2016年4月15日金曜日

東九州縦走 その5

前回のあらすじ
 
飫肥で祭りに遭遇!
白浜の奇勝や良し。
 
紫波洲崎城を出て向かったのは、すぐ北の青島。
向かったと言っても、青島まで1kmほどしかないんで、大袈裟なんですけども(笑)
青島の辺りは観光地化されていて、どことは無しに天橋立に雰囲気が似ています。
あと、現地に来て初めて知ったんですが、ジャイアンツの日南キャンプの宿泊地は青島だったんですね。
知りませんでしたわ。
ということは、すぐ北の運動公園が会場なのか。
地図で見ると、立派な球場が2つもあるし、さすがにキャンプ地として環境が整っていますね。
というか、軟式球場と合わせて4つの球場、3つの陸上競技場、屋外屋内プール、武道館に自転車競技場まで、ちょっと半端ない規模ですわ。
この青島付近から見ても、なんか近未来都市というか遊園地というか、そんな林立感がありますな。
ま、今回はそこには行かないので、おとなしく青島の散策へ。
青島というのは、宮崎層群の内の青島層という地層が海底から隆起し、波で削られた後、更に少し隆起して、その海上に出た部分に堆積物が集まってできた島です。
青島層は、海底にあった頃に砂と泥が交互に堆積して固まった砂岩泥岩互層という地層が主で、もともと砂だった層と泥だった層で侵食の耐性に差があり、それが鬼の洗濯板と呼ばれる凸凹の岩を作りました。
波で削られた波蝕岸が隆起し、台状になると波蝕台と呼ばれるそうですが、遠くから青島を見ると、なんとなくお供え台に載せられた和菓子が連想されますね。
薄暗い色の岩がお供え台で、明るい砂浜が和紙、森が抹茶の菓子のよう。
まさにお供え物。
巨大な海神への捧げ物といった感じでしょうか。
そんなのもあってか(いや、無いやろ)、江戸時代までの青島は禁足地で、神聖なる場所でした。
なにか尋常ならざる自然物を畏怖して祀るという、神道の原風景がそこにありますね。
そんなことを思いながら、歩いて青島に上陸してみると、鬼の洗濯板の実際が見えてきます。
 
 
写真と見ると分かるように、当たり前なんですが非常に荒々しい岩場で、遠くから見た時の整然としたイメージとは打って変わり、地層としてのリアルがそこにありました。
砂岩泥岩互層の境目は素人目にもはっきりしており、また、侵食の形が似た格好で、恐ろしいほど淡々と繰り返された自然の営みが垣間見えます。
反対側から見た岩場の背の部分はこんな感じ。
 
 
侵食で妙な滑らかさを持ってるのが、虫っぽいというか爬虫類っぽいというか、ちょっと気持ち悪いですかね(笑)
上の写真の所では、長閑な感じで磯遊びに興じる孫と祖母の姿がありました。
下の写真のすぐ近くでも、父親と男の子が蟹か何かを探していた様子。
悠久の自然の営みと、遥かに短い時間を生きる人間の営み。
いいコントラストですね(^^)
青島神社も、南国の植生の杜の中に和の社があり、なんとも言えずコントラストが効いていました。
 
青島を出て、目指す次の目的地は清武。
清武にあるのは、地名まんまの清武城で、この城は時々歴史上に登場する伊東氏所縁の城です。
城の歴史はそれほど明らかでは無いんですが、節目節目で登場する不思議な城と言えるでしょうか。
例えば、約100年に渡る飫肥を巡る伊東氏と島津氏の戦いの最序盤に当主祐堯が急死したのもこの城で、九州征伐後に伊東家が再興された際に重臣中の重臣である川崎祐長が城主を務めたのもこの城、関ヶ原の合戦後に島津氏や高橋氏に対して盛んに軍を動かした稲津重政もこの城の城主でした。
重政はこの行軍が元で家中で浮き、やがて清武城を攻められて自刃しています。
色々と、伊東氏の歴史の中では重要な役回りの城ですな。
そういうのがあったので、清武城には行っておきたかった。
青島を出て、高速道路のような国道220号線へ入ると、冒頭で出た運動公園を右手に見つつ北上し、大きく西へと旋回して行きます。
その旋回した先で宮崎道と交差しますが、宮崎道をくぐってその先へ。
宮崎道には清武P.A.というのがあり、城はその少し西側ですね。
城へ向かうには、国道269号線に入る必要があるんですが、国道220号線から直接入るとなるとかなり北回りになる為、適当な交差点で加納駅方向へ左折します。
「地図やったらサクッと行けそうやのに鉄路を越えられへんやん!」なんて思いつつ、多少迷いながら住宅地を抜け、なんとか国道269号線に入って西へ。
宮崎道を南へくぐり直してすぐ右へ折れ、山へ入ってやたら細くうねった道を辿っていくと、宮崎道を今度は北に跨ぎます。
この辺りまで来ると、ようやく清武城の案内が見え始め、迷う心配が無くなってきました。
途中、完全な180°左折の交差点かつ上下差ありという場所があって、車でこんな所に来たら頭抱えるやろなと思いましたが、その先の道は軽トラでもギリギリの車幅しかなく、車なら曲がるどころか交差点に置いて歩きにせざるを得ないでしょうね。
バイクでも、この先行き止まりでUターンできないんじゃないかという恐怖との戦いでした。
スマホが無かったら絶対辿り着けてないわ(^^;)
180°交差点から軽トラぎりぎりの道をしばし行き、更に細くなった道の先に清武城の登山道があるのですが、その登山道の手前の民家に、明らかに土塁と判る土盛が立派に残っており、この一帯はすでに城内のようです。
 
 
登山道から本丸までは数分程度で到着し、一角に城址碑がありました。
 
 
しかし、城址碑のある一帯の裏手が完全に藪で立ち入れず、農地として利用されていたであろうその周辺の削平地も荒れ放題で、なんとなくの高低差とある程度の大きさぐらいしか把握できませんでした。
調べたところによると、宮崎道の際まで城地であったらしく、幾段も重なった大きな城だったようです。
削平地にそれほど手が入ってないようなので、旧状も残っているでしょうし、城跡としてはちょっともったいないですね。
 
清武城から登山道を下りてくると、出口には自分のバイクが見えます。
そう、どこにも止める所が無かったので、道に置いたんですね。
でも、道幅が1mちょいしか無かったので、いくら端に寄せても、半分ぐらい占拠するわけですが・・・
しかも、一番平衡が取れたのは凸になってる部分のてっぺんだったので、バイクの前も後ろも下がっている状況。
更に左右も、登山道方向が上がってるという傾斜付き。
さて、城は行けたけど、どうやってターンしたものか・・・
ま、やるしかないかと腹を決め、登山道入口の未舗装部分と反対側の畦部分も駆使してえっちらおっちらと汗をかきながら切り返しをしていると、聞き慣れない音がしたのかすぐ下の民家の人が出てきて、うわっ人がいる!みたいな感じですぐに家に入っていきました。
そら、こんな夕暮れの時間にこんな山奥でおっさんが必死こいてバイクを押したり引いたりしてたら怪しいよな・・・
そんなこんなで、苦闘3分、無事ターンに成功し、窮地を脱出しました(^^;)
 
参考:
鬼の洗濯板
青島
清武城
地図付きはこちら
 

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