2015年5月29日金曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その5

前回のあらすじ

イベント会場のすぐそばでも、休日の家族が遊ぶ遊具公園のそばでも、ひとりぼっちなおっさんが歩いているのは気にしないでください。
 
元居城を出たのは13時頃。
昼飯はまだ。
ここから菊池本城、隈部館、城村城と寄って長洲からフェリーに乗る予定なのだが、ちょっと雲行きが怪しくなってきた・・・
例によって例の如く、昼飯を抜くにしても、予定してた便はちと無理かも。
ま、無理なら無理で対策を立てねば。

元居城から国道387号線に戻ると、あとは道なりに進むだけで次の目的地である菊池城、別名隈府城に到着します。
この隈府城という名、某歴史シミュレーションで使われてまして、菊池城や菊池本城、守山城といった名前よりも個人的には馴染みがあるんですが、現地では使われていない様子でした。
国道から見ると、右手に菊池氏の英主3代を祀る菊池神社、左手に菊池公園です。
本丸が菊池神社、二ノ丸以下が菊池公園ということなので、恐らく本丸と二ノ丸の間の堀切を活用して道路が造られたんじゃないでしょうか。
とりあえず、ということで、菊池公園のほうから回りましたが、いきなり段郭のような地形が。

 
これは明らかに城跡を流用してますな。
その反対の山側を見ると、こちらにも櫓台のような地形が。

 
ここから金比羅神社にかけて、横一列に郭が並んでいたとされています。
本丸から二ノ丸以下に共通して、東側に低い段が構えられており、高低の段を持つ同じような形状だったようですね。
高地を背後として、麓の菊池市街に相対するように構えられていたのがありありと解ります。
そして規模もなかなか大きい。
ただ、戦国時代に菊池氏へ大友氏から義武が入り、隈本(熊本)へと本拠が移され、後に隈部氏の持城となったことから、現在残っている城の規模は隈部氏時代の改修によるものとされ、菊池氏時代の規模は不明確らしい。
菊池城の本丸はというと、前述のように菊池神社の境内になっており、ぐるっと回った限りでは遺構の類はほとんどありませんでした。
堀が残っているらしいのですが、残念なことに見付けられず。
菊池本城を一番感じたのはこの菊池十八外城の石碑でしたね。

 
この碑は、なんかいい(^^)
どことなく、南北朝時代の頃の団結の強さが感じられます。
 
菊池城を後にして、市街を突っ切り、県道18号線を北上して向かうのは鞠智城・・・・・・と言いたい所ですが、どう考えても時間が押してるので已む無くスルーして隈部館へ。
前述の菊池城最後の城主であった隈部親永の居館ですな。
県道18号線を走っていると、隈部館の案内が出てくるので、この城も迷うことはありません。
上永野の集落へ入り、山をグリグリと上っていくのですが、要所要所に案内が出ていてここでも分かり易い。
館があるのは、山の麓と言っても稜線が穏やかになり始めたという場所なので、結構な高度があります。
正確に言えば中腹。
そんなところなので、バイクやし坂道に駐車とかだと始動時にバランスに気を使うしUターンせなあかんし嫌やな、と思ってましたが、現地には立派な駐車場がありました。
うん、整えられている!
さすが国指定の史跡。

さあ、これから城の中へ。

 
城の構造としては、方形の居館部があり、その南側に城門の桝形を挟んで馬屋という細長い郭が玄関のようにくっついています。
桝形は備えていますが、本格的な防御構造はあまり無く、あくまで普段の住居で、背後の詰城が防衛力を担っていたということでしょう。
馬屋は石垣で囲われ、その付け根部分には空堀が明確に残っていました。

 
長さもあり、なかなか立派な空堀です。
この右手に桝形。

 
そして桝形を抜ければ広大な居館部分です。

 
居館部分には居館の礎石や排水溝などが露出展示されていました。
この山側に1段高い櫓台跡らしき地形があり、隈部神社が建立されているのですが、その更に北側を見てみると、明確に空堀が確認できます。

