今年は関西への台風の上陸が多いですな。
今回の24号で4回目。
それ以前にも、関西への上陸はしませんでしたが、西日本各地にえげつない雨をもたらした台風7号がありました。
神戸でも各地で土砂崩れが発生していましたし、個人的にあそこまで激しい雨が続いた記憶は初めてでしたね。
上陸1発目は、まさかの東からやってきたという12号。
東からやってきたという台風は人生初の体験でした。
そして、南から上がってきた台風20号。
台風の進行右側が強風になるというのをまさに実感しましたね。
気象庁に、
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/2-1.html
のような説明がありますが、凡そ100kmまでの距離に最も風が強いポイントが存在するようです。
20号の上陸が姫路で、姫路と神戸の距離は50~60kmというところですから、神戸はかなり強い風の範囲だったわけですな。
神戸に上陸した、次の21号よりも風は強かったです。
台風で家があんなに揺れたのは初めてでしたし、神戸でも一部が高潮で水が溢れていました。
3発目が10年に1度という強力な台風だった21号。
神戸は直撃でしたが、目に入ったおかげで風による被害は20号ほどではありませんでした。
高潮が酷かったですが・・・。
ネット上に動画が溢れていますが、台風の東側になった大阪の方が、風による被害は遥かに大きかったですね。
自分は仕事で明石にいたんですが、明石でも手元の携帯で957hPaまで気圧が下がりましたから、なかなか体験できない気圧だったわけです。
そして、4発目の今回の24号。
神戸からやや離れた和歌山県への上陸ということもあって、自宅周辺の被害はほぼ無いと思いますが、今回も勢力は強かったですね。
やはり日本近海の海水温の高さが影響してるんでしょうな。
もう生まれている次の25号も、似たような経路を取りかねないですし、まだまだ注意が必要ですね。
2018年9月30日日曜日
2018年9月25日火曜日
対中関税第3弾
軋轢が続く米中の貿易紛争ですが、昨日24日の13時、アメリカによって対中関税措置第3弾が発動されました。
発表と発動でそれぞれ報道があり、ちょっとややこしくなってきたので、ちょっと時系列で整理してみます。
最初に動いたのはアメリカでした。
通商拡大法232条に基づき、関税を引き上げることが発表され、その大統領令に署名したのが今年の3月22日。
そして、翌23日に第1弾として鉄鋼に対して25%、アルミに対して10%の関税が課されました。
この根拠となる法律は、自国産業の保護と安全保障の観点から、相手国に制裁を課すことを可能とする法律です。
つまり、単なるセーフガードとはやや違うわけですな。
また、この時は中国だけが対象ではありませんでした。
この辺りは、実は本質として重要な部分かもしれません。
これに対して中国は、すぐさま報復関税を課しています。
以降、下のように応酬が続くわけですが、以降は根拠となる法律が通商法301条で、理由が知的財産権侵害に対する制裁措置となっている事には少し留意が必要でしょう。
第1弾とそれ以降では根拠とする法律や理由が違い、また、対象も第2弾以降は中国に絞られているのです。
要するに、貿易戦争と呼ぶならば、知的財産権の侵害が挙げられて以降がその本筋と言えるでしょうな。
以下、発動したものを時系列を並べてみます。
3/23 アメリカ 鉄鋼・アルミ製品に15%・10%の関税。
4/2 中国 128品目に対し15%・25%の関税。30億ドル規模。
7/6 アメリカ 半導体や航空部品など818品目に25%の関税。340億ドル規模。
中国 大豆や自動車など545品目に25%の関税。340億ドル規模。
8/23 アメリカ 電子機器や鉄道など279品目に25%の関税。160億ドル規模。
中国 鉄鋼製品や医療機器など333品目に25%の関税。160億ドル規模。
9/24 アメリカ 食品や家具など5745品目に10%の関税。2000億ドル規模。
中国 天然ガスや電化製品など5207品目に5~10%の関税。600億ドル規模。
こう見ると、アメリカに対して中国も報復で追従していますが、第3弾になって手詰まり感が見えますね。
そもそも、商売というのは、競合製品が無い場合以外は、買い手が強いもの。
中国の場合は競合する国があって、しかも圧倒的にアメリカへの輸出が多いですからね。
勝負としては大変厳しい。
それと、細かい所で、日本で報道されることはほとんど無かったんですが、日用品に制裁関税が及んだ第3弾を発動する前に、トランプ大統領は郵便公社に対して中国に対する国際郵便の撤廃を指示しています。
