松尾城は巨大な城ですわ。
門川城では種を収穫!
門川城は、伊東家中では他の城とまとめて三城と呼ばれていたそうですが、他の2城は塩見城と日知屋城です。
この2城は塩見川の流れの周辺にあり、川筋や街道筋、細島の海運を押さえる城だったのでしょう。
三城の位置は、1辺が大体5km前後とする三角形の関係で、連携するにはちょうど良い距離です。
五十鈴川、塩見川、細島と、水運で人間や物資のやり取りも簡単ですし。
康正3年(1457)までは門川、日向の辺りは財部土持氏の領地で、伊東家の領地となるのは、その年の小浪川の合戦で財部土持氏が伊東氏に降伏してからです。
この戦いで、三城を含む北日向の大きな部分が伊東領となり、北辺にあたる三城は、伊東氏にとって県土持氏に対する最前線となりました。
門川城の次に向かったのは、三城が形作る三角形の西南の頂点にあたる塩見城ですが、この城は財部土持氏も本拠とした事があり、九州征伐の直前には後詰として島津義久も滞在したということで、三城の中では最も中心的な城だったと思われます。
城跡へは、国道10号線から国道327号線に入り、塩見川沿いを北上していくと城山墓薗の案内が見えますが、それに従って墓薗に向かって坂道を上り、駐車場を過ぎてそのまま真っ直ぐ行くと、城への道があります。
この城への道は舗装されており、車やバイクで乗り入れる事も可能ですが、城の部分の駐車スペースが少ない為、注意が必要かもしれません。
自分は、道が急だったので、急坂でのUターンに追い込まれる立ちゴケトラップの危険性を考えて徒歩で登りましたが、徒歩でも5分掛からない程度の道のりでした。
城跡は綺麗に公園として整備されており、散策は非常に楽です。
城は、全体的には中世的な性格が濃いですね。
あまり大掛かりな防御構造というのも無さそう。
頂上部を本丸とし、東側と南西側に次段と言うべき郭がありますが、他は段郭程度でしょうか。
下は本丸の中心部分。
この向こう側はやたら細長く、東から北へと武者走りのような細さの部分もありながら続いています。
次に本丸南西側の段。
東屋が建てられています。
お弁当を食べるのにちょうど良さそう(^^)
本丸の中心部分かと思われる場所には、慰霊碑が建っていました。
碑文によると、耳川の合戦において高城川で討死した旧塩見城主綾恒長の弟義政と塩見城主右松祐春、及び戦後に島津軍の掃討に抗して討死した一門郎党を慰霊する碑のようですね。
建立は細川義則氏で、細川氏の22代とあります。
碑文に登場する綾氏は、細川氏のどの系統かはわかりませんが、南北朝時代に綾に入部した細川義門から始まっていますから、現在は細川に姓を戻しておられるんでしょうね。
各城、攻防があった場所には、それぞれこのような物語があるわけです。
そういう細かな歴史を知ることができるのも、城巡りの楽しみのひとつですな。
塩見城の次は、そのまま塩見川沿いを下って直進し、曽根町付近で右折してズドーンと伊勢ヶ浜海浜公園まで突き抜けます。
この海浜公園一帯が日知屋城。
この城は、伊東家にとっては不思議と転機になる城だったようです。
文明16年(1484)に飫肥を巡る島津家の内紛に介入する形で、伊東家と島津家の約100年に渡る争奪戦が始まるわけですが、翌年の再出陣の際に祐堯が病没し、家督を継いだ祐国もしばらく後に飫肥での乱戦の中、討死してしまいました。
父の討死によって若年ながら祐国の嫡子尹祐が継ぐわけですが、祐国の弟で当主の叔父にあたる祐邑は、危急の時と土持氏への対抗としてこの城に入城します。
しかし、これが尹祐に猜疑心を起こさせたようで、文明18年(1486)に謀殺されてしまいました。
本当に家督を狙う気持ちがあったのか、祐邑の真意は分かりませんが、祐邑は祐国と共に父の下、伊東家の勢力拡大に貢献していましたから、戦国の宿命とは言え、名のある親族というのは難しいものですね。
城は、この後、尹祐の子祐充が早世した後にも歴史の舞台となります。
祐充の早世により、家中に混乱が広がる中、尹祐の弟祐武が家督を実力で継ごうと家中を一時掌握した際、祐充の弟である祐清と祐吉は難を逃れてこの城に入り、他国への落去を図りました。
この時、この城に集結したのが反祐武派。
反祐武派の重臣が兄弟を説得し、兄弟を大将として担ぎ上げ、ここから反攻に転じました。
そして、兄弟は祐武の討伐に成功し、祐吉がまず家督を継ぎましたが、その早世によって祐清が改めて伊東家を率いることになります。
この祐清が、伊東家の全盛期を現出させた義祐なんですから、運命と言うのは本当に紙一重ですよね。
日知屋城自体は、現在は公園化されており、各所各所に説明板があって、非常に快適に散策できます。
駐車場には、まず全体図が設置してありました。
その脇に城址碑。
この駐車場から、全体図を頼りに城を散策して行きます。
遊歩道を進むと、石垣などが豊富に見えますね。
古さは往時のものっぽい。
堀切もありました。
石の散乱具合から見ると、往時はここにも石垣があったのかもしれません。
ここから少し登ると、西ノ郭です。
ここの先には鵜戸神社がありました。
西ノ郭から階段を登ると、虎口の木戸のある削平地。
虎口しか書いておらず、本当の郭の名前は不明。
虎口を抜けると、舟付ノ郭と思われる削平地。
ただ、全体図からはちょっと位置が不明確で、もしかするとこの下が本当の舟付ノ郭かもしれません。
海城なので、船溜はあって当然ですな。
伊勢ヶ浜周辺は丘陵が張り出した風除けもあり、船を置くには絶好の場所です。
この向こうには、東ノ郭。
ここと本丸は、石垣も残っており、郭らしい郭でした。
ここからぐるりと海沿いを回って本丸と最高部。
最高部は平たくなっており、往時には櫓の類があったのかもしれません。
最後に海の景色。
城に興味が無くても、波の音に包まれる中、荒々しい景色が見え、散策や軽い運動には良い場所ですな。
そして、城好きには2度美味しい。
早朝から4城完走で、凄い達成感ですわ(^^)
つづく
塩見城
日知屋城
地図付きはこちら
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