今年の春のツーリングどころか、去年の春のツーリングもまだまだ纏まっていませんが、秋はどこへ行こうかなと検索していると、こんな記事を見付けました。
宮崎カーフェリー新会社 来年3月発足
https://miyabiz.com/economics/category_16/item_24610.html
秋は、日の入り時間が早いので、ツーリングは西に向かうのが定番なんですが、幸いにも関西からは九州向けのフェリーが充実しています。
その中で、神戸発着のフェリーがいくつかあり、宮崎フェリーもそのひとつなんですが、ここ数年は常に経営が懸念されていました。
新たに新会社を設立し、旧会社の債務は債務放棄などで清算されるので、新会社はかなり身軽になりますね。
焦点は、22年を目途とする新造船でしょうか。
新造船は、投資としてはかなり大きいですからね。
その資金を計画通り集められるかが肝になりそうです。
さんふらわぁの大阪~志布志航路にも新造船が投入されていますから、関西発九州行のフェリーに、しばらく楽しみが増えますね(^^)
2018年7月29日日曜日
2018年7月22日日曜日
お城手ぬぐい
先日、神戸新聞で下のような記事がありました。
全国100名城、手ぬぐいに残し 城郭絵師の代表作や復元画公開
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201807/0011459728.shtml
城郭画家の荻原一青氏が描いた城郭手ぬぐいが尼崎市の総合文化センター美術ホールで展示されているそうです。
その数、100城、103種類。
城郭専門の復元図ほ描く城郭画家という存在を初めて知りました。
この荻原さんもお城が好きだったんでしょうね。
8/19までという事ですが、バイクでぷらっと行・・・けるか!!
連日36℃、37℃を連発やぞ!
市街地で渋滞にハマった日にゃ、熱中症一直線ですわ・・・
この時期は仕方ないねぇ
電車で行くとしますか・・・
全国100名城、手ぬぐいに残し 城郭絵師の代表作や復元画公開
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201807/0011459728.shtml
城郭画家の荻原一青氏が描いた城郭手ぬぐいが尼崎市の総合文化センター美術ホールで展示されているそうです。
その数、100城、103種類。
城郭専門の復元図ほ描く城郭画家という存在を初めて知りました。
この荻原さんもお城が好きだったんでしょうね。
8/19までという事ですが、バイクでぷらっと行・・・けるか!!
連日36℃、37℃を連発やぞ!
市街地で渋滞にハマった日にゃ、熱中症一直線ですわ・・・
この時期は仕方ないねぇ
電車で行くとしますか・・・
2018年7月16日月曜日
飛騨富山ツーリング その12
前回のあらすじ
富山よ!私は帰って来た!
富山城で、徐々に夕景になりつつある時間に差し掛かって来ましたが、ここから向かうのは、宿を取っている東の入膳ではなく西。
富山市の平野部の西側に、平野部を分断するように呉羽丘陵が北東から南東へと伸びていますが、その一角に白鳥城というのがあります。
その城が次の目的地。
この城は、秀吉が天正13年(1585)に富山城を本拠としていた佐々成政を討伐した際に、その本陣として使われる予定であった城で、富山城を眼下に収めることができるほど近い場所にあります。
直線距離にして4kmほどですな。
ただ、実際には秀吉本人が来る前に成政が降伏してしまったので、城に秀吉が立ち寄ったとも立ち寄ってないとも言われ、諸説あるようですね。
今残っている縄張は、その時の改修をベースに、前田家によって更に改修されたものでしょう。
成政は降伏し、新川郡以外の越中の領土を没収されたとは言え、新川郡自体が越中国の東半分を占めるというように巨大で、まだまだ侮れなかったわけですから。
ただ、それも天正15年(1587)に成政が肥後へ移されると、城の実質上の役目は終えたようです。
今の呉羽丘陵は、結構な富山市民の身近なレクリエーションの場として開発されているようで、北側には公園があり、南側には立山を一望できる展望台が設置され、宿泊施設もあるようですね。
また、丘陵を縦断するように立派な道が通っており、富山城の南側の道である県道44号線を進んで行くと、大きく入口の案内が出ており、簡単に行くことができました。