この割引がある間は、中国から持ち込まれた郵便に割引が適用されており、アメリカ国内の郵送費用は郵便公社持ちのようなものでした。
これが廃止になると、中国から直接送られてくる小物類は送料が劇的に上がるわけです。
なかなか、地味ながら厳しい所も衝いてきますな。
しかし、中国にとって厳しいのは、どの辺りが着地点なのか全く情報が出ていないところです。
着地点があるかどうかも分からない。
日本の報道でも、ようやく冷戦化するのではないかという報道もちらほら出てきましたね。
何より、アメリカ議会が共和党民主党ともに反中的になってきていますから、そうそう簡単に制裁は解かれそうにありません。
発表と発動でそれぞれ報道があり、ちょっとややこしくなってきたので、ちょっと時系列で整理してみます。
最初に動いたのはアメリカでした。
通商拡大法232条に基づき、関税を引き上げることが発表され、その大統領令に署名したのが今年の3月22日。
そして、翌23日に第1弾として鉄鋼に対して25%、アルミに対して10%の関税が課されました。
この根拠となる法律は、自国産業の保護と安全保障の観点から、相手国に制裁を課すことを可能とする法律です。
つまり、単なるセーフガードとはやや違うわけですな。
また、この時は中国だけが対象ではありませんでした。
この辺りは、実は本質として重要な部分かもしれません。
これに対して中国は、すぐさま報復関税を課しています。
以降、下のように応酬が続くわけですが、以降は根拠となる法律が通商法301条で、理由が知的財産権侵害に対する制裁措置となっている事には少し留意が必要でしょう。
第1弾とそれ以降では根拠とする法律や理由が違い、また、対象も第2弾以降は中国に絞られているのです。
要するに、貿易戦争と呼ぶならば、知的財産権の侵害が挙げられて以降がその本筋と言えるでしょうな。
以下、発動したものを時系列を並べてみます。
3/23 アメリカ 鉄鋼・アルミ製品に15%・10%の関税。
4/2 中国 128品目に対し15%・25%の関税。30億ドル規模。
7/6 アメリカ 半導体や航空部品など818品目に25%の関税。340億ドル規模。
中国 大豆や自動車など545品目に25%の関税。340億ドル規模。
8/23 アメリカ 電子機器や鉄道など279品目に25%の関税。160億ドル規模。
中国 鉄鋼製品や医療機器など333品目に25%の関税。160億ドル規模。
9/24 アメリカ 食品や家具など5745品目に10%の関税。2000億ドル規模。
中国 天然ガスや電化製品など5207品目に5~10%の関税。600億ドル規模。
こう見ると、アメリカに対して中国も報復で追従していますが、第3弾になって手詰まり感が見えますね。
そもそも、商売というのは、競合製品が無い場合以外は、買い手が強いもの。
中国の場合は競合する国があって、しかも圧倒的にアメリカへの輸出が多いですからね。
勝負としては大変厳しい。
それと、細かい所で、日本で報道されることはほとんど無かったんですが、日用品に制裁関税が及んだ第3弾を発動する前に、トランプ大統領は郵便公社に対して中国に対する国際郵便の撤廃を指示しています。
この割引がある間は、中国から持ち込まれた郵便に割引が適用されており、アメリカ国内の郵送費用は郵便公社持ちのようなものでした。
これが廃止になると、中国から直接送られてくる小物類は送料が劇的に上がるわけです。
なかなか、地味ながら厳しい所も衝いてきますな。
しかし、中国にとって厳しいのは、どの辺りが着地点なのか全く情報が出ていないところです。
着地点があるかどうかも分からない。
日本の報道でも、ようやく冷戦化するのではないかという報道もちらほら出てきましたね。
何より、アメリカ議会が共和党民主党ともに反中的になってきていますから、そうそう簡単に制裁は解かれそうにありません。
トランプ大統領がどこまでやるのか。
気になる所です。2018年9月18日火曜日
尼崎城出現
尼崎城の模擬復元に関しては、以前に触れましたが、工事が進み、いよいよ姿を現してきたようです。
「尼崎城」姿現わす 来春一般公開http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/180913/lif18091320180038-n1.html
それらしい姿になってきましたね。
前にも書きましたが、阪神間では、尼崎は工業都市として知られていて、工業地域らしい「荒い」イメージがあるのですが、そのイメージが強すぎるのか、城下町だったというのはあまり知られていません。