 
これも残り具合が素晴らしい。
最後に、居館部分からの眺望を。

 
ちょっと霞んでますが、いや~爽快!
遺構も景色も大満足ですわ~
フェリーの時間?何それ?(笑)
 
つづく
 
参考:
菊池城
隈部館

地図付きはこちら
 

2015年5月22日金曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その4

前回のあらすじ

いやぁ~阿蘇ってほんっとに素晴らしいものですね。
 
阿蘇五岳を縦断し、阿蘇市のほうへ下りると、内牧城があります。
ここからほど近い場所に阿蘇神社がある為か、某ゲームのある作品では阿蘇神社の大宮司から武家として身を興した阿蘇氏の本拠になったりしていますが、実際の内牧城の歴史はそれほど詳らかではなく、阿蘇氏配下の一支城という域を出ません。
実際の阿蘇氏は、阿蘇山の外輪山からも出て、南の通潤橋のある辺りに進出していましたしね。
勢力拡大を目指した結果、肥後の平野部へ出るのに都合の良い拠点だったのでしょう。
しかし、一支城とは言え、内牧城は個人的に馴染みのある城。
寄らないわけにはいかない!

内牧城は、内牧温泉の一角にあり、現在は体育館と中央公園になっています。
この体育館への案内表示があちこちに出ている為、迷う事無く簡単に行けました。
しかし、この日はやたらと車が多かった。
なんでこんな盛況なんやろう?と思っていると、体育館の辺りには警備員がおり、幟も立っていて、どうやらイベントが催されている様子。

 
まずい!
能登七尾城で城の入口まで行きながら城に入れなかった悪夢が蘇る・・・
でも、体育館の駐車場は完全にイベント会場となっていましたが、その裏手や中央公園は会場から外れてて助かりました。

縦横無尽に走り回るセグウェイの試乗会に羨望の眼差しを送りつつ、体育館の裏手や中央公園を散策し、城の痕跡を探してみます。
まず、本丸北側の堀だった黒川の旧河道。

 
なかなか風情がありますね。
下の現地案内板の写真にあるように、黒川は江戸時代に流路が変えられましたが、幸運にも城近辺の区間は親水池として残存しています。
本丸が、参勤交代の際の休憩所である御茶屋として活用された為、池水庭園代わりとして残されたのかもしれませんね。

 
二ノ丸は、行政の会所として使われていました。
現在は、池に面した部分が遊具公園となっています。

 
全体としては、城が存在したのが一国一城令の頃までで、廃城してから月日が経っていることや、街道に面していることもあって変遷が激しかったのか、遺構と見られるものはほとんどありませんでした。
でも、堀として使われた黒川の旧河道を追って行くと、朧気ながら城の縄張を確認することが可能です。
そういう残存するものを加味して、あれこれ想像するのも史跡散策の醍醐味でしょうかね(^^)
 
長閑な内牧を後にして、次に向かうのは菊池。
国道212号線の楽しいワイディングロードで外輪山を駆け上がり、外輪山上の牧場脇を縫って西進する菊池阿蘇スカイラインへ。
この道もかなり爽快な道で、阿蘇谷の景色がかなり良かった(^^)

 
お勧めの道ですわ。
阿蘇らしい草原と谷の景色が雄大で素晴らしい。
そんなスカイラインの横には、またまたヘリによる観光飛行の拠点なんかもありました。
ほんま日本離れしとるな!
 
菊池阿蘇スカイラインを西へ西へ行くと、国道387号線に当たり、そのまま進んでいくと菊池城の城跡に建つ菊池神社の真横に出ます。
こりゃ地図見んでも迷わんから楽やわ~とのんびり走っていると、急に視界右側に元居城という文字が。
なぬ!?
城か?
城なのか?
ならば寄らねばなるまい!
予定より押し気味の時間を気にしつつ、Uターンして案内される方向へ。

