2015年8月5日水曜日

安保法制についでに徒然と その2

ちょっと長くなってますが、前回の続きを徒然と。
 
戦争についての話に戻りますが、よく言われるように、戦争には正義なんか無い、というのは歴史から言える事です。
ある国とある国が戦争をする。
この時、ほぼ100%、両国は大義名分を掲げています。
それは片面から見ると邪悪であり、片面から見ると正義なわけです。
これは、国と国の戦争に限りません。
過去、実力者が斜陽の権力機構にクーデターを仕掛けるというのが、それはもう数多と言えるぐらい繰り返されてきましたが、クーデターですから、倒される権力者側にとってはもちらん限りなく邪悪なわけです。
でも、クーデターを起こす側も大義名分を掲げています。
古くは、君側の奸臣を除く、というのが定番でした。
主君は悪くないが、側近が悪いから政道が歪められている。
だからその側近を排除する為に兵を挙げたんだ、と。
ま、大概は軍事力で圧倒したクーデター側はやりたい放題なんで、君主を傀儡化し、後に禅譲を迫ったり暗殺したりして取って代わるわけですが。
しかし、挙兵した時には、それが大義名分、つまりクーデター側の正義論だったわけです。
体制を覆すというクーデターですらこんな感じですから、同じような事が、いや、それ以上の激しい正義の主張が、国同士なら発生します。
でも、どっちが正義とも言えない。
なので勝者側が正義論を押し通し、敗者は反論すら出来ず、悪にされる。
正に、勝てば官軍、というわけですな。
前述のクーデターで言うなら、妹喜、妲己、褒娰なんかの傾国の美女と人倫にもとる暴虐の王というテンプレートがありますね。
日本の豊臣秀次なんかもこれのテンプレートの流用と思われます。
どれも滅んで当然という論調で描かれていますが、実態は違ったでしょう。
でも、後世に残るのはあくまで勝者側の正義の主張なのです。
 
戦国時代の頃の戦争は、もちろん庶民に害もありましたが、局地戦でもあり、物見遊山の対象でもあったというのが史料に載っており、牧歌的な側面もあったようです。
しかし、兵器の発達した近代の戦争、特に国民国家による戦争というのは、とことん総力戦となります。
なので、庶民に塗炭の苦しみを与える。
だから、戦争はアカン。
これははっきり言える事です。
でも、そこに良いとか悪いとか、善とか悪とか、正義とか邪悪とかを持ってくると、途端に現実認識が怪しくなってしまう。
そうじゃないやろ、と。
かつて、アメリカのブッシュ大統領は、イラクを悪の枢軸と名指しし、大量破壊兵器の所持を疑い、アルカイダとの関係も疑って戦争に突入しました。
しかし、大量破壊兵器は無く、アルカイダとの関係を示す証拠も出てこなかった。
所詮、正義の戦争と言っても、こんな不安定なものなんです。 
戦争を善とか悪とかで語るべきじゃない。
善とか正義とかって耳障りがいいですからね。
大義名分には使いやすい。
宗教とかもそうですけど、盲目的にさせる力がある。
でも、実際に社会に出てみると、善とか正義とか一面だけで片付けられる事象なんてほぼ無い事が身に沁みて解ります。
自分はこう思ってるが、対立する相手にも事情がある。
また、戦前と戦後の価値観が反転したように、正義も何かの拍子で反転することがある。
だからシンプルでいいと思います。
大変な思いをするから戦争はアカンと。
戦争はあくまで利権闘争の結果であって、善でも悪でも正義でもない。
敵対国を悪だと捉える人は、現実や置かれた環境を都合良く解釈しようとする。
かと言って、戦争自体を悪だと捉える人も、その時点で思考停止してしまう。
だからこそ、戦争をしない為の、もしくは戦争になっても被害をできるだけ避ける為の、現実的な施策や備えというのが大切なのです。
事故と同じで、相手にやる気があれば、いくらでも戦争なんて起こせるんやから。
その辺りが、善悪だの正義だので戦争を語る人には足りない。
 