古くを辿れば、前身として大物城があり、大物崩れという歴史的な事件が起こった場所でもあります。
つまり、大坂なんかよりも早くから港湾都市として発展していた先進地域なんですが、イメージなんてものはほんの数十年で変わってしまいますからね。
その尼崎も、工場の田舎への移転で、工場用地が住宅地や商業地域に変わっており、以前のようなイメージは無くなりつつあります。
そんな中でのこの尼崎城の模擬復元ですから、さらにイメージが変わることでしょう。
ま、本当の跡地には小学校があるので、あくまで模擬の外観復元なんですがね(^^;)
それでも今の尼崎の城址公園は城壁があるだけですからね。
全然違う。
2010年の時は下の状態でしたから。
さすがに城跡としては寂しい。
これに、外観復元でも、高さ24mという天守がくっつけば大違いです。
公開は来年3月ということなんで、楽しみですね(^^)
「尼崎城」姿現わす 来春一般公開http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/180913/lif18091320180038-n1.html
それらしい姿になってきましたね。
前にも書きましたが、阪神間では、尼崎は工業都市として知られていて、工業地域らしい「荒い」イメージがあるのですが、そのイメージが強すぎるのか、城下町だったというのはあまり知られていません。
古くを辿れば、前身として大物城があり、大物崩れという歴史的な事件が起こった場所でもあります。
つまり、大坂なんかよりも早くから港湾都市として発展していた先進地域なんですが、イメージなんてものはほんの数十年で変わってしまいますからね。
その尼崎も、工場の田舎への移転で、工場用地が住宅地や商業地域に変わっており、以前のようなイメージは無くなりつつあります。
そんな中でのこの尼崎城の模擬復元ですから、さらにイメージが変わることでしょう。
ま、本当の跡地には小学校があるので、あくまで模擬の外観復元なんですがね(^^;)
それでも今の尼崎の城址公園は城壁があるだけですからね。
全然違う。
2010年の時は下の状態でしたから。
さすがに城跡としては寂しい。
これに、外観復元でも、高さ24mという天守がくっつけば大違いです。
公開は来年3月ということなんで、楽しみですね(^^)
2018年9月11日火曜日
米中の貿易戦争の本質
久々に政経ネタで。
個人的に、朝鮮半島情勢の情報源として重宝しているシリーズ記事があります。
日経ビジネスオンラインの鈴置高史記者の記事で、普通のメディアには載ってこない深い情報があり、検証してみても確度が高いので、なかなか良い記事ですね。
すぐに導入部しか読めなくなるので、うっかり逃してしまう事があるのが痛いですが(^^;)
早読み 深読み 朝鮮半島
https://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120120/226331/
このシリーズ記事として、前日の9/10に新しい記事がアップされましたが、珍しく中国に対する記事でした。
朝鮮半島情勢に関して、中国はアメリカと並ぶ重要なプレーヤーですので、このシリーズ記事でもよく登場していますが、特に中国に焦点を当てた記事と言うのは珍しいですね。
記事の内容を端的にまとめると、題名にもあるように、「アメリカは中国をいたぶり続ける」です。
米中の貿易戦争の本質が、中国の対米黒字削減ではなく、中国による基軸通貨のドルに対する挑戦、つまり国同士の覇権争いであるならば、冷戦当時にアメリカがロシアに対してそうであったように、アメリカは中国に対してなんだかんだと理由を挙げて貿易についての条約や協定を妥結しないのかもしれません。
どこに焦点を持ってくるかの話ではありますが、記事通り覇権争いであるならば、手加減もしなければ譲る要素もありませんから、至極当たり前の話ですな。
利を得られるなら臨機応変にビジネスマン的な動きをするトランプ大統領よりも、共和党民主党の垣根無く中国に対して強硬な姿勢を保っている議会の方が、そのような覇権に対して敏感なのかもしれません。
そもそも、中国が改革開放路線で経済成長を甘受できたのは、WTOの加盟にあります。
WTOへの加盟、つまりは西側諸国と同じルールでやっていく、という前提のもとに、自由貿易ルールに乗ることができ、貿易量が飛躍的に増え、世界の工場と呼ばれるまでに製造業が発達したわけですね。
ところが、成長してみると、保留されている国内の特異的な経済ルールはそのままで、果実だけを貪る状況となっています。
これでは、アメリカが怒るのも無理はありません。
