ちょっと遅い話題ですが、朴槿恵大統領の解任により、韓国で大統領選挙がありました。
勝ったのは、かなり前から有利に戦いを進めていた文在寅氏。
リベラルで親北朝鮮の人物です。
系統としては、李明博、朴槿恵と続いた保守系統から、それ以前の金大中、廬武鉉路線への転換で、実際、文氏は廬武鉉陣営の中で活動していましたから、リベラルの本流と言えるでしょう。
保守系だった朴政権からの揺り戻しですかね。
ただ、問題なのは、トランプ大統領就任以降のアメリカは、北朝鮮への圧力を強めており、中国とも何らかの合意があったようで、中国から北朝鮮への経済制裁も強まっています。
これに対し、文氏の公約には、開城工業団地の再開や観光事業の復活など、北朝鮮に外貨を獲得させる政策が含まれており、アメリカの政策と相容れません。
更には、アメリカによる先制攻撃がはっきりした場合、北朝鮮に対話を促す、という公約さえあります。
これは、先制攻撃は機密情報ですから、機密情報の北朝鮮への暴露ということになり、とてもトランプ政権に受け入れられるものではないでしょう。
漏らされるのであればと、外交軍事的に蚊帳の外に置かれる可能性すらあります。
この辺り、外交分野では政治センスが無いように思われますが、今後、現実路線に修正するのか、気になる所です。
経済制裁については、ひと月ほど前にトランプ政権が、北朝鮮と取引のある企業について、資産凍結などの処置に出る可能性について新たに言及しました。
これは、主に中国企業が当てはまるわけなんですが、開城工業団地など経済支援活動が再開された場合、関わった韓国の企業はアメリカで商売ができなくなってしまいます。
最悪、ドル決済が行えなくなるかもしれません。
政策に実現性があるのか、それとも違う方法で公約を回避するのか。
新大統領の腕の見せ所ですね。
これに関しては、国内でも全銀協の会長や経団連が、以前にテロ資金規制法の遅れに懸念を表明したりと、一見畑違いの経済方面から声が上がったりしてたわけですが、最終的にはアメリカ国内やドルで商売できないという切実な理由があるからなんですね。
商売の根幹にかかわる部分。
そりゃ懸念も表明しますわ。
テロ三法が成立し、次段階としてテロ防止法があるわけですが、野党は今も共謀罪を声高に叫んでいます。
しかし、FATFという国際的な金融の作業部会の決まりがあり、そこから日本は法整備が遅れていると指摘され、危うくグレーリスト入りしそうだったことを考えると、ダラダラ審議している場合じゃないと思うんですがね。
国際組織犯罪防止条約や、それを踏み台とするFATFでは、準備段階での処罰が義務とされています。
アメリカの法制度次第ですが、FATFからハイリスク国の指定をされれば、連動して自動的に経済活動が制限されかねません。
現実にはそうならないと思いますが、わざわざリスクを取る必要もないですからね。
北朝鮮でさえ批准している条約の整備ができないなんて、野党はもっと大きな目で物事を見てほしいですな。
2017年5月17日水曜日
2017年5月12日金曜日
2017フランス大統領選
フランス大統領選が終わりました。
結果は、大方の予想通り、中道を掲げたマクロン氏の勝利となりましたね。
ルペン氏との得票率は、ほぼ2:1というぐらいの圧勝だったわけですが、極右と呼ばれるルペン氏は敵も多く、中道のマクロン氏相手では当たり前の結果と言えるのかもしれません。
ルペン氏も、もっと左翼的な相手であったのなら分かりませんでしたが。
選挙は熱烈な少数の味方よりも、曖昧な多数の忌避感情が勝敗を決するものです。
より悪くない者を選ぶ、というのが選挙というシステムですからね。
それはさて置き、ルペン氏は極右極右と呼ばれていますが、今の時代、本当に極右という定義が合っているのでしょうか。
伝統的に、右翼とは国粋主義、左翼とは国際主義ですが、冷戦時代の自由主義、共産主義の観点から見ると、自由主義は右翼、共産主義は左翼です。
さらに遡れば、資本家層が支持したのが右翼にあたり、労働者層が支持したのが左翼でした。
