2021年2月4日木曜日

芥川山城

大阪のお城の話題が続きますが、先日、こんなニュースが出ていました。
 
 
一部では信長に先駆けて中央の統一を果たしたとも言われて再評価されてきている、三好長慶が居城とした芥川山城。
その城の本丸とされる御殿跡の近くで、蔵を兼ねた櫓の跡が検出されたんですね。
このほか、茶道具やすずりなども出土していて、生活の拠点が山城にあったことが推測できるとのこと。
芥川山城は、長慶が中央の実質的な支配者になる前の細川時代からの要衝で、管領であった細川晴元が度々入城しています。
ただ、この頃は麓の芥川城を居館として使っていたといわれていますね。
この時代の史料には、山上の城も麓の城も芥川城として登場するからややこしい。
ただ、今回の発見によって、三好時代には居住する為の城としても機能していたことがはっきりしたというわけです。
櫓のある場所は見晴らしの良い場所ですので、山上に御殿を建て、いくつも櫓を上げ、麓からでもその威勢を知ることができたんでしょう。
考え方としては、支配者の威容をも城の機能に付け加えた、信長の城造りと共通するものがありますな。
多聞櫓を発案し、天守の祖型ともいわれる四重櫓を築いた松永久秀も、この芥川山城で出世していますから、久秀から提案があったのか、それとも長慶の発想を久秀が発展させたのか、そこも興味を惹かれるポイントですね。
近場は行きやすいとデザートにように置いていますが、芥川山城に飯盛山城、信貴山城も早く行きたいな~
 

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