丘陵縦断の道がなかなか良い道で、気分良く快調に上って行くと、南西側の城山と呼ばれる部分の、展望台からほど近い場所に駐車場があり、駐車スペースもたっぷりあって止めやすい。
また、その駐車場に城址碑もありました。
ここから城へはすぐです。
が、城へは行かず、まずは反対側の展望台へ。
立山の残雪が見えるかな~なんて思ってましたが、春霞で立山も朧気でした。
残念・・・
気を取り直して城へ。
まず出てくるのは東出丸。
東出丸は、主郭部から少し離れており、主郭部との間には堀切がありました。
藪だらけで通路と化してる三ノ丸を過ぎて二ノ丸。
写真は二ノ丸の東側ですね。
全体としてはもっと大きい郭でした。
続いて2段構成の本丸。
写真右手の本丸上段は、天守台と推測されています。
なので、大きさもそれなり。
順に城を巡って行きます。
次は本丸外郭。
ここは、恐らく城内で一番広い郭ではないでしょうか。
ここから高低差を持って接続している東ノ丸。
北側へ回って北ノ丸と北二ノ丸。
写真は北二ノ丸です。
周囲には空堀がありましたが、明確ではありませんでした。
次に西に回って西一ノ丸。
その先の西二ノ丸。
全体としては、城への遊歩道はきちんと整備されていて、非常に散策しやすかった城でしたね。
ただ、1歩外れると全くの藪で、郭の外の空堀とか切岸とかどんな感じになっていたのかは、ほとんど確認できませんでした。
そこは、やや残念でしたが、全体としては郭が明確でなかなか良かったです。
日暮れの時刻が迫る中、白鳥城のある呉羽丘陵を西側に下り、そこから北上すると国道8号線のバイパスへと出ます。
そのバイパスをひたすら東進し、富山市街を抜け、滑川市を過ぎて行くと、魚津がすぐに見えて・・・来る予定でしたが、これがなかなか遠い。
バイパスで流れも快調なんですが、侮れない距離がありました。
目当ての魚津城に着いたのは陽も落ちかけた頃。
ここでの目的は、もちろん魚津城です。
魚津城は、16年前にさんざん市街地をぐるぐる回って見つけられなかった城でした。
ただ、今回は予習バッチリで、1回通り過ぎたものの、すぐに到着。
予習バッチリで1回通り過ぎんのかい!
というセルフツッコミは置くとして、魚津城は上杉勢と織田勢の熾烈な籠城戦があった場所ですが、今は残念ながら遺構は全く見られません。
城跡は小学校になっており、小学校の駐車場に周辺の案内板と説明板がありました。
校門のすぐそばに城址碑があります。
最近、小学校周辺というのはセキュリティが厳しく、小学校へ入るには許可が要るので大変です。
ただ、こういう地方都市というのは旅行者に親切でして、高知の久礼城でもそうでしたが、通りすがりの人が何かと便宜を図ってくれるんですよね。
本当にありがたい話です。
ま、写真を撮るだけなんで、ほんの10秒ほど入るだけなんですがね。
しかし、魚津の市街地も随分と印象が変わりましたな。
16年前は、もうちょっと商店街が商店街として存在感があって、道も旧市街らしく狭苦しかったイメージがあるんですが、訪れてみると、どの地方都市もそうですが、やっぱり商店街が衰退しているようで、存在感がかなり薄れてしまっていました。
反対に、道は整備されたのか割と広々としており、ちょっとした街だったのが、郊外の風景に変わってましたね。
これも時代の流れなんでしょう。
この日は、魚津城ですべての予定を完了。
あとは、宿を取っている入膳へ。
素泊まりの予約だったので、入膳の国道沿いにあったローカルなファミリーレストランで食事を摂りましたが、この店には若い学生さんが結構いて、この辺りの若者スポットなんやなぁと感じました。
ただ、聞き耳を立ててみると、どうも進学で街を出て行く人が多いようですね。
大阪でも地方から出てくる人は多いですが、確かに大学も少ないし、通学できないとどうしようもないわな・・・
地方が大学を誘致しようとする根本原因は、こんなとこなんでしょうね。
進学で出て行くと、そのまま就職して帰ってこないというパターンも多いからね・・・
しかし、高校生ぐらいだと、自転車が移動手段の中心やから、郊外型の店舗だと結構自転車を漕いで集まるんでしょうな。
自分もその頃は、10kmぐらいなら自転車で移動してた気がする。
地方の現状はともかく、昔を思い出して、なんか微笑ましかったですな(^^)
続く
白鳥城
魚津城
地図付きはこちら
富山よ!私は帰って来た!