ルペン氏を支持する層は、移民や東欧の安い労働力を嫌う国内の労働者層、つまりはかつての左翼支持層であり、自由主義と共産主義の観点から言えば反グローバリズムなので、これまた自由主義とは軸足が反対方向を向いています。
そう考えると、右翼左翼の定義が、昔とねじれをおこしてるんですね。
グローバリズムが進んだ現在、自由主義的な施策で安い労働力を得られる資本家はリベラルを支持し、その安い労働力に雇用を奪われる労働者は保護主義的な右翼を支持する傾向にあります。
その労働者の不満が噴出した結果が、ブレグジットであり、トランプ大統領でもあるわけですな。
フランスはEUのビッグ2であり、グローバリズムが浸透している国なので、英国や米国のような結果にはなりませんでしたが、それでも3人に1人は保護主義を支持しているというのは、非常に重要な事実だと思います。
何にしろ、これだけ広範な支持を得られる政党、主張を極右とするのは、もう間違っているといえるでしょうね。
極というのは、字の通りきわみであって、あくまで相対的な基準にすぎず、広範なものではないのですから。
結果は、大方の予想通り、中道を掲げたマクロン氏の勝利となりましたね。
ルペン氏との得票率は、ほぼ2:1というぐらいの圧勝だったわけですが、極右と呼ばれるルペン氏は敵も多く、中道のマクロン氏相手では当たり前の結果と言えるのかもしれません。
ルペン氏も、もっと左翼的な相手であったのなら分かりませんでしたが。
選挙は熱烈な少数の味方よりも、曖昧な多数の忌避感情が勝敗を決するものです。
より悪くない者を選ぶ、というのが選挙というシステムですからね。
それはさて置き、ルペン氏は極右極右と呼ばれていますが、今の時代、本当に極右という定義が合っているのでしょうか。
伝統的に、右翼とは国粋主義、左翼とは国際主義ですが、冷戦時代の自由主義、共産主義の観点から見ると、自由主義は右翼、共産主義は左翼です。
さらに遡れば、資本家層が支持したのが右翼にあたり、労働者層が支持したのが左翼でした。
ルペン氏を支持する層は、移民や東欧の安い労働力を嫌う国内の労働者層、つまりはかつての左翼支持層であり、自由主義と共産主義の観点から言えば反グローバリズムなので、これまた自由主義とは軸足が反対方向を向いています。
そう考えると、右翼左翼の定義が、昔とねじれをおこしてるんですね。
グローバリズムが進んだ現在、自由主義的な施策で安い労働力を得られる資本家はリベラルを支持し、その安い労働力に雇用を奪われる労働者は保護主義的な右翼を支持する傾向にあります。
その労働者の不満が噴出した結果が、ブレグジットであり、トランプ大統領でもあるわけですな。
フランスはEUのビッグ2であり、グローバリズムが浸透している国なので、英国や米国のような結果にはなりませんでしたが、それでも3人に1人は保護主義を支持しているというのは、非常に重要な事実だと思います。
何にしろ、これだけ広範な支持を得られる政党、主張を極右とするのは、もう間違っているといえるでしょうね。
極というのは、字の通りきわみであって、あくまで相対的な基準にすぎず、広範なものではないのですから。
2017年5月10日水曜日
勝手にSSTR その3
前回のあらすじ
バイカーの人に激励を。
BMWの人に花束を。
備前常山城を出た後は、国道30号線を東へ戻り、玉野市へ。
国道30号線の、この南へと方向を向ける区間は、山の中を走っており、後で建設されたバイパスっぽいですな。
並走する県道22号線が、恐らく昔は国道30号線だったのではないでしょうか。
宇野港が四国からの玄関口であった時代、宇野近辺はトラック等で渋滞したでしょう。
できるだけ海岸沿いを進んできたので、できればその県道22号線を進みたい所ですが、日没を考えるとちょっと時間が無くなってきてるので、止むを得ず国道30号線のまま南へ。
しばらく進むと、宇野港近くにループ橋がありました。
おぉループ橋!
何個目かな?
