2015年7月23日木曜日

安保法制

話題の絶えない安保法制。
人それぞれ、賛成反対の立場はあるんでしょうけど、相変わらず野党が全く機能していない。
与党が法案を出し、野党が反対するならば、しかるべき対案を用意するのが筋だと思うんですがね。
そういう意味で、維新の党しか機能していない。
健全な民主主義は賛否どちらの意見も大事で、議論を戦わせないと意味が無い。
何でも反対じゃ、かつての社会党と同じ。
そんな仕事なら評論家にでもやらせておけばいい。
有効な対案を出さず、審議拒否、採決反対なんかをやってるようじゃ、ちょっとね・・・

この安保法制に関連し、国会前でのデモがクローズアップされているけど、自民党はここ何回かの選挙で公約にし、そして支持を受けて議席を得てきた。
しっかりと手順は踏んでるわけです。
それに対して、デモでこれだけの人が集まるんだから配慮しろというような報道がなされるのは、ちょっと有権者に対して横暴過ぎやしませんか?
間接民主主義として、代議制民主主義として、各地の有権者は候補者の公約を吟味し、支持することによって議員として送り出したわけです。
なので、議員の一義的な責任は選挙区の有権者に対して存在し、自らが有権者に約束した公約を果たさなきゃならない。
それなのに、デモで何人集まったからとか、選挙区の有権者とは関係無い所での批判は、ちょっと違うんじゃないですかね。
逆に言えば、公約されてて、安保法制をやると分かってて、なぜ選挙の時に論戦を盛り上げていくということができなかったのか、という感じです。
デモをやるなら選挙の時にやって、共感する有権者を増やすべき。
そして、選挙の結果に影響を与えるべきなんです。
それを考えると、今の報道の論調の厳しさと、一番大事な選挙の時の論調と、やたら温度差を感じてしまうんですよ。
庶民が意見を反映できる選挙の時にさらりと触れるぐらいしかしてなかったのに、今になってどうのこうの言いすぎなんじゃないか?とね。
もし、選挙の時にその話題では注目を得られないというのであれば、有権者の興味はその程度ということなんですけど。
野球をやってただけに、バントの構えをしたミエミエの打者がいるのに投手が投げる前はたいして注目もせず、投げてからバント!バント!と言ってる図が思い浮かびます。
いや、投げる前に言えよ
と。
ま、今は誰でも写真がすぐ撮れる世の中で、中核派や革マル、各労働組合の旗なんかが見えてるデモなんかは論外ですがね。
自分的には、彼らが猛ってた時代を自ら総括してないと思うんで。
自己反省の無い組織や人間に対しては、聞く耳を持つ必要がない。
 
報道に関して言えば、強行採決があったことから、多数決が民主主義をゆがめてしまうなんて論調もありましたね。
え?
という感想しかないですが(笑)
民主主義の大原則たる多数決がダメだったら、よりよい方法を提案すればいいんじゃないの?
多数決を原則にしてる民主主義国家がこぞって採用してくれるよ!
・・・
・・・
なんかね、多数決を誤解してるんじゃないですかね。
多数決の本質は、最も多い人間が支持する意見がもっとも良いだろうではなく、最も文句が出にくいであろう、というシステムです。
たとえ多数が支持する案が良くなくても、支持したんだから納得はするだろうというのも含まれていますね。
安保法制が、今後の日本にとって良いものになるか悪いものになるかは非常に議論の多いところですが、選挙公約でもあったんだから、選挙で多数を得た与党の案が支持されたことは間違いのない事実。
良かろうが悪かろうが、多数に支持されたものが選択される、それが多数の民が決める、納得する、という民主主義です。
もちろん、行き過ぎた少数派無視は斟酌されるべきですが、基本は多数の支持した案が選択されるべきですよね。
でないと選挙の意味が無い。

しかし、政権批判をしたくてメディアは色々と言葉を弄し過ぎなんじゃなかろうか。
政治家がアホ、政治家が信用できない、というのと同じですな。
質の悪い議員がいるのも否定しませんが、選挙で選んでいる以上、有権者がアホ、有権者が信用できないと言ってるに等しい。
そして、それを有権者目線で語ってるマスコミや評論家の多い事。
庶民の有権者の味方の振りをして庶民を馬鹿にしている。
言葉が軽いですわ。
耳障りがいいだけ。
ま、もっと有権者は意識を高めて欲しいという自己批判目線なら、そういう表現もアリなんですがね。
政治家はアホとか信用できないとかではなく、もっと働け、もっと現実的な案を出せ、という前向きな報道になるようメディアも頑張って欲しいですな。
いつの日か、与党案は現実的やけど野党案のこの部分も一理ある、というような現実的な政策論争が行われるようになってほしいものです。
 

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