前回のあらすじ
海津城は整備されててめっちゃ散策しやすかった!
でも、雨早くね?
妻女山で本格的に雨が降り出したので、止むを得ず、雨が比較的遅い松本塩尻方面へ遁走です。
雨に追い立てられるように国道403号線を西へ走り、カッパを着込んで更埴I.C.から長野道へ。
途中、降ったり止んだりの雨模様ながら、本降りとまではならず、朝っぱらからテンションダダ下がりにならなかったのは幸いでしたね。
トンネルをいくつも抜け、山塊を越えると松本平へと入り、ここで天気が変わって曇天となりました。
天気が良ければ、最終日は小笠原氏所縁の林城なんかにも立ち寄りたかったんですが、この天気模様では仕方なし。
というわけで、それらの目的地としていた城の内、塩尻近辺の城だけ寄ることにして、塩尻北I.C.で長野道を降りました。
しばらく国道19号線を南下し、東へ行くと、熊井という地区があります。
今回の旅の最終目的地となるのは、この熊井地区にある北熊井城。
しかししかし、国道19号線から適当に左折してみると、スマホの地図に南熊井城なる文字が見えるではないですか。
なぬ、これは行かねば。
さすがに急に発見した城だったので、具体的な場所が分からず、ちょっと右往左往しましたが、再び小雨が降り始める中、なんとか城を発見しました。
南熊井城は、伝承はいくつかあるようですが、在地豪族の居館背後の小規模な詰城だったようで、後には大規模に整備された北熊井城の出城として使われたんではないでしょうか。
それでも、大手の切岸や空堀はなかなか見応えがあります。
主郭なのかどうなのか、郭として残っている区画には、小さな社が祀られていました。
その区画は、空堀で続きの台地と区切られています。
この城とほぼ同高の続きの台地が開墾されてしまっているので、そこが当時は原野だったのか、それとも城の一角を担っていたのかで、堅固さは随分と変わってくるのですが、どちらにしても、田川を西に、その支流を東に控えた10m強の丘陵にあり、城地としてはなかなか地の利を押さえていますね。
少し視野を広げると、塩尻峠から松本平へ進出する軍勢を抑える場所であると同時に、木曽路から松本平へ進出した地点の東側にもあたり、北熊井城よりもより前線に位置します。
そう考えると、かなり良い場所なんよな~
もっと事績が判っててもいいはずなのに、そこは残念ですわ。
小雨が降り出した南熊井城の散策を早々に終え、次に向かうは北熊井城。
城は、南熊井城から東へ1kmちょっとの場所にあります。
県道63号線を北に向かい、長野道の立体交差を越えて右折すると、東に延びる立派な道があり、その道を進むと、道沿いに巨大な段々畑のような地形が見えてきますが、それが北熊井城。
想像していたよりも、かなり巨大です。
北熊井城は、南熊井城よりは幾分か事績がはっきりしており、武田信玄の重臣であった駒井高白斎が記した高白斎記に、熊野井城として出てくる城に比定されていますね。
ただ、武田勢によって塩尻の拠点として改修されたことは間違いないようですが、それまでの城主や改修後の城主は、諸説あってはっきりとしていません。
立派な道から、空堀を利用した道を使って本丸の下まで来ると、気を削った雄々しい標柱が建てられていました。
地元の人に大切にされている城という雰囲気がプンプン匂ってくるようで、なんだが城好きとしては嬉しいですね(^^)
北熊井城の構造としては、伊那地方でよく見掛けたような、丘陵の突端を堀切で区画してそれぞれ削平した連郭式の城です。
まずは本丸から。
マイナーな城ですが、規模はなかなかのものです。
本丸東側には三重の空堀があり、写真では見にくいですが、なかなか見応えがありました。
本丸の西には、空堀を挟んで西一ノ丸も見えますね。
本丸北側は、かなりの高低がありますな。
本丸と西一ノ丸の間の空堀はかなりの規模で、整った車道から城跡へ入って来る舗装路となっています。
この道を走ると、城が迫って来るようでなかなか迫力があるんですよね(^^)
本丸南側に回ると、そこにも空堀があります。
空堀というよりは横堀と呼んだ方が機能的には正しいかな?
この堀底を進んで行くと、本丸東側の三重空堀のひとつ、金池跡に出ます。
城の東側には、東門跡に例の雄々しき標柱が建っていました。
それは西にも。
2つの城門は南に向いています。
縄張図を見ても、南側に土塁と空堀が複数備えてあり、南が正面なのは間違いないですね。
北側には高低差があり、南側はそれほどではないので、なんらかの居住区画があったのかもしれません。
文献の少なさから、城下町のようなものがあったほど大きくは無いような気はしますが。
往時がどのようであったのか、知りたいですね。
続いて本丸の西側へ。
城の西部分の南側の空堀。
ここも明確に残っています。
本丸の隣の西一ノ丸へ。
こちらはあまり人が入らないのか、ちょっと整備がされていませんでした。
西一ノ丸から、西二ノ丸とその間の空堀。
こちらも明確でいいですね。
北熊井城は、空堀は深く、切岸は険しく、城としてはかなり良く遺構が残っている城で、マイナーながら、城好きには是非見てもらいたい城でしたね。
ただ・・・ただねぇ・・・
雨さえ降ってなければ・・・(> <)
あと少しだけ続くんじゃ・・・
参照:
南熊井城
北熊井城
地図付きは
こちら