後で調べて知ったのですが、元居城は菊池氏所縁の支城網である菊池十八外城のひとつです。
位置的には、東側の第一防衛線である菊池渓谷の市成城や掛幕城に続く第二防衛線となる城群のひとつですかね。
往時は、菊池川沿いの人や物の流れを押さえていたと思われます。
ただ、この城は予習無しで辿り着くのは難しかった(> <)
2ヶ所ほど途中で案内があるのですが、その2ヶ所目の先が不明瞭。
矢印の指す方向には十字路があって、その先まで一旦進んでみたものの、道は大きく右に曲がりながら民家へと続いており、失礼ながら民家の庭先でUターンするハメに。
こっち?と十字路を右に行っても左に行っても見当たらず。
もう諦めるかと途方に暮れていましたが、スマホから幾つか元居城を紹介しているページを見ていると、行き方を載せている親切なサイトが!
よくよく見ると、民家へと右に曲がっている道と左の果樹園の間に畦道のような細い道があり、そこを下っていくらしい。
こんなん初見で分かるか!
いや~情報化社会ってすごいねぇ

元居城は、この道を下って一旦視界が開けた先の竹林の中にありました。
下るという、城にあるまじきアクセスなので、往時は本丸から東か南方向の川筋に向かって郭が伸びていたんでしょうね。
本丸には城址碑と2つほど説明板があります。

 
奥行きも結構ありそうなんですが、ご覧の通り竹林で散策はできませんでした。
川筋に向かって構成されているなら、この先にも郭が伸びていると予想されるんですが・・・
この本丸への道の途中には次段があり、次段から見ると本丸の切岸はなかなか切り立っております。

 
当の次段もこんな感じで竹だらけ。

 
この他には、次々段らしい削平地と帯郭らしき細長い平地、堀切の跡と見られる窪地がありました。
竹を取り払ったら、結構遺構がしっかりと残っていると思われますが、取り払われたりはしないんやろなぁ
なかなか、惜しい城ではあります。
 
つづく
 
参考:
内牧城
菊池阿蘇スカイライン
元居城

地図付きはこちら
 

2015年5月15日金曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その3

前回のあらすじ

起きたら大分だった。
うむ、これは素晴らしい。
 
大分市街を南に抜け、次に向かうは阿蘇。
なんなら、戸次川の合戦前夜に攻防があった鶴賀城にも行けたら行こうかなと思ってましたが、下船や散策に時間が掛かってしまったので、またの機会ということに。
阿蘇へ向かう道は国道57号線がメジャーですが、国道57号線と502号線は14年前に来た時に走ったので、パッと地図を見て、最短距離となる国道442号線を選択しました。
そして竹田市で国道57号線に入り、県道で萩を経由して根子岳の東麓へ。
プロットすると、ざっとこんな感じです。
ちょっと番号が見にくいですけど・・・

 
国道442号線は、400番台国道なんで、酷道なのではと疑っていましたが、一部が1車線なだけで、終始快調な道でした。
ま、酷道でも全く問題なく行けるバイクなんで、そうなったらそうなったで楽しいんやけどね(笑)
萩を経由する県道135号線は、県境を越えて熊本県に入るとかなり狭く視界の無い道となり、冒険気分満載。
鬱蒼とした木々の間を抜けていく事になります。
そして、国道265号線に出れば、そこはもう阿蘇。
しばらく狭い道を走ってきたせいか、大戸ノ口に出た時には開放感がありました(笑)
更に進み、高森市街を過ぎる頃には、阿蘇五岳がはっきりと見え、雄大な景色が広がってきます。
実は、この辺りには20年以上前にも来てるんですが、あまり記憶が無い。
何を見てたのか、自分の行動ながら情けないですが、多分、友達とワイワイやってて景色をあまり見てなかったんやろなぁ
中学生の修学旅行なんてそんなもんですかね(^^;)
阿蘇に入ってしまえば、あとは快調な道と絶景の連続です。
たくさん写真を撮ったので、その一部を。
ここからは説明文が蛇足かも?
まずは夜峰山周辺の景色。

