なんということだ!
昨年の10月も似たような状況で、毎年毎年泊りのツーリングに出かけているというのに、連休が取れませんでした。
おのれ・・・
そんなこんなで10月の某日、怒りの日帰りツーリングへ行くことを決意しました。
ところで、世間にはSSTRというものが存在します。
http://www.sstr.jp.net/
にホームページもありまして、毎年、結構な人が参加してるようですね。
ルールは、日の出後に適当な海を出発して、いくつかのチェックポイントを回り、日本海側の石川県千里浜に日没までに到着するというものです。
行き先はどこがいいのか?と考えた時、勝手にSSTRすればよくね?という考えが浮かびまして、マイルールの日帰り版SSTRをすることにしました。
正規版とちょっとルールを変え、千里浜にこだわらず、日の出にある海岸を出発し、日の入りまでに反対側の海岸に至る、ということで。
石川まで行ったら日帰りできひんしね(^^;)
スタートに選んだのは、明石海峡大橋。
橋は南北方向に掛かっているので、日の出と橋を同時に収めることはできませんでしたが、良い天気で綺麗な日の出です。
さあ、ここから北へ・・・向かわずに西へ!
通勤ラッシュの時間に入ってくるので、早々に第二神明、加古川バイパス、姫路バイパス、竜野太子バイパスと突き抜けて行きます。
まだ7時にならないこの時間でも、さすがに交通量が多くてバイクにはややこしい。
取りあえずバイパス終点の竜野まで一直線に行ってから、ようやくコンビニで朝ごはんの休憩。
腹も満たされたところで、改めて出発といきましょうかね。
ここからは、南へ南へ目ぼしい市道や県道を縫って海まで突き抜け、楽しい七曲りという海沿いの道を辿って行きます。
昔、この国道250号線を延々と走って、よく岡山の友人宅へ行きました。
あの頃は腰も背筋もまだまだ強靭で、無尽蔵に走れたなぁ
学生で収入も少なかったから、高速?なにそれ?状態だっただけに、下道をひたすら走り続けていました。
懐かしい道です。
この道は、七曲りの名の通り、海岸沿いにウネウネとコーナーが続く道で、ライダーには人気ですが、時間を選ばないと、田舎のおじいちゃんのやたらと安全運転な軽自動車に捕まるという道でもありますね。
今回は、そういう車もなく、すこぶる快調に走れ、気持ち良かった(^^)
その相生へと抜ける七曲りの中ほど、道から海側に小さな港町があります。
この小さな港町は室や室津と呼ばれ、中世では瀬戸内の物流拠点でした。
中世の物流拠点につきものと言えば?
そう、やはり城。
ここに室山城や室津城と呼ばれる城がありました。
ここが本日の第一目標です。
国道から港町へと入り、雰囲気のある細い路地のような港の道を抜け、小学校の前を過ぎ、大きく曲がりながら丘陵地へと入って行くと、ようやく室津城のすぐ下に出ます。
帰りに判ったんですが、港へ入らず、国道から丘陵東側の道へ入るとすぐ城だったんですけどね(^^;)
この城は、源平の合戦の頃に築かれたという伝承を持つほど古い城で、室町時代の最初期にも重要拠点として登場し、後には播磨の守護だった赤松氏の外港だった室津を押さえる城として機能したはずですが、その頃の城についてはあまり詳しくは判っていません。
戦国時代には、赤松氏の守護代から台頭し、播磨から備前にかけて大いに栄えた浦上氏の拠点となりました。
ただ、本拠地と言うとやや複雑で、もともとの浦上氏の本拠は、播磨と備前に睨みを利かせられる三石城だったのですが、政宗が当主の時、天文7年(1538)から翌年にかけての尼子氏の侵攻に敗れて落ち延びざるを得なくなってしまい、播磨に復帰してからこの城を本拠としたようです。
しかも、後に正宗と方針を異にした弟宗景が備前部分を奪って独立してしまい、本拠と言っても播磨の西端を領する領主の本拠に過ぎなくなってしまいました。
更には、政宗は後に竜野城主赤松政秀への対抗上、小寺家臣だった黒田職高の娘を嫡子清宗の室として迎え、誼を結びますが、その婚礼の日に、父子共々政秀に襲撃されて滅んでしまうという悲劇的な結末を迎えるのです。
なので、堂々としたイメージのある本拠という言葉を使うには、ちょっと寂しい城なんですよね。
この室山城は、港の東側の丘陵部を城郭化した城で、現在は、その頂上部付近に小さな城址碑があります。
江戸時代は番所になっていたので、番所跡の碑も兼ねていました。
ここからすぐの所が頂上部。
本丸跡です。
凄く茫漠としてました。
もう耕されなくなった畑なんでしょうか。
すぐ海側は民家で、海の景色が良いとは言えませんが、往時は海を監視するにはもってこいの場所だったのが容易に想像できます。
ここから北側には、その名もズバリ二の丸公園という公園もありました。
二の丸公園の南側は、やや段があり、上の写真はそこから撮ったものです。
この段の上と似たような高さで、集合住宅か養護ホームのような大きな建物があったので、実質的な二ノ丸は、この段の上の平坦な場所と大きな建物までの一帯だったのかもしれませんね。
この場所から先ほどの最高部までは100m足らずといった距離感でしょうか。
丘陵上すべてが城だったわけですから、城跡として残る部分から考えると、はるかに大きな城だったようです。
悲劇的な話を思い浮かべつつ、公園で一息ついて海を眺めると、雲一つ無い日で、景色がとても綺麗でした。
遺構は少ないながら、寂があって落ち着く良い城跡ですな。
つづく
参考:
室山城
地図付きはこちら