バイパスとして、強引に勾配のきつい場所に通された道の証。
岬と同じで、なんとなく通った満足感がありますな(^^)
国道30号線の突き当りから西に折れると、道は国道430号線へと変わります。
ここから海岸沿いを進んで児島市街へ。
この辺りは、高速道路開通以降は交通量が減ったのか、のんびりとした道ですな。
児島市街のココイチで昼食を摂ったのが13:30。
まずい。
日没まで時間が足り無さそうだ。
仕方がないので、瀬戸大橋を渡った先は高速ですっ飛ばすとしようか。
児島I.C.から瀬戸中央道へ入り、瀬戸大橋を通る時に毎回休憩する与島へ。
こうやって橋脚を間近に見ると、橋というのもやっぱり明確な構造物ですな。
めっちゃどっしりしてますわ。
本体を下から撮ると、イメージが変わってスマートかつ巨大な橋です。
瀬戸大橋を渡って四国に入りましたが、残念ながら海岸沿いをのんびり進んで行く時間はありません。
香川県には申し訳ないですが、高松道でサクっと通過。
徳島県に入り、板野I.C.で高松道を降りました。
なぜここで降りたかと言うと、目標は藍住町の勝瑞館。
近年、発掘が進み、かなり勝瑞館の姿が明確になってきているということで、確認しに来たわけですな。
I.C.近くのコンビニでトイレとコーヒーと地図確認を終え、県道1号線から同じく14号線へ。
しばし走ると、懐かしき見性寺の水堀が見えてきました。
この見性寺の境内が勝瑞城の跡で、見性寺は三好氏の菩提寺です。
城跡に相応しい寺ですね。
境内には、三好氏の菩提寺らしく、三好四代のお墓もあります。
この見性寺の境内は、土塁と水堀に囲まれており、いかにも城という感じがして好きですね。
最近では、天正10年(1582)の中富川の合戦の際に急造された城という説も出ていますが。
ちなみに、中富という地名は勝瑞の数km西で、三好勢は城を出て矢上に陣取り、中富川を挟んで西中富と東中富の辺りで合戦が行われたとされています。
ただ、地図を見ても、当時と河道が変わっているので、位置関係がイマイチ分かりにくいですね。
当時の吉野川は今の旧吉野川で、今の吉野川は当時にその名前だったのかは知りませんが、旧別宮川で、中富川は今の前川らしいのですが、名前だけでこんがらがります(^^;)
更に、戦いの状況を調べてみると、中富付近での戦いなら川を挟んで西の長宗我部軍と東の三好軍になるはずですが、長宗我部軍は南から渡河したとあるんですよね。
当時は、今の前川が昔の吉野川と別宮川を北西から南東に結んでて、その南北岸で対峙したのかな?
んーほんま、分からんわ・・・
つづく
参考:
瀬戸大橋
勝瑞城
地図付きはこちら(岡山・徳島)
バイカーの人に激励を。
BMWの人に花束を。
備前常山城を出た後は、国道30号線を東へ戻り、玉野市へ。
国道30号線の、この南へと方向を向ける区間は、山の中を走っており、後で建設されたバイパスっぽいですな。
並走する県道22号線が、恐らく昔は国道30号線だったのではないでしょうか。
宇野港が四国からの玄関口であった時代、宇野近辺はトラック等で渋滞したでしょう。
できるだけ海岸沿いを進んできたので、できればその県道22号線を進みたい所ですが、日没を考えるとちょっと時間が無くなってきてるので、止むを得ず国道30号線のまま南へ。
しばらく進むと、宇野港近くにループ橋がありました。
おぉループ橋!
何個目かな?
