2024年12月31日火曜日

サイトのリニューアル 愛媛の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、愛媛県で訪れた全てのスポットの作成が終了しました。
 
 
愛媛県は、お城が14城、温泉が1ヶ所、神社が1社、自然が1ヶ所、資料館が3館、道路が2本で、合計22スポットです。
ざっと見ると、東予と中予は比較的充実していて、南予はちょっとまばらですね。
一応は、国道11号線や国道56号線、国道196号線を走破しているので、海岸沿いというほどではないですが、ほぼ愛媛県の海側の外周は走っていることになります。
それでもスポット数としては、まだまだでしょうか。
行っておきたい所がたくさんありますね。
バイク乗りとしては、四国カルストもしっかりと走っておきたい所。
道後温泉を拠点にして、あちこち行ける日が来ることを祈りましょう。
さあ、次は四国最後の県、高知県へ向かいます。
 

2024年12月26日木曜日

2024年走り納め

2024年ももう終わりますね。
ということで、走り納めをしてきました。
仕事の関係で、12/25に。
クリスマスツーリングやないかい!
さすがに赤白の帽子は被りませんが、クリスマス気分でぶらりと遠回りしながら三木へ。
なんとなく冬場でぶらりと行くと、三木か稲美町か呑吐ダムか、行き先が偏りますね笑
30分ほど走り、昼飯を食べようと、時々行く体育館のすぐ近くにあるレストランに向かいました。
小洒落た感じで気になっていたんですよね。
しかし、本日は予約のお客様のみとの文字が。
仕方ないので、三木の市街地に向かい昼食を摂りました。
お腹が落ち着いたところで、近くの明石道峯構付城跡へ。
 
 
この付城は、三木合戦の際に築かれた多くの付城のひとつで、平成11年になって場所がはっきり判ったという新しい遺跡です。
城としては、丘陵に築かれた3郭構成の城で、構造としては非常にシンプル。
高さといい、規模といい、ご飯の後の散歩にはちょうどよかったですね。
この遺跡は、ターゲットバードゴルフという、バトミントン的な羽が付いたボールを打つゴルフ場の横にあるんですが、ゴルフ場の駐車場に1台分の駐車スペースが史跡散策の方用として確保されていました。
これも、とても有り難かったですね。
なかなか良い走り納めになりました。
 

2024年12月21日土曜日

サイトのリニューアル 愛媛のお城終了

サイトのリニューアルですが、愛媛県で訪問したお城の作成が終了しました。
お城の数は全部で14城です。
 
 
こうやって見ると、愛媛県というのは、縦にも横にも長いですね。
そんな長い愛媛県なのですが、松山城、今治城、大洲城、宇和島城と、有名どころは回れているのは満足です。
なんだかんだ、川之江から松山までの東西方向は、何度か行ってるんで、それなりにお城も回れていますね。
これが南予になると、難易度がスコーンと跳ね上がる。
高速道路が延伸したとは言え、関西からは遠いので、ハードルが結構高いんですよね。
遠いだけに、行くのなら色々と回りたいので、最低3日は欲しいという日程の問題もありますし。
でも、主城黒瀬城や長宗我部軍撃退の岡本城など、西園寺十五将のお城をいつか回りたいものです。
さて、お城が終わりましたので、次はお城以外のスポットを作って行きましょう。
 

