2019年5月26日日曜日

北陸北信ツーリング その7

前回のあらすじ
 
念願の穴水城を攻略したぞ!
 
小丸山城はもう七尾市街の端っこ。
すぐそこには能登畠山氏の居城にして、五大山城のひとつ、七尾城があります。
16年と半年前、七尾市街を訪れ、七尾城まで行きはしたんですが、重機を使った祭りの撤収作業の真っ只中で散策を諦め、麓の七尾城史資料館も休館という悲劇に襲われました。
そんな後ろ髪を引かれたままの七尾城に、ようやくリベンジできる機会が訪れたわけですな。
とは言っても、七尾城史資料館は入館時間を過ぎているので、リベンジは既に不発なんですが(^^;)
七尾城へは、七尾市街から分岐している国道159号線に入ってしまえば、後は案内に従って進むだけです。
山へ入って2kmほど進んで行くと、七尾城の駐車場に到着。
 
 
この駐車場もすでに城内で、上の鳥瞰図には具体的な名前は無いですが、恐らく屋敷地だった場所と思われます。
駐車場の正面右手が七尾城の主郭で、深い空堀を介して、重臣長氏の長屋敷の郭がありますね。
 
 
この空堀がなかなか深い。
巨大な山城を象徴するようですね。
遊歩道を進んで行くと、まず現れるのが調度丸。
名前的には、控えの間的な役割があった郭でしょうか。
 
 
調度丸の下にも寺屋敷という郭がありますが、そちらは険しい切岸となっていました。
 
 
また、調度丸には主郭部入口の虎口があるんですが、折れを持った石垣の門で、そこもなかなか見応えがありましたね。
 
 
そして何より、この調度丸から本丸や遊佐屋敷へと繋がる道には、5段の石垣が。
城内最大のスポットかもしれません。
 
 
この5段の石垣を登りきると遊佐屋敷。
本丸のすぐ隣にあり、守護代の地位を如実に表していますね。
 
 
そして本丸へは、更に数段の石垣の横を登ります。
 
 
最高部の本丸と城址碑。
 
 
右の鳥居は城山神社。
櫓台が境内となっています。
 
 
本丸の西側には大きな土塁が。
石垣以外の遺構もバッチリ残っていますね。
 
 
この土塁の脇を抜けると、遊佐屋敷の上を経由して桜馬場という広い区画に出ます。
この桜馬場の上段には西ノ丸がありました。
周囲より高い郭で、西側の守りの要だったのでしょう。
そして更に進むと温井屋敷。
 
 
言わずと知れた、能登畠山家中の参家老の内のひとつです。
この温井屋敷周辺も、なかなか見応えのある場所でした。
温井屋敷の南側には、九尺石。
 
 
温井屋敷への虎口だったと思われますが、こんな巨石、よく運んだなと感心しますな。
温井屋敷からは、二ノ丸の複雑な構造もよく見えます。
 
 
ちょっとみにくいですが、多層になっている二ノ丸の石垣が判るでしょうか。
その二ノ丸。
 
 
二ノ丸の奥側には、櫓台のような基壇がありました。
 
 
ここから遊歩道を下ると、三ノ丸へと繋がっています。
この二ノ丸と三ノ丸の間の空堀も、なかなかに大きく険しかったですね。
 
 
三ノ丸は、このように空堀を介してやや独立しており、それは真反対の長屋敷も同じような感じでした。
端と端で同じような機能を持たされていたんでしょう。
三ノ丸内部はこんな感じ。
 
 
ここにも土塁跡があります。
しかし、五大山城の名に相応しい規模と遺構ですね。
いや~満足ですわ(^^)
 
七尾城を下って来ると、都合のいい事に七尾城山I.C.の近くに出るので、そのまま能越道で氷見までひとっ飛び。
氷見I.C.で降りたら、宿を取っている氷見温泉まですぐです。
氷見温泉は、氷見市街の所々に湧いている温泉の総称で、泉質も色々あるみたいですが、止まった宿は色の濃い含鉄の塩化物泉で、疲れた体に温めのお湯が気持ち良く、たっぷりと休養できました。
部屋から立山連峰が・・・という謳い文句は、春霞で実感できませんでしたが(^^;)
でもいいお湯やったな~(^^)
 
