2023年7月26日水曜日

どうする本能寺

大河ドラマのどうする家康で、本能寺の回が終わりました。
信長と家康の関係に焦点を当てた本能寺になりましたが・・・ほぼ天下を手中に収めた人への謀反という大事件なのに、なんか二人の問題みたいに描かれてましたね・・・
あと、
信長元気すぎるやろ!
刺されてましたよね?
貫通してましたよね?
そんな重傷中の重傷でありながら、怒涛の殺陣に次ぐ殺陣。
そして、やれんのか金柑頭。
殺陣は岡田信長だけにさすがの安定感でしたが、刀が貫通した後だと思うと、なんだか、ね。
少年漫画的でした。
 
あと、信長を狙っていたはずの家康が、直前で暗殺計画をやめたはずの家康が、軽武装かつ家臣34人という人数で、堺にて人脈作り。
な~にしとんねん。
当時の畿内が軍事的空白であったのは間違いないですが、それは光秀にとっては、なんですよね。
家康が変を起こすとなると、隣国丹波と近江ですぐ動員可能な状態の明智勢1万3千がそのまま脅威になります。
これに光秀与力の丹後の細川氏、大和の筒井氏などが続きますから、本人含めて35人では、後処理がにっちもさっちもいきません。
もちろん、それぞれ数人の近臣や中間、下男等の身の回りの世話をする人は連れていたでしょうが、三方ヶ原の合戦ではなく、神君伊賀越えが家康の人生で最大の危機とされるのは、この人数の少なさが大きいわけで、そこらの落ち武者狩りにすら負けかねない人数では、何をどうすることもできないでしょう。
さらに言えば、最終的には本能寺でも数百、信忠が籠った二条城でも千五百ほどの人数がいたわけで、潜伏させていたという伊賀衆を含めても、下手をすれば負けかねないほどの少なさ。
しかも重臣クラスがごっそり随行していますから、変後に領国から兵を素早く率いて来るのも、統制的に難しいでしょう。
家康から信長を討つという告白を受けた後、家臣らを含め、大の大人が雁首並べてどんだけ杜撰すぎる計画を練っとんねん、という突っ込みがどうしてもよぎってしまいます。
 
史実を鑑みると、本能寺の変の前日に信長が公家らと宴会をして深夜まで愉しんでいたというのがあるわけで、そのリラックスしていたっぽい信長の姿と、どうする家康でのシリアスな覚悟を持って上洛してきた信長の姿が、どうしても合わなかったですね。
ネット上で色々と書かれていますが、個人的には、一次資料上では所在があいまいなお市は堺にいてもいいと思いますし、家康が主人公である以上、是非に及ばすや敦盛の舞が無くても問題ないどころか、何なら信長がナレ死でもいいと思ってます。
光秀も、キャラとして、いやらしい佞臣で何ら問題ないでしょう。
家康にとっては、本能寺の変という事件は遠くで起こったことですし、伊賀越えの方が遥かに危険だったわけですから。
でも、やっぱり視聴者を納得させるだけのリアリティは欲しいですな。
リアリズムの最たるものであった政治や合戦というものを、実際に自ら実行していた人たちですからね。
とこぞの武闘派が、「戦いは数だよ兄貴」とおっしゃっていましたが、その数の計算を誰よりも計算していたのが彼らなので。
あと、築山殿の信長による処断とか、供応役剥奪による光秀怨恨説とか、最近では割と否定されている説を採用しているのも、没入できない理由かもしれません。
どうしても突っ込んでしまうんですよね~
ファンタジー色が強めな深夜ドラマなら、この展開でも全然アリだと思いますけど、大河ドラマとしてはちょっとね・・・。
 

2023年7月22日土曜日

サイトのリニューアル 福井の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、福井県で訪れた全スポットの作成が終了しました。
 
 
福井県で訪れたスポットは、お城が23城、温泉銭湯が1ヶ所、観光地が2ヶ所、寺社が2ヶ所、史跡が1ヶ所、自然が3ヶ所、資料館が4館の計36スポット。
プラスで、滋賀の時に作成した、県境の柳ヶ瀬トンネルがあります。
カウントに入っている玄蕃尾城も、滋賀県との共通ですね。
城を作成し終えた段階で、意外と城が多いなという印象だったんですが、それ以外のスポットは、反対に意外と少ない印象。
滋賀県との違いは、ダラダラ滞在したかどうかなんでしょうね。
ツーリングでは、時間の関係上、どうしてもお城優先になってしまうので、その他のスポットが少なくなるようで。
ここでもM君の偉大さを感じるとは・・・
さて、次は南に歩を進めて、近畿地方に入ってるのか入っていないのかよく解らない三重県へ向かいましょうか。
 

2023年7月18日火曜日

サラリーマン増税

首相の諮問機関である政府税制調査会の答申が出ましたが、これがニュースになっていますね。
退職金控除の見直しと、通勤手当の非課税の見直しです。
これはサラリーマンにとっては、非常に大きいでしょうね。
 