富山城で、徐々に夕景になりつつある時間に差し掛かって来ましたが、ここから向かうのは、宿を取っている東の入膳ではなく西。
富山市の平野部の西側に、平野部を分断するように呉羽丘陵が北東から南東へと伸びていますが、その一角に白鳥城というのがあります。
その城が次の目的地。
この城は、秀吉が天正13年(1585)に富山城を本拠としていた佐々成政を討伐した際に、その本陣として使われる予定であった城で、富山城を眼下に収めることができるほど近い場所にあります。
直線距離にして4kmほどですな。
ただ、実際には秀吉本人が来る前に成政が降伏してしまったので、城に秀吉が立ち寄ったとも立ち寄ってないとも言われ、諸説あるようですね。
今残っている縄張は、その時の改修をベースに、前田家によって更に改修されたものでしょう。
成政は降伏し、新川郡以外の越中の領土を没収されたとは言え、新川郡自体が越中国の東半分を占めるというように巨大で、まだまだ侮れなかったわけですから。
ただ、それも天正15年(1587)に成政が肥後へ移されると、城の実質上の役目は終えたようです。
今の呉羽丘陵は、結構な富山市民の身近なレクリエーションの場として開発されているようで、北側には公園があり、南側には立山を一望できる展望台が設置され、宿泊施設もあるようですね。
また、丘陵を縦断するように立派な道が通っており、富山城の南側の道である県道44号線を進んで行くと、大きく入口の案内が出ており、簡単に行くことができました。
丘陵縦断の道がなかなか良い道で、気分良く快調に上って行くと、南西側の城山と呼ばれる部分の、展望台からほど近い場所に駐車場があり、駐車スペースもたっぷりあって止めやすい。
また、その駐車場に城址碑もありました。
ここから城へはすぐです。
が、城へは行かず、まずは反対側の展望台へ。
立山の残雪が見えるかな~なんて思ってましたが、春霞で立山も朧気でした。
残念・・・
気を取り直して城へ。
まず出てくるのは東出丸。
東出丸は、主郭部から少し離れており、主郭部との間には堀切がありました。
藪だらけで通路と化してる三ノ丸を過ぎて二ノ丸。
写真は二ノ丸の東側ですね。
全体としてはもっと大きい郭でした。
続いて2段構成の本丸。
写真右手の本丸上段は、天守台と推測されています。
なので、大きさもそれなり。
そして、説明板。
次いで縄張図。
断層面の崖ギリギリに築城されているのがよく解りますね。
順に城を巡って行きます。
次は本丸外郭。
ここは、恐らく城内で一番広い郭ではないでしょうか。
ここから高低差を持って接続している東ノ丸。
北側へ回って北ノ丸と北二ノ丸。
写真は北二ノ丸です。
周囲には空堀がありましたが、明確ではありませんでした。
次に西に回って西一ノ丸。
その先の西二ノ丸。
全体としては、城への遊歩道はきちんと整備されていて、非常に散策しやすかった城でしたね。
ただ、1歩外れると全くの藪で、郭の外の空堀とか切岸とかどんな感じになっていたのかは、ほとんど確認できませんでした。
そこは、やや残念でしたが、全体としては郭が明確でなかなか良かったです。
日暮れの時刻が迫る中、白鳥城のある呉羽丘陵を西側に下り、そこから北上すると国道8号線のバイパスへと出ます。
そのバイパスをひたすら東進し、富山市街を抜け、滑川市を過ぎて行くと、魚津がすぐに見えて・・・来る予定でしたが、これがなかなか遠い。
バイパスで流れも快調なんですが、侮れない距離がありました。
目当ての魚津城に着いたのは陽も落ちかけた頃。
ここでの目的は、もちろん魚津城です。
魚津城は、16年前にさんざん市街地をぐるぐる回って見つけられなかった城でした。
ただ、今回は予習バッチリで、1回通り過ぎたものの、すぐに到着。
予習バッチリで1回通り過ぎんのかい!