バイパスとして、強引に勾配のきつい場所に通された道の証。
岬と同じで、なんとなく通った満足感がありますな(^^)
国道30号線の突き当りから西に折れると、道は国道430号線へと変わります。
ここから海岸沿いを進んで児島市街へ。
この辺りは、高速道路開通以降は交通量が減ったのか、のんびりとした道ですな。
児島市街のココイチで昼食を摂ったのが13:30。
まずい。
日没まで時間が足り無さそうだ。
仕方がないので、瀬戸大橋を渡った先は高速ですっ飛ばすとしようか。
児島I.C.から瀬戸中央道へ入り、瀬戸大橋を通る時に毎回休憩する与島へ。
こうやって橋脚を間近に見ると、橋というのもやっぱり明確な構造物ですな。
めっちゃどっしりしてますわ。

本体を下から撮ると、イメージが変わってスマートかつ巨大な橋です。

瀬戸大橋を渡って四国に入りましたが、残念ながら海岸沿いをのんびり進んで行く時間はありません。
香川県には申し訳ないですが、高松道でサクっと通過。
徳島県に入り、板野I.C.で高松道を降りました。
なぜここで降りたかと言うと、目標は藍住町の勝瑞館。
近年、発掘が進み、かなり勝瑞館の姿が明確になってきているということで、確認しに来たわけですな。
I.C.近くのコンビニでトイレとコーヒーと地図確認を終え、県道1号線から同じく14号線へ。
しばし走ると、懐かしき見性寺の水堀が見えてきました。
この見性寺の境内が勝瑞城の跡で、見性寺は三好氏の菩提寺です。
城跡に相応しい寺ですね。

境内には、三好氏の菩提寺らしく、三好四代のお墓もあります。

この見性寺の境内は、土塁と水堀に囲まれており、いかにも城という感じがして好きですね。
最近では、天正10年(1582)の中富川の合戦の際に急造された城という説も出ていますが。
ちなみに、中富という地名は勝瑞の数km西で、三好勢は城を出て矢上に陣取り、中富川を挟んで西中富と東中富の辺りで合戦が行われたとされています。
ただ、地図を見ても、当時と河道が変わっているので、位置関係がイマイチ分かりにくいですね。
当時の吉野川は今の旧吉野川で、今の吉野川は当時にその名前だったのかは知りませんが、旧別宮川で、中富川は今の前川らしいのですが、名前だけでこんがらがります(^^;)
更に、戦いの状況を調べてみると、中富付近での戦いなら川を挟んで西の長宗我部軍と東の三好軍になるはずですが、長宗我部軍は南から渡河したとあるんですよね。
当時は、今の前川が昔の吉野川と別宮川を北西から南東に結んでて、その南北岸で対峙したのかな?
んーほんま、分からんわ・・・
つづく
参考:
瀬戸大橋
勝瑞城
地図付きはこちら(岡山・徳島)
2017年5月3日水曜日
勝手にSSTR その2
前回のあらすじ
長い間行きたかった室山城制覇!
国道250号線の七曲りを越えると、相生湾の海岸沿いへと出てきます。
奥深い湾の海際に工場が並んでいる風景は、いかにも天然の良港という感じですな。
この相生に新幹線の駅があるのは、今ではちょっと過大なように感じますが、かつては第一次大戦の際の投機的買い付けで他の商社を圧倒した、あの鈴木商店の直系、播磨造船所の創業の地として繁栄した造船の港でした。
この播磨造船所は、同じく鈴木商店系であった神戸製鋼の一部門という期間を経て、再び独立し、昭和35年に石川島重工業と合併して、石川島播磨重工業株式会社になります。
この名前を初めて聞いた時、
長すぎるやろ・・・
と思ったのですが、今の銀行名なんかを考えると、大して長くも感じなくなりました(^^;)
ともかく、石川島播磨重工業ことIHI誕生から、12年後に山陽新幹線が岡山まで開通し、新幹線の相生駅も開業するわけですが、その頃は仕事で利用する人も多かったんでしょうね。
まぁこの相生駅の開設理由については諸説がありますが、実需も考慮されたのは間違いないと思われます。
ただ、今はそのIHIの相生勤務の従業員もかなり減っているようですがね。
そんな相生を過ぎると、国道250号線は高取峠を越えて真っすぐ赤穂へと向かいますが、そこは海と縁深いSSTR、一番海沿いを走る県道を辿りましょうか。
この道、相生発電所や海際の工場の横を通って行く道なのですが、1.5車線区間も多いながら、なかなか心地よい道です。
