2019年10月14日月曜日

バイク入院

ちょっと前になるんですが、バイクのメーターがおかしくなってました。
雨の中、乗っていたら、突然速度が振れ始めて、その内、100km/h、120km/h、60km/hという感じで1秒ごとに大幅に速度が変わってしまうように・・・
酷い時は、
 40km/h
  ↓ 1秒後
 156km/h
なんてことに!
本当にあったらGで失神してしまうがな(^^;)
ずぶ濡れの中、走りながら笑ってしまいました。
その後、S.A.で休憩すると、0km/h表示が多くなり、時々40km/hとか20km/hとか微妙な値に。
 
「配線に水が入り込んだのかな?」
 
なんて思いつつ、次に乗った時には、ちょっと反応が遅いものの比較的リアルな数字が出るようになっていました。
 
「おぉ、もしかして乾いた?」
 
なんて変な希望を持ってそのまま様子見してみたら、次に乗った時には全表示!
デジタル時計のリセットボタンを押した時のように、表示できる場所が全部表示されている状態になってしまったんですよね。
うむ。
御臨終か。
でも、他の電装系は、キルスイッチもクラッチセンサーもウインカーもヘッドライトも全く動作に異常なし。
メーターパネル単体か、その配線だけおかしくなってると思うんですがね。
取りあえず、今日入院させました。
走り頃の秋。
早く退院して欲しいものです。
 

2019年10月6日日曜日

軽減税率の嘆き

10月より、消費税が増税され、食料品などは8%の軽減税率が適用されるようになりました。
で、この軽減税率がややこしい。
食料品というのが基本なんですが、中には資産付きの食料品として10%が適用されるものもあるんです。
これは、新聞やテレビなんかで既報の通りなんですが、実務に落とし込むとなると・・・
ややこしぃんじゃーーー!
おまけに9月分の伝票の訂正なんかは旧税率でやらないといけない。
従来の8%と軽減税率の8%で同じやん、なんて思ってたら、国税と地方税の比率が違うんですよね。
ややこしぃんじゃーーー!
旧税、軽減税率、新税率が入り乱れてしばらく落ち着きそうにないですわ。
 
ある実務者の嘆き・・・でした。
 

2019年9月29日日曜日

表現の不自由展

一時、騒動が収まったかのように思われていたトリエンナーレ2019に関して、また報道が出てきていますね。
文化庁が補助金支給の決定を覆して不支給を決定したことがきっかけです。
内側の事情を知りませんし、見ても無いので、報道されている部分しか知りませんが、この不自由展で展示されたものをいくつか列挙すると、
 
・昭和天皇の写真を焼く映像
・特攻隊の寄せ書きや当時の新聞記事をかまくら状に仕上げたて「間抜けな日本人」と名付けたオブジェ
・韓国の政治的プロバガンダに利用される慰安婦少女像
 
などですね。
ちょっとね、反日に寄り過ぎてない?
主義主張は色々あると思いますし、それはそれできちんと保護されるべきだとは思いますけど、あまりにも偏り過ぎているように感じます。
何か愛国的な過激表現があれば、バランスが取れたんでしょうけど、そういうのは排除してしまったんでしょうか。
また、芸術とするには生々しい現実の毒っ気がそのまま温存されていて、全然芸術に昇華できていないようにも感じますね。
少なくとも個人的には、この3点からは普遍的な何事かを感じるのは難しく思いましたし、政治的な展示と言われれば納得してしまうような性格のものと感じました。
結局、脅迫等があり、不自由展は展示中止に追い込まれ、ニュースになっている補助金の不支給に繋がるわけですが、偏りがあり、芸術として昇華できていないものを展示しておいて、補助金を欲しいってのは、ちょっと筋が悪いですね。
個人的に、芸術でもなんでもそうですが、多くの人が大切にしているものを、表現の自由という錦の御旗があるからと言って侮辱してはいけないと思うんです。
2015年にあったシャルリーエブド襲撃事件の時も思いましたが、問題になった風刺画を見ると侮辱と捉えられても仕方がないもので、ちょっとやりすぎと感じました。
もちろん、暴力的な手段でそれを抑え込むのは完全に間違ってはいますが、公共の福祉というのは、他の人や公共に迷惑を掛けない上で自由や権利が保障されるわけで、多くの人が傷ついたり侮辱を感じるような表現は控えるべきだと思いますね。
また、今回感じたのは、偏った表現をする時は、最低限、自分の足で立って、自前の資金でやるべきだと。
公が補助を出してまでやる事ではないと思うんですよね。
今回の件で、検閲なんて言葉も出ていますが、自分の足で立って実行すれば、公による審査なんてされないですからね。
それだけの覚悟を示さないと、見る側も真に迫れない。
メッセージ性のある本当の芸術というものは、見る側にも緊張を強いるもの。
開催側にもそれだけの覚悟が必要でしょう。
 

2019年9月21日土曜日

驚愕の列車内

ちょっとどこかに吐き出さないと気が済まなかったので・・・書きます。
先日、帰宅の為に電車に乗っていたら・・・
歯を磨いてる人がいました。
乗った瞬間から、なんかシャコシャコと音が聞こえてたんですよね。
なんか歯磨きの音みたいやなぁなんて思ってたら、
歯磨きでした。
そんなに我慢できひんか?とツッコミたくなるような、ほぼ満員電車で立ちながらチューハイを飲んでる人に始まり、完全に一人の世界でブツブツ言っている人や、フラフラと倒れかけて慌てて支えた人など、今まで電車内で色んな人に遭遇してきましたが、今回は今までのすべての経験を超越した存在でしたな。
また、格好が独特で。
速乾タイプのさらっとした肌触りのインナーがありますが、その半袖に同じ素材のパッチ、サンダル、足の爪にはペディキュアのオシャレさん。
耳にはピアスもしてまして、それが部族的なワッカなやつで、向こうが見える系。
体は細身で肌は色黒く、何ごとかを時々呟いていらっしゃったんですが、その言葉が日本語かどうか判別できませんでした。
もしかしたら、外国人の方だったんでしょうか。
新快速に乗っていたので、停車駅間の時間は長めでしたが、その間ずっと歯磨き。
ドアが開くと、乗客の乗り降りが収まるのを待ってから電車と線路の隙間にペッてしてはりました。
この辺り、ちゃんと迷惑が掛からないような所作をしてるんですよね。
何か、不思議な御仁でした。
いや~びっくりしましたわ~
 

