2025年2月23日日曜日

サイトのリニューアル 島根のお城終了

サイトのリニューアルですが、島根県で訪問したお城の作成が完了しました。
お城の数は全部で20城です。
 
 
細長い島根県には、ほぼ海岸沿いに国道9号線という大動脈が通っていて、ツーリングでも有名な道ですから、その道沿いに攻略したお城が、割と万遍無く連なっていますね。
また、出雲地域に目を向けてみると、中国山地の奥まで訪れたお城があります。
ただ、奥出雲に立ち寄ったのも1度きり。
石見の地域の奥側にいたっては、ほぼ皆無ですからね。
まだまだ何度も行きたい県です。
がっつり散策できていない津和野城や、探し当て切れなかった城もいくつかありますし、石見銀山周辺のお城も訪れたいですね。
さて、続いては、島根県のお城以外のスポットへと進みましょう。
 

2025年2月15日土曜日

東信群馬埼玉ツーリング その8

前回のあらすじ
 
松井田城は、かなり良い城でした。
北条氏系城郭の緒戦としては、いい始まりですね。
 
松井田城の次の目標は、関東管領山内上杉氏の居城平井城。
ここも度々歴史に登場するお城ですからね。
しっかりと押さえておきたい所です。
ただ、素直に松井田城から見下ろせる国道18号線を東進してしまうと、高崎まで出てしまうので、少し戻って上信越道で東へ。
世界遺産になった富岡製糸場にも行ってみたいと思いつつ、時間も無いので吉井I.C.まで走り、南の山塊の麓を辿って行く県道41号線で平井へと進みます。
この道、なかなか良かったですね。
快走路というほど交通量は少なくなかったですが、遠くに山地を眺めつつ田舎らしい風景の中を、少しのアップダウンを重ねつつ走ることができました。
そして、西平井の交差点が。
その名の通り、この辺りはもう平井城の近くですね。
東の鮎川と、西平井の交差点のすぐ南を流れている荒神堀という小川が平井城の堀となっていて、交差点付近は城外ではあったんですが、関東管領山内上杉氏の居城でしたから、この辺りまで城下町があったのかも知れません。
交差点の南には、その荒神堀を示す案内が建っていました。
 
 
ここから南は城内ということになります。
武家屋敷が基になっているのかなという感じの集落を進んで行くと、平井城の土塁が見えてきました。
 
 
これは残念ながら復元なんですが、象徴的だったので、感慨深かったですね。
このほか、土塁跡や堀跡の碑も建てられていました。
城址公園内部には、色々な案内板が建てられています。
 
 
 
 
 
 
 
さらに奥には、上杉氏の碑が。
上杉氏の本拠らしさが残っていますね。
  
 
この奥には、天然の堀である鮎川沿いの河岸段丘も見えました。
当時はなかなか壮大なお城だったんでしょうね。
 
平井城の南西には、平井城の詰城といわれる平井金山城があります。
平井城からさらに南に進むと、県道175号線との三差路に出るので、右折してしばらく行くと、立派な駐車場が用意されていました。
でも・・・時間が無い。
今日中に鉢形城に寄って、行田まで行かないといけないんですよね。
こんな家から遠い場所で登城を見送るのは無念でしたが、遠景を写真に収めて平井を後にしました。
 
 
 
つづく
 
参考:
 

2025年2月9日日曜日

べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜

今回の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」ですが、なかなか面白いですね。
大きな時代の流れを、という意味の大河ドラマですが、今回はそういう趣ではないものの、立身出世譚として見応えがあります。
なんだか、往年の太閤立志伝をやりたくなりますね。
それと、イケメンはちょんまげでもイケメンでした。
ずるい笑
最近の流れとして、イケメン俳優はちょんまげより総髪という流れがありましたが、今回の登場人物はほぼちょんまげ。
ちょんまげにも、色々な流行りや粋があった江戸時代を描くわけですから、重要なポイントになるというのもあるんでしょう。
歴史モノなら、やっぱりちょんまげはしっかり描いて欲しいと思うので、良い流れではないでしょうか。
蔦屋重三郎は、まだ走り始めたばかり。
今後も楽しみですね。
 

2025年2月3日月曜日

10時間半の記者会見

全体を通して見たわけではないですが、何だかなというところで。
何なんでしょうね。
ここぞとばかりに正義の怒号で煽る記者、自分の主張をひたすら述べる記者、もう出た質問の内容を繰り返す記者、平然と個人特定に繋がる質問をする記者。
質が悪い。
時間の無駄でしたね。
記者クラブのような昭和の残骸は要らないと思いますし、ネットが発達した現在では、記者会見は報道機関を絞らずにフリーでいいとは思いますが、質問する記者名もしっかりと出すべきかもしれません。
誰がどのような発言をしたのか、後で検証できるようにしないと、質は向上しないように思います。
また、文春がしれっと中居氏が直接被害者を誘ったと記事を訂正していたわけですから、フジテレビが当初より否定していた社員の関与というのは、文春の記事からも薄くなっていたことが気になります。
文春は何の根拠も示さず、社員の関与という以前の主張を変えていませんでしたが。
社員を守らなかったというコンプライアンス上の問題は、もちろんフジテレビにはあるんですが、あんな長時間の記者会見で追及されることだったのか、個人特定に繋がりかねない質問を受けてまでやることだったのか、疑問が残りますね。
報じられた事実だけを見れば、中居氏が誘って被害者が断れきれなかったという図式しか見えませんから。
オールドメディアの凋落や報道機関としての自殺などと指摘されてもいましたが、質問する側の質も何とかして欲しい所ですね。