2016年10月17日月曜日

ノーベル文学賞

ノーベル文学賞の発表が先週にありましたが、今年の発表には驚きましたね。
ボブ・ディランの字を見て、思わずテレビのニュース速報を、えっ!?という感じで2度見しました(笑)
流石にリアルタイムで全盛期を知ってるわけでないので、色んな曲を知ってるわけではないんですが、それでもこんな自分ですらいくつかの曲を知っているというぐらいメジャーなシンガーソングライターですな。
ノーベル文学賞のイメージは、今まで純文学というイメージがありましたが、それがひっくり返されました。
選考委員会の間で、何か選考基準が大きく変わったのかも知れません。
今後の選考において、大きな転換点になりそうですね。
とは言え、噂では、ボブ・ディランは過去に候補者に上がったこともあると言われていますが、財団が候補者を公表するのは50年後です。
それまでは、選考基準もただの推測でしかありません。
今年に大きく変わったのか、それとも何年も前から変わっていたのか、それを知るのは選考委員の人だけですな。
そもそも論を言えば、書籍の文学というのが世に一般的になったのは比較的最近で、学校制度が整備され、識字率が上昇してからです。
それまでは、西洋では吟遊詩人、日本では講談師と呼ばれるような、唄い聞かせる、読み聞かせる文学が中心でした。
そういう意味で、歌手に与えられたのは、文学における原点回帰と言えるのかもしれません。
 
それと、もうひとつ。
ノーベル文学賞には、やや政治的な部分があると言われます。
リベラル的であること、業界に貢献すること、などですね。
リベラルなのは解りやすいですが、業界に貢献することというのは、日本ペンクラブのような団体に所属してその活動をすること。
具体的には幹部となって活動し、西洋の文学界にも活動を知ってもらう事が必要といわれます。
そういう意味で、良くも悪くもそういう政治的な前提条件は覆されたことになりますね。
もともとノーベル文学賞は、商用ベースの売れた文学、つまり通俗小説という分野には厳しく、大衆が評価するものと、受賞者の作品は乖離する傾向があります。 
実際、文学賞受賞者の本なんてほとんど読んだこと無いって人がほとんどでは?
その傾向が強くなると、身内の賞レースみたいになってしまいがちで、そういう意味で隠れた受賞条件を覆したのは、先々を考えると何よりも良かったと個人的には思います。
ボブ・ディラン自身は、賞などに興味が無さそうなのがまた、ツボでいい感じですわ(笑)
 

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