でも、最も華やかな活躍を見せた場面ではないでしょうか。
個人的には、坂本竜馬暗殺から大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸城明け渡しまで、大河ドラマのハイライトで見逃せないと思っていました。
竜馬が暗殺される週は、用事があったので録画をしておいたんですが、ぶらタモリやNHKスペシャルの孀婦岩なんかを録っていたいたら、
消えてもうたやないかい・・・
早く見なかったのが悪いんですがね。
同じメーカーの別の録画機では容量不足の時にぎりぎりまで録るという設定だったので、油断してました。
まさか、古いのから消える設定になっていたとは・・・
 
それはさて置き、慶喜の大坂退去についてなんですが、ドラマでは英仏の代理戦争となるのを避けた、という解釈で進められていましたね。
その側面も多分にあったと思います。
ただ、慶喜が維新後にほとんど語らなかった為に、幕末史の大きな謎のひとつになっていますね。
近年では、京都政界に置ける慶喜の政治力は、朝廷や天皇の権威を背景にしたもので、それを奪われたことが慶喜の大坂退去に繋がったという説が出ているようです。
慶喜の徳川家継承は慶応2年(1866)8月、将軍就任は12月ですが、その12月には孝明天皇が崩御しました。
異人嫌いとして有名で、以前ほどの影響力は無かったとは言え、公武合体派でもあった孝明天皇がいなくなるというのは、徳川家の影響力を残そうとしていた慶喜にとっては痛手だったでしょう。
以降、薩長を筆頭とする討幕派の攻めを躱すように四侯会議での粘り腰、機先を制しての大政奉還と妙手を打っていくわけですが、この辺りはさすがの勘というか、読みと言うか、政治的センスの強さを感じさせますな。
ところが、鳥羽伏見の戦いの頃から、急にその政治力を出さなくなってしまいます。
失ったではなく、出さなくなったという感じ。
この豹変ぶりが、何よりも朝敵になることを恐れた、という説の根拠ですね。
確かに、変わりようが凄いだけに説得力があります。
出身が、尊王の水戸学の本拠地でもありますし。
そこに、新たな説が出てきているわけです。
実際はどうだったのか、本人が語らなかっただけに解明は難しいでしょうが、解析が進むと嬉しいですね。
 

2018年10月10日水曜日

丸亀城の石垣が・・・

今日の朝、ニュースを見てびっくりしたんですが、丸亀城の石垣が崩れてしまったようです。
 
江戸中期に築かれた丸亀城の石垣、相次ぎ崩落
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20181009-OYT1T50073.html
 
台風がかなり前に過ぎ去った後だけに、まさかこんなことが起こるとは。
記事によると、8日に帯郭の石垣が崩れ、9日の早朝に三ノ丸坤櫓の石垣が崩れたようです。
帯郭は高さ16m、三ノ丸坤櫓の高さは17mですからね。
合計33mもの高石垣が崩れたということになります。
帯郭が上の石垣止めの機能を果たしてましたから、帯郭の石垣が崩れた時点で上の石垣が崩れてしまうのも必至だったんでしょうね。
丸亀城の高石垣はかなり優美でしたから、非常に残念ですな。
早く復旧することを祈ります。
 
参考:
丸亀城
地図付きはこちら
 

2018年10月6日土曜日

ぶらり佐用 その1

ぼちぼち秋のツーリングを画策する季節となりました。
去年の秋は散々でしたからね。
今年は何とかリベンジを果たしたいと思います。
今年は九州行きを目論んでいますが、去年も北九州や山口を目論んでいました。
予定の前の週の週末に台風21号が史上3番目の遅さで日本に上陸し、これで今年最後の台風やなと思ってたんですが・・・
台風22号「やぁ!来たよ(*^^*)」
なんで10月に2週連続で台風が襲うねん!!
しかし、あまりにも悔しいので、事前に休みを取っていた30日の月曜に日帰りツーリングを画策!
すると・・・
木枯らし1号「やぁ!来たよ(*^^*)」
台風の次の日が木枯らし1号って落差にも程があるやろ!!
というわけで、木枯らし1号が吹き荒れる日帰りツーリングのレポートをば。
 