2019年9月17日火曜日

たんぽぽ城

「たんぽぽ城」と書くと、非常にファンシーな言葉の響きになりますが、実際に存在した城です。
蒲公英城と書き、松原城とも道場河原城とも呼ばれました。
道場河原は、道場河原宿という宿場町の名で、松原は、播磨を中心に勢力を張っていた四職のひとつ赤松氏の庶流で、城主であった松原氏の名から取られています。
では、蒲公英はどこから?
なんでも、松原氏の奥方は鼓が得意で鼓を打つ音からタンポポと名付けられたとか、城の井戸からタンポンと水琴窟のように水音が響いたことからとか、いくつか説があるようですね。
また、たんぽぽの別名が鼓草なので、そこからの名前とも言われています。
この蒲公英城、なんでも宅地開発によって消滅してしまうとか。
城好きとしては、非常に残念です。
ただ、この工事に先立ち、発掘調査が行われ、現地説明会がありました。
記事は消えてしまったのか、ちょっと探し切れなかったのですが、8月の最終週に神戸新聞に載っており、現況を知ることができたんですね。
無くなってしまうなら、是非行きたい!
とは思ったんですが、説明会は8/31。
土曜は基本的に仕事で、更に月末。
仕事休むなんて無理。
月末は色々と月末ならではの作業があるんですよねぇ
なんとも融通が利かない!
とてもとても残念なんですけど、今回は諦めました。
でも、どうもまだ本丸の調査が継続のようなので、もう1度現地説明会があるかも?
またいつか行く時に、城址碑と説明会の資料が置かれているといいな。
 

2019年9月11日水曜日

お友達内閣論

今日、9/11に第4次安倍再改造内閣が発足しました。
それについて、色々な分析やニュースが飛び交っていますが、一部のメディアや野党は、お友達内閣と評しています。
これ、今まで何度も耳に入っていますし、発信側は批判的な表現として言っているとは思うんですが、自分は何が悪いのかあまり理解できないんですよねぇ
首相の方針を理解する近しい人をスタッフとして入閣させるのは、当然だと思うんですよ。
でないと、首相のやりたいことが実現できない。
調べてみると、第1次安倍政権の時代から言われ出した表現のようですな。
庶民には、お友達だけで政権ごっこをしているというようなイメージを与える効果があるんでしょうかね。
なんだが、大山鳴動して鼠一匹の結果に終わった、モリカケ問題に通じるものがあるような気がします。
あれも、安倍首相の個人的な繋がりが問題視されていましたから。
安倍首相には、内輪だけで何かやってそうなイメージでもあるんでしょうか。
 
ま、それはともかくとして、民間の会社でも当然ながら社長交代劇があり、組閣や内閣改造と同じような状況があります。
組織形態によって各方面から承認を得る必要があるので、内閣ほどフリーハンドではありませんが、社長交代が平和な禅譲であった場合は徐々に、追い落としであったのなら急激に、新社長に近しい役員の面々へと変わることが多いですね。
新社長の立場が強ければ強いほど、その傾向は強いようです。
新社長がイニシアチブを握る以上、社長の方針を理解する役員を配置するのは当然のことですからね。
ただ、方針を理解するとは言っても、その役員をイエスマンで固めるのか、直言できる人間を置くのかは、もちろん社長のやり方次第。
ですが、それをお友達と言ってまとめてしまうのは浅すぎると思うんですよね。
 
社会学の世界では、人間がある程度のチームで仕事を行う場合、同じタイプを多くすると意思決定や実行が早くなり、色んなタイプを入れてバランスを取ると安定的な運用になると言われています。
これをお友達内閣という言葉に当てはめてみると、前者のタイプと言えるでしょう。
それだけ安倍首相は、突破力を期待しているのかもしれません。
具体的には、憲法改正と対韓国への対応、そしてオリンピックというところでしょうか。
ただ、内閣の面々を見てみると、言われているほどお友達内閣でもないんですよね。
確かに、主要ポストは安倍首相の方針に近くて有能な政治家が据えられていると思いますが、一方で、初入閣が多い、つまり大臣待機組にポストを与えたという側面も大きいんでよ。
更には、派閥のバランスも取られています。
これについては、突破型かバランス型かと言われれば、間違いなくバランス型の配置と言えるでしょう。
つまり、この分類でもお友達内閣という批判は当たらないんですよね。
だから余計に、お友達内閣と聞くと、批判の型に嵌めようとしているようで、凄くもやっとするんですよねぇ
 

