なぜ姫路かと言うと、タイヤの慣らしは大体100km程度が必要といわれますが、自宅から姫路を往復するとそれぐらいになるのと、姫路モノレールの解体工事が本格化するという記事を見たからなんですね。
で、姫路モノレールとはなんぞや。
昭和41年に開催された姫路大博覧会に合わせて開業したモノレールで、姫路駅とメインの会場であった手柄山を結んでいました。
しかし、わずか8年で休止し、そのまま廃止となってしまいます。
運航距離が2km足らずという短さと、手柄山の駅が山上にあって用がある人以外には不便ということ、隣の山陽電車の数倍の運賃、というのがネックだったようですね。
姫路モノレールが動いていた時期はさすがに生まれ落ちていないので知りませんが、親や親戚の世代では実際に乗ったという話も聞きました。
個人的には、働き始めてから姫路に行った際に、あのレールみたいなやつはなんやねん!ということで目にする度に気になっていましたね。
この辺り、元鉄っちゃんの血でしょうか。
ま、この興味は、姫路のウォーキングイベントに参加できた時に、路線に近いルートで歩けたお陰でかなり解消したんですが、今回は短命な姫路モノレールの中でも更に短命な大将軍駅というビルが解体されるということで、いい記念にしようと思ったわけです。
大将軍駅。
正確には旧字で大將軍駅と書くらしく、
名前からして異常にカッコいい!
更に、10階建てビルの3・4階が駅で、モノレールがビルをブチ抜いているという、文字通り突き抜けた駅。
これはもう阪神高速が同じくビルをブチ抜いているゲートタワービルに匹敵するほど近未来感が抜群ですわ。
あくまで昭和40年当時の近未来ですがね・・・
目的地を姫路に定めたのはいいのですが、モノレールの跡地は姫路のど真ん中ということで、行く時間を考えないといけない。
というわけで、早朝に襲撃することにしました。
出発したのは朝6時前だったんですが、この時間でも第二神明や加古川バイパス、姫路バイパスはもうたくさんの車が走ってました。
時間が時間なんで、8割ぐらいがトラックでしたが。
姫路南I.C.で姫路バイパスを出て北へ向かい、市役所を過ぎて西方向へ左折。
適当に当てずっぽうで山陽本線をくぐって北に向かえば、船場川という小さな川に沿っている橋脚が見えてきます。
これが姫路モノレールの跡。
この区間はレールも残ってますね。
この反対側は、モノレールが新幹線や山陽本線と交差する部分ですが、今は地上を通っていた山陽本線が高架化されたので、新幹線を含めて三重の高架になっています。
もう少しレールが残ってたら凄い画になってたんでしょうが、それはそれで危なそう(^^;)
ここからすぐ北に、お目当ての高尾アパートがあります。
表面上はまだまだ綺麗なビルなんですよね。
きれいな顔してるだろ?ウソみたいだろ? 死んでるんだぜ?それで・・・
というタッチの名セリフを連想しました。
このビルの更に凄い所は、駅がフロアぶち抜きという強引さの上に、カーブに沿ってやや湾曲しているところ。
どんだけアクロバティックやねん!
しかし、そんな名アクロバティックビルヂングも、今年の9月で解体されるそうです。
もう建築物としては最期の時なんですね。
近代建築遺産として残したいぐらいですな。
この高尾アパートから少し姫路駅方向に歩くと、かつての高架下があります。
でも、上のレールが撤去されている為、橋脚のみが建物を突き破って建ってるような状態で、こちらもかなり珍奇な姿。
ちょっと写真では見にくいかな?
なかなか昭和な一角でした。
帰りは、姫路からやや内陸を回って稲美野を東へ。
田植えも終わって美田が感じられる季節になりましたな。
交換からほぼ100km走ったコンビニでタイヤの状態を確認。
タイヤの回転方向を示す矢印のところにプツプツっとしたものがありますが、これがミシュランマン。
柔らかく走りましたが、以外と剥けてるもんで、そこまで皮剥き完了です。
やっぱりロードに振ってるだけあって、anakee3は倒し易いですな。
前のトレイルウイングは、もっと倒し込む感じじゃないと端まで使えませんでしたし。
この後、自宅まで普通に走ったら、ミシュランマンのところまで剥けてました。
ミシュランマンの皮を剥いたら、ガリガリのミシュランマンが出てきたりして・・・
想像したらちょっと嫌だ。
参考:
姫路モノレール跡
地図付きはこちら