ぶらりと出かけた先は佐用。
何度も行っていますが、利神城が国の指定史跡になったという事なんで、現況確認に向かう事にしました。
麓の平福は、何度か訪れたり通り過ぎたりしてるんですがね。
まずは、国道2号バイパスを最後まで走って山陽道から播磨道へ。
そういえば播磨道なんて10何年振りかなぁ
全く景色に記憶が無いけども。
播磨道は播磨新宮までが開通しているので、そのまま強風に煽られながら終点まで走って、播磨科学公園都市へと入ります。
ここも開発は古いけど、産業集約や住居の集約は進んでないっぽいなぁ
周りに何もない所やから、人口減少の局面ではなかなか難しそう。
交通量の多かった科学公園都市を突き抜けると、道は急に田舎道になり、国道179号線に突き当たります。
この179号線もお馴染みの道で、何度も通りました。
この辺り、赤松氏関連の史跡が多くて、あちこち寄りたくなる所も多いですね。
今回は、そのまま西へと進み、佐用へと向かいます。
佐用に着いたのは12時の少し前。
どこで昼飯を摂ろうかと走っていると、鹿肉コロッケの文字を見付けました。
お、珍しい。
鹿肉が食えるのか!
というわけで昼飯は鹿肉コロッケの幟があった喫茶店に決定。
中に入ると、常連さんらしき方々が結構居て、なかなか盛況の様子。
店の片隅には、服なんかも置いてありました。
それなりに多角化を図ってますな。
店主の女性に聞いてみると、鹿肉コロッケは単品で売っているらしいのですが、定食が無いか聞いてみると、定食として出してくれることに。
 
 
危ない!
箸を袋から抜いたところで写真を撮ることに気付いたぜ(^^;)
いつも食べ掛けの図になってたが、ようやく少し学習したな!
コロッケは、揚げたてアツアツでとても美味しかったです(^^)
お腹も満足して暖も取れたところで、目的の利神城へ。
利神城の城下町だった平福は、佐用の市街地からすぐ近くの場所にあります。
利神城の廃城後も因幡街道の宿場町として栄えました。
その名残が街には残っており、観光地化してますね。
平福の街には案内板が。
 
 
かつては陣屋もありました。
といっても本当の意味での行政庁舎なんで、役場後の趣ですな。
陣屋という言葉で一括りですが、城的な陣屋と庁舎的な陣屋では非常に雰囲気が違ってきます。
ただ、今は陣屋門しか残っていません。
 
 
道の駅には、利神城を望める展望台がありました。
下は、利神城の遠景。
僅かに石垣が見えますね(^^)
  
 
同じく案内板。
 
 
利神城への登山道は、平福の街から少し山側へ入った場所にあります。
道が少ないので迷うことは無いでしょう。
登山道の目の前の道も広い道ですしね。
これが登山道入口。
看板が出ていますが、現在は入山禁止という看板です。
 
 
多少、情勢に変化があかと思ったけど、何も変わってないなぁ(> <)
下の石柱は利神城への道標ですが、入山できないので、板で覆ってありました。
 
 
整備までもう少し時間が掛かるのかな?
 
つづく
 
参考:
利神城
地図付きはこちら
 

2018年9月30日日曜日

台風多し

今年は関西への台風の上陸が多いですな。
今回の24号で4回目。
それ以前にも、関西への上陸はしませんでしたが、西日本各地にえげつない雨をもたらした台風7号がありました。
神戸でも各地で土砂崩れが発生していましたし、個人的にあそこまで激しい雨が続いた記憶は初めてでしたね。
上陸1発目は、まさかの東からやってきたという12号。
東からやってきたという台風は人生初の体験でした。
そして、南から上がってきた台風20号。
台風の進行右側が強風になるというのをまさに実感しましたね。
気象庁に、
 
