2019年9月29日日曜日

表現の不自由展

一時、騒動が収まったかのように思われていたトリエンナーレ2019に関して、また報道が出てきていますね。
文化庁が補助金支給の決定を覆して不支給を決定したことがきっかけです。
内側の事情を知りませんし、見ても無いので、報道されている部分しか知りませんが、この不自由展で展示されたものをいくつか列挙すると、
 
・昭和天皇の写真を焼く映像
・特攻隊の寄せ書きや当時の新聞記事をかまくら状に仕上げたて「間抜けな日本人」と名付けたオブジェ
・韓国の政治的プロバガンダに利用される慰安婦少女像
 
などですね。
ちょっとね、反日に寄り過ぎてない?
主義主張は色々あると思いますし、それはそれできちんと保護されるべきだとは思いますけど、あまりにも偏り過ぎているように感じます。
何か愛国的な過激表現があれば、バランスが取れたんでしょうけど、そういうのは排除してしまったんでしょうか。
また、芸術とするには生々しい現実の毒っ気がそのまま温存されていて、全然芸術に昇華できていないようにも感じますね。
少なくとも個人的には、この3点からは普遍的な何事かを感じるのは難しく思いましたし、政治的な展示と言われれば納得してしまうような性格のものと感じました。
結局、脅迫等があり、不自由展は展示中止に追い込まれ、ニュースになっている補助金の不支給に繋がるわけですが、偏りがあり、芸術として昇華できていないものを展示しておいて、補助金を欲しいってのは、ちょっと筋が悪いですね。
個人的に、芸術でもなんでもそうですが、多くの人が大切にしているものを、表現の自由という錦の御旗があるからと言って侮辱してはいけないと思うんです。
2015年にあったシャルリーエブド襲撃事件の時も思いましたが、問題になった風刺画を見ると侮辱と捉えられても仕方がないもので、ちょっとやりすぎと感じました。
もちろん、暴力的な手段でそれを抑え込むのは完全に間違ってはいますが、公共の福祉というのは、他の人や公共に迷惑を掛けない上で自由や権利が保障されるわけで、多くの人が傷ついたり侮辱を感じるような表現は控えるべきだと思いますね。
また、今回感じたのは、偏った表現をする時は、最低限、自分の足で立って、自前の資金でやるべきだと。
公が補助を出してまでやる事ではないと思うんですよね。
今回の件で、検閲なんて言葉も出ていますが、自分の足で立って実行すれば、公による審査なんてされないですからね。
それだけの覚悟を示さないと、見る側も真に迫れない。
メッセージ性のある本当の芸術というものは、見る側にも緊張を強いるもの。
開催側にもそれだけの覚悟が必要でしょう。
 

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