2026年7月2日木曜日

四国3県ツーリング その1

なんだかんだと忙しい年で、秋のツーリングは、いつも10月出発にしてるんですが、ずれにずれて11月の出発となりました。
ただ、出発前日に首を痛めるハプニングが!
首がめっちゃ痛いし、なんか流れが悪いな~と思いながら、ダメなら途中で帰ってくるとして取り敢えず行くだけ行ってみるかと、ゆったりめのスケジュールにして出発しました。
秋は、日没時間の関係で西に向かうと決めているんですが、しばらく四国には行ってないなと、四国へ。
四国は何度も行っているんですが、意外と行き残しも多いんですよね。
今回は、それら行き残しを拾っていこうかと。
 
まずは、いつものように明石海峡大橋から淡路島を縦断して鳴門大橋を渡り、徳島県へと入ります。
そして、徳島市内で地図を調達。
本屋が減っているので、地図の現地調達も難しくなってきましたね。
まずは、行き残し第1弾の牛岐城へ。
2008年に来た時は、雨が降り始めていた上、公園化の工事中で近寄れませんでした。
そのリベンジになります。
牛岐城は、吉野川流域の阿波中心部に対し、南の那賀川流域の平野部を押さえる城で、守護の細川氏や守護代の三好氏の支配した時代には、有力家臣の新開氏が一帯を支配していました。
戦国時代後期には、四国統一を目指して海岸沿いを攻め上ってくる長宗我部勢に対して、新開氏は三好配下として防戦に努めましたが、やがて降伏し、阿波統一後は長宗我部元親の弟香宗我部親泰が入り、阿波経営の拠点となります。
長宗我部氏が秀吉の軍勢に敗退し、土佐一国に退いた後は、阿波一国を与えられた蜂須賀家政は、阿波九城と呼ばれる支城網を整備しますが、牛岐城も富岡城と名を変えながらそのひとつとして存続しました。
このように、各時代を通じて重要拠点だったわけですね。
ただ、現在の牛岐城は、あまり遺構が残っていません。
主郭部の小山と石垣の一部が目立つのみで、ふたコブ状だった細長い丘陵の鞍部は削られて平地になってしまっています。
とは言え、公園化されて一部でも残っているのは、江戸時代初期に廃城になった城としては、幸運な部類ですね。
というわけで、まずは公園へ。
 
 
前回は工事中でしたが、綺麗な公園になっていました。
階段を上ると、城址碑があります。
 
 
そして石垣が保存展示されている産業展示館。
 
 
ここは、通常は施錠されているので、公園の管理事務所に言って鍵を開けてもらう必要があります。
そして、館内に展示されている石垣。
 
 
明確な遺構を見学できて、満足感でいっぱいです。
ただ、館内に土が剥き出しになっているせいか、湿気が凄かったですね。
展示館を出てすぐ近くには、展望台が用意されていました。
ここからは、阿南市街が一望できます。
ひときわ大きな阿南市役所が目立ちますね。
そして、往時は丘陵として続いていた二ノ丸跡の小山も確認できます。
 
 
首の調子はイマイチやけど、天気もいいし、なかなか良い出だしですね。
 
つづく
 
参考:
 

0 件のコメント:

コメントを投稿