2023年4月28日金曜日

サイトのリニューアル 滋賀のお城終了

サイトのリニューアルですが、滋賀県のお城の作成が終了しました。
 
 
滋賀県で訪れたお城は、福井県との県境にまたがる未作成の玄蕃尾城を除けば23城。
結構多いですね。
これは・・・友達の家に転がり込んでブラブラしていたグータラ時代が大きいですな。
M君、ありがとう!!
割と偏り無く、滋賀県の色んな地域の城を訪れていますが、その中では、大津城が城址碑を発見できていないので、もう1度行きたいですね。
今だと、googleさんがいるので、辿り着くのはすこぶる簡単ですが(^^;)
それと、安土城、観音寺城とその周辺の資料館はもう1度行ってみたいですな。
そろそろ・・・古い記憶が朧気になってきておるのじゃ・・・
 

2023年4月23日日曜日

さすがに違和感

大河ドラマ「どうする家康」についてですが・・・
さすがにちょっと違和感が。
先週、走れメロス張りの侍女の奮闘がありましたが、今週になると、まさか開始早々に合戦がナレーションで終わりとは・・・
先週あれだけ引っ張ったのは何なん?
金ヶ崎の退き口は、確かに秀吉にとっては立身出世の大事な糸口になった戦いで、家康にとってはそうでもないかもしれませんが、先週までの引っ張り方とは違い過ぎて、何を先週は見さされてたんやろ?的な感じにちょっとなりました。
小豆の逸話に掛けたであろう阿月という侍女の話や、お市の方のあれこれも、史実で言えば家康とは絡まない話ですから、そっちは引っ張るのに、一応は徳川軍の撤退戦の逸話が残っているこっちはナレーションかいなと。
さらに、今週の姉川の合戦での猜疑と、空鉄砲。
史料によっては、家康が先陣を主張して譲らなかったという話もあるほど、士気は高かったとされているのに。
榊原康政が活躍するのかと思っていたら、そんなこともなく合戦は終了し、曳馬へ場面転換しちゃいました。
史実や伝わる口伝とは離れすぎて、見ていてちょっとしんどいですねぇ
脚本家は、信長をどう描きたいんでしょうか。
光秀の無能っぷりも気になります。
この辺りは、本能寺の変の伏線になるのかもしれませんが。
しかし、ヤバいなぁ
戦国大河やのに、リタイアするかも知れん・・・
 

2023年4月16日日曜日

ぶらり備前西部 その1

昨年秋。
宮崎フェリーの新造船にまだ乗っていないので、今年の秋は宮崎やな!と待ち構えていたんですが、確保した5連休の天気予報は・・・
晴 雨 雨 雨 晴
ありえへん!
〇●●●〇って、列を取り損ねた下手くそなオセロやん。
最終的には、晴曇雨曇晴にはなったんですが、前日まで予報が変わらないとか、怖くて予約できんわ!
というわけで、やむを得ず、今年は日帰り2発で我慢することにしました。
 
目指したのは、こんな日帰りのために残しておいた三石城。
全盛期には播磨、備前、美作を支配していた赤松氏の大番頭とも言うべき、守護代浦上氏の居城です。
城は、播磨と備前を総覧すべく、国境の船坂峠近くに築かれていました。
岡山と播磨は、ほぼそのまま県境となっていますから、城の位置は簡単に分かりますね。
おまけに三石駅もあります。
そして、山陽道の備前I.C.からも近い。
バッチリですね(^^)
 
気持ちの良い晴れの中、いつものように国道2号バイパスを使って竜野まで進み、山陽道へ。
そして備前I.C.から国道2号線を少し戻り、三石駅前へ向かいます。
城へ登る前に、コンビニでおにぎりでも腹に入れとくか、なんて思いながら走っていましたが、国道2号線にも三石駅前にも、残念ながらコンビニが存在しませんでした(T T)
駅の周辺には、麓から登る登山道と、やや離れた車道の案内が出ており、城まではどちらでも迷い無く行けそうです。
今回はバイクで上るので、駅のやや東から深谷の滝方向へ向かい、滝近くの深谷公園の横を過ぎてさらに奥へ。
しばらく進むと、三石城の案内と、左折する道が出てきました。
左折すると、急坂をどんどんと上っていく道になりますが、途中からは落ち葉が盛りだくさん。
滑るか滑らないか心配しながら進んで行くと、駐車場に到着しました。
駐車場には説明板がありました。
 