ただ、その怒りが、不均衡貿易に留まるのか、怒りの顔をしつつもしたたかに覇権争い策を練っているのか、アメリカが、トランプ大統領が、中国とどのような交渉を続けるかによって見えてくるんでしょう。
また、両国関係には、中国に対する携帯関連機器の締め出しを盛り込んだ国防権限法を可決させている議会も、重要な1要素になるはずです。
どのような展開になるのか、それが日本にどのように影響してくるのか、気になる所ですね。
個人的に、朝鮮半島情勢の情報源として重宝しているシリーズ記事があります。
日経ビジネスオンラインの鈴置高史記者の記事で、普通のメディアには載ってこない深い情報があり、検証してみても確度が高いので、なかなか良い記事ですね。
すぐに導入部しか読めなくなるので、うっかり逃してしまう事があるのが痛いですが(^^;)
早読み 深読み 朝鮮半島
https://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120120/226331/
このシリーズ記事として、前日の9/10に新しい記事がアップされましたが、珍しく中国に対する記事でした。
朝鮮半島情勢に関して、中国はアメリカと並ぶ重要なプレーヤーですので、このシリーズ記事でもよく登場していますが、特に中国に焦点を当てた記事と言うのは珍しいですね。
記事の内容を端的にまとめると、題名にもあるように、「アメリカは中国をいたぶり続ける」です。
米中の貿易戦争の本質が、中国の対米黒字削減ではなく、中国による基軸通貨のドルに対する挑戦、つまり国同士の覇権争いであるならば、冷戦当時にアメリカがロシアに対してそうであったように、アメリカは中国に対してなんだかんだと理由を挙げて貿易についての条約や協定を妥結しないのかもしれません。
どこに焦点を持ってくるかの話ではありますが、記事通り覇権争いであるならば、手加減もしなければ譲る要素もありませんから、至極当たり前の話ですな。
利を得られるなら臨機応変にビジネスマン的な動きをするトランプ大統領よりも、共和党民主党の垣根無く中国に対して強硬な姿勢を保っている議会の方が、そのような覇権に対して敏感なのかもしれません。
そもそも、中国が改革開放路線で経済成長を甘受できたのは、WTOの加盟にあります。
WTOへの加盟、つまりは西側諸国と同じルールでやっていく、という前提のもとに、自由貿易ルールに乗ることができ、貿易量が飛躍的に増え、世界の工場と呼ばれるまでに製造業が発達したわけですね。
ところが、成長してみると、保留されている国内の特異的な経済ルールはそのままで、果実だけを貪る状況となっています。
これでは、アメリカが怒るのも無理はありません。
ただ、その怒りが、不均衡貿易に留まるのか、怒りの顔をしつつもしたたかに覇権争い策を練っているのか、アメリカが、トランプ大統領が、中国とどのような交渉を続けるかによって見えてくるんでしょう。
また、両国関係には、中国に対する携帯関連機器の締め出しを盛り込んだ国防権限法を可決させている議会も、重要な1要素になるはずです。
どのような展開になるのか、それが日本にどのように影響してくるのか、気になる所ですね。
2018年9月6日木曜日
飛騨富山ツーリング その18
前回のあらすじ
高岡城は相も変わらず市民の憩いの場ですな。
高岡城を後にし、次に向かうは津幡城。
高岡城は相も変わらず市民の憩いの場ですな。
高岡城を後にし、次に向かうは津幡城。
今回のツーリングの最後の目的地ですが、ここも、遥かなる昔に訪れ、城跡が小学校だったので散策を諦めた城です。
魚津城、舟見城、松倉城、津幡城。
この辺りはいつか再訪したいと願っていた城ですから、今回は随分と満足度が高い旅になりましたね。
さて、その津幡への道程ですが、国道8号線を真っすぐ行き、石川県に入ればもう津幡。
うむ、簡単じゃ。
早速、高岡城から市電沿いの道を北東へ走り、バイパス化されている国道8号線へ。
後は快適な道をひたすら直進です。
木曽義仲で有名な倶利伽羅峠の下を通る倶利伽羅トンネルを抜ければ、もう石川県ですね。
この倶利伽羅峠周辺は、源平の頃も、承久の変の頃も、南北朝時代も、戦国時代も、よく戦場になった場所で、城跡がいっぱいあります。
いつか、峠を中心にじっくりと時間を掛けて巡ってみたいものですな。
そうこうしている内に、長い長い下り坂を過ぎて津幡市街に差し掛かりました。
地図を見ると、津幡城のある津幡小学校の場所まで行くには、線路沿いの道が近く、船橋JCTでバイパスを降りてその道へ行こうとしたその時、津幡市街へ行くはずの方向に通行止めの文字が。
ど、どないすんねん!
