前回のあらすじ
宇都宮(13年振り2度目)
中禅寺湖畔の国道120号線を西へ進み、湖から離れて再び山を上ると、北海道のような冷涼な景色が見えてきます。
ここは、戦場ヶ原。
神話では、神々が戦った場所とされています。
群馬を代表する名山である赤城山の神と、栃木の著名な霊場日光の中核である二荒山の神。
どちらもかなりのビッグネームですな。
地学的に見ると、戦場ヶ原は中禅寺湖と同じく元は噴火によって堰き止められた堰止湖だったのですが、その後の水の流出や乾燥、噴火物の堆積によって埋まり、湿原化したとされています。
富士山の噴火によって堰き止められた山中湖と忍野八海の関係に似た感じですかね。
兄弟湖の片割れが干上がったという意味で。
しかし、こんな山の中に、こんな平坦な地形があるというのは、なんだか凄く神秘的です。
冷涼な景色も、人の手が及んでいないありのままの自然の凄みがあり、何か超越したものを感じるには十分過ぎるぐらい。
しかし・・・
写真撮っとけばよかったな~
日没時間との勝負で先を急いでたんよな~
ちょっと気が急き過ぎて、記憶の中だけの景色にしてしまったというのも勿体無いですな。
戦場ヶ原を突き抜けると、日光湯本温泉があり、そこから道は急激に標高を上げていきます。
それはもう、
うぉぃ!
って突っ込みたくなるぐらいに(笑)
関西人の不案内と言いますか、日光は行った事があるのである程度の標高というのは分かっていて、そこからいろは坂を駆け上がって中禅寺湖に至るという所までは知ってるんですが、そこから戦場ヶ原、金精峠へは中禅寺湖からちょいと上る程度やろと考えてました。
ところがどっこい、日光湯本温泉から上る上る(笑)
あっという間に温泉が麓の景色ですわ。
日光に行って帰って元の場所に戻ってもしょうがないからって理由で国道120号線を選んだだけなので、下調べなんてしなかったんですな。
実は全国国道で第3位の標高らしい。
そりゃ寒うございますわ。
上っていく間に山肌に残雪が見えたなと思えば、どんどん近付いてきて、ついに残雪の景色の中を走る状態に。
トンネルに入ってほの暖かい空気も束の間、群馬側へ抜けると菅沼が半分凍ってるわ、道路の端にも雪が残ってるわ、完全にバイクで走る景色ではなかったですな。
メットの中で、
マッジか~~い!
って絶叫しましたわ(笑)
この前日の草津温泉への山越えや、日没後の福井九頭竜など、6~7℃の真冬の気温で走ったこともあるけど、それよりは確実に2段階ぐらい上の寒さやった。
道路脇に温度計が無かったのでわからなかったけど、確実に5℃は下回っていたでしょう。
片品村も結構寒い場所のはずやけど、そこまで下りたら、こりゃあったかいわ~って無意識に言ってました(^^;)
片品村で給油した後、国道120号線をそのまま下っていき、沼田I.C.から月夜野I.C.まで沼田市街をショートカットして、国道17号線で利根川の西岸の崖を上ります。
上ってすぐの所がこの日の最終目的地、名胡桃城。
しかし、もうとっくに日没の時間は過ぎて、薄暮の中を散策です。
写真はご覧の通りの有様。
この他にも撮ったけど、見苦しいので割愛。
でも現地では、しっかりと目で確認できるんですな。
三浦半島の観音崎でも思ったけど、人間の目ってばほんと高性能。
カメラでも、一眼レフで露光なんかをちゃんと設定すればしっかり撮れるとは思うけども、無意識に調整してくれる目の機能は凄い。
名胡桃城自体は、駐車場のある場所が最初期の名胡桃城で、その隣の崖に向かって郭を重ねる部分が真田氏の拡張改修によるものらしい。
この崖に向かって細長く郭を重ねるっていうのは、真田本城も似たような形で、真田流築城術の基本なんやろね。
あと、白井城もそうだったけど、本丸の先にある笹郭ってのがちょっと気になる。
上野地域独特の郭の構成なのか、もっと範囲が狭くて真田流築城術特有の郭なのか。
帰った後に調べてみたけど、答えは出ませんでした(^^;)
真田氏の拡張部分にあることを考えると真田流かと思うが、真田本城に笹郭が見えないことを考えると違う気もする。
どっちだろうか。
すっかり陽も落ち、ほとんど夜の暗さとなったところで名胡桃城を出発。
月夜野I.C.に戻り、そこから関越道で新潟入りです。
夕飯は、遅くなったので、県境のある関越トンネル直前の谷川岳P.A.でちゃちゃっと。
で、何気なくご飯を食べていると、シャッターを閉める音が・・・
よくよく見ると19:30閉店と張り紙してある。
早っ!
店員の方が、「食べ終わるまで店は開けてますので、ゆっくりと召し上がってください」とは言ってくれたが、
落ち着いて食えるか!(笑)
谷川岳P.A.を出るとすぐに関越トンネルで県境越えです。
群馬県よ、又会う日まで。
そして、新潟県よ、13年振りにコンニチワ、いやコンバンワ。
この関越トンネル、かなり長いんですが、それよりもびっくりしたのは、新潟側に出るとひたすらずっと下り続ける事。
街が見えてそろそろ終わりかと思いきや、越後湯沢を越えてもまだ下る。
上杉謙信が関東入りの時に使ったのは、今は廃道状態の清水峠か、国道17号線の三国峠だったが、関越トンネルよりも遠いルートで、ほぼ同じぐらいの標高を登って越えて行ったと考えると、これは凄い行軍だったんだなと実感しますな。
ちょっと遅くなったけど、なんだかんだ、本日の予定をほぼきっちりとこなしたので満足満足(^^)
あとはゆっくり五十沢温泉で疲れを癒すのみ。
この五十沢温泉、典型的昭和温泉旅館で古さは否めないんですが、浴槽が内風呂、露天、混浴とやたら数がある素敵な旅館。
しかも土曜なのに空いてる!
旅館としてそれはええのか?というのは置いといて、客としては露天が貸し切り状態で有り難い限り。
明日は長大な距離を走らにゃならぬ。
しっかりと疲れを取るべ。
つづく
参考:
金精道路
名胡桃城
五十沢温泉
群馬県の地図付きはこちら
新潟県の地図付きはひちら
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