2014年2月28日金曜日

荒木村重

ここ最近、日曜は軍師官兵衛を見つつ、毎日寝る前には司馬遼太郎の播磨灘物語を25年振りぐらいに読み返しているという生活で、地元ということもあって官兵衛一色な感じです。
いや、25年振りというのは大袈裟かな。
間に何回か読み返してるし。
 
で、
またまた、軍師官兵衛からなんですが、このドラマでは荒木村重について、講談ベースというか、完全な素浪人として描かれてましたな。
史実の村重は、父義村が池田家臣になっており、れっきとした武士の子です。
荒木家は、丹波の荒木鬼として知られる荒木氏の一族というのが有力な説ですが、実際のところは不明。
とは言っても、池田から北の山塊を越えるとすぐ丹波なんで、地勢的な信憑性は高そうな説ですな。
今で言えば、国道173号線や423号線、477号線を越える感覚で、お隣さんという感じです。
この辺りの道は、池田を越えてしまえば交通量も少なくなって快調に走れる快走路。
基本的には国道なんで2車線あって、しかも部分的にはタイトなコーナーもあるという楽しい道。
バイクや車で走るのが好きな人にはお勧めです(^^)
 
話がそれましたが、荒木氏は村重の父の代に池田氏に仕えたことから、素浪人は父の姿と言った方が歴史的には正しそうです。
なんかこの辺りは斎藤道三に似てますな。
素浪人から成り上がった斎藤道三の事跡は、実は父子2代に渡る物語だった!というのは戦国史に多少なりとも詳しい人には有名な話ですが、基礎を築いた初代の功績を引き継ぎ、2代目が悪どい方法をも駆使して成り上がるという姿は、どこか共通してます。
 
ドラマでは、官兵衛と村重は、この素浪人時代に出会ったことになっています。
官兵衛は後に、村重説得の為に伊丹城へ向かい、そのまま拘禁されてしまうわけですが、積極的に殺されなかったという伏線が、この旧知の間柄というところなんでしょうね。
一方、播磨灘物語では、村重は織田家新参の出来人ながら、最後の決断はやや甘い人間として描かれています。
官兵衛に対する対応はもちろんですが、謀反の際に翻意した高山右近などの人質を殺さなかったことなどが、村重の優しさ、言い換えれば軟弱さとして浮かんでくるようになっています。
しかし、この小説が書かれた以降に発掘された手紙などの史料では、最後の最後まで毛利氏に対して援軍を求める村重の姿があり、妻子を残して尼崎に遁走したというイメージではなく、足掻き続けた武将の姿がありました。
この辺りは、もっと史料が出てくれば、よりはっきりして行くんでしょうな。
村重が中央に登場してから没落するまでの期間が短く、その性格があまり伝わっていないという事と、梟雄的な逸話と人間臭い弱さが見える逸話が混在する人物像。
物語の書き手としてはフリーハンドな部分で、言い換えれば書き手の腕の見せ所ですな。
 
村重の謀反の失敗により、村重や家臣の妻子は惨い事になりましたが、道糞と名乗った自虐的な晩年の事もあって、自分にとってはなんだか憎めない武将です。
ただ、右近をこき下ろすなど、謀反の際の翻意に対する憎悪は、生涯消えることは無かったようですが。
信長に摂津方面を任されるというのは、丹波の光秀、播磨の秀吉と同格で、かなり有能な証なんですが、世間ではなかなか評価はされてないですねぇ・・・


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