2019年9月5日木曜日

あおり運転余話

しばらく前の話になりますが、あおり運転の動画がネットで話題になり、同じ車に煽られたという話が茨城から岐阜までの相当大きな範囲で出てくるという、ちょっと異常な感じの事件がありました。
結局、大阪の宮崎文夫容疑者が指名手配され、逮捕されたわけですが、その過程で元阪神タイガースの代打の神様こと八木さんとの対談記事があると話題になっていたんですね。
それ、
ウチにもきました。
企画したのはB-plusという会社で、そこから電話が掛かってきたんですよね。
八木さんと対談してみませんか?と。
関西ウォーカーとかの雑誌もそうですが、いくらかお金を出して紙面に載せてもらうというビジネスモデルは昔からあり、そのネット版というところですな。
ウチは一人親方状態の会社ですし、BtoCもやってないので、お断りしましたが、値段は月9,000円で1年間の掲載ということでした。
年間10万円強で、サイトから集客するようなBtoCの商売なら、スタートアップの広告費としてはそんなに高くないかもしれませんね。
「取り上げられました!」と自HP以外の他媒体を出せるのは大きい。
ただ、B-Plus自体の知名度がもっとあったらという前提にはなりますが・・・
ちょっと興味があったんで、電話を掛けてきた人と30分ぐらい話したんですが、阪神地区の企業が対象で、1日で5~6件の取材をすると言っていました。
八木さんは1日8時間程度の拘束となるんかな?
一応、今後活躍しそうな起業したての会社さんに声を掛けさせてもらってるなんて言ってましたけど、
どう考えても手あたり次第やろ(笑)
法人番号検索サイトあたりから検索してるんかな?
新規登録の日付が取得できるし。
世の中、いろんな商売があるもんだなと感心しました(^^;)
法人を設立すると、こんな感じで色々な勧誘がやってきます。
法人設立後、真っ先にDMが来たのが税理士で、設立の3日後ぐらいには最初のDMが来たとおもいます。
早かったですね。
税理士が5件ぐらい来て、次に早かったのがaskul。
askulはちょっと意外でした。
こういうところに急成長の一端があるのかもしれませんな。
続いてAMEX。
しばらく後にJCBも来ましたが、アメリカンエクスプレスはビジネスカードの仕組みとして割と使い勝手がいいので、力を入れてるみたいですね。
ただ、日本ではVISA・Master・JCBが三強で、アメリカンエクスプレスは使えない所があるんですよね。
そこももっと力を入れて欲しいかな。
しかし、みなさん商魂逞しい。
ちょっと見習わないと(^^;)
 

2019年8月31日土曜日

北陸北信ツーリング その14

前回のあらすじ
 
塩尻にて雨天ゲームセット!
 
想像したより大きく、遺構もシンプルながら盛りだくさんだった北熊井城を後にして、県道63号線を戻り、国道20号線へ出て塩尻I.C.へ。
ここから帰路・・・というか、雨中撤退戦に入ります。
長野道の辺りはまだ雨もお湿り程度だったんですが、岡谷を越えて中央道へ入ると、本格的に降り始めました。
ちょうど昼前頃に駒ヶ岳付近に差し掛かったので、ちょっと早めの昼休憩をば。
食堂がいっぱいになる前で良かったですわ。
昔、スキーに行く時によく食べていた豚汁定食を食べ、食後もゆっくり休憩しつつ、ついでにカッパを少し乾かし、英気を溜め込んで再び撤退戦へ。
しかししかし、そんな英気をすぐ消耗するぐらいの雨が。
この昼休憩後から恵那峡S.A.までが一番酷く降られましたね。
カッパが古いのか、恵那峡に着く頃にはデニムパンツにも浸水してました。
恵那峡S.A.で1時間近く休憩した後、淡々と中央道を走り、名神高速に入る頃にはようやく小降りに。
ただ、名神高速は運悪く大規模な集中工事の期間中で、所々渋滞がありました。
雨に濡れながらの渋滞は、中々きついものがありますな。
雨に濡れながらでも、流れているなら、まるで修業のような、ゾーンのような、余計なことを考えずに淡々と走るモードに入るんですが、止まったり徐行したりしながらただただ濡れるというのは、行程を進んでいる感が無いので心が試されますわ。
ダメ押しは栗東手前からの11kmの渋滞。
いや~、さすがにこの長時間の雨中撤退戦は疲れました。
最後は、どこかでストレスを発散しないと気が済まなかったので、ちょっと高級なネスタリゾート神戸の温泉に入って帰りましたとさ。
 
 
うむ。
なかなか広々とした温泉で良かった。
ただ、日常使いするには高いよな~(^^;)
 
1日目 418.8km
 
 
2日目 240.4km
 
 
3日目 273.6km
 
 
4日目 620.9km
 
 
総計 1453.7km
 
 
参考:
延羽の湯閑雅山荘
地図付きはこちら
 

2019年8月24日土曜日

GSOMIA破棄

GSOMIA、いかめしい日本語にすると、軍事情報包括保護協定というやつですが、日韓の間のGSOMIAの破棄が22日に決定され、韓国から日本に通告されました。
これにより、この協定は3ヶ月後に切れることとなります。
これにはちょっと驚きましたね。
相互的な情報協定ですが、偵察衛星を持たない韓国の方が、得るものが多いからです。
この日韓のGSOMIAは、民主党のオバマ政権時代に米軍が特に望んだものですから、トランプ大統領が構想しているとも言われる在韓米軍撤退の可能性も、少しだけですが現実味を帯びてきた感がありますな。