 
続いて夜峰山周辺から南西の外輪山を遠望。
草原と外輪山の遠近、雲と空のコントラストがいいですね。

 
噴火中の阿蘇中岳。
おかげで最後の有料道路は閉鎖されてました。

 
もう少し離れた所からの噴煙の様子。
ちなみに、ここはヘリコプターが発着する駐車場。
「ヘリで観光かい!豪勢やのぉ~」
という独り言が勝手に出た(笑)

 
丘陵を越えて草千里。

 
修学旅行で来た時はここで自由時間だった。
あの頃は今みたいにタクシーを借り切って、なんて無かった。
まとまった自由時間はここだけ。
こんなところで何を自由にせいっちゅうねん!
確かに先生にとっては監視が楽なんやろけども。
同級生の間では今でも「放牧」と呼ばれております(笑)

 
上は草千里の西側。
真ん中にぽつんと見える黒い影はお馬さん。
あなたも放牧ですか?

 
最後は、米塚と背後に見える北側の外輪山の景色。
この外輪山がぐるっと囲っているという景色は、かなり独特ですね。
何よりカルデラ湖が無いので高低が大きく、視界が広い広い。
いや~ほんとに良かった(^^)

今回のツーリングより、スマホがCASIOから京セラに変わってるんですが、京セラのカメラは黄味掛かった色目が出やすいみたいですね。
CASIOだともう少しリアルに近い色合いが出る。
色温度の設定が暖色寄りなんですかね。
ま、どちらにしても、写真で切り取ると現実で感じられる圧倒的な良さが出ないカメラ素人なのは変わらないんですが(笑)
実際に訪れて実際に見るのが一番ですね。
兎にも角にも、景色を味わえ、ワイディングロードを楽しめ、とてもとても満喫できました。
大満足です!
 
つづく
 
参考:
阿蘇山
地図付きはこちら
 

2015年5月8日金曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その2

前回のあらすじ

船の風呂から見える夜景最高!
 
フェリーで迎えた2日目の朝。
雑魚寝部屋の1人分のマットレスは幅が無く、寝返りも困難なぐらいでしたが、お客さんは少なく、四隅に配置されていたので、自由も利いて意外と快適でした。
思っていたよりもよく寝る事が出来たけど、それでも起床は5:45。
目覚ましの6時よりも早かった(笑)
環境が変わると早く目が覚めてしまうのは、おっさんの証明か。
でも、眠気覚ましに出た甲板の朝焼けは、雲にも趣があってなかなか良かったですな。

食堂で朝食を摂り、部屋でだらだらと到着までルートを確認した後、エレベーターが動き出してすぐにバイクの所へ。
ここから下船までかなり時間が掛かることは覚悟してましたが、結局下船は7:45。
予想より時間が掛かりましたな。
いよいよ、ここからがツーリング本番!
 
大分港を出て、まず向かう先は大友館。
隆盛を極めた豊後大友氏の居館跡です。
現在は、大友氏の菩提寺であった万寿寺跡と共に大友氏遺跡として国の史跡に指定されています。
と言っても、発掘調査で遺構が検出されたというだけで、特に目立った遺跡は無いらしい。
しかしながら、14年前にフラフラと場所を探して彷徨った身としては、寄らない訳にはいきません。
大友館が存続したのは、文禄2年(1593)の大友氏改易まで。
以降は新たな支配拠点として府内城という近世城が築かれ、江戸時代も存続し、今の大分市の市街地の中心となっていくわけですが、このふたつは、場所的には割と近い位置関係にあります。
直線にして1.2kmほど。
大友氏の城下町の大きさは宣教師の報告にもあるぐらいで、それをそのまま利用しない手は無く、当然と言えば当然ですな。
大分駅の前を通り、府内城のやや南を通る国道10号線を東進し、南へと曲がる辺りに大友館がありました。
現在の地名で言えば顕徳町。
この辺りは道が非常に整備されていて、綺麗です。
脇道にバイクを止めてしばし散策。
郊外の農地が広がる場所で、新興住宅地も混在しています。
この史跡内にある遺跡体験学習館とその周辺の風景は、こんな感じ。