知る人ぞ知る道なんでしょうね。
バイクも何台か見掛けました。
こうして赤穂へ抜け、赤穂市街を貫く4車線道路を過ぎ、旧道という感じの国道250号線に戻ってしばらく行くと、岡山ブルーラインの表示が見えてきます。
岡山ブルーラインは、自分が学生の頃は有料道路でしたが、今は無料化され、気軽に通りやすくなりましたね。
基本的には山を縫っていく道ですが、所々で視界が開けて海の景色が見えるという、そのギャップがお気に入りの道です。
途中、黒井山のパーキングで休憩を入れつつ、流れに任せて国道2号線の岡山バイパスへ合流し、バイパスから再び海際を進むべく左折。
旭川に沿って児島大橋を渡ろうかな・・・と思ったんですが、堰上の面白そうな道を見つけたので、そこから児島半島へ渡りました。
地図を見ると、この堰から東が児島湾で、西が児島湖と書かれています。
児島湾干拓の最前線の場所だったんですね。
なんかちょっと感慨深い。
縁もゆかりも無いけども。
ちなみに、児島半島は、干拓が始まる前は児島という島で、そのほか、陸地に内陸部に地名として残る早島、連島、玉島などの島や、浦、崎といった海や海際特有の地名は、かつての島や海岸だった頃の地名の名残です。
地図を見てみると、規則正しく水路が走っている場所がほぼ干拓地と見ていいでしょう。
恐ろしく巨大な土地が、干拓で生まれたということですね。
もちろん、人力だけではなく、高梁川、旭川、吉井川という三大河川による土砂の運搬という要素も大きかったのですが、それにしても土地を変えていく人の力というのは大きいものです。
児島半島に入った後、児島半島をぐるっと廻りたかったのですが、そろそろ昼時に差し掛かり、日暮れまでに反対側の海へ到着するというタイムリミットがちょっとヤバくなってきました。
仕方がないので県道45号線を南西方向へ走り、さらに宇野線沿いを経て国道30号線へ。
更にそこから西へ進み、常山へと向かいます。
ここには、備前常山城という城があるんですね。
落城間際、城主の奥方が女中を連れて奮戦したという伝承が残る城です。
城へは、常山駅の少し西から車道が出ていました。
すれ違い不可能という、本当の意味で1車線しか無い道ですが、道自体は悪くありません。
途中、頑張ってペダルを漕いでいるバイカーがいましたが、この山道を上ろうなんて凄いとしか言いようがありませんね。
心の中で頑張れとエールを送りつつ、文明の利器を使ってなんか申し訳ないなと思いつつ、山城でこれだけ道がしっかりしてれば上等とバイクを走らせていると、何やら先が急に怪しげな感じに。
近付いて見ると・・・
これが道路決壊というやつか・・・
大崩海岸では決壊現場まで見ませんでしたが、インプットされた言葉がまざまざと脳裏に浮かびました。
ウロウロしていると、遅れてバイカーの人も到着しましたが、ちょっとこれは無理ですねぇという話に。
バイカーの人によると、岡山ローカルではテレビに採り上げられるほど心霊スポットとしては有名な場所のようです。
同じく心霊スポットとして有名な八王子城にも登ったし、霊感ゼロの自分は何でも来い!ですが(笑)
ただ、ここから獣道が出てまして、ここを訪れた猛者は徒歩に切り替えて登って行ったんでしょうね。
今回は時間が無いので登れませんが、次回はガッツリ登山装備で来ないといけませんな。
この後、バイカーの人と別れて道を下っていると、何故かBMWのスポーツカーが上ってきました。
この人も心霊スポットに来たんかな?
しかし、すれ違い不可の山道。
こちらはバック不可のバイク。
それを察してサクッとBMWが下がってくれました。
しかも、スポーツカーらしく、クィックィッというハンドル捌きで。
おぉさすが!なんて思いながらソロソロとついていくと・・・
ガシャ!
ガードレールの途切れた場所に掛けられていた金網にこすってはりました・・・
あぁぁぁぁこちらは何も悪くないんやけど、とてつもなく申し訳ない・・・
深々と頭を下げてお礼を言い、無事下山しました。
最後に、常山駅からの遠景。
なんで2枚ともぼかしが入ってんねん!
つづく
参考:
備前常山城
大崩海岸
岡山の地図付きはこちら
静岡の地図付きはこちら
長い間行きたかった室山城制覇!