今、2020年の予算がアメリカで審議されていますから、議会多数派となっている民主党がこれを受けて、今までの方針から転換するのかどうか、気になる所です。
兎にも角にも、このGSOMIA破棄に関してはニュースがいっぱい出てるので、分析には困らないわけですが、穿った見方としては、文政権の民情秘書室長で次期法務部長官に内定しているチョ氏に不正疑惑が噴出しており、保守派による反文政権デモが警察発表で4万人にも上っていることから、この批判を逸らす為というものまでありました。
ただ、過去の政権を見ても、そういう近視眼的な政策は度々ありましたから、安直に否定もできないところですな。
また、表に出てきた公的な発表を追うと、韓国側によって最初に、「米国は理解している」との発表があった後、米国から「一度も私たちの理解を得た事が無い」と直接的に否定され、翌日に韓国側はコメントを後退させました。
このバタバタを考えると、事前の根回しは全く無かったと想像できます。
まるで思い付きで決めてしまったような、そんな印象さえ受けてしまいますね。
実際、この破棄に関して、アメリカ政府の公式な発言では、「強い失望と懸念を表する」とありますが、政府関係者からは、「壊滅的なほど愚かな決定」と言った言葉や、アメリカは理解しているという事に対しては「嘘」という、ちょっと外交関係では見られない言葉が並びました。
普通は、行き違いがあるとか、コンセンサスが取れていないとか、もうちょっとオブラートに包んだ表現をするんですがね。
アメリカのみならず、韓国や日本でも、延長するというのが大方の見方でしたから、この決定に対する驚きと失望の度合いが表現にモロに出ていますな。
 
しかし、世界を見ると、この日韓も話題豊富ですが、米中は米中で再び貿易に関する軋轢が増し、トランプ大統領は「米国企業は中国から撤退しろ」なんて言葉も飛び出しています。

アメリカのダウ工業株も大きな下落となりましたし、FOMCでの利下げ観測もあって、市場はまたしばらくの間、乱高下するかもしれません。
夏休み最後の週、韓国のホワイト国外しの実施も控え、宿題と同じように切羽詰まった状況になるのか、今後が気になりますな。
 

2019年8月18日日曜日

北陸北信ツーリング その13


前回のあらすじ
 
海津城は整備されててめっちゃ散策しやすかった!
でも、雨早くね?
 
妻女山で本格的に雨が降り出したので、止むを得ず、雨が比較的遅い松本塩尻方面へ遁走です。
雨に追い立てられるように国道403号線を西へ走り、カッパを着込んで更埴I.C.から長野道へ。
途中、降ったり止んだりの雨模様ながら、本降りとまではならず、朝っぱらからテンションダダ下がりにならなかったのは幸いでしたね。
トンネルをいくつも抜け、山塊を越えると松本平へと入り、ここで天気が変わって曇天となりました。
天気が良ければ、最終日は小笠原氏所縁の林城なんかにも立ち寄りたかったんですが、この天気模様では仕方なし。
というわけで、それらの目的地としていた城の内、塩尻近辺の城だけ寄ることにして、塩尻北I.C.で長野道を降りました。
しばらく国道19号線を南下し、東へ行くと、熊井という地区があります。
今回の旅の最終目的地となるのは、この熊井地区にある北熊井城。
しかししかし、国道19号線から適当に左折してみると、スマホの地図に南熊井城なる文字が見えるではないですか。
なぬ、これは行かねば。
さすがに急に発見した城だったので、具体的な場所が分からず、ちょっと右往左往しましたが、再び小雨が降り始める中、なんとか城を発見しました。
 
 
南熊井城は、伝承はいくつかあるようですが、在地豪族の居館背後の小規模な詰城だったようで、後には大規模に整備された北熊井城の出城として使われたんではないでしょうか。
それでも、大手の切岸や空堀はなかなか見応えがあります。
 
 
主郭なのかどうなのか、郭として残っている区画には、小さな社が祀られていました。
 
 
その区画は、空堀で続きの台地と区切られています。
 
 
この城とほぼ同高の続きの台地が開墾されてしまっているので、そこが当時は原野だったのか、それとも城の一角を担っていたのかで、堅固さは随分と変わってくるのですが、どちらにしても、田川を西に、その支流を東に控えた10m強の丘陵にあり、城地としてはなかなか地の利を押さえていますね。
少し視野を広げると、塩尻峠から松本平へ進出する軍勢を抑える場所であると同時に、木曽路から松本平へ進出した地点の東側にもあたり、北熊井城よりもより前線に位置します。
そう考えると、かなり良い場所なんよな~
もっと事績が判っててもいいはずなのに、そこは残念ですわ。
 
小雨が降り出した南熊井城の散策を早々に終え、次に向かうは北熊井城。
城は、南熊井城から東へ1kmちょっとの場所にあります。
県道63号線を北に向かい、長野道の立体交差を越えて右折すると、東に延びる立派な道があり、その道を進むと、道沿いに巨大な段々畑のような地形が見えてきますが、それが北熊井城。
想像していたよりも、かなり巨大です。
北熊井城は、南熊井城よりは幾分か事績がはっきりしており、武田信玄の重臣であった駒井高白斎が記した高白斎記に、熊野井城として出てくる城に比定されていますね。
ただ、武田勢によって塩尻の拠点として改修されたことは間違いないようですが、それまでの城主や改修後の城主は、諸説あってはっきりとしていません。
立派な道から、空堀を利用した道を使って本丸の下まで来ると、気を削った雄々しい標柱が建てられていました。
地元の人に大切にされている城という雰囲気がプンプン匂ってくるようで、なんだが城好きとしては嬉しいですね(^^)
北熊井城の構造としては、伊那地方でよく見掛けたような、丘陵の突端を堀切で区画してそれぞれ削平した連郭式の城です。
 
 
まずは本丸から。
 
 
マイナーな城ですが、規模はなかなかのものです。
本丸東側には三重の空堀があり、写真では見にくいですが、なかなか見応えがありました。
 
 
本丸の西には、空堀を挟んで西一ノ丸も見えますね。
 
 
本丸北側は、かなりの高低がありますな。
 
 
本丸と西一ノ丸の間の空堀はかなりの規模で、整った車道から城跡へ入って来る舗装路となっています。
この道を走ると、城が迫って来るようでなかなか迫力があるんですよね(^^)
本丸南側に回ると、そこにも空堀があります。
空堀というよりは横堀と呼んだ方が機能的には正しいかな?
 
