2025年12月3日水曜日

東信群馬埼玉ツーリング その11

前回のあらすじ
 
北関東の城は、なんかどれもこれも大きいのは気のせい?
鉢形城デカすぎ!
 
鉢形城を後にする頃には、ほぼ日没の時刻となっていました。
ここから荒川に沿うように、国道140号線と国道17号線を辿って行田へと向かいます。
行田に着く頃には、すっかりと暮れていました。
ホテルにチェックインして風呂に入って汗を流し、夕食を探しがてら夜の忍城へ。
模擬天守とは言え、なかなかライトアップが映えますな。
 
 
翌朝、少し早起きして、忍城へ再び登城。
そして、模擬天守の昼の姿を拝みます。
 
 
昼の姿もまた良し。
まだ模擬天守の開く時間ではなかったのが残念でしたが、堀と橋と城門、そして模擬天守という姿が、模擬とは言え、なかなか様になっています。
天守すぐ横にある東門も良き。
 
 
内部に入ると、本丸跡には行田市郷土博物館が建っていました。
 
 
この本丸跡には、庭のような場所もあります。
 
 
近代的に整備されていますが、そこはかと無く城跡の雰囲気が感じられますね。
鐘楼も残っています。
 
 
次いで、藩校だった進修館の表門。
 


忍城の説明板も、もちろんあります。
 
 
そして、現代地図と比較できる縄張図。
忍城で一番大事なのは、この縄張図かもしれませんね。
水に浮いたような縄張図を見れば、水攻めの決断も頷けます。
 
 
ただ残念なのは、この水攻めの契機となった、城を取り囲む沼沢がほとんど埋め立てられていることでしょうか。
水城公園にその雰囲気は残されています。
 
 
当時は水城公園よりも相当に沼沢が広かったので、もし残っていたら、水攻めを連想させる壮観な景色になっていたはず。
城好きとしては、その姿も見てみたかったですね。
市街の中心部に沼沢があれば、そりゃ埋め立てて市街地にしてしまうでしょっていう地元の方の判断も理解できるだけに、もどかしいですが。
 
忍城を出た後は、県名の由来となった埼玉古墳群にも寄りたかったのですが、時間の関係で諦め、次に向かうのは風流な名前の菖蒲城。
菖蒲への一番分かりやすい道は、国道125号線なんでしょうが、1本南の県道128号線で関東平野の雰囲気を味わいながら東へ進んで行きます。
途中、月曜の朝一からファミリーカーがバンバン入って行くむさしの村に何事かとビックリしながら、国道122号線を経由して菖蒲城へ。
菖蒲城は、鎌倉から古河へと移った古河公方足利成氏が城を築かせ、完成が菖蒲の節句の5月5日であったことから、菖蒲城という名前になったといわれています。
時代的には、関東の戦国時代の幕開けとなった享徳の乱勃発の翌々年で、非常にきな臭い年ではあるんですが、名前だけは本当に風流ですね。
城自体は北条氏滅亡後に廃城となり、江戸時代は栢間陣屋が置かれていたということなので、遺構らしい遺構というのは残っていませんでした。
菖蒲城の江戸時代の流れともいえる陣屋の表門が、道路沿いすぐのところにあり、僅かに城跡の雰囲気を漂わせています。
 
 
その横に藩主だった内藤氏の説明板。
 
 
内部には城址碑が建てられていました。
 
 
城内は、名前にちなみ、今は一面のあやめ園になっています。
 
 
あやめ園もそうですが、城跡の外側も一面畑地という中にある城跡で、平野部が続く関東平野らしい城跡かもしれませんね。
 
つづく
 
参考:
 

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