初めて通る道なので迂回路も分からないし、地図を見る時間もありませんでした。
取りあえず、通行止めでは進みようがないので、行ける方向に進んでみると、
バイパスへリターン。
何の為に下調べしたのか・・・
振り出しに戻っとるやないかい。
とは言っても慌てている暇も無く、早速現れた降り口で降りて、現在地を確認しました。
どこまで連れて行かれるのかと一瞬焦りましたが、幸い、バイパスには降り口が多く、本津幡駅を目指して進み、予定通り線路沿いの道へ。
津幡城と津幡小学校は、この本津幡駅のすぐ近くです。
15年以上前に津幡で泊まり、朝一で津幡城へ向かった時もこの道を使いました。
懐かしいな~なんてキョロキョロしながら走っていると、うっかり津幡城への入口を過ぎてしまったので、次の信号を右折して津幡小学校の向こうへ回り、狭い路地を経由して津幡城跡へ到着。
前に来た時は、津幡小学校の一角になっていたと思うんですが、今は城跡が分離され、歴史館が新たに建てられていました。
しかも建てられたのは最近のようで、ピカピカの歴史館ですな。
その歴史館は後に取っておくとして、まずは城跡を散策して行きます。
城跡として残っているのは、台地の南東の一角で、後は学校の敷地として遺構は残っていません。
さみしいですが、この櫓台跡らしき部分だけです。
写真左側に説明板も見えますな。
下は櫓台の最後部付近。
最高部はこの先で、標高は16mとのこと。
その最高部から、津幡市街の風景。
写真で解るように、旧市街に対してむっくり盛り上がった小丘陵で、見通しが利きます。
防衛的には、北側の山塊の標高が高いので、上から丸見えになるんですが、能登、加賀、越中の街道筋の監視としては打って付けですね。
津幡城跡には、城跡だけではなく、他の史跡もありました。
地図を見ると、津幡城のある津幡小学校の場所まで行くには、線路沿いの道が近く、船橋JCTでバイパスを降りてその道へ行こうとしたその時、津幡市街へ行くはずの方向に通行止めの文字が。
ど、どないすんねん!
