2016年6月20日月曜日

真田丸での北条氏政

今年の大河ドラマの真田丸は、毎週欠かさず見てますな。
去年は維新が来る前に断念しましたが(^^;)
 
で、昨日の真田丸ですが、北条氏が降伏して小田原の役が終結するところでした。
小田原の役の終結後、氏政が自刃するわけですが、そこに焦点を当てた回でしたね。
真田丸での氏政はと言うと、初期はカットインのような形での登場が多く、必ず湯漬けを食べているという武将でした。
これは、汁掛け飯の逸話のオマージュですな。
氏政は汁掛け飯が好きだったが、いつも食べてるのに適量が分からず2度掛けしているのを見た父氏康が嘆いたという話。
しかしながら、これは後世の創作で、毛利家の元就と輝元の間にも同様の逸話がありますね。
愚将のひとつの雛形といったところでしょうか。
これとは逆に、戦の講話の際に息子が用を足すために中座したのを咎め、この場で漏らしてしまうことよりも戦の講話の話が大事だと諭した逸話のパターンがあります。
これは竹中半兵衛と伊達政宗の話として伝わっており、戦上手な武将に関する逸話の雛形と言えますね。
ま、それはともかく、毎回毎回見る度に湯漬けを食べてるわけですわ。
どんだけ湯漬け好きやねん!
と、毎回画面に突っ込んでおりましたが、最後の回は、戦国武将としての覚悟というか、矜持というか、意地というか、そんなものが見えた回でしたね。
主役たる真田家と北条家は、上野を巡る和戦で密接に関わるわけですが、北条家の主たる武将として出てくるのは、氏政と氏直と江雪斎の3人だけ。
ちょっと寂しいななんて思ってましたが、意外と時間を割いての滅亡のくだりだったので、氏政については印象深くなりました。
最後はやっぱり湯漬けやったけども!


氏政については、北条家滅亡時の実質的な当主ということで評価が低くなりがちですが、北条家の最大版図は氏政の頃ですし、親族や領内もよく治まっていて、君主としては有能だったと思われます。
この辺り、劇中では家康が肩入れすることによって代弁されてますね。
ただ敗れ去る無能な君主という演出ではなかった。
軍師官兵衛の荒木村重の描き方に通じるものがありますな。
氏政の嫡子で当主だった氏直はというと、この小田原の役の後、高野山へ入りますが、翌年には赦免され、1万石の大名として復活しています。
しかし、その直後に病死してしまいました。
後の狭山藩は北条氏の藩ですが、こちらは氏直の叔父氏規の家系です。
もし、氏直が生きていれば、家康の娘督姫の婿ですし、督姫の再婚相手の池田輝政は後に西国将軍とまで呼ばれたことを考えると、江戸時代には相応に栄達したでしょう。
となれば、氏政の評価もこれほど低くはなかったように思うんですが、それはあくまで「もし」の話。
滅んだ家というのは、なかなか手厳しく評価されてしまいますね。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