というセルフツッコミは置くとして、魚津城は上杉勢と織田勢の熾烈な籠城戦があった場所ですが、今は残念ながら遺構は全く見られません。
城跡は小学校になっており、小学校の駐車場に周辺の案内板と説明板がありました。
校門のすぐそばに城址碑があります。
最近、小学校周辺というのはセキュリティが厳しく、小学校へ入るには許可が要るので大変です。
ただ、こういう地方都市というのは旅行者に親切でして、高知の久礼城でもそうでしたが、通りすがりの人が何かと便宜を図ってくれるんですよね。
本当にありがたい話です。
ま、写真を撮るだけなんで、ほんの10秒ほど入るだけなんですがね。
しかし、魚津の市街地も随分と印象が変わりましたな。
16年前は、もうちょっと商店街が商店街として存在感があって、道も旧市街らしく狭苦しかったイメージがあるんですが、訪れてみると、どの地方都市もそうですが、やっぱり商店街が衰退しているようで、存在感がかなり薄れてしまっていました。
反対に、道は整備されたのか割と広々としており、ちょっとした街だったのが、郊外の風景に変わってましたね。
これも時代の流れなんでしょう。
この日は、魚津城ですべての予定を完了。
あとは、宿を取っている入膳へ。
素泊まりの予約だったので、入膳の国道沿いにあったローカルなファミリーレストランで食事を摂りましたが、この店には若い学生さんが結構いて、この辺りの若者スポットなんやなぁと感じました。
ただ、聞き耳を立ててみると、どうも進学で街を出て行く人が多いようですね。
大阪でも地方から出てくる人は多いですが、確かに大学も少ないし、通学できないとどうしようもないわな・・・
地方が大学を誘致しようとする根本原因は、こんなとこなんでしょうね。
進学で出て行くと、そのまま就職して帰ってこないというパターンも多いからね・・・
しかし、高校生ぐらいだと、自転車が移動手段の中心やから、郊外型の店舗だと結構自転車を漕いで集まるんでしょうな。
自分もその頃は、10kmぐらいなら自転車で移動してた気がする。
地方の現状はともかく、昔を思い出して、なんか微笑ましかったですな(^^)
続く
白鳥城
魚津城
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2018年7月9日月曜日
気になる中国の状況
先週、中国について、こんなニュースが出ていました。
中国の大手国有銀行、人民元支援のためドル売りのもよう=市場筋
https://jp.reuters.com/article/china-forex-intervention-idJPKBN1JT09S
同じロイターでも、こちらの方が少し詳しいですね。
上海外為市場=人民元、約1年ぶり安値 国有銀行がドル売り
https://jp.reuters.com/article/上海外為市場%EF%BC%9D人民元-約1年ぶり安値%E3%80%80国有銀行がドル売り-idJPL4N1TZ26H
7/6には、中国からアメリカへの輸出品に対する関税がスーパー301条に基づいて25%引き上げられましたが、それを織り込むように、上海市場などではしばらく前から株価の下落が起き、元もじりじりと値を下げていました。
株価の下落と通貨の下落は、すなわち外国資本の国外逃避であるキャピタルフライトの証とも言えます。
今はまだ、それほど大きな動きではありませんが、中国にとっては嫌な動きには違いありません。
今回の為替介入は、それに対する中国当局の反応ということになるんですが、国有銀行がフォワード取引でドルを買い、そのドルをスポット市場に流しているというのは、やや異質ですな。
