2025年12月31日水曜日

2025年走り納め リベンジ

今年はもうバイクに乗れないかと思っていました。
だがしかし!
肉離れも急性期を越え、土壇場でかなり普通に生活できるようになってきましたので、軽く跨いでみようかと。
ふくらはぎが伸びる方向で踏ん張ったりすると、腹筋をやり過ぎた後の筋肉のような、気持ち悪いダルさみたいなものが出るんですが、歩いたりかなり軽く走ったりする分には普通になってきましたからね。
実際にバイクを出して跨ってみると、かなり大丈夫そう。
少し荷重を掛けても、全然痛くありません。
よし、ガソリンを満タンにしに行こう!
ガソリンを入れ、さらにぐるっと10kmほど、安全に走れる大きな道を選んで軽く走ってきました。
いいですね、バイクに乗れるというのは。
走り納めの目的が給油になってしまいましたが、それでも納めは納めです。
皆さんも怪我には気を付けてください。
それでは良いお年を!
 

2025年12月29日月曜日

2025走り納め失敗

毎年、12月に走り納めをしています。
今年ももちろんそのつもりでした。
走るルートも決めてたんです。
今年は暖冬になるという予報もあったりなんかして、いつ走ろうかと結構ワクワクしてたんなですよね。
しかししかし・・・
ふくらはぎに肉離れ発生!!
しかも軸足になる左足。
バイクが跨げません・・・
というか3日ほど踵を地面に付けられませんでした。
ふくらはぎが伸びる動作をすると激痛が笑
いや、笑い事ではないけども。
なんとか走り初めには間に合わせたいところですが、どうなることやら・・・
というわけで、良いお年を・・・
 

2025年12月22日月曜日

三ノ宮駅新東口

現在、JR三ノ宮駅の南側で再開発工事が行われています。
大阪駅周辺が顕著ですが、あちこちで再開発が行われる中、阪神淡路大震災からの復興が優先された神戸では、街のテコ入れとなる駅周辺の再開発が遅れていました。
その遅れもあって、平成初期チックな雰囲気が駅前には残っているんですよね。
神戸が衰退したと言われる要因のひとつにもなっていましたが、復興とその債務返済が一段落したこともあり、いよいよ三ノ宮周辺に再開発のターンが訪れています。
そんな中、三ノ宮駅に関する記事が。
 
 
三ノ宮駅の東側は、かつて新聞会館と呼ばれていた神戸新聞社の本社ビルの跡地に、現在はミント神戸という愛称の商業施設が建っていますが、人の流れとしては、そこまで多くはありません。
なので、それほど手も入っておらず、JR三ノ宮駅の東口辺りは、こちらも平成初期チックな雰囲気が残っています。
何より、
東口という名前のくせに、大して東じゃないねん!
これが一番の問題です笑
JR三ノ宮駅の出口は、西口と中央口、東口の3つがあるんですが、西口がホーム西側突端ということもあって中央口自体が西寄りに配置されている上、東口は中央口改札の反対側の改札というだけで、中央口のほぼ隣という立地なんですね。
東口と聞くと、東口?あ~はいはいあそこか、的な認識です。
なので、シン東口がてぎるなら、歓迎したいですね。
ただ、spotifyのCMで見た渋谷駅みたいに、東口、東口(北)、東口(南)、新東口、中央東口というような東口の濫用にならないことを祈ります笑
 

2025年12月15日月曜日

べらぼう完走

「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」が昨日、完結しました。
江戸時代の話ということもあって、視聴率的には苦戦したようですが、個人的には昨年の「光る君へ」と同じく、なんだかんだ見続けましたね。
オンライン視聴も含め、完走です。
田沼時代の政治や寛政の改革などは、教科書的な意味で多少は知っていましたが、市井の人々から見たそれら政治体制や施策というのは、かなり新鮮でした。
それと今回は、泰平の世の話だけに、時代背景を反映するストーリーの流れに大きな波があまり無く、自然と役者さんの演技に注目したような感じがします。
そういう意味で、大河ドラマというよりも、ビジネス長編ドラマという趣が強かった感じがしますね。
だからこそ完走できたのかもしれません。
さて、来年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」です。
久々の戦国大河。
しかも、秀吉の弟秀長が主人公です。
一兵卒から天下を取った秀吉を支え、豊臣政権内では、強権で走りがちな秀吉の脇を蜂須賀正勝と共に固め、秀長が長生きしていれば豊臣政権はもっと長く続いたと言われることもある人物ですから、玄人好みの主人公と言えるかも知れません。
楽しみですね!
 

