2015年12月28日月曜日

伊勢湾周遊 その7

前回のあらすじ
 
夕闇迫りつつも、無事予定を完了!
うむ上出来じゃ。
 
今回の宿泊地は、半田市の駅前のビジネスホテル。
この辺りは臨海部だけあって、ビジネス需要が多いみたいですね。
ただ、ビジネスホテルの数は充実してても、大浴場を備えている所が少ない。
バイクで膝を曲げてる時間が多いし、山も歩くしで、
足伸ばしてぐったりしたいんや~
というのがおっさんには切実な願いなんです!
いつも、ここまで行きたいという所とここまでは確実に回れるだろうという所の間ぐらいに宿を取って、確実に回れるところがもし行けなくても次の日にカバーできるようにしてるんですが、今回はこの辺りで取りたいという地域で大浴場を加味すると、ほぼ一択。
もっさいおっさん単独で泊まるにはちょっと小洒落た感じのホテルかなとも思ってたんですが、着いてみると、大量の中国人が食堂に溢れて騒がしかったので、心配は杞憂に終わりました(笑)
しかし、中国の人ってエレベーターでも平気で喋るんですね。
しかも、乗ってる人同士が大声で会話してた時はそんなもんやろと思いましたが、エレベーターで携帯のハンズフリーで話してる時は、さすがに、えっ!?ここで?と思いましたわ。
会話丸聞こえやん。
ま、中国語分からんけどね。
恐るべし、中国人!
 
週末のせいなのか、ホテルの駐車場は満車で、バイクはフロントに許可を貰ってホテルの前に止めたんですが、荷下ろし作業中に、ボボボ・・・という、「らしい」音でフェラーリがホテルのエントランス前に止まりました。
おーフェラーリやん!と思いつつ、荷下ろしを続けていると、ドライバーが車を降りて何故かこちらに。
恐らく、駐車場が一杯で代替の駐車場を聞きに来た宿泊者だと思うんですが、
「長距離だとそういうバイクがやっぱり楽ですか?」
と聞かれました。
すでに神戸ナンバーを確認されとるな、と思いつつ、
「やー楽ですねー」
と答えると、
「やっぱりそうですかー。私もねドゥカティに乗ってるんですけど、故障しちゃって、車で来たんですよねー」
と言わはりました。
いや、それは聞いてへんけど。
「そうなんですかー。ドゥカティも故障が多いって聞きますもんね。」
「そうなんですよー・・・」
流れる微妙な空気・・・
え?何?イタ車好きですね、とでも喰いつけばよかったん?
文章で書くとそうでもないですが、結構食いついて来いよオーラが出てる喋り方だったんで、ちょっとしんどい。
旅の話ならもっと喰いつくんやけどねぇ
フェラーリもドゥカティも高いから凄いとは思うんですが、興味が無いんですよねぇ
特に海外製バイクは、長距離を乗る人間からすると、出先で止まる確率的に食指が動かない。
国産でも止まる時は止まるけど、まだ対応ショップ数的に修理できる可能性が高いですし。
ツーリングが使用のほとんどですから、その大きな荷物を抱えて電車で帰るという空しさだけは避けたいんです。
そんなこんなで、ドライバーはホテルに入っていきました。
微妙な空気を残して・・・
しかし、今思い出すと、ドライバーが話してたのは標準語的イントネーションだったはずなのに、再生は関西弁になってる。
かつて東北を放浪していた時、石巻の交番で道を教えてもらった婦警さんは一生懸命かわいい東北弁で教えてくれたけど、それも今再生するとなぜか関西弁。
これは何という現象なんでしょうか?
それぞれの人のイメージだけ残ってて、言葉は勝手に翻訳されている・・・
人の記憶ってのは勝手に書き換わるもんなんですねぇ
 
チェックイン後、待望の大浴場に入り、コンビニへ朝飯の買い出しへ。
明日の朝は雨ということなので、大目のブランチにしてギリギリまでチェックインを遅くし、昼飯無しで走る作戦です。
おにぎり、サンドイッチ、豚汁等々。
コンビニで1000円オーバーは買い過ぎな気もしますが、2食分やし、と我が腹を見ないことにする。
どうせ朝も遅いと、日付が変わるまでダラダラとテレビを見て、寝る前に天気予報を確認すると、テレビは朝が雨でのち曇り、Yahoo天気も同じ、スマホにバンドルされてたAccuWeatherという使った事ない予測サイトは朝一時曇りのみ。
ほう。
雨じゃないという予報もあるのか。
おやすみ。
そして、朝。
ふと7時半頃に目が醒めて外を確認すると、
晴れ・・・とる・・・
ええぇぇぇぇー
曇りですらなくて、晴れてますやん!
そこからは、慌しいこと。
朝風呂は譲れないので、寝ぼけ眼そのまま朝風呂を頂き、1000円分の朝飯を掻き込み、知多半島のみだった予定ルートを早急に西三河を含むルートへ変更。
出発は8:30を過ぎてました。
AccuWeather、次からお前を信じるぜ!
 
ホテルを出て、最初に寄ったのは東端城。
衣浦大橋を渡って県道46号線を辿っていけば、すぐ近くまで迷う事無く行けました。
この城の築城年代には、松平氏が大浜を掌握していた文亀3年(1503)の頃と天正8年(1580)の2つの説がありますが、戦国時代末期には長田尚勝がおり、後に小牧長久手の合戦で池田恒興を討つという大功を挙げた弟の永井直勝の城となっています。
直勝は永井に改姓したことで永井氏の祖となり、子孫は藩主として維新まで続きました。
城自体は、家康の関東転封時にどうだったか諸説があるものの、直勝が大坂の陣の功で元和2年(1616)に上野国小幡で大名に列するまで存続したようです。
現在の城跡は、城山稲荷の境内となっていますが、細かい所を見ていくと、遺構が所々に残っていました。
まずは城山稲荷社の前景。
やたらと駐車場が広かったです。
 
 
次は、北隣の念空寺との間。
念空寺の敷地も城域だった微高地で、間の掘り込みは確実に空堀跡ですな。
 
 
この写真で見ると分かりますが、城があるのは比高数mの微高地です。
標高だと10m弱といったところでしょうか。
周囲の現況が割と平坦なだけに、現地では防御面で不安がある城のように感じましたが、すぐ南の油ヶ淵は当時は北浦という海の入江で、干拓も進んでおらず、もっと城に近い所に海岸線がありました。
地図を見ると判り易いですね。
下の地図の中央一番上の城跡の両サイドに細流がありますが、当時は堀の代わりの汽水域だったかと思われます。
地図の南側は規則正しく造られた干拓地で、当時の北浦。
今の現地からは想像しにくいですが、海とは密接な城だったんですね。
大浜の代官だった長田氏が城主だったのも、海経由での接続が良かったからでしょう。
 
 
城山稲荷社の隣には農地があり、そこには浅くなった空堀と低い土塁も確認できました。
 

 
痕跡が残っている城は、当時の姿を想像しながら散策するのが楽しいですね(^^)
 
つづく
 
東端城
地図付きはこちら
 

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