時期が時期だけに、当局の表立った動きを見せたくないのか、それとも、中国の発表する外貨準備には国有銀行の短期決済分も含まれているという話がよくされますが、この動きはそれを示す材料なのか、はたまた、真水とされるドルやアメリカ国債を使いたくないのか、なんとも判断がしにくいですね。
いずれにしても、米中の貿易摩擦は実際に発動される段階にまで来ました。
中国が不安定化すると、2015年後半から2016年初頭のように、乱高下が世界に波及する恐れがありますし、うまく落としどころを付けて欲しいですな。
中国の大手国有銀行、人民元支援のためドル売りのもよう=市場筋
https://jp.reuters.com/article/china-forex-intervention-idJPKBN1JT09S
同じロイターでも、こちらの方が少し詳しいですね。
上海外為市場=人民元、約1年ぶり安値 国有銀行がドル売り
https://jp.reuters.com/article/上海外為市場%EF%BC%9D人民元-約1年ぶり安値%E3%80%80国有銀行がドル売り-idJPL4N1TZ26H
7/6には、中国からアメリカへの輸出品に対する関税がスーパー301条に基づいて25%引き上げられましたが、それを織り込むように、上海市場などではしばらく前から株価の下落が起き、元もじりじりと値を下げていました。
株価の下落と通貨の下落は、すなわち外国資本の国外逃避であるキャピタルフライトの証とも言えます。
今はまだ、それほど大きな動きではありませんが、中国にとっては嫌な動きには違いありません。
今回の為替介入は、それに対する中国当局の反応ということになるんですが、国有銀行がフォワード取引でドルを買い、そのドルをスポット市場に流しているというのは、やや異質ですな。
時期が時期だけに、当局の表立った動きを見せたくないのか、それとも、中国の発表する外貨準備には国有銀行の短期決済分も含まれているという話がよくされますが、この動きはそれを示す材料なのか、はたまた、真水とされるドルやアメリカ国債を使いたくないのか、なんとも判断がしにくいですね。
いずれにしても、米中の貿易摩擦は実際に発動される段階にまで来ました。
中国が不安定化すると、2015年後半から2016年初頭のように、乱高下が世界に波及する恐れがありますし、うまく落としどころを付けて欲しいですな。
2018年7月3日火曜日
西野監督のリスクマネージメント
日本代表、惜しかったですね。
でも、今まで強豪相手にリードしたらディフェンシブになっていたのと違って、隙を見てきっちり攻撃に行けていました。
そこに意思を感じましたね。
ただ、強豪相手に勝ち越すことがあまりないだけに、勝ち越してからのゲームの作り方に未熟な点があったのかもという印象が残りました。
それと、勝負強さ。
強いチームは最後の5分+ロスタイムに決定的なプレーをしてきます。
コロンビア相手に追いつかれながら勝ち越し、セネガル相手に2度も追いついた今回は、そういう勝負強さが期待できましたが、結果としては、逆にベルギーに出された形となりました。
でも強豪ベルギー相手に真っ向勝負できたんですから、今後、これが糧になってくれたら、期待が大きく持てますな。
戦評はさて置き、ワールドカップの予選の最終戦、ポーランド戦の最後の10分のボール回しには、国内外で賛否が出ました。
これについて、自分個人としては、野球の敬遠を批判するようなものだなと思うんですがね。
時には負けている場合でも、自ら不利な作戦を採ることでその先の果実を狙うのは、全体の戦略としては極々当たり前ですから。
要は何を一番求めるかという話で、厳しい戦いであればあるほど、目先の勝敗よりも決勝トーナメント進出という確たる結果を残したいものですしね。
ただ、そのような個人の感想はともかくとして、西野監督があの時にどのようなリスク判断をしたのでしょうか。
そこが少し気になりました。