国道250号線の七曲りを越えると、相生湾の海岸沿いへと出てきます。
奥深い湾の海際に工場が並んでいる風景は、いかにも天然の良港という感じですな。
この相生に新幹線の駅があるのは、今ではちょっと過大なように感じますが、かつては第一次大戦の際の投機的買い付けで他の商社を圧倒した、あの鈴木商店の直系、播磨造船所の創業の地として繁栄した造船の港でした。
この播磨造船所は、同じく鈴木商店系であった神戸製鋼の一部門という期間を経て、再び独立し、昭和35年に石川島重工業と合併して、石川島播磨重工業株式会社になります。
この名前を初めて聞いた時、
長すぎるやろ・・・
と思ったのですが、今の銀行名なんかを考えると、大して長くも感じなくなりました(^^;)
ともかく、石川島播磨重工業ことIHI誕生から、12年後に山陽新幹線が岡山まで開通し、新幹線の相生駅も開業するわけですが、その頃は仕事で利用する人も多かったんでしょうね。
まぁこの相生駅の開設理由については諸説がありますが、実需も考慮されたのは間違いないと思われます。
ただ、今はそのIHIの相生勤務の従業員もかなり減っているようですがね。
そんな相生を過ぎると、国道250号線は高取峠を越えて真っすぐ赤穂へと向かいますが、そこは海と縁深いSSTR、一番海沿いを走る県道を辿りましょうか。
この道、相生発電所や海際の工場の横を通って行く道なのですが、1.5車線区間も多いながら、なかなか心地よい道です。
知る人ぞ知る道なんでしょうね。
バイクも何台か見掛けました。
こうして赤穂へ抜け、赤穂市街を貫く4車線道路を過ぎ、旧道という感じの国道250号線に戻ってしばらく行くと、岡山ブルーラインの表示が見えてきます。
岡山ブルーラインは、自分が学生の頃は有料道路でしたが、今は無料化され、気軽に通りやすくなりましたね。
基本的には山を縫っていく道ですが、所々で視界が開けて海の景色が見えるという、そのギャップがお気に入りの道です。
途中、黒井山のパーキングで休憩を入れつつ、流れに任せて国道2号線の岡山バイパスへ合流し、バイパスから再び海際を進むべく左折。
旭川に沿って児島大橋を渡ろうかな・・・と思ったんですが、堰上の面白そうな道を見つけたので、そこから児島半島へ渡りました。
地図を見ると、この堰から東が児島湾で、西が児島湖と書かれています。
児島湾干拓の最前線の場所だったんですね。
なんかちょっと感慨深い。
縁もゆかりも無いけども。
ちなみに、児島半島は、干拓が始まる前は児島という島で、そのほか、陸地に内陸部に地名として残る早島、連島、玉島などの島や、浦、崎といった海や海際特有の地名は、かつての島や海岸だった頃の地名の名残です。
地図を見てみると、規則正しく水路が走っている場所がほぼ干拓地と見ていいでしょう。
恐ろしく巨大な土地が、干拓で生まれたということですね。
もちろん、人力だけではなく、高梁川、旭川、吉井川という三大河川による土砂の運搬という要素も大きかったのですが、それにしても土地を変えていく人の力というのは大きいものです。
児島半島に入った後、児島半島をぐるっと廻りたかったのですが、そろそろ昼時に差し掛かり、日暮れまでに反対側の海へ到着するというタイムリミットがちょっとヤバくなってきました。
仕方がないので県道45号線を南西方向へ走り、さらに宇野線沿いを経て国道30号線へ。
更にそこから西へ進み、常山へと向かいます。
ここには、備前常山城という城があるんですね。
落城間際、城主の奥方が女中を連れて奮戦したという伝承が残る城です。
城へは、常山駅の少し西から車道が出ていました。
すれ違い不可能という、本当の意味で1車線しか無い道ですが、道自体は悪くありません。
途中、頑張ってペダルを漕いでいるバイカーがいましたが、この山道を上ろうなんて凄いとしか言いようがありませんね。
心の中で頑張れとエールを送りつつ、文明の利器を使ってなんか申し訳ないなと思いつつ、山城でこれだけ道がしっかりしてれば上等とバイクを走らせていると、何やら先が急に怪しげな感じに。
近付いて見ると・・・

これが道路決壊というやつか・・・
大崩海岸では決壊現場まで見ませんでしたが、インプットされた言葉がまざまざと脳裏に浮かびました。
ウロウロしていると、遅れてバイカーの人も到着しましたが、ちょっとこれは無理ですねぇという話に。
バイカーの人によると、岡山ローカルではテレビに採り上げられるほど心霊スポットとしては有名な場所のようです。
同じく心霊スポットとして有名な八王子城にも登ったし、霊感ゼロの自分は何でも来い!ですが(笑)
ただ、ここから獣道が出てまして、ここを訪れた猛者は徒歩に切り替えて登って行ったんでしょうね。
今回は時間が無いので登れませんが、次回はガッツリ登山装備で来ないといけませんな。
この後、バイカーの人と別れて道を下っていると、何故かBMWのスポーツカーが上ってきました。
この人も心霊スポットに来たんかな?