 
この堀底を進んで行くと、本丸東側の三重空堀のひとつ、金池跡に出ます。
 
 
城の東側には、東門跡に例の雄々しき標柱が建っていました。
 
 
それは西にも。
 
 
2つの城門は南に向いています。
縄張図を見ても、南側に土塁と空堀が複数備えてあり、南が正面なのは間違いないですね。
北側には高低差があり、南側はそれほどではないので、なんらかの居住区画があったのかもしれません。
文献の少なさから、城下町のようなものがあったほど大きくは無いような気はしますが。
往時がどのようであったのか、知りたいですね。
続いて本丸の西側へ。
城の西部分の南側の空堀。
ここも明確に残っています。
  
 
本丸の隣の西一ノ丸へ。
 
 
こちらはあまり人が入らないのか、ちょっと整備がされていませんでした。
西一ノ丸から、西二ノ丸とその間の空堀。
こちらも明確でいいですね。
 
 
北熊井城は、空堀は深く、切岸は険しく、城としてはかなり良く遺構が残っている城で、マイナーながら、城好きには是非見てもらいたい城でしたね。
ただ・・・ただねぇ・・・
雨さえ降ってなければ・・・(> <)
 
あと少しだけ続くんじゃ・・・
 
参照:
南熊井城
北熊井城
地図付きはこちら
 

2019年8月13日火曜日

北陸北信ツーリング その12

前回のあらすじ
 
凶・・・だと?
 
ツーリング最終日の4日目は、前日の予報に拠れば次第に雨になるとのこと。
ただ、松本や塩尻辺りは昼近くまで曇りとの予報でしたので、回る所は回って、松本方面へ逃れたいところですな。
この日は、雨に備え、7:00前にホテルを出発しました。
まず寄るのは、松代城とも呼ばれている海津城。
現地の城址碑には海津城とあったので、海津城と呼びましょうか。
あの川中島の合戦でも重要な拠点となった城です。
前回来た22年前は石垣の積み直し工事で、城内の散策はまともにできませんでしたが、それから大河ドラマもあり、色々と整備されているようで、楽しみですね。
松代市街で多少道を間違えましたが、海津城付近に来てみると、前回の時は健在だった長野電鉄の松代駅が、ホームだけを残して廃線となっていました。
 
 
なかなか地方の鉄道は、経営が難しいんでしょうね。
この辺りも、地方の過疎化と車社会を感じます。
さて、松代駅近くにバイクを止め、散策開始。
現在の海津城は、三ノ丸と花ノ丸は市街地化していますが、本丸と二ノ丸の大部分が公園として整備されていました。
駅から歩くと、二ノ丸石場門から城内へと入る形となります。
 
 
この石場門は、丸みがある構造で、特徴的ですね。
なんとなく丸みがあって、女性的な印象すらあります。
二ノ丸に入り、歩を進めていくと、内堀と本丸の石垣が。
東不明門と前橋ですな。
 
 
ここから左手に進んで行くと、二ノ丸南門があり、周辺に案内板があります。
 
 
今の海津城で残っている部分は、二ノ丸の大部分と本丸、内堀で、二ノ丸の南にあった三日月堀や三ノ丸、東西の外堀、南西の花ノ丸なんかは、残念ながらありません。
南門の南の馬出や、三日月堀が残っていれば、武田流の名残をもっと強く感じたのかも知れませんね。
二ノ丸南門のすぐ西には、印象的な土塁がありました。
 
 
曲線の多かった武田流の縄張の残骸のような雰囲気がありますが、どうなんでしょうか。
役割的には、花ノ丸から三ノ丸を通って二ノ丸南門に押し寄せる敵兵を、堀越しに弓や鉄砲で攻める為の場所ですな。
二ノ丸南門から振り返ると、本丸大手の太鼓門と橋詰門が正面です。
城門は復元ですが、ここからの画は、海津城で最も城らしい雰囲気のある構図でしょう。
 
 
ちょうど、御開門の時間。
係の人が開ける作業をしてました。
太鼓門からは入らず、内堀沿いを西へ回ります。
下は内堀と太鼓門の様子。
 
 
さらに進むと、面白い埋門がありました。
 
 
なんか古墳の石室入口みたい(^^)
この門をくぐった先には、本丸北側の不明門と戌亥櫓台。
なかなか豪壮な石垣です。
 
 
さて、いよいよ不明門をくぐって本丸へ。
 
 
本丸には、海津城の城址碑がありました。
 
 
城のシンボルだった戌亥櫓の石垣へ。
櫓台から城内を見回します。
左手の北不明門方向。
 
 
ここから見る石垣は折れが多く、なかなか見応えがあります。
右手に目を向けて、大手の太鼓門方向。
 
 
こちらは落ち着いた古城の雰囲気ですな。
最後に、門が無くなっている東不明門から外へ。
東不明門付近の石垣と前橋です
 
 
芝生が前面に敷かれていて、とても整備されている城でした。
天気も、雨粒が数粒落ちてきましたけど、なんとか持って良かった(^^)
 