つづく
 
参考:
七尾城
氷見温泉
地図付きは下から
石川県
富山県
 

2019年5月19日日曜日

米中貿易戦争がついに

以前、鈴置記者が書いていた、米中の貿易戦争は妥結しないというという記事を見て、なるほどと思ったことを書きましたが、事態はその予測通りに動いていますね。
米中で交渉が続けられてきましたが、歩み寄りが見られないということで、トランプ大統領は約2000億ドル分の物品に掛かっている10%の関税を25%に上げることを発表したのに続き、約3000億ドルの輸入品に関税を掛けるよう指示したと発表しました。
 
米 対中関税さらに上乗せへ手続き開始 ほぼ全輸入品対象に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190511/k10011912541000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001
 
この発表に対して、中国サイドも対抗策を発表していますが、やや発表が遅れたことから、新たな関税の処置は中国は予測していなかったのではないかという見方もあるようです。
少なくとも、中国側はトランプ大統領の決意や意思の固さを見誤った部分はあったんでしょう。
この辺り、トランプ大統領は利に転ぶというビジネスマン的な側面を強く見過ぎたきらいがありますな。
アメリカ国内の政治的状況を見ると、オバマ大統領時代に中国が好き勝手やった結果、民主党も共和党も従来の主流派が支持を失って議員が入れ替わっており、トランプ大統領よりも議会の方が強硬になっています。
つまり、利を与えれば中国も変わるという伝統的楽観派が退場し、単純に覇権への挑戦と見られるようになっているわけですな。
このような議会状況の中、アメリカは、日本ではあまり報じられなくて適切な記事が無いんですが、ECRA、FIRRMAという法律で技術の移転や輸出、企業の買収を制限しています。
最近、中国系企業の買収が頓挫したりするケースがちょくちょく報道されていますが、これが原因のひとつですね。
そして、副会長がカナダで拘束されているファーウェイにも、こんな記事が出ました。
 
ファーウェイ締めつけに「断固反対」中国外相が米に抗議
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190519/k10011921281000.html
 
適当な記事が無くて後日の中国側の対応を報じた記事となっていますが、イランへの制裁違反を理由として、ファーウェイ社やその関連企業68社への輸出を禁止した、というのが大事なところです。
更に、これに加えてこんな記事も。
 
「中国とは共存できない!」米国が危機委員会を設置
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56310
 
この委員会は、冷戦時代の対ソ連で設置されていたものといいますから、もうこれは決定的ですな。
少なくとも、アメリカの有識者や有力政治家といった政治の世界では、そういう風に中国を見ているというのは確実なわけです。
トランプ大統領をうまく転がしてなんとかしようというのが当初の中国の方針だったと思われますが、それが成功しないばかりか、強硬となった議会を相手にしないといけない。
しかも、中国がお金を巻いていたロビィストはもう追放されていますからね。
寝技も難しい。
輸出の制限が掛けられて国内の経済が不況に陥っている中、中国製造2025で掲げた次代の製造業もECRAで技術の流入が期待できなくなりました。
さて、どうするのか?
習近平国家主席の舵取りも、なかなか難しくなりそうですね。
 

2019年5月15日水曜日

北陸北信ツーリング その6

前回のあらすじ
 
天堂城藪だらけ!
 