退職金に関しては、勤務年数が勤務年数が20年を超えると、控除枠が拡大するという優遇があり、これが人材の流動性を下げる原因になっているため、という理由を出していますが、ちょっと理由としては弱いですな。
実際の転職市場を考えると、例えば大卒で20年以上と言えば40代半ばということになるんですが、この段階で転職しようとするようなバイタリティのある人が、退職金控除の大小で行動を左右するとは思えません。
ここからさらに5年以上経過し、50代に差し掛かると、今度は転職によって収入が下がる割合が高くなります。
 
 
転職によって年収が増える人よりも減る人が多くなる年代に差し掛かってくるわけですね。
収入が減る確率が高いとなれば、転職に踏み切るかどうかは、退職金控除の大小以前の問題でしょう。
2000年代に入って以降、退職金は減る傾向にあり、給与を手厚くして退職金を無くす会社も増えてきつつあるということで、影響する人は少なくなる方向にあるんですが、それでも理由としては筋が悪いように思います。
社会保障が足りないから増税するとはっきり言った方が潔いですな。
あと、年金では2000万円足りない題の影響もあり、近年は政府が年金以外の貯蓄や投資を勧めていますが、退職金控除はiDecoの払い戻しなどにも適用される問題で、この改悪は、近年の政策との整合性が取れていません。
その意味でも筋が良くないように思いますね。
 
次に、通勤手当ですが、確かに給与所得控除でそれらの経費的なものを勘案して枠を大きく取ってあるので、実費補填は追加収入にあたるという理由も理解できます。
サラリーマンではない自分なんかは、実経費を積み上げても、どうやっても給与所得控除には及びませんからね。
それぐらい枠としては大きい。
ですが、給与所得控除まできちんと気にしているサラリーマンの方は少数派だと思われますし、会社が交通費を出してくれているという状況では、個人の心情として、これは収入ちゃうやんか、と感じるでしょう。
相当な反発があるように思います。
特に大都市圏なんかは、住宅環境の影響もあって長距離通勤の方も多いですしね。
影響はかなり大きく、下手をすれば政権が倒れる可能性すらあるんではないでしょうか。
 
韓国への甘い対応で保守派から批判の声が上がっている中、今までも増税話が多かった岸田首相がどういう決断をするのか、非常に気になります。
 

2023年7月14日金曜日

ぶらり三田

晴雨雨雨晴のオセロ模様に潰された昨年秋のツーリング休暇。
せめて日帰りでもと、1日目の晴れは備前西部に出かけました。
5日目も行くぜ!というわけで、ちょっと時間が空きましたが、今回は三田をぶらりとした時の記録をば。
 
神戸に住む自分にとっては、三田は近いような遠いような土地です。
学生時代の友達が住んでいたので、割と身近なはずなんですが、神戸から行くとなると、意外と遠いんですよね。
そこまで走るなら篠山まで行こうか、なんてことになりがちで、近くて遠い場所です。
その三田にはお城があるんですが、なんたかんだと行きそびれたままでした。
今回は、いい機会かと、その三田城へ。
三田へは、呑吐ダムから山越えで淡河を経由するという、神戸では有名な快走ルートを通っていきます。
このルートは走り屋さんも多く、警察の方にとっても良い営業ポイントになっているので、はしゃぎ過ぎず慎重に。
淡河からはひたすら直進して、道場までまっしぐらです。
道場あたりの国道176号線は、有馬川沿いのルートで視界も広く、走っていて心地の良い道ですね。
そのまま国道176号線を北上していくと、三田市街に入るんですが、三田の城下町をベースとする旧市街を通るわけではないので、左折して神戸電鉄の線路をくぐって旧市街へ入りました。
でも、三田城を明確に示す案内はありません。
仕方がないので、少し早い昼食を摂りながら、下調べです。
現地に来てから下調べと言うのも、近場ツーリングならではでしょう。
気ままな旅ですな。
昼食を終え、三田城の場所も判ったので、その有馬高校方向へ。
しかし、武庫川沿いから見上げると、結構な崖ですな。
これは防御も堅そうです。
三田城は、有馬高校と三田小学校の辺りにありました。
三田小学校の校門には、城址碑が建っています。
 
 
三田城は、築城時期や築城者はどうも不鮮明のようですが、戦国時代後期にはしっかり機能していたようです。
色々と支配者は変遷しますが、豊臣政権末期は山崎氏、関ヶ原の合戦後は有馬氏、そして松平氏を挟んで海賊大名の九鬼氏が城主でした。
ただ、幕末まで無城大名の家格だったので、城とは名乗れなかったようですね。
この城址碑のある三田小学校が、そのまま陣屋本体の敷地だったようです。
ただ、三田城における陣屋は、大手門からすぐというのもあって行政府的な機能だったんではないでしょうか。
山崎氏時代の天守は北の崖側にあったそうですから、実質的な本丸は有馬高校の中央から東部っぽいですね。
その有馬高校の前には、水堀も残っていました。
 