海津城からは、松代市街の住宅地をなんとなくの方向感覚で抜け、農道を走り、高速沿いの国道403号線へ。
次なる目標は、妻女山。
言わずと知れた、上杉謙信が陣を敷いた山です。
ただ、甲陽軍鑑には西條山とあり、妻女山というのは、上杉軍の将兵が妻女を偲んだという俗説から付けられた名前らしいですな。
ちなみにその西條山や西条山と呼ばれる山は、この妻女山から南にかなり離れた場所の山で、翌朝に八幡原で決戦を行うにはちょっと遠い。
このことから、妻女山のある山系の主峰にあたる斎場山が陣所だったとの説もありますね。
その説によれば、斎場山の東峰にあたる妻女山は赤坂山と呼ばれ、甘粕景持が陣を敷いていたとされます。
実際はどうだったんでしょうか。
ま、第4次川中島の合戦自体が不詳なので、ロマンのある話ということにしときますか。
妻女山へは、高速沿いの国道から舗装された道が出ており、するすると上って行けば、簡単に着くことができます。
ちょうど、妻女山の展望台のある場所まで舗装されていました。
展望台からは、海津城がよく見えます。
 
 
左手に向けば八幡原。
 
 
海津城からの炊煙を見、眼下の八幡原へ出陣する決意をしたんでしょうな。
展望台には陣図もありました。
 
 
実際の景色を眺めながら陣図を見てみると、臨場感が違いますな。
ただ・・・
早くも雨が!
ゆっくり眺めさせてくれよ(> <)
  
つづく
 
海津城
妻女山陣所跡
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2019年8月8日木曜日

ホワイト国除外から

所謂ホワイト国、今はグループAとなっていますが、そのグループから韓国を外す事が閣議決定されてから6日。
予想通りの韓国の激しい反発がありましたね。
アメリカでは、ECRAという輸出管理法が昨年に成立しており、今回の日本の輸出管理強化は、それを先取りしたものとも言えるのですが、韓国は意図的にそれを無視しているように見えます。
ただ、この輸出管理強化に関しては、軍事転用の恐れが無いとして今日8日に最初に規制された3品目で1件の輸出の許可が例外的に発表され、適切な取引の場合は許可をすることが示されました。
また、ホワイト国から外されたことによって管理強化される品目も細則で公表されていますが、これも大規模な影響は無さそうです。
当初より日本政府が主張していた、管理強化という方針通りの動きですね。
ありとあらゆるところで日本を批判していた韓国ですが、この結果を見て告げ口されていた国は、ちょっとポカンとなったかもしれません(^^;)
あの大騒ぎは何だったのかと・・・
 
ただ、それよりも気になるのは、世界情勢が激しく動いていることです。
日本では、当然のように日韓の報道が多かったんですが、世界では日韓2国間の事は関心が低いはずで、アメリカではFOMCがあり、中国では1ドル7元という歴史的防衛ラインを切り下げる破七の動きがあり、この事が大きく報道されていますね。
この破七によって、アメリカ政府は中国を為替操作国に指定し、新たな関税政策も掛けるようです。
この為替操作国は、関税が課されたりする為、今まで韓国や中国などは、できる限り回避しようという空気が強かったように思いますが、トランプ大統領によって関税強化があちこちで発動した為、ちょっと重みは減っているような印象ですね。
新たな関税が来ても現状から大して変わらない、という雰囲気があるのかもしれません。
また、対する中国も、今までは1ドル7元のラインといのうは相当意識していたはずなんですが、割とあっさり破七を認めたような印象があります。
それほど国内状況が切羽詰まって来ているのでしょうか。
気になる所ですね。
 
日韓でワーワーとなっている間に、世界ではまた状況が1歩進んだような印象があり、今後のニュースに注目したいですね。
 

2019年7月30日火曜日

契約解除?

最近、大手芸能事務所の吉本興業のニュースがテレビを賑わせていますな。
事の発端から考えると、なんだか本質を見失っている感はあるんですが。
吉本興業と言えば、芸人を6000人も擁するというお笑い事務所の最大手であり、超巨大な事務所。
そんな大手の問題だけに、世間の興味を引くようですね。
事の顛末についてはワイドショーに詳しいんですが、個人的に気になったのは、契約の形態でしょうか。
芸人の方たちは、ウチの会社、ウチの会社なんて言い方をしますが、労働形態から考えて社員ではない事は間違いありません。
ギャラって言葉に端的に出ていますが、ギャランティであって給料ではないわけです。
もし給料だったなら、1円の明細なんて出した日には労基署直行ですしね(笑)
例の発端の問題では、契約解除という言葉が飛び交っていました。
となると、業務委託契約という類になるんでしょうか。
一方で、明石家さんまさんなんかは、個人事務所を持っていて、事務所同士の契約になっているようですね。
この辺りは、芸人としての実力やポジションなんかで、色々と変わる部分なんでしょう。
芸能人の契約は、一般には専属マネジメント契約などと呼ばれ、マネジメントは事務所に任せ、自分は個人事業主という形が多いようですね。
ただ、マネジメント契約だった場合、上の業務委託という形態とはまた微妙に違ってきます。
吉本興業の持っている仕事を外出しするのが業務委託契約ですので、劇場の仕事や吉本興業が受注した地方営業の仕事を依頼するのはこれに近いかもしれません。
一方、指名で入るテレビや地方営業の仕事なんかは、マネジメント契約かエージェント契約の範疇になりますね。
芸人の人が、諸々の事務や契約を代行してもらう為に吉本興業を利用する形です。
発注側との契約が、吉本興業になるのか芸人さん側になるのかで、マネジメント業務なのかエージェント業務なのか変わりますが、この辺りは受注の形態も色々あって、なかなか区分が難しいみたいですな。
ところで、吉本興業は資本金が1000万しかない為、下請法の対象にはなりませんので、芸人と吉本興業の間では、いわゆる三条書面という文書を交わす必要が無く、口頭での契約も可能です。
と言っても、吉本興業は口頭でも両者で合意をするということが無かったようですから、契約が成立したかは法的には微妙かもしれませんがね。
そういう法律的なものはともかくとして、吉本興業と芸人さん達は、どのような契約の「つもり」だったのか、そこが個人的に非常に気になる所です。
もし、専属ではないマネジメント契約と思っていたとしたら、そもそも事務所を通さない闇営業の問題は無かったわけですしね。
しかも、吉本興業自身も闇営業は黙認という形だったようですし。
ん~難しいなぁ
 