状況としては、日本が1点差で負けていて、セネガルも同じく1点差で負けている。
得失点差は無く、直接対決も引き分け。
差はイエローカードの枚数だけです。
ここで西野監督の採り得る戦略は2つ。
1つは、セネガルが追いつくことを想定して、勝ちを求めて攻め続けるプラン。
もう1つは、状況が変化しないことを想定して時間を潰していくプラン。
ここで、周知の通り西野監督は後者のプランを選択したわけで、当然ながら後者の方がリスクが少ないと評価したことになります。
この辺りのリスク評価は妥当でしょうね。
1点差とは言え、相手は世界ランクトップ10に入るポーランド。
優勝候補に挙げる人もいるほどで、この組では最強とされるチームです。
そのチームが、0勝だけは避けたいと勝ちを欲し、その勝ちを収める為に引いた状態になっている。
弱者ですらガチガチに引いて守ると強豪もなかなか攻めあぐむものですが、強豪チームが引いて守っているとなると、ゴールをこじ開けるのは並大抵のことではありません。
強引なプレーをすれば、唯一のリードポイントであるイエローカードが出される可能性もありますし、カウンターを食らえば得失点差で決勝トーナメントには進めなくなる可能性も考えられます。
ただ、こういう独特の雰囲気がある大会では、終了5分前の時間帯にゲームが動くことも多く、攻撃的なチームほどそういう劇的な展開をしたりしますから、セネガルの結果次第となる時間潰しにもかなりのリスクはありますよね。
どちらを選んでもギャンブルにはなるんですが、同じギャンブルでも本命買いのような比較的手堅い戦略だったと言えるでしょうか。
ただ、西野監督個人のキャリアとなると話が違ってきます。
最後まで諦めず攻め続けたほうが、俄然リスクは少なくなるんですな。
ワールドカップ直前というタイミングで、火中の栗を拾うような形で監督に就任しながら、初戦で強豪コロンビアに勝利するという実績を既に得ていますから、予選で敗退してもその手腕は評価されます。
まして、諦めず最後まで攻め続ければ、攻めの姿勢が解り易く好印象で、うまくいけばそのまま決勝トーナメントに行けますし、運悪く敗退しても評価は下がることはないでしょう。
これが時間潰しの策であれば、戦略とは言え、負けているチームが時間潰しをすることは非常に稀ですから、色んな論評が出てくるのは確実です。
ましてセネガルが同点に追いついてしまったのなら、戦略ミスを方々から叩かれるのは間違いありません。
西野監督個人のリスク管理で言えば、あり得ない選択だったわけです。
だからこそ、今回の西野監督の決断には凄みがあるんですね。
そこはもう、ただただ決断力としか言いようがないですな。
もしかしたら、西野監督は、積み上げてきた指導者としてのキャリアを、この試合で無くしてしまってもいいとさえ思っていたのかもしれません。
いや~、それにしても早起きした甲斐がありました。
結果は残念でしたけど、本当に良い試合でしたね。
今後はぐっと世代交代が進むと思いますが、楽しみになりました(^^)
でも、今まで強豪相手にリードしたらディフェンシブになっていたのと違って、隙を見てきっちり攻撃に行けていました。
そこに意思を感じましたね。
ただ、強豪相手に勝ち越すことがあまりないだけに、勝ち越してからのゲームの作り方に未熟な点があったのかもという印象が残りました。
それと、勝負強さ。
強いチームは最後の5分+ロスタイムに決定的なプレーをしてきます。
コロンビア相手に追いつかれながら勝ち越し、セネガル相手に2度も追いついた今回は、そういう勝負強さが期待できましたが、結果としては、逆にベルギーに出された形となりました。
でも強豪ベルギー相手に真っ向勝負できたんですから、今後、これが糧になってくれたら、期待が大きく持てますな。
