2024年4月24日水曜日

顕注密勘

先日、こんな大発見のニュースがありました。
 
 
藤原定家と言えば、小倉百人一首の撰者として有名ですが、そのほかにも「新古今和歌集」や「新勅撰和歌集」の撰者でもあり、日記の「明月記」も有名ですね。
また、歌道の大家であることから歌に関する書も多く、変わったところでは、定家仮名遣というルールも定めました。
そんな和歌の歴史の中でも伝説級の人物ですが、その定家が顕注の注釈書に解釈を付け加えて記したのが、「顕注密勘」という注釈書です。
この写本が重要文化財に指定されているそうですから、相当貴重な書物なんですが、この直筆本が発見されたということで、かなりびっくりしました。
コピーですら重文やのに、直筆本なんて国宝クラスで収まるんか?と。
何より驚いたのが、定家の三男為家の系統である冷泉家に伝えられた、古今伝授箱という箱の中から発見されたことでしょうか。
この箱自体、秘伝として130年間も開けられなかったとか。
なんでも、代々の当主が一生に1度だけ開け、中の書物を書き写し、精進に生かしたという代物で、自分達庶民には、ちょっと想像できないか世界ですね。
古い家には、そういうしきたりがまだまだ残っているのかもしれません。
たまに、古民家からこんな物が発見、なんてニュースがしばしば出てきますが、今回のはよくある話ではまとめられないほどのものですね。
歴史上の出来事には、まだまだ推測の部分が多いですから、こういう新たな発見によって色々な事が解明される可能性がまだまだあると思うと、歴史好きとしては、何だかワクワクします。
 

2024年4月21日日曜日

サイトのリニューアル 静岡のお城終了

サイトのリニューアルですが、静岡県で訪問したお城の作成を終えました。
お城の数は全部で21城です。
 
 
静岡県は、兵庫県から400kmと、かなり遠い県なんですが、不思議と多く訪れている県ですね。
新幹線が通っているので、バイク以外でも行きやすいというもあるかもしれません。
ただ、リンク先の地図を見てもらうとはっきりしていますが、浜松近辺がぽっかり空白域になっています。
静岡は遠いという強迫観念があるのか、遠くから遠くからという意識になっていて、静岡県内でも近い方の浜松が未踏という結果に。
いつかは奥三河と遠江をまとめて見て回りたいですね。
さて、甲信越を北から辿り、静岡県で太平洋に出ました。
このまま太平洋沿いを東へ、首都圏攻略と行きましょう。
 

2024年4月15日月曜日

続・静岡県知事

静岡県の川勝知事の辞任に絡み、細川ガラシャの辞世の句を使ったことにより、波紋が続いていますね。
 
 
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
何を思ってこの細川ガラシャの辞世の句を使ったのか、理解に苦しみます。
散る時を知ってるからこそ、人も花も美しいというような意味ですが、川勝知事の失言による辞職の何が美しかったのか。
ガラシャは、関ヶ原の合戦前夜に西軍方に人質に取られそうになった時に、屋敷に火を放って家臣に討たせた人です。
夫の細川忠興が、病的な嫉妬心を持った人で、人質に取られるなら自刃しろと命じたわけですが、ガラシャはキリスト教徒であったため、自刃は教義に反すると家臣に討たせました。
そういう死に様と今回の辞任では、まったく覚悟が違います。
リニアを止めたのが、美しいとの自画自賛だったのでしょうか。
個人的には、織田信孝の
「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
という恨みがましさの方が似合ってるようにも思います。
まぁこれも創作の匂いが強い句ですが。
しかし、どこまで行っても独善的な人なんでしょうね。
勉強ができても、バランスを欠いた言動では、政治家としてはとても及第点に達しているとは思えません。
政治家には理念が必要ですが、実際に進める仕事は、極めて現実的ですからね。
対立する主張や権益の調整が、絶対に必要になってくる職業です。
根拠もよく分からない論を振り回して理念を表現するのは、ただの横暴ですな。
最後まで、残念な人でした。
 

2024年4月8日月曜日

鈴木健二

先日、元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが亡くなりました。
 
 
1980年代のNHKではトップの人気を誇ったアナウンサーで、軽快で丁寧な語り口調が今でも記憶に残っています。
「クイズ面白ゼミナール」は、毎回欠かさず見てましたね。
この番組では歴史クイズというコーナーがあって、とても楽しみでした。
今の自分の歴史好きの、原点のひとつになったんじゃないかと思いますね。
同じように何らかの影響を受けた人も、多いんじゃないでしょうか。
大人になって知ったんですが、鈴木さんは番組収録にあたって、前もってテーマに関する本を読み漁り、その知識と台本を頭に入れて収録に臨んでいたとのこと。
凄いですね。
完璧に頭に入っているからこそ、あれだけの淀みない語りができたんでしょう。
司会者としては、これ以上ない努力と能力の方でした。
ご冥福をお祈りします。
 

2024年4月2日火曜日

静岡県知事

静岡県知事の川勝氏が、6月の県議会をもって退任する意向を発表しました。
いわゆる舌禍といわれる失言が度々あった知事で、今回も直接の原因は失言です。
なんとなくですが、どうも上と下を分けたがる性格の方のようで、片方を褒めたり奮起を促したりする際に、比較対象的に挙げるもう一方を貶めるような感じに発言することが多かったですね。
普段から言動をチェックしているわけではありませんので、それが癖なのか、リップサービス的なことをしようとしての失敗なのか分かりませんが、何でそういう風に言うのか、という発言が多かったです。
それから、リニアに関しても、当初はそういう不安もあるだろうという感じでしたが、次第に反対理由が科学的でないことばかりになっていて、もちろんJR東海の腰の重さもあるんですが、リニアのプロジェクトにとって本当にただの障害になっていました。
これに関しても、推進か反対かは取りあえず脇に置くとして、知事の交代で合理的な議論が進むことを期待します。
6月以降、次期知事の話題が出てくると思いますが、県政を引き継ぐ形で新知事が誕生するのか、それとも修正型の新知事となるのか、注目ですね。
 