あと、個人的に思うのは、若手の芸人さんが安すぎると明細を上げてたりしますが、主要都市の一等地に劇場を構え、ある程度ライブなどの自由が利く吉本興業は、コスト的に考えると、芸人さんにとっては恵まれた環境だなというところですな。
個人でライブをしようと思えば、場所を確保して人を動かさないといけませんが、人を1日動かせばどんなに安くてもひとり1日2万程度は必要でしょうし、それにプラスしてハコと呼ばれる場所代が掛かるわけで、チケットの単価や売れ方によっては持ち出しすら十分有り得ると思います。
吉本興業の劇場の場合は、ベテランとミックスすることで公演全体では黒字になっているとは思いますが、客を呼べない若手芸人だけを切り取って厳密に計算した場合、恐らく会社的には持ち出しになっているでしょう。
逆に芸人さんから見ると、いくら劇場の仕事が安いとは言っても、交通費は別として公演の仕事単体では赤字にはならないですし、広告費要らずで名前を広く知ってもらえるわけなんですよね。
本気で安い安いと批判している芸人さんには、人を動かすことに対するコスト、場所に対するコスト、ある程度指名で仕事が入るまでの露出費用、この辺りをどこまで認識しているか聞いてみたいものではありますな。
 

2019年7月22日月曜日

2019参議院議員選挙

参議院議員選挙が終わりましたね。
年金問題や徴用工問題等ありましたが、マスコミが騒ぎ過ぎていただけのような感じで具体的な争点としては薄く、淡々と終わった選挙だったような気がします。
選挙結果を見ると、自民党が大幅に議席を減らし、立憲民主党が大幅に議席を伸ばしたように見えますが、6年前の前々回の選挙で自民党がどちらかと言えば勝ちすぎており、その反動と言えるでしょうか。
実際、前回3年前の選挙結果と比べても獲得議席は増えており、順当に評価されていることが窺えますね。
米中貿易摩擦で輸出企業の業績悪化が広がっていますが、まだそれほどの悪影響は実生活に表れていないですし、安倍政権はそこそこという意味での及第点を与えられたようです。
これに対し、野党第一党の立憲民主党は議席を大きく増やしました。
ただ、これはリベラル勢力の結集という意味でしかなく、その獲得数を見ても、大きな動きにはならないようですね。
要は、かつての民主党支持層の受け皿として認められつつあるものの、その器の大きさは民主党よりも小さくなってしまっているというところでしょう。
もう少し現実的な政策を掲げ、政策論争をしていかないと、揚げ足ばかり取っているようではダメですな。
今のままでは、批判勢力にすらなれていません。
個人的に注目したいのは、れいわ新選組とN国党、そして社民党。
山本太郎元議員は、なかなか面白い動きをしていました。
そこに賛否両論はあるものの、ああいう独自の動きをする党があってもいいと思います。
瓢箪から駒ではないですが、従前にない活動が何か新しいモノを生む可能性がありますしね。
もちろん、生まない可能性の方が高いんですが、多様性としてはアリですな。
それと、国会のバリアフリーが進むという副次効果もいいんじゃないでしょうか。
N国党については、政見放送もかなり突飛でしたが、それでもこれだけの得票を得て政党要件を成立させてしまったというところに、NHKに対する潜在的意見を見た気がします。
新社屋に3700億円とか、現役層の支持を失いつつあるレガシーメディアに対する投資としては異常に高いですしね。
望めばネットから情報を得られる人がどんどん増える中で、もう公共放送としての役割は終えたんではないでしょうか。
ドラマや海外スポーツなどは無くすかペイパービューにし、国会中継や政府広報を淡々と流すスモールな国営放送に組織改編するべきかと。
最後に、社民党。
この党も、NHKと同じく役目は終わっていると個人的には思うんですが、55年体制時代のかつての支持層が根強く投票しているようですね。
そこに、シルバー民主主義の一端を見た気がします。
 
さて、選挙を安定的にこなした安倍政権は、対韓国、対アメリカ、それに加えて貿易などの外部環境の悪化にどのように対応していくのでしょうか。
まだまだ山場は続きますな。
 


2019年7月16日火曜日

北陸北信ツーリング その11

前回のあらすじ
 
ああ懐かしき白馬。
春の姿もまた良し!
 
白馬連峰を右手に見ながら心地よく南下を続けると、その先に見えてくるのは青木湖・・・のはずなんですが、残念ながら青木湖まで行く時間が無い。
かれこれ20年ほど前、サンアルピナ鹿島槍のスキー場に行き、青木湖まで滑って行った懐かしさもあって、青木湖には寄りたかったんですけどねぇ
そういえばあの時、白馬さのさかまでスノーボードで行ってひたすらスケーティングという大変な目に遭いましたけど、スキー場の脇に鉄道が走ってる事に感動もしました。
関西に住んでいると、雪原の上に2本の線路だけが見える状況なんてそう無いですし、スキーをしながら列車が雪の上を滑って行く様子を見るなんてことなんか絶対に無いですからね。
元鉄ちゃんとしては、あれは良かった(^^)
ま、余談は置くとして、白馬から青木湖まで行かず、次の目的地である長野市の善光寺へと向かうわけなんですが、最短距離っぽい国道406号線は、地図で見るとかなりの峠道のようなので、時間が掛かりそう。
なので、その1本南のオリンピック道路と呼ばれる県道33号線で行くことにしました
この選択はなかなか良かったですね。
オリンピック道路というだけあってかなりの快走路で、スイスイと走れました。
そして日高トンネルを抜けて国道19号線へ入り、長野市街を北上すれば簡単に善光寺へと到着です。
善光寺へは、東側から入りました。
まずは、その東から本堂をば。
 