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/2-1.html
 
のような説明がありますが、凡そ100kmまでの距離に最も風が強いポイントが存在するようです。
20号の上陸が姫路で、姫路と神戸の距離は50~60kmというところですから、神戸はかなり強い風の範囲だったわけですな。
神戸に上陸した、次の21号よりも風は強かったです。
台風で家があんなに揺れたのは初めてでしたし、神戸でも一部が高潮で水が溢れていました。
3発目が10年に1度という強力な台風だった21号。
神戸は直撃でしたが、目に入ったおかげで風による被害は20号ほどではありませんでした。
高潮が酷かったですが・・・。
ネット上に動画が溢れていますが、台風の東側になった大阪の方が、風による被害は遥かに大きかったですね。
自分は仕事で明石にいたんですが、明石でも手元の携帯で957hPaまで気圧が下がりましたから、なかなか体験できない気圧だったわけです。
そして、4発目の今回の24号。
神戸からやや離れた和歌山県への上陸ということもあって、自宅周辺の被害はほぼ無いと思いますが、今回も勢力は強かったですね。
やはり日本近海の海水温の高さが影響してるんでしょうな。
もう生まれている次の25号も、似たような経路を取りかねないですし、まだまだ注意が必要ですね。
 

2018年9月25日火曜日

対中関税第3弾

軋轢が続く米中の貿易紛争ですが、昨日24日の13時、アメリカによって対中関税措置第3弾が発動されました。
発表と発動でそれぞれ報道があり、ちょっとややこしくなってきたので、ちょっと時系列で整理してみます。
最初に動いたのはアメリカでした。
通商拡大法232条に基づき、関税を引き上げることが発表され、その大統領令に署名したのが今年の3月22日。
そして、翌23日に第1弾として鉄鋼に対して25%、アルミに対して10%の関税が課されました。
この根拠となる法律は、自国産業の保護と安全保障の観点から、相手国に制裁を課すことを可能とする法律です。
つまり、単なるセーフガードとはやや違うわけですな。
また、この時は中国だけが対象ではありませんでした。
この辺りは、実は本質として重要な部分かもしれません。
これに対して中国は、すぐさま報復関税を課しています。
以降、下のように応酬が続くわけですが、以降は根拠となる法律が通商法301条で、理由が知的財産権侵害に対する制裁措置となっている事には少し留意が必要でしょう。
第1弾とそれ以降では根拠とする法律や理由が違い、また、対象も第2弾以降は中国に絞られているのです。
要するに、貿易戦争と呼ぶならば、知的財産権の侵害が挙げられて以降がその本筋と言えるでしょうな。
以下、発動したものを時系列を並べてみます。
 
3/23 アメリカ 鉄鋼・アルミ製品に15%・10%の関税。
4/2   中国   128品目に対し15%・25%の関税。30億ドル規模。
7/6   アメリカ 半導体や航空部品など818品目に25%の関税。340億ドル規模。
     中国   大豆や自動車など545品目に25%の関税。340億ドル規模。
8/23 アメリカ 電子機器や鉄道など279品目に25%の関税。160億ドル規模。
     中国   鉄鋼製品や医療機器など333品目に25%の関税。160億ドル規模。
9/24 アメリカ 食品や家具など5745品目に10%の関税。2000億ドル規模。
     中国   天然ガスや電化製品など5207品目に5~10%の関税。600億ドル規模。
 
こう見ると、アメリカに対して中国も報復で追従していますが、第3弾になって手詰まり感が見えますね。
そもそも、商売というのは、競合製品が無い場合以外は、買い手が強いもの。
中国の場合は競合する国があって、しかも圧倒的にアメリカへの輸出が多いですからね。
勝負としては大変厳しい。
それと、細かい所で、日本で報道されることはほとんど無かったんですが、日用品に制裁関税が及んだ第3弾を発動する前に、トランプ大統領は郵便公社に対して中国に対する国際郵便の撤廃を指示しています。
この割引がある間は、中国から持ち込まれた郵便に割引が適用されており、アメリカ国内の郵送費用は郵便公社持ちのようなものでした。
これが廃止になると、中国から直接送られてくる小物類は送料が劇的に上がるわけです。
なかなか、地味ながら厳しい所も衝いてきますな。
しかし、中国にとって厳しいのは、どの辺りが着地点なのか全く情報が出ていないところです。
着地点があるかどうかも分からない。
日本の報道でも、ようやく冷戦化するのではないかという報道もちらほら出てきましたね。
何より、アメリカ議会が共和党民主党ともに反中的になってきていますから、そうそう簡単に制裁は解かれそうにありません。
トランプ大統領がどこまでやるのか。
気になる所です。