2018年4月12日木曜日

ぶらり高槻

新名神開通で高槻まで足を伸ばしたら、当然、高槻をぶらり、ですよね。
高槻に来たのは10年近く前ですから久々ですし、ブラつかない手は無い。
新名神の高槻I.C.で高速を降りて、そのまま名神高速沿いの道を西へ。
この道はまだ整備が終わってないようで、迂回路みたいな部分があったり、まだまだ工事中でした。
ひとつ目の大きな交差点を左に折れ、1.5車線の県道を南に辿ると、芥川小学校付近に出ます。
そう、目的地は、この芥川の場所にあった芥川城。
今は城址碑だけになっているようですがね。
芥川小学校を見ながら西に走り、JTの研究所方向に折れて紫町公園の筋に入って行くと、スイミングスクールがあります。
その南に城址碑が・・・とバイクの気軽さで入って行ったはいいが、バイクでも戻るのが困難なぐらい、細い路地でした。
仕方がないので、離れた場所にバイクを止めて、徒歩で城址碑に到達。
 
 
城址碑に比べて生垣が大きいので、最初は見落としました(^^;)
城があった当時の西国街道は、今の国道171号線とほぼ並行に走っていたんですが、この芥川城の部分は、街道が南に迂回する形となっています。
ちょうどJTの研究所の南の部分ですが、これは城域によって街道が付け替えられた為と推測されていますね。
今では市街化してどういう城だったのか見当もつきませんが、居館から出発した方形の平城で、西国街道が曲げられた部分から芥川近くまでが城の敷地だったのかなというのが想像できて、愉しいですね。
当然、西の芥川を天然の堀として使い、城の堀にも水を引き込んで水堀を廻らせていたのかもしれません。
 
芥川城を出た後は、先ほどの道に戻って門前橋を渡り、西へ向かいます。
ちょうどあったコンビニで軽食を買い、今城塚古墳へ。
ここが2つ目の目的地です。
ここはその名の通り古墳で、継体天皇の陵という説が有力視されていますが、宮内庁の管理下にはありません。
つまり、天皇陵という可能性が高い古墳ながら、自由に散策できる古墳なわけですね。
更に更に、戦国時代にはお城としても使われたという、複雑な歴史を持った古墳なのです。
 
 
上が全体図。
今は公園化されており、環濠の内堀部分は半分程度しか水を残していません。
まずはその水堀の部分と、当時、並べられていたであろう埴輪。
 
 
そして前方部。
中央やや右の造出の部分も明確ですね。
史跡公園として整備された時に整形し直して葺石で補強したんでしょう。
おかげで、当時はどんな姿だったのか、よく解ります。
 
 
反対の後円部。
埋め立てられた内堀が良い遊び場になっていますね。
この日も子供たちが遊んでいました。
 
 
お城として使われていたという割に、整備の際に後世の余計な部分は戻されたのか、痕跡らしきものはほとんど残っていませんね。
唯一、前方部と後円部の間ぐらいに、堀切らしき窪みがあったぐらい。
これもいつのものかはっきりしません。
 
 
総論としては、
古墳!
でも、高屋城とかもそうですが、堀が備わっていて、周囲より1段高い丘陵なんて、平野部のお城としてはこれ以上無いぐらい適地ですね。
街道も近いし。
城にしたいのもよく解るわ(笑)
さて、散策もひと通りした所でお昼としますか。
例年よりも桜が早かった今年、今城塚公園ではもう桜が5部咲きぐらいになっていました。
 
 
若木なんで、ソメイヨシノじゃなくてジンダイアケボノかな?
もうソメイヨシノの苗木は配布されていないですからね。
これだけ咲いてるのは、ジンダイアケボノの開花時期がソメイヨシノよりも少し早いってのもあるのかも。
何にしろ、こんないい天気の日にプチ花見ができて良かったですわ(^^)
 
参考:
芥川城
今城塚古墳
地図付きはこちら
 

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