ふむ。
いつものごとく予定が押してフェリーの時間に間に合わず。
予定詰め込みすぎ!
九州道菊水I.C.からは、サクッと北上し、次の南関I.C.まで。
そして、1kmほど走れば、南関の旧市街に到着。
懐かしいですな。
13年前に来た時は1日中雨で、鷹ノ原城を探したものの探し当てられず、この近くで昼ご飯を食べた記憶が。
あれは道の駅おおむただったかな?
過去の旅日記を見返してみると逆で、昼ご飯を道の駅おおむたで食べて、鷹ノ原城を探したらしい。
おっさんにもなると記憶も適当やねぇ
びちゃびちゃのカッパで小奇麗なレンストランに入ったのだけは恥ずかしくて明瞭に覚えてるけども(笑)
とりあえず大まかな位置は把握してるので、適当に旧市街を走ってみると、鷹ノ原城やその麓の南関御茶屋という表示が何ヶ所かに出てきます。
あれ?これを見逃したん?
とは思ったが、あれから案内表示が整備されたのか。
それとも、雨で探す集中力が切れていたのか。
できれば前者と思いたい。
いや、思い込んでおこう(笑)
鷹ノ原城と南関御茶屋は、宿場町の面影を残す南関の町並の北西側にあります。
麓に江戸時代の参勤交代の際の休息場所であった御茶屋、そしてその後背に鷹ノ原城。
鷹ノ原城へ向かうと、まず南関御茶屋跡があります。
こちらはほぼ跡地のみ。
ここから登っていく途中には、石塁なんかもあります。
ただ、当時の石垣か後世のものかはちょっと判断がつきませんでした。
鷹ノ原城の築城は関が原の合戦後なので、城の石垣としてはローテク過ぎるような気も。
戦国時代中頃と言われれば納得できそうな感じやけど、その頃は城はまだ無いという。
鷹ノ原城は、一国一城令と、恐らく九州の諸城と同じように島原の乱の後にも破城を受けているので、綺麗さっぱり壊されたらしく、残る遺構は発掘されたものばかりです。
石垣の基壇部が発掘されたまま露出展示されているので、縄張を追うことが出来ます。
この桝形の石垣なんかは判り易いですね。
手前の岩と向こうの石垣基壇、そして隅部が見え、桝形の形が浮かびます。
圧巻は本丸と三ノ丸の間の堀跡。
総石垣だったはずの堀と、崩された石材が散乱していて、なかなかダイナミックです。
最後に城址碑。
城址碑が一番貧弱に見えるのは何故?
木製なのがいかんのか。
取り敢えずは、長年の行きそびれた心残りを解消できて満足ですわ(^^)
さて、これで熊本は終わり。
柳川へ向かうぞな。
つづく
参考:
鷹ノ原城
地図付きはこちら
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