 
そして、反対側には空堀も。
 
 
三田城の縄張図はこんな感じです。
 
 
三田藩の藩主であった九鬼氏は、志摩の海賊から出発した海賊大名で、戦国時代は織田家の水軍を担いました。
それが三田という内陸部に移封されてしまったんですが、操船技術を伝えるべく、城の脇の御池という池で訓練したと伝わります。
その御池は、三田大池として今も健在でした。
 
 
再開発もされずに今も在るというのは、なんだか生き証人みたいですね。
 
三田には、三田城以外にもいくつかお城があるんですが、以前に発掘調査に行けなかった城を記事にしたことがありました。
 
 
それが、蒲公英城の別名を持つ松原城です。
城跡の場所は非常に分かりやすく、神戸電鉄神鉄道場駅のすぐ東側です。
今はどうなっているか、行ってみました。
下が2022年秋の状況です。
 
 
完全に造成工事中ですね・・・
しかし、鉄路と城跡の間に窪みが。
 
 
写真の手前が凹んでいます。
鉄路より西側は鉄路より高い鹿の子台という住宅地となっていて、城のあった当時はただの山だったんでしょうけど、そこから続く丘陵を断ち切った堀切や空堀の跡でしょうか。
堀切だったら、わずかな痕跡を発見できて嬉しいんですが・・・
 
日帰りツーリング用に、近場のスポットは残してあって、今回は意外と満足感はあったんですが、気候の良い時期は、やっぱり長距離ツーリングに行きたいですね。
もうちょっと晴れ力を鍛えなくては!
 
参考:
 

2023年7月7日金曜日

サイトのリニューアル 福井のお城終了

サイトのリニューアルですが、福井県のすべてのお城を作成し終えました。
全部で23城です。
内、1城は滋賀県との県境に跨る玄蕃尾城で、ダブルカウントになりますな。
 
 
自分で考えていたよりも、数は多かったですね。
作りながら整理してみてびっくり。
コロナ禍ということもありましたし、ここしばらく、福井県には足を運んでいないのですが、一時は2年に1回ぐらいのペースで訪れていましたからね。
主要なお城は、ほぼ制覇したんじゃないでしょうか。
細かいところを見れば、寄ってみたい城もまだまだあるんですが、メジャーなところでは、後は足羽七城や、その中でも歴史上重要な藤島城、若狭の国吉城ぐらいですかね。
あと、一乗谷城の再訪もしてみたいですな。
今はもっと整備されているようなので。
当時は、一乗谷の城下町も整備がまだ途上でしたし、城の遊歩道は下草が生えまくっている状態。
写真も撮ってませんしね。
さぁ、お城も終わったので、次は他のスポットをやっていきましょう!
 

2023年7月4日火曜日

大江戸温泉物語と湯快リゾートの経営統合

半月ほど前ですが、大江戸温泉物語と湯快リゾートの経営統合の話が出ていましたね。
 
 
各新聞社が第一報を出していましたが、このねとらぼの記事は、もう少し突っ込んでいるように見えます。
記事中にもあるように、2022年に大江戸温泉物語がローンスターに買収されていますが、その前にはベインキャピタルというファンドが親会社でした。
このベインキャピタルが買収した際も、ニュースになっていたのを記憶しています。
設立後、しばらくしてから全国の閉館した温泉旅館を居抜きのような形で買い取ってリフォームし、全国チェーンの温泉リゾートへの歩を進めましたが、その後は投資ファンド傘下にありますね。
もう一方の湯快リゾートも、2019年に日本企業成長投資という投資会社に売却され、その後はローンスターの傘下となっています。
同じような業態で、株主が同じ、そして営業地域は西と東で被っている部分が少ない。
こうなると、まぁ統合するんやろな、というのは、誰しも予想することですね。
この時期の統合ですから、コロナ禍での苦戦が状況の進展を生んだという面は強いでしょうが。
 
で、このニュースの何がバイク絡みかと言うと・・・
お土産が送料無料で送れるねん!
もちろん、一定額以上という縛りはあるんですが。
どちらも団体客が多そうで落ち着かなさそうやし、バイキングにそこまで惹かれないし、と思ってあんまり選択肢に入れてなかったんですが、この前の春のツーリングで湯快リゾートに泊まってみると・・・送料無料で送れるのは、バイク乗りにとって神としか言いようがありません。
ツーリング最終日の、パニアの空き領域との格闘から解放です!
お土産は嵩張らず平べったいもの限定という縛りも、もういりません!
これからのツーリングの最終泊は湯快リゾート縛りでいいんじゃないか?と思ったほどでした。
両社の統合には、まだしばらく整理の時間が要るとは思いますが、バイク乗りとしては、このサービスは維持して欲しいな~