しかし、すれ違い不可の山道。
こちらはバック不可のバイク。
それを察してサクッとBMWが下がってくれました。
しかも、スポーツカーらしく、クィックィッというハンドル捌きで。
おぉさすが!なんて思いながらソロソロとついていくと・・・
ガシャ!
ガードレールの途切れた場所に掛けられていた金網にこすってはりました・・・
あぁぁぁぁこちらは何も悪くないんやけど、とてつもなく申し訳ない・・・
深々と頭を下げてお礼を言い、無事下山しました。
最後に、常山駅からの遠景。

なんで2枚ともぼかしが入ってんねん!
つづく
参考:
備前常山城
大崩海岸
岡山の地図付きはこちら
静岡の地図付きはこちら
2017年4月27日木曜日
勝手にSSTR その1
春が来たというのに、天気の加減や忙しさで、まだ長距離のツーリングに行くことができておりません。
なんということだ!
昨年の10月も似たような状況で、毎年毎年泊りのツーリングに出かけているというのに、連休が取れませんでした。
おのれ・・・
そんなこんなで10月の某日、怒りの日帰りツーリングへ行くことを決意しました。
ところで、世間にはSSTRというものが存在します。
http://www.sstr.jp.net/
にホームページもありまして、毎年、結構な人が参加してるようですね。
ルールは、日の出後に適当な海を出発して、いくつかのチェックポイントを回り、日本海側の石川県千里浜に日没までに到着するというものです。
行き先はどこがいいのか?と考えた時、勝手にSSTRすればよくね?という考えが浮かびまして、マイルールの日帰り版SSTRをすることにしました。
正規版とちょっとルールを変え、千里浜にこだわらず、日の出にある海岸を出発し、日の入りまでに反対側の海岸に至る、ということで。
石川まで行ったら日帰りできひんしね(^^;)
スタートに選んだのは、明石海峡大橋。
橋は南北方向に掛かっているので、日の出と橋を同時に収めることはできませんでしたが、良い天気で綺麗な日の出です。
さあ、ここから北へ・・・向かわずに西へ!
通勤ラッシュの時間に入ってくるので、早々に第二神明、加古川バイパス、姫路バイパス、竜野太子バイパスと突き抜けて行きます。
まだ7時にならないこの時間でも、さすがに交通量が多くてバイクにはややこしい。
取りあえずバイパス終点の竜野まで一直線に行ってから、ようやくコンビニで朝ごはんの休憩。
腹も満たされたところで、改めて出発といきましょうかね。
ここからは、南へ南へ目ぼしい市道や県道を縫って海まで突き抜け、楽しい七曲りという海沿いの道を辿って行きます。
昔、この国道250号線を延々と走って、よく岡山の友人宅へ行きました。
あの頃は腰も背筋もまだまだ強靭で、無尽蔵に走れたなぁ
学生で収入も少なかったから、高速?なにそれ?状態だっただけに、下道をひたすら走り続けていました。
懐かしい道です。
この道は、七曲りの名の通り、海岸沿いにウネウネとコーナーが続く道で、ライダーには人気ですが、時間を選ばないと、田舎のおじいちゃんのやたらと安全運転な軽自動車に捕まるという道でもありますね。
今回は、そういう車もなく、すこぶる快調に走れ、気持ち良かった(^^)
その相生へと抜ける七曲りの中ほど、道から海側に小さな港町があります。
この小さな港町は室や室津と呼ばれ、中世では瀬戸内の物流拠点でした。
中世の物流拠点につきものと言えば?