 
視界の広さと秋晴れの空が相まって、清々しいですな(^^)
府内城から1kmちょっとで、江戸時代は城下町でもおかしくない距離なんですが、その頃からこんな感じだったんですかね。
交通量は幹線国道らしい多さなのですが、妙に長閑な場所でした。
 
続いて向かうのは、大友館の南の丘陵の拠点だったと見られる上原館。
かつてはここが大友館とされていました。
事前のリサーチで場所は知ってましたが、現地でこれを発見するとなると、相当な無理ゲー(笑)
それぐらい込み入った場所にあります。
そして、車で来るにもきついでしょうな~
涙目になること請け合い。
バイクで良かったですわ。
分かりやすい目印としては、芸術緑丘高校、爽風館高校、大分上野丘高校の3つの高校で、3校を三角形の頂点としたその中心にあります。
現在残っているのは、土塁の一部のみ。
ですが、東側や少し離れた北側の崖が今も残されており、地形的に要害の場所にあったことがよく解ります。

 
ちなみに、このすぐ南が古国府と呼ばれる場所で、大友氏の最初の守護所が置かれた場所。
最初期は、大友館のあった北側を守る為ではなく、南側の古国府の防衛、つまり古国府の詰城的な機能が主だったのかもしれません。
でも、桝形があるように、戦国末期まで存続したのは確実で、その頃は大友館を守る南の防衛線のひとつだったのは間違いないですな。
こういうのも、存廃年代が曖昧な城だからこその想像ですかね(笑)
これぞ歴史の醍醐味だ!
 
つづく
 
参考:
大友館
上原館
地図付きはこちら
 

2015年5月4日月曜日

阿蘇・佐賀ツーリング その1

新緑の春らしい良い気候になってきましたな。
ぼちぼち次のツーリングを考えないと・・・なんて考える前に、去年の秋のツーリングをまとめておかねば!
何しろ、ええ年ながら初めてのフェリーツーじゃ!
 
高速の割引も終わり、早朝出発の高速多用遠距離ツーリングにもひとまず区切りを付け、ここ数年、専ら東方向だった目的地を西へ。
舞台は九州!
関西からは、神戸と大阪南港から九州向けフェリーが出でますが、今回利用したのは大分行きのさんふらわぁ。
明石海峡を行くさんふらわぁをよく眺めていた幼少時代を思い出します。

神戸港の出発時刻は、曜日によって違い、金曜は19:55。
30分前の到着と、道中の余裕を見て1時間と考えれば、仕事を早く片付ければ家に帰って軽く夕食を済ませられる時刻です。
当日は、このタイムスケジュールで動いたわけですが、まさかまさかの阪神高速神戸線の13km渋滞には焦った・・・
渋滞は織り込んでましたが、まさか2ケタkmになるとは。
耐え切れず、途中で国道に降りたものの、当然のようにそこも渋滞。
きっかり1時間使うとは思いも寄らなかった(苦笑)
このほか、フェリー乗り場直前で一瞬迷うというのもありましたが、何とか無事にチケットも買え、乗船待ちに。

 
写ってるのが自分のバイクじゃないのはご愛嬌として、この段階で乗船待ちのバイクは5台ほど。
え~らい少ないな、とこの時は思ってましたが、バイクは先に載せてしまうんですね。
翌日に船を出る時、30~40台のバイクが反対側の積載部に止まってました。
そりゃそうやわな(笑)
遠方から来ると時間的余裕はもっと見ないといけないわけで、地元の有難みを感じました。

バイクを載せてしまえば、あとは単なる船旅です。
早く乗船した人は早く入ってしまうのか、お風呂も空いており、快適そのもの。
船の方向転換に合わせて、遠心力で湯が傾くのが妙に楽しかった(^^)
巡航に入ってしまえば、波の少ない瀬戸内航路ということで揺れも少なく、エンジンの振動も想像していたよりは少なかったですね。
途中、家が見えそうな場所や明石海峡大橋の下を通り、西へ西へ。

 
橋を通過しますという案内放送もあって、ちょっとしたクルーズ気分でした。
 
さて、起きたらもう九州のはず。
こういう旅も、なかなかいいもんですな(^^)