 
横からでも判る異様な巨大さ。
これが善光寺か!
屋根が独特でまた良し。
正面に回ってみると、それはもう建造物の域を超えたかと思えるほど巨大。
 
 
迫力が並の寺社とは違いますわ。
なんか本堂自体が、大仏であるかのような感覚にすらなります。
言葉にすると、鎮座。
それほどの存在感ですな。
山門まで歩いてみると、これまたデカい。
 
 
なんじゃこの寺は。
何もかもスケールが違う。
いや~感動しましたわ(^^)
ただ、大いに賑わっているという門前町は、17時という時間だったので、閉店している店が多かったですね。
善光寺も、門前町も、本日の営業は終了致しましたという雰囲気がプンプンと漂う中、慌てて引いたおみくじは、
 
 
なんと凶!
わざわざここまで遠征してきて凶を引くんかい!
遠さ以上にアウェイ感半端ないな。
そういえば昔、東京まで遠征して浅草寺で凶を引いたこともあったような。
寺のおみくじとは相性が悪いのか・・・
 
善光寺を後にして、夕闇が迫ってくる中、長野市街を南へ。
真新しい北陸新幹線をくぐり、国道18号線に入って有名な犀川を越え、川中島へと向かいます。
八幡原は、言わずと知れた川中島の古戦場で、川中島古戦場史跡公園という名の緑地公園になっています。
 
 
ここも2度目の訪問ですが、かれこれ22年振りになるかなぁ
当時、信州大の上田キャンパスに通っていた同級生がいまして、その家を拠点に長野を回ったんですが、川中島に行くと言ったら、
「川中島?軽井沢なら解るけど川中島行くやつなんかおらんで」
と言われました。
そりゃまぁそうやろな。
二十歳そこそこで史跡巡りしてる奴なんて珍しいと思うわ。
その頃からちょっと嗜好が変わってましたな(^^;)
思い出話は置くとして、陽がもう落ちてしまったこの時間では、もちろん博物館は閉まっているので、武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの像を中心に散策していきます。
まずは、やはり一騎討ちの像から。
 
 
実際には、この一騎討ちは無かった可能性が高いと思いますが、第4次の川中島の戦いは数ある戦国時代の合戦の中でも、稀に見る死傷率の高い戦いと言われることもありますので、乱戦また乱戦という状況なら可能性はあったかも知れませんね。
ただ、実際には、合戦の様子は甲陽軍鑑や他の軍記物にあるだけで、一次史料には少なく、本当の所はよく判っていません。
また、この頃の謙信は、直前に上杉家を継承して政虎と名乗っていた時代で、僧形ではないんですよね。
めっちゃ有名な像なんやけど、そこはフィクション。
これも歴史の面白さでしょうか。
この一騎討ちの像の近辺には、本当かどうかは別として、その第4次川中島の合戦に関連する色々な史跡があります。
先ほどの像と同じ伝承のものですが、三太刀七太刀の碑。
 
 
碑の横に八幡社の本殿が写っていますが、この八幡社が八幡平の地名の元になっているんですね。
小さい社殿ながらも、その名前は広く使われています。
次に、執念の石。
 
 
一騎討ちに気付いて謙信に槍で突き掛けたものの討ち漏らしてしまった原大隅が、悔しさのあまりこの石を槍で突き通したという伝承が残っています。
そして、首塚。
 
 
戦死した将兵を弔った塚ですが、これは本物ではないでしょうか。
なんなら、この首塚から派生する形で、他の伝承物が増殖したのかも知れませんね。
付近には、両軍の布陣図もあります。
 
 
これを見ると、すごく解り易い。
しかし、この布陣図で謙信自ら現在地とある敵本陣まで切り込むとなると、相当突出するか乱戦を極めるかという状況になりますな。
もはや初期の布陣なんて関係無い勢いで。
実際にはどんな戦いだったのか、史料が発掘されたら面白いのになぁ
最後に、時代が下った江戸時代の松代藩の開明派であった佐久間象山の像をば・・・と思ったらその像の土台で高校生のカップルが仲良くおしゃべりしてました。
そんな状態で・・・
写真なんか撮れるかい!
まるで盗撮みたいに思われるのも嫌やけど、せっかくやから佐久間象山を撮りたかったですわ(> <)
 
八幡原の川中島古戦場史跡公園を後にして、ちょっと南に行けばすぐ宿泊予定の長野グランドホテルですが、素泊まりなので、ちょっと戻ってステーキ宮で腹ごしらえ。
ツーリング最後の晩餐ということで、ちょっと贅沢に注文したら、結構高くなりました。
うむ。
ファミレスとは言え、ステーキは侮れない。
お腹も満足したところで、宿へと向かいます。
この日の宿泊プランは、ホテルお任せのプラン。
どんな部屋になるんかと入ってみたら・・・
 
 
広いツインの部屋でした(^^)
平日やし、優遇してくれたんやろね。
素泊まりには勿体ないぐらい。
この日は平日ということもあって日本人は少なく、外国人の団体さんが多かったんですが、幸い温泉の方は空いていて、落ち着いて入ることができました。
それほど広くない露天風呂に中華系の家族連れの方が入っていましたが、迷惑にならないように静かに入っておられてたようで、こちらもゆっくりできましたね。
マナーが良い人達で良かった(^^)
 
つづく
 
参考:
善光寺
川中島古戦場
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