2015年7月30日木曜日

安保法制のついでに徒然と その1

安保法制に関連してですが、なんとなく外交や戦争に関して思っていることを徒然に。
 
歴史をある程度知っている自分が戦争を考えると、よく言われるように、戦争は外交の延長である、ということを強く思います。
それぞれの国を個別に見ていくと、特徴ある外交の仕方や判断、利害など様々で、人間の人格や性格に似たものがありますね。
民族的な価値観に根ざした考え方というのもあるでしょう。
逆に民族的なバッグボーンが無いアメリカは、しがらみも無いからなのか、至極合理的に感じます。
ただ、これらは人間個人よりももっと利に聡く、強欲なようですね。
普通の人が、関西弁で言う所の、それはちょっとえげつないんちゃう?という判断も、国益と言う言葉でもって正当化され、押し通されることがあります。
おまけに、大抵の国は武力を持っていますから、酷い言い方をすれば、ヤクザ同士の抗争に近いのかもしれません。

そんな中、日本の憲法9条が平和を守ってきた、というような論調があるのは、ちょっと現実認識が足りなさ過ぎるのではないか?と思わずにはおれません。
言いたいのは、憲法9条がダメなのではなく、その現実認識が甘すぎる、ということなんです。
言うまでも無く、現憲法は昭和21年に公布され、翌年に施行されました。
ですが、昭和27年に竹島が韓国に実効支配されています。
尖閣諸島の領有を中国政府が言い出したのは、昭和46年です。
憲法9条で守れてますか?
戦後の大半の期間は平和だったという反論があるかもしれませんが、それは米軍のおかげ、もっと言えば日本に米軍基地があって米軍が駐屯していた、という現実からです。
日本を攻撃すれば、そこに駐屯する米軍が即応する。
これは、冷戦構造下では日本だけの話ではありませんが、そういうのが目に見えるからこそ抑止力になったのです。
もっと言えば、日本が米軍の軍事的影響下にあったとしても、もし日本国内に米軍が存在していなければ、後に米軍が収拾するとしても、一時的に紛争に巻き込まれていたかもしれません。

憲法9条と共に、セットで語られる事もあるのは、非武装中立です。
海外に目を向けると、そういう政策を採る国はあります。
しかし、ルクセンブルクなどは過去、そうでしたが、第1次、第2次世界大戦では、中立を宣言していたベルギーと共にあっさりドイツに占領されてしまいました。
要は、非武装中立を掲げていても、相手のやる気次第でどうとでもなってしまうわけですね。
なんと言ってもヤクザ同士の利害争いですから。
外交という交渉で要求が通らなければ、次は実力行使です。
他には、非武装ゆえに内乱を鎮圧できないなんて事態に見舞われた国もあります。
この場合は、結局は他の国の軍や国連軍を入れることになります。
なんだか本末転倒ではありますわな。
また、非武装は圧倒的に小国が多いのが現状です。
なぜ小国が多いのか。
まず金が無い。
軍隊の運営にはお金がかなりかかります。
次に、冷たい言い方ですが、占領する価値が無いからです。
占領のメリットに対し、それに対する批判や国際的立場の悪化というデメリットを比べた場合、圧倒的にデメリットの方が大きいという現実的打算の結果です。
日本の場合は、資源はあまりありませんが、技術力や人的資源などを考えると、とてもとてもこういうわけにはいかないでしょう。
子供を戦争に行かせないと叫んで非武装を掲げても、相手次第で戦争に巻き込まれるし、巻き込まれたら否が応でも人的損害は出るわけです。
一面では交通事故と同じですな。
バイク乗りだけに特に気をつけていますが、こっちが安全運転でも相手次第では事故になることもある。
9条や非武装を叫ぶ人達は、そこまで想像ができているのでしょうか。
どうも現実や歴史がきちんと認識できていないように思います。
ただ、個人的には、もう戦争というのは商売にならなくなっていて、戦争勃発というのが既に極論になっているとは思います。
ヤクザ同士の利害衝突ですからね。
双方が儲かりもしないなら、それはそれで抑止力になります。
対ゲリラ戦争は別ですが。

現状について言えば、米軍は、冷戦構造下で拡げすぎた風呂敷を少し畳もうとしているようです。
それによって、日本の周辺各国は、攻撃すれば米軍が即応する!という認識から、即応する?という認識に徐々に変わりつつあるように思います。
日本も同様で、それを肌で感じているからこそ、今の安保法制制定へと繋がっている訳です。
誰かが、自衛隊の人もアメリカの為に死にたくないと思ってると思いますよ、と言ってましたが、アメリカの兵士こそ、それを思ってるでしょう。
自軍のピンチに救援すらしてくれない日本を何故助けないといけないのか、と。
政府は、中国の台頭を受け、そのような忌避的な状態から少しでもちゃんとした同盟体制に近付けたいんだと思います。
集団安保体制というのは、自治会みたいなもんですからね。
自治会みんなで危険物の清掃や防犯活動をしましょうと言ってる。
でも、強盗に入られた時には自治会を頼るくせに、他の家に強盗が入ったりしても知らん振りで、普段の活動も本腰を入れてできない家がある。
そんな家に積極的に手を貸そうと思いますか?
自治会長が東の自治会と競い合ってた頃はお目こぼしされてたけど、その自治会長もちょっと勢いが無い。
じゃあとうするの?というのが今の状態です。
ちゃんとした自治会員としてやっていくのか、今の不完全な自治会員を続けるのか。
不完全なまま続けるなら、情勢が冷戦の頃とは全く変わってきてますから、他に危機を防ぐ手立てが必要でしょう。
それは、独立独歩でやるのか、それとも違う枠組みなのか。 
奇手として、赤い自治会に新たに加盟するなんて手もありますがね(笑)
安保法制の反対派にはこの視点が全く欠けています。
だから論じるにも値しない。
どんな方策を取るにしても、いい加減、先延ばしが限界で、何らかの手が必要な時期でしょう。
自治会活動をきちんとするのも、独立独歩でやるのも、新たな枠組みを考えるにも、何にしても新たなコストやリスクのある話で、きちんと説明が必要です。
軽武装、重商主義で甘い汁を吸えた時代は帰ってこないでしょう。
 
なんかちょっと長くなってしまいましたね。
だらだらと書き殴りたい事はまだあるので、次回へつづきます。
 

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