徒然ついで、アメリカという言葉が出てきたついでに、中国と対比させて考えてみましょうか。
日本は、世界においては重要なプレーヤーですが、超大国というような国ではありません。
現在の世界で、超大国と言えるのはアメリカだけでしょう。
しかし、超大国を目指す国が現れました。
それが中国。
中国は、過去、異民族王朝も含め、何度も超大国だった時代を持つ国です。
というか、隋唐も鮮卑族系の説があり、元や清は確実に異民族王朝ですから、異民族王朝の超大国時代がかなり長いという国でもあります。
これら征服異民族を、中華文明という普遍的な文化と人の数で吸収して今の中華民族があるわけですが、根本の部分が他の民族を吸収し得る多民族国家であるというのは、両国の共通点かもしれないですね。
それは興味ある視点ですが、ひとまず置くとして、歴史上、対立する超大国がある場合、影響を受ける中小国はどうなるか。
それは、必ずと言っていいほど、内部で意見が割れるんです。
どっちに付くか、という話で、親○○派、親××派といった派閥ができあがるんですね。
初期には中立派、独立派というのもあることが多いですが、事態が切迫してくると大抵霧消していきます。
今の大河ドラマは、ちょうど長州征伐の頃ですが、その頃の長州も同じです。
影響を及ぼす2つの勢力の武力が圧倒的という状況ではありませんが、幕府は武力が圧倒的で、朝廷は思想的な力が強いという状況でした。
この2つの勢力を前にして、どちらに付くかで勤皇派と佐幕派が対立したわけです。
長州征伐前後の情勢は、文久の政変と蛤御門の変によって勤皇派が立場を失い、幕府に恭順する佐幕派が勤皇派を弾圧して第一次長州征伐を乗り切ったものの、同じ頃に高杉晋作が挙兵し、佐幕派を一掃する、という流れを辿って行きます。
勤皇派も佐幕派も、どちらも長州を思っての事ではあるんですがね。
皆それぞれ、一番の策はこれだというのがあるだけに、藩論統一は難しかったんでしょう。

翻って現在の日本。
派閥という見方で見てみると、政府や与党が親アメリカ派、共産党や民主党は親中国派ということになりますか。
○○派なんていうと、なんか極端な見方のような気もしますが、これが意外と合ってるんですね。
個人的には同盟という言葉を使うのはどうなん?とすら思う片肺状態の日米同盟を、より通常の同盟関係に近付けようとしている政府や与党。
日本が軍事的に依存しているのはアメリカですから、これは紛う事無き親アメリカ派で解り易い。
一方、産経新聞の記事にありましたが、安保法制を支持している、今後の日本の役割に期待しているという意見が、中国韓国以外の国ではほとんどで、具体的に法制に反対しているのは、中国韓国のみでした。
韓国は外交的にはアメリカを離れて中国に付きつつありますから、日本に対してはほぼ中国と同じ立場と見て差し支えないでしょう。
そして、この中国の意見を代弁するかのように同じ主張をしているのが、共産党、民主党です。
上記のように、国際的に法制反対が一般的という状況でもないわけですから、今までありがちだった、世界では云々という理由も挙げられないですし、自覚があるか無いかは別として、二つに分けてみるならば親中国派ということになりますね。
これは、共産党は言わずもがなで、民主党も旧社会党や旧民社党の流れを汲む議員がいますから、中国と近しいのは当たり前と言えば当たり前かもしれません。
しかしながら、どうも親中国派という色がはっきりとしないですね。
事態がまだまだ逼迫していないからなのか、それとも中国側に付く、という現実論が足りないからでしょうか。
別に中国側に付くというのがダメなわけではありません。
長州藩の対立も、突き詰めれば、幕府の力がまだ強く敵わないと考えるか、これからは朝廷中心の世の中になるからそれに向けて動くべきと考えるか、の違いでしかありませんから。
日本でも、これからは中国が超大国になるから恩を売っておくべきだ、とか納得できる理由を提示すればいいんです。
なのに、憲法9条が守ってくれるとか、非武装中立とか、現実感の無いふわっとした言葉を持ってくるからおかしくなる。
政治は現実ですからね。
起こり得る事に対してきちんと対処できる、予防できる、という策を持たないといけない。
確かに、親中派という語感は今は悪いかもしれません。
でも、それを堂々と言えるだけの矜持と信念が野党には欲しいもんですな。
 

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