2018年7月16日月曜日

飛騨富山ツーリング その12

前回のあらすじ
 
富山よ!私は帰って来た!
 
富山城で、徐々に夕景になりつつある時間に差し掛かって来ましたが、ここから向かうのは、宿を取っている東の入膳ではなく西。
富山市の平野部の西側に、平野部を分断するように呉羽丘陵が北東から南東へと伸びていますが、その一角に白鳥城というのがあります。
その城が次の目的地。
この城は、秀吉が天正13年(1585)に富山城を本拠としていた佐々成政を討伐した際に、その本陣として使われる予定であった城で、富山城を眼下に収めることができるほど近い場所にあります。
直線距離にして4kmほどですな。
ただ、実際には秀吉本人が来る前に成政が降伏してしまったので、城に秀吉が立ち寄ったとも立ち寄ってないとも言われ、諸説あるようですね。
今残っている縄張は、その時の改修をベースに、前田家によって更に改修されたものでしょう。
成政は降伏し、新川郡以外の越中の領土を没収されたとは言え、新川郡自体が越中国の東半分を占めるというように巨大で、まだまだ侮れなかったわけですから。
ただ、それも天正15年(1587)に成政が肥後へ移されると、城の実質上の役目は終えたようです。
今の呉羽丘陵は、結構な富山市民の身近なレクリエーションの場として開発されているようで、北側には公園があり、南側には立山を一望できる展望台が設置され、宿泊施設もあるようですね。
また、丘陵を縦断するように立派な道が通っており、富山城の南側の道である県道44号線を進んで行くと、大きく入口の案内が出ており、簡単に行くことができました。
丘陵縦断の道がなかなか良い道で、気分良く快調に上って行くと、南西側の城山と呼ばれる部分の、展望台からほど近い場所に駐車場があり、駐車スペースもたっぷりあって止めやすい。
また、その駐車場に城址碑もありました。
 
 
ここから城へはすぐです。
が、城へは行かず、まずは反対側の展望台へ。
立山の残雪が見えるかな~なんて思ってましたが、春霞で立山も朧気でした。
残念・・・
 
 
気を取り直して城へ。
まず出てくるのは東出丸。
 
 
東出丸は、主郭部から少し離れており、主郭部との間には堀切がありました。
 
 
藪だらけで通路と化してる三ノ丸を過ぎて二ノ丸。
 
 
写真は二ノ丸の東側ですね。
全体としてはもっと大きい郭でした。
続いて2段構成の本丸。
 
 
写真右手の本丸上段は、天守台と推測されています。
なので、大きさもそれなり。
そして、説明板。
 
 
次いで縄張図。
断層面の崖ギリギリに築城されているのがよく解りますね。
 
 
順に城を巡って行きます。
次は本丸外郭。
 
 
ここは、恐らく城内で一番広い郭ではないでしょうか。
ここから高低差を持って接続している東ノ丸。
 
 
北側へ回って北ノ丸と北二ノ丸。
写真は北二ノ丸です。
周囲には空堀がありましたが、明確ではありませんでした。
 
 
次に西に回って西一ノ丸。
 
 
その先の西二ノ丸。
 
 
全体としては、城への遊歩道はきちんと整備されていて、非常に散策しやすかった城でしたね。
ただ、1歩外れると全くの藪で、郭の外の空堀とか切岸とかどんな感じになっていたのかは、ほとんど確認できませんでした。
そこは、やや残念でしたが、全体としては郭が明確でなかなか良かったです。
 
日暮れの時刻が迫る中、白鳥城のある呉羽丘陵を西側に下り、そこから北上すると国道8号線のバイパスへと出ます。
そのバイパスをひたすら東進し、富山市街を抜け、滑川市を過ぎて行くと、魚津がすぐに見えて・・・来る予定でしたが、これがなかなか遠い。
バイパスで流れも快調なんですが、侮れない距離がありました。
目当ての魚津城に着いたのは陽も落ちかけた頃。
ここでの目的は、もちろん魚津城です。
魚津城は、16年前にさんざん市街地をぐるぐる回って見つけられなかった城でした。
ただ、今回は予習バッチリで、1回通り過ぎたものの、すぐに到着。
予習バッチリで1回通り過ぎんのかい!
というセルフツッコミは置くとして、魚津城は上杉勢と織田勢の熾烈な籠城戦があった場所ですが、今は残念ながら遺構は全く見られません。
城跡は小学校になっており、小学校の駐車場に周辺の案内板と説明板がありました。
 
 
 
校門のすぐそばに城址碑があります。
 
 
最近、小学校周辺というのはセキュリティが厳しく、小学校へ入るには許可が要るので大変です。
ただ、こういう地方都市というのは旅行者に親切でして、高知の久礼城でもそうでしたが、通りすがりの人が何かと便宜を図ってくれるんですよね。
本当にありがたい話です。
ま、写真を撮るだけなんで、ほんの10秒ほど入るだけなんですがね。
しかし、魚津の市街地も随分と印象が変わりましたな。
16年前は、もうちょっと商店街が商店街として存在感があって、道も旧市街らしく狭苦しかったイメージがあるんですが、訪れてみると、どの地方都市もそうですが、やっぱり商店街が衰退しているようで、存在感がかなり薄れてしまっていました。
反対に、道は整備されたのか割と広々としており、ちょっとした街だったのが、郊外の風景に変わってましたね。
これも時代の流れなんでしょう。
 
この日は、魚津城ですべての予定を完了。
あとは、宿を取っている入膳へ。
素泊まりの予約だったので、入膳の国道沿いにあったローカルなファミリーレストランで食事を摂りましたが、この店には若い学生さんが結構いて、この辺りの若者スポットなんやなぁと感じました。
ただ、聞き耳を立ててみると、どうも進学で街を出て行く人が多いようですね。
大阪でも地方から出てくる人は多いですが、確かに大学も少ないし、通学できないとどうしようもないわな・・・
地方が大学を誘致しようとする根本原因は、こんなとこなんでしょうね。
進学で出て行くと、そのまま就職して帰ってこないというパターンも多いからね・・・
しかし、高校生ぐらいだと、自転車が移動手段の中心やから、郊外型の店舗だと結構自転車を漕いで集まるんでしょうな。
自分もその頃は、10kmぐらいなら自転車で移動してた気がする。
地方の現状はともかく、昔を思い出して、なんか微笑ましかったですな(^^)
 
続く
 
白鳥城
魚津城
地図付きはこちら
 

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