2024年12月16日月曜日

東信群馬埼玉ツーリング その7

前回のあらすじ
 
碓氷峠制覇!
峠と言いつつ、ひたすら下っただけですが。
 
何か、このツーリングの話がなかなか進まず、月刊のようになっていますが、ようやく長野を脱出しました。
長野群馬県境の碓氷峠を下ると、そこは群馬県。
旧国名では信濃と上野の境となりますが、ここは勢力の境目でもありましたね。
室町時代には、鎌倉公方の管轄であった上野国と、幕府の管轄であった信濃国の境目で、戦国時代に入ると、上野の守護でもあった関東管領山内上杉家が勢力を増すと峠の西の信濃側へ影響力を及ぼし、戦国大名化した武田家が信濃まで進出すると、峠の東の上野側まで勢力圏を拡げました。
国境は、ちょうど天秤の真ん中のような感じでしょうかね。
ここを中心に、信濃側に傾くのか、上野側に傾くのか。
戦国時代の中期から後期に差し掛かると、上野まで北条氏が進出しますが、西上野は武田領のままで、碓氷峠から安中の辺りは武田家臣となった安中氏が支配していました。
それが、武田氏の滅亡を経て、武田氏旧領を併呑した信長が本能寺の変に倒れると、武田旧領では武田旧臣が蜂起し、それぞれ徳川氏と北条氏が支援したことで、両者による争奪戦である天正壬午の乱が繰り広げられます。
しかし、この戦いは膠着状態になってしまい、両者で甲斐信濃は徳川領、上野は北条領にするという手打ちが行われました。
この手打ちによって、信濃から上野に掛けて領地を持っていた真田昌幸がヘソを曲げるわけですが、それは同じ上野でも北西辺りの別のお話。
安中辺りの西上野は、手打ちの通り北条領となり、北条氏の伊豆時代からの重臣の家系である大道寺正繁が、境目の城として松井田城を大改修するわけです。
今回、ここまで来た主目的のひとつは、この松井田城。
いよいよですね。
横川から少し東に行くと、松井田の集落へと入ります。
ここには菩提寺があり、ここにも松井田城の説明板が。
 
 
ここから北へ走り、松井田城のある山塊へと入って行きます。
ちょっと足で登らないといけないかとも思っていたんですが、幸いにも山道を登った先の駐車場がもう城域の一角で、すぐに散策に入ることができました。
 
 
この松井田城は、別城一郭のようになっていて、安中氏時代の城と、大道寺氏時代の城が峰筋に並んでいます。
このほかに、詰城と呼ばれる場所も西にあり、集落にあった松井田の居館の詰城だったと推測されていますね。
それだけ、それぞれの時代で要衝として重視されていた地域だったということの証になるでしょうか。
城の駐車場の辺りはもう城内で、早速、堀切と土塁が出迎えてくれます。
 
 
良きですね。
次に向かうのは本丸北側。
横堀がありました。
 
 
続いて武者溜。
 
 
そして連続竪堀が見えます。
ただ、例のごとく写真ではちゃんと見えないんですよね。
 
 
続いて大手門跡。
 
 
巨石の石垣の痕跡が残っています。
ここから先は、いよいよ主郭部ですね。
まずは馬出。
 
 
そして二ノ丸へと入って行きます。
二ノ丸の西側突端には、土塁が残っていました。
 
 
同じく二ノ丸の南側。
 
 
いよいよ本丸へ。
 
 
本丸には櫓台もありました。
戦国時代も末期に整備されたので、天守的な櫓だったのかも知れませんね。
今は社が祀られています。
 
 
松井田城は、上で書いたように時代の異なる2つの城が一城別郭のように並んでいるんですが、東へ進んで行くと、その古い時代の城郭が見えてきました。
安中郭です。
 
 
こちらは細長い峰筋を削平した感じで、中世的な匂いが強いですね。
奥へと進んで行くと、松井田城址碑がありました。
 
 
詳しい話は分かりませんが、安中郭だけが安中市の史跡になっているようなので、そのためですかね。
安中郭から下りて行くと、S型空堀がありました。
 
 
この辺りまで下りると、再び北条氏の匂いが強くなりますね。
滝山城の長大な堀を思い出しました。
さらにその先には水ノ手があります。
 
 
いや~、大きな城でしたね。
非常に満足です。
ちょっと文と写真が多くなり過ぎたので、今回はここまでにしましょうか。
次回は、いよいよ管領山内上杉氏の居城平井城です。
 
つづく
 
参考:

2024年12月9日月曜日

アサド政権崩壊

シリアのアサド政権が、反政府勢力によって首都ダマスカスを占拠され、崩壊しました。
シリアと言えば、反米の一角として存在感があり、ロシア、イラクといった反米国家と仲の良い国ですね。
2011年のアラブの春以降、民主化運動が中東を席巻する中、独裁政権は倒されずに踏みとどまったものの、深刻な内戦状態になりました。
その内戦では、反政府勢力が一枚岩ではなかったため、なんとかアサド政権が優勢となりましたが、今度はイスラミックステートが急速に力を伸ばしたため、これと引き続き戦うことになり、劣勢に追い込まれてしまいます。
ここで政権側として軍事介入したのがロシアで、それ以来、非常に近しい関係を保っていました。
しかし、今年に入ってから反政府勢力の勢いが増し、政権崩壊となったわけです。
これは、ロシアがシリア駐留軍から部隊を引き抜き、その弱体化を見た反政府勢力が攻勢を仕掛けたからのようですね。
また、アサド政権を支援していたイランや民兵組織のヒズボラが、対イスラエル戦に力を割かざるを得なくなったため、という理由もあるようです。
つまり、2つの大きな戦いが、このシリアに影響したと。
こうやって見てみると、政治軍事の世界というのは、玉突きのように情勢が絡み合うものだと改めて思いますね。
 
振り返れば、ロシアがウクライナに侵攻での短期決戦に失敗したことから戦力を大幅に増強せざるを得なくなり、アルメニアの駐留軍から部隊を引き抜いたところ、その隙を衝いたアゼルバイジャンが、2023年にアルメニアの実効支配するナゴルノカラバフに侵攻し、占領したという事件がありました。
つまりは、シリアと同じようなパターンなんですが、これによってアルメニアは、ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)への参加を停止し、それまでの親欧米路線を強化しています。
結果的には、ウクライナ侵攻が、国際的なロシアのプレゼンスを弱めているということになりますね。
今回も、シリアを起点として中東やアフリカへの影響力を行使していたロシアにとっては、かなりの痛手になるでしょう。
一方でジョージアでは、これまで親欧米政権でしたが、ややロシアに傾いているようですね。
ここも一部地域をロシアが独立承認したという、ウクライナと同じような状況なんですが、ロシアにとっては、成功に近いケースになっているのかもしれません。
成功例と失敗例が紙一重ですから、この辺りが、世界情勢の何とも難しいところですな。
 
話は戻りますが、アサド政権が崩壊した後、即座に動いたのがイスラエルで、シリア軍基地を空爆し、緩衝地帯となっているゴラン高原へも兵を派遣しました。
領地拡大ではなくリスクを未然に防ぐためですが、この辺りはさすがに素早い。
一方、反政府組織を支援していたトルコも、引き続き支援して介入を深めるでしょう。
さらに、反政府勢力も決して一枚岩ではなく、紆余曲折が予想されます。
これに挽回を図るロシアやイランがどう動くか。
まだまだ情勢が変転しそうですね。
 

2024年12月4日水曜日

韓国戒厳令発動

昨日、何の気なしにネットでニュースを見ていたら、びっくりするニュースが流れました。
韓国で戒厳令が発令されたと。
韓国で与党が選挙に敗れ、ねじれ国会で停滞しているというのは知っていましたが、まさか戒厳令が発動されるとは。
ただ、戒厳令は6時間で解除されました。
韓国の憲法では、在籍する国会議員の過半数が解除決議案に賛成した場合、大統領は戒厳令を解除しなければならないとのこと。
国会は野党が過半数を押さえていますから、戒厳令が発令され、軍が国会を閉鎖できるかどうかが、大統領にとっては勝負の分かれ目だったということになります。
実際、国会議事堂への軍の突入が試みられていましたが、軍が突入して国会議事堂を、さらに言うなら会議場を閉鎖する前に解除決議が採決され、大統領は政争に敗れました。
国会で弾劾連発の野党はやり過ぎでしたが、戒厳令はもっとやり過ぎですね。
これで、尹政権は確実に倒れるでしょう。
そして、再び左派政権に戻ると予想されます。
対米、対日、対中、対北朝鮮関係が非常に混沌としたものになるでしょうね。
特に、トランプ政権がどう出るか想像できません。
また、国内の経済が思わしくない状態で外交が不安定になり、さらに経済が悪化して行く可能性が高そうです。
いずれにせよ、韓国はこれからが大変ですね。