天堂城から、あと1時間ほど走れば能登半島の先端まで行けるのですが、ここでUターンして、のと里山空港I.C.方向へ、これまた県道を縫いながら向かいます。
I.C.へ入る手前にコンビニを見付け、ここでようやく昼飯を補給。
田舎へ行くと、なかなか昼食のタイミングが難しい。
次の目的地は穴水ですが、ちょっと時間節約をして、のと里山海道へ。
穴水I.C.で高速を降り、穴水市街に入って穴水駅前を通り掛かりましたが、ここも懐かしいですな。
前回は、駅前で穴水城の情報を探したんですが、見付けられず、断念しました。
あの頃はまだスマホも無かったですからね。
予習にも限界がありましたし。
その点、今回は予習バッチリ。
そういえば、地図を見て気付いたんですが、穴水より先の鉄路がもう無くなっていました。
恋路海岸でカップルがわんさかいる中、恋路駅に来た列車を撮影したのも懐かしいですが、今となっては貴重な経験になってしまいましたね。
穴水駅から、ちょっと遠回りしながら穴水町役場へ向かい、そのまま東南方向へ川沿いに進み、住宅地からぐるっと回って役場の裏山へ向かいます。
役場の裏山が穴水城なんですが、役場近くから直に登る遊歩道もあるようですね。
城に到着すると、いきなり城址碑が出迎えてくれました。
 
 
なかなかいい感じです。
この駐車場には、軽トラが数台と乗用車が止まっていました。
どうやら草刈をしているようで、草刈り機のエンジン音が騒がしい中の散策となりましたが、このように手を入れてもらえると、散策は非常に楽ですね。
特にこの草が繁茂してくる季節には、感謝感謝です。
穴水城は、能登畠山家中の3本の指に入る実力者、長氏の居城でした。
入り組んだ地形の奥の河口部に面した城で、水軍を持っていた長氏らしい城です。
七尾湾や越中、越後との交通や物流の権益も勢力の源だったんでしょう。
駐車場から散策を始めると、奥側からの散策になるので、いきなり本丸へと出ます。
 
 
本丸の東側にも削平地があるようですが、こちらは公園化されていませんでした。
規模的には、本丸と変わらないぐらいの大きさはありそうです。
本丸の先には、海に向かって細長く伸びる二ノ丸。
 
 
二ノ丸の突端はやや下がっていました。
 
 
二ノ丸から穴水湾の風景。
 
 
直下の平らな場所は恐らく埋め立て地でしょうから、当時はもっと河口に臨んだ城だったんでしょう。
海城に近い性格の城ですな。
この二ノ丸の南側には、三ノ丸があります。
ここは峰筋特有の三角形の郭でした。
 
 
三ノ丸から戻ってくると、駐車場。
これでぐるっと1周ですね。
この駐車場の南側にも、細長い土壇のような地形や、削平地が見えます。
 
 
公園化されている場所は主郭部分だけですが、付随する郭はもっと多いんでしょうね。
大名並みの重臣でしたから、それ相応の規模の城だったのは間違いありません。
もう少し案内や縄張図なんかがあれば、かなり嬉しかったんですが。
 
散策を終え、穴水城を出ようとすると、二ノ丸の突端の写真に写っていたおばあさんに話しかけられました。
神戸から来たことを話すと、「まぁ遠い所から・・・」といういつもの流れに(^^;)
話を聞いていると、おばあさんは毎日穴水城へ歩いて散歩に来ているとの事。
毎日お城の散策とは城好きには贅沢な話ですが、それを抜きに考えると、山の標高もそれほど無い上に整備された公園だし、景色も良いので、近くに住む人ならちょうど良い運動になる散歩の目的地としては、もってこいなんやろね。
いつまでも地元の人に愛される城であって欲しいものですな。
 
心の中で手を振りつつ、おばあさんを後ろから追い抜いて穴水城を後にし、国道249号線に出た後は、海岸沿いをのんびり走り、途中から県道へ分岐して能登島へ向かいます。
1度走ってみたかったんですよね。
能登島の入口は、のとツインブリッジですが、ここへ行くまでの道が結構アップダウンのある道で、ちょっとジェットコースターのようでした。
海際が切り立っている能登らしい地形ですな。
ツインブリッジを越えると、でっかいカウンターがあり、本日の502台目とカウントされていました。
バイクもカウントされているのかな?
このまま、能登島の西海岸を走り抜け、能登島大橋から再び本州へ渡ります。
渡った所の駐車場で記念撮影。
 