戦評はさて置き、ワールドカップの予選の最終戦、ポーランド戦の最後の10分のボール回しには、国内外で賛否が出ました。
これについて、自分個人としては、野球の敬遠を批判するようなものだなと思うんですがね。
時には負けている場合でも、自ら不利な作戦を採ることでその先の果実を狙うのは、全体の戦略としては極々当たり前ですから。
要は何を一番求めるかという話で、厳しい戦いであればあるほど、目先の勝敗よりも決勝トーナメント進出という確たる結果を残したいものですしね。
ただ、そのような個人の感想はともかくとして、西野監督があの時にどのようなリスク判断をしたのでしょうか。
そこが少し気になりました。
状況としては、日本が1点差で負けていて、セネガルも同じく1点差で負けている。
得失点差は無く、直接対決も引き分け。
差はイエローカードの枚数だけです。
ここで西野監督の採り得る戦略は2つ。
1つは、セネガルが追いつくことを想定して、勝ちを求めて攻め続けるプラン。
もう1つは、状況が変化しないことを想定して時間を潰していくプラン。
ここで、周知の通り西野監督は後者のプランを選択したわけで、当然ながら後者の方がリスクが少ないと評価したことになります。
この辺りのリスク評価は妥当でしょうね。
1点差とは言え、相手は世界ランクトップ10に入るポーランド。
優勝候補に挙げる人もいるほどで、この組では最強とされるチームです。
そのチームが、0勝だけは避けたいと勝ちを欲し、その勝ちを収める為に引いた状態になっている。
弱者ですらガチガチに引いて守ると強豪もなかなか攻めあぐむものですが、強豪チームが引いて守っているとなると、ゴールをこじ開けるのは並大抵のことではありません。
強引なプレーをすれば、唯一のリードポイントであるイエローカードが出される可能性もありますし、カウンターを食らえば得失点差で決勝トーナメントには進めなくなる可能性も考えられます。
ただ、こういう独特の雰囲気がある大会では、終了5分前の時間帯にゲームが動くことも多く、攻撃的なチームほどそういう劇的な展開をしたりしますから、セネガルの結果次第となる時間潰しにもかなりのリスクはありますよね。
どちらを選んでもギャンブルにはなるんですが、同じギャンブルでも本命買いのような比較的手堅い戦略だったと言えるでしょうか。
ただ、西野監督個人のキャリアとなると話が違ってきます。
最後まで諦めず攻め続けたほうが、俄然リスクは少なくなるんですな。
ワールドカップ直前というタイミングで、火中の栗を拾うような形で監督に就任しながら、初戦で強豪コロンビアに勝利するという実績を既に得ていますから、予選で敗退してもその手腕は評価されます。
まして、諦めず最後まで攻め続ければ、攻めの姿勢が解り易く好印象で、うまくいけばそのまま決勝トーナメントに行けますし、運悪く敗退しても評価は下がることはないでしょう。
これが時間潰しの策であれば、戦略とは言え、負けているチームが時間潰しをすることは非常に稀ですから、色んな論評が出てくるのは確実です。
ましてセネガルが同点に追いついてしまったのなら、戦略ミスを方々から叩かれるのは間違いありません。
西野監督個人のリスク管理で言えば、あり得ない選択だったわけです。
だからこそ、今回の西野監督の決断には凄みがあるんですね。
そこはもう、ただただ決断力としか言いようがないですな。
もしかしたら、西野監督は、積み上げてきた指導者としてのキャリアを、この試合で無くしてしまってもいいとさえ思っていたのかもしれません。
いや~、それにしても早起きした甲斐がありました。
結果は残念でしたけど、本当に良い試合でしたね。
今後はぐっと世代交代が進むと思いますが、楽しみになりました(^^)
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