初めて通る道なので迂回路も分からないし、地図を見る時間もありませんでした。
取りあえず、通行止めでは進みようがないので、行ける方向に進んでみると、
バイパスへリターン。
何の為に下調べしたのか・・・
振り出しに戻っとるやないかい。
とは言っても慌てている暇も無く、早速現れた降り口で降りて、現在地を確認しました。
どこまで連れて行かれるのかと一瞬焦りましたが、幸い、バイパスには降り口が多く、本津幡駅を目指して進み、予定通り線路沿いの道へ。
津幡城と津幡小学校は、この本津幡駅のすぐ近くです。
15年以上前に津幡で泊まり、朝一で津幡城へ向かった時もこの道を使いました。
懐かしいな~なんてキョロキョロしながら走っていると、うっかり津幡城への入口を過ぎてしまったので、次の信号を右折して津幡小学校の向こうへ回り、狭い路地を経由して津幡城跡へ到着。
前に来た時は、津幡小学校の一角になっていたと思うんですが、今は城跡が分離され、歴史館が新たに建てられていました。
しかも建てられたのは最近のようで、ピカピカの歴史館ですな。
その歴史館は後に取っておくとして、まずは城跡を散策して行きます。
城跡として残っているのは、台地の南東の一角で、後は学校の敷地として遺構は残っていません。
さみしいですが、この櫓台跡らしき部分だけです。
写真左側に説明板も見えますな。
下は櫓台の最後部付近。
最高部はこの先で、標高は16mとのこと。
その最高部から、津幡市街の風景。
写真で解るように、旧市街に対してむっくり盛り上がった小丘陵で、見通しが利きます。
防衛的には、北側の山塊の標高が高いので、上から丸見えになるんですが、能登、加賀、越中の街道筋の監視としては打って付けですね。
津幡城跡には、城跡だけではなく、他の史跡もありました。
為広塚です。
この塚は、上冷泉家の冷泉為広の墓で、為広は京の戦火を避けて能登畠山氏の義総を頼り、七尾城下に居住しました。
義総と言えば、能登畠山氏の全盛期を現出した武将で、教養も深い人物として知られています。
当時は、勢いのある地方の有力大名を頼る、為広のような公家が多かったんですね。
それらの公家たちが文化の伝播役を担い、能登畠山氏の七尾城を始め、大内氏の山口や朝倉氏の一乗谷などに文化が定着し、小京都と呼ばれました。
しかし、義総を頼った為広の墓が、何故加賀の津幡にあるのか?
その疑問に対する答えは、説明板には書かれていませんでした。
当時の加賀と言えば、百姓の持ちたる国。
義総は一向一揆と対立したりしましたから、街道沿いに津幡まで勢力圏に収めるということは考えられますが、そんな最前線に客人扱いの公家の屋敷を置くとは考えにくいですね。
冷泉家所縁の土地でもあったのでしょうか。
気になる所です。
さて、一通り散策したところで、真新しい歴史館へ。
正式名称は、津幡ふるさと歴史館、愛称は「れきしる」です。
歴史を知るで、れきしる。
なかなか面白いネーミングですね。
個人的には、非常に気に入りました(^^)
展示内容は、津幡に関する歴史を年代を追って説明するというもので、地元志向の歴史館らしいオーソドックスな展示ですが、新しいだけあって視覚を通して解り易く展示してあり、なかなか良かったですね。
あと、安田城跡資料館ほどではないですが、津幡や倶利伽羅峠近辺の城の展示が詳しくされていて、とても有り難かったです。
下は、津幡城の縄張図。
いや~満足ですわ(^^)
歴史館を出て、津幡小学校を眺めてみると、城の縄張が想像できますな。
これで全行程終了。
さあ、帰投しますか!
帰りは、先ほどの国道8号線バイパスから北陸道を経由してひたすら南下していきます。
徳光P.A.でお土産を買っていたら、レジのおばちゃんが、今日はやたらバイクの人が多いと言っていました。
昨日のSSTRで千里浜にゴールし、そのまま泊まって今日帰る人が多いんでしょうな。
P.A.を出る際も、出て行くバイクに向かって手を振っている2人乗りのライダーがいました。
がっつり手を挙げて挨拶して出ましたけど、
俺、SSTRと関係ないねん(笑)
イベント参加者の一体感にタダ乗りしました。
これぞ、正真正銘のフリーライダーや!
そんな話は置くとして、徳光P.A.出た後は、ノンストップで南下して行きます。
そして、敦賀からは、ようやく全通した舞鶴若狭道へ。
途中、超スロー地元作業車に捕まりましたが、後は名神高速と違ってスイスイですな。
帰りにお気に入りの大沢温泉にも寄り易いし、これから北陸方面へ行く時は、舞鶴若狭道を使う事にしよう。
1日目:125.0km
2日目:319.0km
3日目:180.8km
4日目:534.9km 合計:1159.7km
参考:
津幡城
津幡ふるさと歴史館
大沢温泉
地図付きはこちらから
石川県
兵庫県
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