8/20のおんな城主直虎で、ついに小野但馬が処刑されましたね。
ドラマとしては、長い長い期間だったような印象ですが、直親が家督を継いだのが桶狭間の合戦と同じ永禄3年(1560)、その謀殺が2年後。
そして、唯一きちんとした一次資料に残っている直虎の徳政に関する文書が永禄11年(1568)11月2日。
ここまで6~7年の話です。
こう見てみると、ドラマで表裏となりながら直虎と政次の二人三脚で井伊家を運営していたのは、短い期間であったことが解りますね。
直親の期間を含めても、僅か9年です。
この後は、武田軍と徳川軍の、今川領同時侵攻が同年12月。
井伊谷三人衆や井伊家の徳川家への臣従が同じ頃。
政次の処刑が翌年4月7日。
徳政から井伊家の崩壊、政次の専横、井伊ノ谷城の奪還までが2ヶ月足らずという短い期間で、この部分は、流石に濃密に描かれたというところでしょうか。
ちなみに、井伊ノ谷城が奪還された後は、ドラマでは一連の流れとして処刑までトントンと進みますが、実際には4ヶ月後の事になります。
歴史上では、小野政次(道好)は井伊家を専横した奸臣として知られていますから、ドラマではどんな最期となるのか、どう整合性を取るのか、ちょっと楽しみにしてました。
そういう意味で、今回の描かれ方は印象的で、ちょっと見入ってしまいましたね。
お互い、それぞれに目的と感情があり、それを素直には出せず覆い隠す必要もある。
そんな中で、出来得る限り最善の選択をしていく。
歴史ドラマらしくていいですね。
こういう幾人もの、数多くの選択が層を成して大河となる。
それが大河ドラマの大河ドラマたる所以だと思います。
ずっと女の人向けのドラマかと思っていましたが、政次の最期は男向けだった気がしますね。
しかし、政次が劇中で似たようなことを言ってましたが、革命には血が必要というのが、すごく解り易かったですな。
大政奉還が成った後も戊辰戦争へ突き進んだ薩長のように、振り上げた拳というのはそのまま下ろせない。
振り下ろす先が必要となってしまう。
これは、全世界で見られる、人間にとって普遍的な事実です。
全体としては、史実で書かれる奸臣としての整合性を取るストーリーに過ぎませんが、俺の首一つで、というのは、血が必要な事を理解していた政次らしいセリフと言えますね。
それだけ、恨みつらみ妬みというのは、人間にとって根の深い感情なのかもしれません。
ところで、ドラマ全体を見渡してみると、直虎最大の山場が8月に終わってしまいました。
この後は直政が家康の寵童となり、異例の出世を遂げていくわけで、直虎は歴史の表舞台から遠ざかるはずです。
ドラマとしては、どう描かれるんでしょうか。
また、ホームドラマ的な話に戻りそうな気もしますが、どうなんでしょう。
その辺りの料理の仕方も楽しみに、ここまで見たら最後まで見届けるとしますか(^^)
0 件のコメント:
コメントを投稿