 
能登島大橋は、恐らく船の航行の為だと思いますが、中央部がぐいっと持ち上げられたような形で、なかなか印象的な橋でした。
能登島大橋を過ぎ、JR七尾線沿いの道で七尾市街へ。
この道は、以前来た時は国道だったような記憶がありますが、今はバイパスが出来て県道になっていました。
七尾市街に入ってくると、いよいよ前回来た記憶が蘇ってきます。
そういえばあの時も同じぐらいの時間やったな~
そうこうしている内に、小丸山が見えてきました。
そうそう、小丸山小丸山。
時間もまだ余裕があるし、寄っていこう。
前回は道路脇のちょっとしたスペースに止めたような曖昧な記憶がありますが、今回は案内に従って路地に入って行くと、立派な駐車場が整備されていました。
バイクを止めて城跡に入ってみると、前回も公園にはなっていたんですが、明らかに整備し直されていますね。
公園全体が綺麗です。
ただ、古城らしさはかなり薄れてしまったような気もしますが。
まずは案内板。
 
 
そして、本丸の小丸山城址碑。
 
 
城址碑の後ろは天守台でした。
 
 
本丸の西には天性丸があり、その間は大きな空堀となっています。
そこに架かるのがこの三更橋。
 
 
そして天性丸。
こちらは本丸よりも更に都市公園らしくなっていますね。
 
 
天性丸から北側を見ると宮丸の跡が確認できます。
 
 
中央に遊具のようなものが見えるのが分かるでしょうか?
そこが宮丸です。
本丸と宮丸の間は、土俵なんかがあったりして、公園の一部となっていましたが、往時にそこも郭だったのかはよく分かりませんでした。
もうひとつの郭だった大念寺山は、空堀跡を利用したと思われる県道と鉄路の向こう側の高台で、今は住宅地となっています。
全体としては、以前に来た時よりも随分と整備された印象がありますね。
これは大河効果なのかも。
大河ドラマというのは影響力が大きいですな。
 
つづく
 
参考:
穴水城
小丸山城
地図付きはこちら
 

2019年5月9日木曜日

令和走り初め

今年のGWは10連休。
知り合いの人事の人が、連休明けの新人さんの事を凄く心配していたのが印象的でしたが、5月とか9月とか、大型連休後にドロップアウトしてしまう人も統計的には多いですからね。
人事の方らしい視点だなと感じました。
自分はと言うと、世間並の10連休・・・なんてほど遠い最大3連休。
そして、やろうと思ってた令和の走り初めに充てられる日は1日、しかも10時ぐらいから夕方までという状況でした。
ん~、なんだかんだ忙しいですわ(^^;)
というわけで、ぶらりと行ってきたのは淡河。
アワカワではなく、オウゴと読みます。
ちなみに、山陽道に淡河P.A.がありますので、読める人は読めるはず。
その淡河には、お城があります。
秀吉による播磨の三木城の別所氏攻略の序盤、荒木村重の勢力下であった花隈城から山を越え、丹生山とこの淡河城を経由して三木城へ兵糧を運ぶ補給路がありました。
三木城に対する補給路は、このルートと、明石の魚住城に荷揚げして加古川の水運で運ぶルートが2大ルートであったようで、当然ながら秀吉は補給路を潰しにかかるわけですが、その命を受けたのは秀吉の弟秀長。
秀長は、兵を率いて淡河城を攻撃するのですが、この時、城から牝馬を一斉に放ち、軍馬が興奮して混乱する中を急襲して撃退するという知略を発揮したのが、淡河城主の淡河定範という武将でした。
その合戦の舞台となった淡河城。
十割そばが人気で休日にはいつも満車状態の道の駅淡河の、後背の山にあります。
模擬櫓のような建物があり、道の駅からでも判り易いのですが、そこに意識を向ける人は少ないでしょうね。
この道の駅の裏から急坂を登る遊歩道があり、自分もその道から行った事はあるんですが、城跡が田園になっているので、どこからか入る車道があるはずです。
今回はそれを探しました。
探すと行っても、道が少ないのでそれほど手間は掛からないはずでしたが、最初は国道428号線沿いに分かれ道があるかと探してみましたが、道が無いどころかUターンも難しい道で、結局、峠の頂上まで走る羽目に。
ま、楽しい道やからええんやけども(^^;)
峠から引き返して淡河本町の交差点を左折し、今度は北側からアプローチしてみます。
すると、しばらく行った先に淡河城跡を示す小さな青い案内が。
今まで何回も通ってるけど、気付かんかったわ。
その案内に従って集落方向へ折れ、急な農道を上ると、簡単に淡河城へと到着しました。
台地上に上がってしまえば、ほぼ平坦な地形です。
淡河城に入口には案内板がありました。
 