2024年3月24日日曜日

ぶらり吉川

今年の3月は、何かと寒の戻りが多くて寒い日が多いですが、そろそろ気持ちよく走れる気候になってきました。
そういえば、去年のGWに三木市東部の吉川へぶらりと行った時の事を、少しまとめましょう。
吉川は、ヨシカワではなくヨカワと読みますが、中国道の吉川I.C.があるので、中国道なんかをよく使う人は読める地名ですね。
かつては独立した町でしたが、平成の大合併で三木氏と合併し、今は三木市吉川町となっています。
その吉川町へ、GWの暖かい気候に誘われて、目的地も設定せず、ぶらりとツーリングしてきました。
 
西神戸から吉川方向へ向かうと、必然的に呑吐ダム経由で国道428号線の岩谷峠を越えるルートとなるんですが、今回もそのルートで心地よくワインディング味わいます。
ただし、この岩谷峠は走り屋さんも多い道で、よく取り締まりをやっている道なんですね。
なので、速度は超過しないよう慎重に。
岩谷峠のピークを過ぎ、急激な下り坂を下ると、かつて宿場町だった淡河の町が見えてきます。
左手の谷筋を挟んだ台地には淡河城。
いつもの風景ですね。
吉川へ行くためには、この淡河からさらにもうひと山越えることになります。
今度は峠と言うほどの道ではなく、だらだらと上り、だらだらと下る道で、突き当りは中国道の吉川I.C.へと出るんですが、今回は、吉川I.C.へと出る前に、気になっていた交差点で左折しました。
あとで確認してみると、県道354号線という道でしたね。
この道、意外と曲がっていく車が多くて、どこへの近道になっているのかと、ちょっと気になっていました。
通ってみると、吉川のグラウンドや体育館があったり、時々視界も開けていて、なかなか気持ちの良い道。
いい道を知りました。
最後は長々と下って吉川高校の脇を過ぎ、吉川町渡瀬の集落へと出ます。
集落から渡瀬橋の所まで出ると、見えるのが中国道と県道17号線の文字。
そうか、東条に抜ける道か。
東条や加東から神戸市街に抜ける下道は、これが最短ルートなんですね。
納得。
自分は、東条へ抜けずに県道20号線で三木方向へと向かいます。
吉川の入口である口吉川を過ぎ、三木と呼ばれる範囲に入ったところで、お腹が空いたので昼休憩。
コンビニでサンドイッチを買って、コンビニ裏の木陰で食べました。
なかなか雰囲気のある木陰で、ゆったりした気分になれましたね。
 
 
お腹が落ち着いた所で、ちょうど藤原惺窩生誕地という案内をすぐ近くに見つけ、場所を把握しました。
三木市の細川という場所ですね。
この場所は貴族の冷泉家の領地で、惺窩の家族は領地を維持するために京から下ってきていたんですが、三木城の別所氏の攻撃で落城し、領地は失われました。
惺窩は、この生まれ故郷に帰ることなく京で暮らし、儒教を極め、弟子として林羅山など高名な儒者を輩出していますが、一説に、戦国の世の無情を感じ、学究に没頭したとも言われていますね。
通称ではなく、あえて藤原という姓を名乗った事に、その機微が顕れているのかもしれません。
その惺窩の父や兄が守った細川城へ。
細川城は、川が削った河岸段丘と思われる台地の突端にあります。
 
 
居館跡には、惺窩の生誕地碑と惺窩の立像がありました。
 
 
後世に開墾されているので、全体像はあいまいですが、小豪族の居館城郭らしく、屋敷地を防衛拠点化した館だったかと思われます。
突端の少しの崖を防御力の中核として、台地側は空堀を穿って内部と外部を区画する、そんな居館だったんではないでしょうか。
惺窩がこの城に居たのは7~8歳までのようですが、生まれ故郷でありながら、父や兄が討たれた無情の地でもあるこの場所に、長じてからどんな思いを抱いていたんでしょうかね。
 
参考:
 


2024年3月18日月曜日

サイトのリニューアル 山梨の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、山梨県で訪れた全てのスポットの作成が終了しました。
 
 
山梨県のスポットとしては、お城が11城、神社1社、自然が6ヶ所、道路が4本です。
道路の内、道志みちが神奈川県との県跨ぎ、八ヶ岳高原ラインが僅かに長野県と県跨ぎですね。
お城に関しては、お城作成終了のところでも書きましたが、やはり武田家関係のお城が多くなっています。
その他のスポットはと言うと、富士五湖を中心に富士山周辺のスポットが多いですね。
富士五湖は、訪れた日が秋晴れで天気も良かったので、むちゃくちゃ絶景でした。
なんだかんだ、訪れた時の天候には恵まれているので、山梨県は相性が良い県という印象ですね。
さて、甲信越の次は南の静岡県に参りましょうか。
この県も、新潟県に匹敵するぐらい東西に長い県ですな!
頑張って作って行きましょう。