 
ここから歩いて三石城を目指すわけですが、この駐車場は三石城のある山とほぼ同高ながら、峰が2つばかり離れたところにあるため、ちょっと歩かないといけません。
峰なので、アップダウンがあるのですが、途中、木々が無く日光を直に浴びる時間があるので、暑かったですね。
こうして、三石城の出丸である鶯丸に到着。
 
 
鶯丸は、主郭部から大堀切で隔てられた隣の峰で、単独の削平地ではなく、段郭を持っており、そこにも土塁や空堀の痕跡がありました。
鶯丸から下ると、主郭部と区画かる大堀切があります。
 
 
そして、大堀切は主郭部下の横堀となり、その横には土塁が延々と続いていました。
 
 
ここから主郭部へ登ると、直接本丸に出ることができます。
下は本丸最上段の中心部。
 
 
本丸には案内板がありました。
 
 
縄張図も。
 
 
本丸は3段構成です。
東の2段目から撮ると最上段との差が判りますね。
 
 
さらに3段目から。
 
 
本丸の南西には二ノ丸が続きます。
 
 
二ノ丸の先には、細長い三ノ丸と、その下段には同じく細長い馬場がありました。
 
 
馬場を戻ると、大手門の上に出ます。
大手門は石垣で造られていました。
 
 
この大手門を入ったところには、同線を遮る目隠しがあります。
ぱっと見は土塁に見えたんですが、裏側に回ると石垣で造られていました。
その先は、大堀切から続く土塁に繋がっており、横堀は堀底道としてつかわれたようですね。
また、写真では判りにくいですが、大手門に至る登城道も動線が曲げられていました。
この上は馬場や主郭部になるので、大手門を攻める時には、幾層かの郭が前方頭上に待ち構えることになります。
城の存在した時代からすると鉄砲はまだですが、矢や石礫が雨のように降ってきたでしょうね。
 
 
戦国時代末期に差し掛かろうという頃に廃城になっていますから、規模はそこまで巨大化していませんが、さすが守護代の城ですね。
きちんと整えられたという感が強い城でした。
 
つづく
 
参考:三石城
 

2023年4月8日土曜日

どうする義昭

大河ドラマ「どうする家康」が、信長の上洛の時代に差し掛かり、足利義昭が登場しました。
キャストは確認してなかったのですが、見てびっくり。
貫禄ありすぎるやろ・・・
足利義昭役は、古田新太。
この頃の足利義昭は、天文6年(1537)生まれの満31歳になる年。
対する今の古田新太は、昭和40年(1965)生まれの満58歳になる年。
ちなみに、伊川谷高校出身のご近所さんです。
そりゃ、こんな貫禄が漏れ出てる義昭に居眠りされても、何も言えませんよね。
怖いし・・・
何を考えているか分からない、鈍い眼光でスカす演技が面白い俳優さんで、今までの義昭像からはかなり離れそうな予感がします。
家康にはそれほど絡んでこないとは思いますが、今後、義昭とどんな絡みが展開されるのか、ちょっと楽しみになりました(笑)
 

2023年4月4日火曜日

サイトのリニューアル 奈良の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、奈良県の全スポットの作成が終了しました。
 
栞 ~奈良県の全スポット終了~ - Mottyの旅日記 Archive (hatenablog.com)
 
奈良県で訪れたお城は5城、観光地が2ヶ所、寺社が4ヶ所、史跡が1ヶ所、自然が1ヶ所、道路橋梁が大阪と共有の暗峠の1本で、計15スポット。
こうやって見ると、奈良県って結構行ってるように記憶しているんですが、訪れたスポットとしては思ったよりも多くないですね。
実際、2年に1回ぐらいのペースで行ってるんですが、奈良公園周辺、東大寺周辺をぶらぶらして満足してしまいがちなのか・・・
でもその割に寺社にも寄ってないんよな~
意外と近いので、いつでも寄れる感覚になってしまってるのかもしれませんね(^^;)