 
このすぐ横は本丸の虎口です。
桝形とまでは言えないですが、食違い虎口だったと思われます。
 
 
そして、本丸全景。
 
 
この右手には天守台があります。
今は、その天守台は稲荷社の境内になっていました。
 
 
意外と広い天守台なんですよね。
後に江戸時代にも生き残った有馬氏の居城としても使われたといいますから、相応の天守が建っていたのかもしれません。
ここには城址碑もあります。
 
 
稲荷社の社務所?のような建物には縄張図もありました。
 
 
この天守台の東側に空堀が残っていますが、これがかなり立派。
 
 高低差は10m弱ぐらいありますね。
そして、稲荷社の裏手には模擬櫓があります。
ここからは淡河の宿場町も見えますね
 
 
この先に遊歩道があるんですが、そこを少し下って下から模擬櫓を見上げてみます
 
 
なかなか迫力ある写真になりました(^^)
本丸で休憩がてら昼食を食べた後、二ノ丸の機能があったと思われる中郭と竹慶寺跡へブラブラと。
この辺りは完全に開墾されて田園になっていますね。
竹慶寺には淡河氏歴代のお墓がありました。
 
 
最後に中郭側から空堀をば。
 
 
こちら側からは6~7mの高低差といったところでしょうか。
この左手には土橋のような地形もあったんですが、橋と言えるほど高くも無く、よく分かりませんでした。
 
帰りは、淡河の北をぐるっと、行った事のない道を回ってみます。
本能のまま走りましたが、最終的に三木に出て、ネスタリゾート神戸の入口の前を通って帰路へ。
しかし、ネスタリゾートの北と南でびっくりするぐらい交通量が違う(^^;)
まさかこれほどとは。
時間もあるんでしょうが、高速のI.C.からも近いし、やっぱり行き易いんやろなぁ
 
参考:
淡河城
地図付きはこちら
 

2019年5月3日金曜日

北陸北信ツーリング その5

前回のあらすじ
 
バイク乗りなら千里浜は1度は行っておくべき。
テンション上がりまくり!
 
末森城を後にして向かうのは、能登半島。
能登半島も、16年と半年振りですな。
今回目指すのは、前回来た時に散策できなかったり発見できなかったりした、能登半島の城々です。
まずは、のと里山海道の今浜I.C.に戻って、北上。
結局、今浜I.C.は乗り降り3回か。
完全に段取りを間違えてますわ(^^;)
しばらく北上した後、西山I.C.で降りて、そこからは県道と国道249号線を縫っていきます。
県道とは言え、この辺りは広い道も多く、交通量も少ないので、かなりの快走路。
気持ちいいですわ。
そうこうしているうちに鷹巣岩と巌門へ到着。
ここも16年と半年振りです。
まずは鷹巣岩。
 