2025年12月8日月曜日

鉄馬

先日、こんなリリースが出ました。
 
 
タイムスケジュールとしては、2027年にライディングシミュレーターを完成させ、次回2030年の万博であるリヤド万博でモビリティとして採用されることを目指し、2035年の製品化を目指すとなっています。
Kawasakiの本気を見た!
モーターショーなんかで出展されたコンセプトモデルが、後に製品化されるというのは割とよくある話ですが、コルレオは、コンセプトモデルと言うには現実から遠すぎる存在ですよね。
4輪ならぬ4脚で走るモビリティなんて、実際に動くようにするだけで、ハードルがどれだけあるか想像すらつきません。
しかも、人を乗せて乗り心地や安全性を確保しなければならないモビリティとして成立させるとなると、もはや完成するのかしないのかすら判断できない未来の乗り物カテゴリー。
まぁ2035年も未来には違いないんですが、そんな近未来に出来上がるんか?という感じです。
その壁をKawasakiが越えてくるのか?
とてもとても期待したいですね。
バイクを鉄の馬に喩えて鉄馬という表現をすることがありますが、これぞリアルに鉄馬。
Kawasakiには頑張って欲しいですが、その頃まで運転に耐えられるよう、こちらも負けずに体をケアしないといけないですね。
 

2025年12月3日水曜日

東信群馬埼玉ツーリング その11

前回のあらすじ
 
北関東の城は、なんかどれもこれも大きいのは気のせい?
鉢形城デカすぎ!
 
鉢形城を後にする頃には、ほぼ日没の時刻となっていました。
ここから荒川に沿うように、国道140号線と国道17号線を辿って行田へと向かいます。
行田に着く頃には、すっかりと暮れていました。
ホテルにチェックインして風呂に入って汗を流し、夕食を探しがてら夜の忍城へ。
模擬天守とは言え、なかなかライトアップが映えますな。
 
 
翌朝、少し早起きして、忍城へ再び登城。
そして、模擬天守の昼の姿を拝みます。
 
 
昼の姿もまた良し。
まだ模擬天守の開く時間ではなかったのが残念でしたが、堀と橋と城門、そして模擬天守という姿が、模擬とは言え、なかなか様になっています。
天守すぐ横にある東門も良き。
 
 
内部に入ると、本丸跡には行田市郷土博物館が建っていました。
 
 
この本丸跡には、庭のような場所もあります。
 
 
近代的に整備されていますが、そこはかと無く城跡の雰囲気が感じられますね。
鐘楼も残っています。
 
 
次いで、藩校だった進修館の表門。
 


忍城の説明板も、もちろんあります。
 
 
そして、現代地図と比較できる縄張図。
忍城で一番大事なのは、この縄張図かもしれませんね。
水に浮いたような縄張図を見れば、水攻めの決断も頷けます。
 
 
ただ残念なのは、この水攻めの契機となった、城を取り囲む沼沢がほとんど埋め立てられていることでしょうか。
水城公園にその雰囲気は残されています。
 
 
当時は水城公園よりも相当に沼沢が広かったので、もし残っていたら、水攻めを連想させる壮観な景色になっていたはず。
城好きとしては、その姿も見てみたかったですね。
市街の中心部に沼沢があれば、そりゃ埋め立てて市街地にしてしまうでしょっていう地元の方の判断も理解できるだけに、もどかしいですが。
 
忍城を出た後は、県名の由来となった埼玉古墳群にも寄りたかったのですが、時間の関係で諦め、次に向かうのは風流な名前の菖蒲城。
菖蒲への一番分かりやすい道は、国道125号線なんでしょうが、1本南の県道128号線で関東平野の雰囲気を味わいながら東へ進んで行きます。
途中、月曜の朝一からファミリーカーがバンバン入って行くむさしの村に何事かとビックリしながら、国道122号線を経由して菖蒲城へ。
菖蒲城は、鎌倉から古河へと移った古河公方足利成氏が城を築かせ、完成が菖蒲の節句の5月5日であったことから、菖蒲城という名前になったといわれています。
時代的には、関東の戦国時代の幕開けとなった享徳の乱勃発の翌々年で、非常にきな臭い年ではあるんですが、名前だけは本当に風流ですね。
城自体は北条氏滅亡後に廃城となり、江戸時代は栢間陣屋が置かれていたということなので、遺構らしい遺構というのは残っていませんでした。
菖蒲城の江戸時代の流れともいえる陣屋の表門が、道路沿いすぐのところにあり、僅かに城跡の雰囲気を漂わせています。
 
 
その横に藩主だった内藤氏の説明板。
 
 
内部には城址碑が建てられていました。
 
 
城内は、名前にちなみ、今は一面のあやめ園になっています。
 
 
あやめ園もそうですが、城跡の外側も一面畑地という中にある城跡で、平野部が続く関東平野らしい城跡かもしれませんね。
 
つづく
 
参考: