前回のあらすじ
またもや倒木が!
こんな次にいつ来れるかもわからない遠隔地で・・・(泣)
日光で13年前のリベンジ観光を済ませ、向かうのは宇都宮。
そう、同じく13年前に宇都宮城を目指して挫折した思い出の地です。
今回、時間が許せば、という条件付でしたが、この日は順調に進む事ができて、なんとか宇都宮へ行けるだけの時間が確保できたので、リベンジ!
時間が何よりも惜しいので、日光からは日光宇都宮道路をビュビューンと。
宇都宮I.C.からは、スマホの地図とにらめっこしつつ、国道119号線のバイパスから本道、そして清住町通りで最短距離を驀進。
と言っても、清住通りは出口で信号渋滞してたけども。
ま、そこはバイクの身軽さでなんとかやり過ごして、宇都宮市役所を目指して進み、その隣の宇都宮城へ。
うむ。
リベンジ完遂じゃ。
宇都宮城は、土塁の中に史料展示がされてますが、現在の市街地図に重ねあわされている縄張図がなんとも圧巻。
これ、親藩の城とは言え、こんなに大きくて幕府的にはいいの?という感じです(^^;)
ちょっと分かりにくいですが、本丸左下の欠けてる所から真っ直ぐ上の本丸北西の部分だけが現在も残っている所です。
本丸全体の5分の1程度でしょうか。
これと内堀の一部が残っているに過ぎないんですが、この部分だけでもかなり広い。
小城なら、この残存部分だけでも十分本丸として成り立ちます。
そして、この残存部分から惣構を含めた城域を想像すると・・・
それはもうとんでもない大きさになります。
凄いぞ、宇都宮城!
個人的には別の事でも、凄いぞ、宇都宮城!という感じです。
それは、釣天井事件。
日光の帰りによる予定だった将軍秀忠の寝所の天井を釣天井にし、就寝中に天井を落として圧死させるという陰謀・・・
この嫌疑事件が起こったのは江戸時代初期で、宇都宮藩主だった本多正純改易にまつわる話なんですが、最初に知った時に、
どこのサスペンスドラマやねん!
と思いましたわ(笑)
仕掛けが大仰過ぎる。
これを当時の幕府が真面目に調査したってんだから面白い。
実際は、そんな仕掛けなんか無くて、正純の改易についても幕府内の権力争いや恨みの線が濃いといわれていますが、正に事実は小説よりも奇なり!
ちょっと旅日記とは話がずれましたな。
現在の宇都宮城は、上で書いたように本丸の一部しか残ってません。
宇都宮城として見る写真は、こんな感じの写真が多いですかね。
立派な高土塁に水堀、そして清明台という天守代わりの隅櫓。
でも、この土塁の内側はこんな感じです。
その反対側。
櫓は2棟建ってるんですが、土塁がぶつっと切られて、この公園の東側は何の区切りもない状態です。
釣天井という暗器まで噂されるほどの、天下の宇都宮城としては寂しい限りですね・・・
まことに市街地化というのは恐ろしい。
それでも、巨大な高土塁と内堀の姿には十分感動できましたが(^^)
時間が余れば宇都宮城の後に鹿沼城にも寄ろうと思ってましたが、流石にそれは贅沢だったようで、もう傾きかけた太陽では無理ですな。
というわけで、国道119号線で日光宇都宮道路に戻り、そのまま一気に清滝I.C.まで。
ここから沼田まで90kmもあるんよなぁ
名胡桃城はちょっと厳しいか。
でも、頑張って進むしかない。
国道120号線を進み、いろは坂へ。
この辺りからはガスが出てて、標高も上がるし、ぐっと寒くなってきます。
いろは坂自体は、ヘアピンコーナーが多く、しかも一方通行の2車線で、条件的にはかなり楽しいはずなんですが、思ったほどの楽しさは無かったですかね。
恐らく、規則的なヘアピンが多くて、変化に乏しかったからではないかと。
なんか楽しく走るというより、練習してるような感覚になるんでしょう(笑)
いろは坂を抜けると、中禅寺湖がお出迎え。
ここまで来たなら、やっぱり華厳ノ滝は見ておかないと。
何の下調べも無く寄ったけど、華厳ノ滝の下まではエレベーターがあるんやね。
時間的にも助かりますわ(^^)
しかし、ここで東照宮に引き続き、小学校の修学旅行生の洗礼に・・・
エレベーター内が小学生だらけで、大人の客は引率の先生と関西のおっさんのみという構成。
こんな寿司詰めなのにエレベーター特有の押し黙る雰囲気やし、やりにくいわ!
ちなみに、時間が時間なので、滝は逆光でした。
ついでに中禅寺湖の夕景。
さて、と。
この夕景の中、80kmほど走ってあとひとつ城に寄りたいわけだが、可能だろうか。
だが、そんな先の事を心配する自分の前には、もっと大いなる脅威が迫りつつあった・・・
つづく
参考:
宇都宮城
いろは坂
華厳ノ滝
中禅寺湖
地図付きはこちら
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