 
ここから少し進んだ先には、巌門の入口となっている能登金剛センターがあります。
センターの下をくぐって巌門へ。
 
 
巌門と鷹巣岩のツーショットもバッチリ。
 
 
前に来た時は気付きませんでしたが、滝もありました。
不動の滝という名前らしいですが、岩肌を流れる滝もまた良し。
 
 
以前に比べ、観光地としてはちょっと寂れた印象もありましたが、それは平日の為なんですかね?
前回来たのが遥か昔過ぎて、平日だったのか休日だったのかも忘れましたが。
調べたところによると、能登金剛センターも運営が変わっている様子。
観光地も流行り廃りがありますから、経営も大変ですわ。
 
散策から帰ってくると、千里浜で見かけたBMWが止まっていました。
誰が走ってもルートは同じような感じになるのかも知れませんね。
さて、次の目的地は天堂城。
畠山氏の重臣で、一時は主家を思うままに差配した温井氏の居城です。
しかし、城としての歴史はあまりはっきりとしません。
温井氏自体が、藤原氏の出とも足利一族の桃井氏の出ともいわれてはっきりしないので、中世でも割と後のほう、つまり室町時代の畠山氏の能登入封後から勢力を持った家だったのではないでしょうか。
なので、それに釣られるかのように城の事績もよく判っていないと思われます。
しかも、後に温井氏は主家と幾度も合戦を行っていますが、その戦いは羽咋から七尾城にかけてが戦場になっており、天堂城は地理的に全く関係ありません。
居城でありましたが、戦時の城という扱いではなかったのかも知れませんね。
天堂城がある場所は、能登半島でももう輪島に近いぐらいの奥能登にあります。
ま、輪島の湊が温井氏の勢力の源泉であったので、当たり前なんですが。
ただ、バイクで行くとなると結構遠いんですよね。
国道249号線から富来で内陸へと入り、県道51号線を北東へ進むと、天堂城まではほぼ一直線のルートなんですが、地方の県道ということもあって2車線部分は多くなく、1.5車線、時には1車線の道でした。
その道を約1時間。
とは言え、田舎で交通量も少なく、のんびりと走れる道で陽光と木陰が気持ち良かったですね(^^)
田舎道ならではの楽しさですわ。
こうして天堂城に到着・・・せずに1度通り過ぎ、Uターンしてようやく発見しました。
しかし、マイナーな城で行くのに骨が折れるというのもあってか、人もあまり訪れないようで、城跡全域で藪だらけ。
散策は困難を極めました。
まず城の入口にある鐘衝堂や首切畑周辺。
 
 
削平地はあるんですが、遺構らしい遺構は発見できず。
ここから更に進むと木戸元右門の案内が。
 
 
この先に道は続いてそうでしたが、すぐに藪になっていて進めず。
ここから少し登ると、空堀と石垣跡、そして殿様屋敷の削平地があります。
 
 
写真左手のやや窪んでる辺りが空堀で、この空堀はぐるっと曲げられて横堀になっているようでした。
途中、石垣の痕跡を発見。
 
 
ん~、ほんまに痕跡やな(^^;)
ただ、こういう石垣らしいき大きさの岩がある場所が数か所あって、城跡というのを感じます。
そして、この先は藪化してて、進めませんでした。
遠くに平たい感じの場所が見えたので、あれが殿様屋敷だったんでしょう。
この後、道標の場所に戻って道を登って行くと、左手に谷筋を利用した空堀と、幾段かの削平地が20mほど先に見えました。
行く道は無かったんですが、城らしい部分でしたね。
後で調べてみると、縄張図のゼニクラという場所だったので、恐らく銭蔵という倉庫の置かれた場所だったんでしょう。
この先には、兵庫屋敷と本丸跡という道標があるようなんですが、残念ながら見落としてしまいました。
ここまで来て、残念(> <)
ちなみに、何故か案内板は県道沿いのやや離れた場所にあります。
そして・・・
 
 
一番大事な縄張図がビリビリやんけ~
輪島市さん、もっと頑張って下さい。
 
つづく
 
参考:
巌門
鷹巣岩
天堂城
地図付きはこちら