2017年5月10日水曜日

勝手にSSTR その3

前回のあらすじ
 
バイカーの人に激励を。
BMWの人に花束を。
 
備前常山城を出た後は、国道30号線を東へ戻り、玉野市へ。
国道30号線の、この南へと方向を向ける区間は、山の中を走っており、後で建設されたバイパスっぽいですな。
並走する県道22号線が、恐らく昔は国道30号線だったのではないでしょうか。
宇野港が四国からの玄関口であった時代、宇野近辺はトラック等で渋滞したでしょう。
できるだけ海岸沿いを進んできたので、できればその県道22号線を進みたい所ですが、日没を考えるとちょっと時間が無くなってきてるので、止むを得ず国道30号線のまま南へ。
しばらく進むと、宇野港近くにループ橋がありました。
おぉループ橋!
何個目かな?
バイパスとして、強引に勾配のきつい場所に通された道の証。
岬と同じで、なんとなく通った満足感がありますな(^^)
 
国道30号線の突き当りから西に折れると、道は国道430号線へと変わります。
ここから海岸沿いを進んで児島市街へ。
この辺りは、高速道路開通以降は交通量が減ったのか、のんびりとした道ですな。
児島市街のココイチで昼食を摂ったのが13:30。
まずい。
日没まで時間が足り無さそうだ。
仕方がないので、瀬戸大橋を渡った先は高速ですっ飛ばすとしようか。
児島I.C.から瀬戸中央道へ入り、瀬戸大橋を通る時に毎回休憩する与島へ。
こうやって橋脚を間近に見ると、橋というのもやっぱり明確な構造物ですな。
めっちゃどっしりしてますわ。
 
 
本体を下から撮ると、イメージが変わってスマートかつ巨大な橋です。
 
 
瀬戸大橋を渡って四国に入りましたが、残念ながら海岸沿いをのんびり進んで行く時間はありません。
香川県には申し訳ないですが、高松道でサクっと通過。
徳島県に入り、板野I.C.で高松道を降りました。
なぜここで降りたかと言うと、目標は藍住町の勝瑞館。
近年、発掘が進み、かなり勝瑞館の姿が明確になってきているということで、確認しに来たわけですな。
I.C.近くのコンビニでトイレとコーヒーと地図確認を終え、県道1号線から同じく14号線へ。
しばし走ると、懐かしき見性寺の水堀が見えてきました。
この見性寺の境内が勝瑞城の跡で、見性寺は三好氏の菩提寺です。
城跡に相応しい寺ですね。
 
 
境内には、三好氏の菩提寺らしく、三好四代のお墓もあります。
 
 
この見性寺の境内は、土塁と水堀に囲まれており、いかにも城という感じがして好きですね。
最近では、天正10年(1582)の中富川の合戦の際に急造された城という説も出ていますが。
ちなみに、中富という地名は勝瑞の数km西で、三好勢は城を出て矢上に陣取り、中富川を挟んで西中富と東中富の辺りで合戦が行われたとされています。
ただ、地図を見ても、当時と河道が変わっているので、位置関係がイマイチ分かりにくいですね。
当時の吉野川は今の旧吉野川で、今の吉野川は当時にその名前だったのかは知りませんが、旧別宮川で、中富川は今の前川らしいのですが、名前だけでこんがらがります(^^;)
更に、戦いの状況を調べてみると、中富付近での戦いなら川を挟んで西の長宗我部軍と東の三好軍になるはずですが、長宗我部軍は南から渡河したとあるんですよね。
当時は、今の前川が昔の吉野川と別宮川を北西から南東に結んでて、その南北岸で対峙したのかな?
んーほんま、分からんわ・・・
 
つづく
 
参考:
瀬戸大橋
勝瑞城
地図付きはこちら(岡山徳島)
 

0 件のコメント:

コメントを投稿