そう、やはり城。
ここに室山城や室津城と呼ばれる城がありました。
ここが本日の第一目標です。
国道から港町へと入り、雰囲気のある細い路地のような港の道を抜け、小学校の前を過ぎ、大きく曲がりながら丘陵地へと入って行くと、ようやく室津城のすぐ下に出ます。
帰りに判ったんですが、港へ入らず、国道から丘陵東側の道へ入るとすぐ城だったんですけどね(^^;)
この城は、源平の合戦の頃に築かれたという伝承を持つほど古い城で、室町時代の最初期にも重要拠点として登場し、後には播磨の守護だった赤松氏の外港だった室津を押さえる城として機能したはずですが、その頃の城についてはあまり詳しくは判っていません。
戦国時代には、赤松氏の守護代から台頭し、播磨から備前にかけて大いに栄えた浦上氏の拠点となりました。
ただ、本拠地と言うとやや複雑で、もともとの浦上氏の本拠は、播磨と備前に睨みを利かせられる三石城だったのですが、政宗が当主の時、天文7年(1538)から翌年にかけての尼子氏の侵攻に敗れて落ち延びざるを得なくなってしまい、播磨に復帰してからこの城を本拠としたようです。
しかも、後に正宗と方針を異にした弟宗景が備前部分を奪って独立してしまい、本拠と言っても播磨の西端を領する領主の本拠に過ぎなくなってしまいました。
更には、政宗は後に竜野城主赤松政秀への対抗上、小寺家臣だった黒田職高の娘を嫡子清宗の室として迎え、誼を結びますが、その婚礼の日に、父子共々政秀に襲撃されて滅んでしまうという悲劇的な結末を迎えるのです。
なので、堂々としたイメージのある本拠という言葉を使うには、ちょっと寂しい城なんですよね。
この室山城は、港の東側の丘陵部を城郭化した城で、現在は、その頂上部付近に小さな城址碑があります。
江戸時代は番所になっていたので、番所跡の碑も兼ねていました。
ここからすぐの所が頂上部。
本丸跡です。
凄く茫漠としてました。
もう耕されなくなった畑なんでしょうか。
すぐ海側は民家で、海の景色が良いとは言えませんが、往時は海を監視するにはもってこいの場所だったのが容易に想像できます。
ここから北側には、その名もズバリ二の丸公園という公園もありました。
二の丸公園の南側は、やや段があり、上の写真はそこから撮ったものです。
この段の上と似たような高さで、集合住宅か養護ホームのような大きな建物があったので、実質的な二ノ丸は、この段の上の平坦な場所と大きな建物までの一帯だったのかもしれませんね。
この場所から先ほどの最高部までは100m足らずといった距離感でしょうか。
丘陵上すべてが城だったわけですから、城跡として残る部分から考えると、はるかに大きな城だったようです。
悲劇的な話を思い浮かべつつ、公園で一息ついて海を眺めると、雲一つ無い日で、景色がとても綺麗でした。
遺構は少ないながら、寂があって落ち着く良い城跡ですな。
つづく
参考:
室山城
地図付きはこちら
なんということだ!
昨年の10月も似たような状況で、毎年毎年泊りのツーリングに出かけているというのに、連休が取れませんでした。
おのれ・・・
そんなこんなで10月の某日、怒りの日帰りツーリングへ行くことを決意しました。
ところで、世間にはSSTRというものが存在します。
http://www.sstr.jp.net/
にホームページもありまして、毎年、結構な人が参加してるようですね。
ルールは、日の出後に適当な海を出発して、いくつかのチェックポイントを回り、日本海側の石川県千里浜に日没までに到着するというものです。
行き先はどこがいいのか?と考えた時、勝手にSSTRすればよくね?という考えが浮かびまして、マイルールの日帰り版SSTRをすることにしました。
正規版とちょっとルールを変え、千里浜にこだわらず、日の出にある海岸を出発し、日の入りまでに反対側の海岸に至る、ということで。
石川まで行ったら日帰りできひんしね(^^;)
スタートに選んだのは、明石海峡大橋。

橋は南北方向に掛かっているので、日の出と橋を同時に収めることはできませんでしたが、良い天気で綺麗な日の出です。
さあ、ここから北へ・・・向かわずに西へ!
通勤ラッシュの時間に入ってくるので、早々に第二神明、加古川バイパス、姫路バイパス、竜野太子バイパスと突き抜けて行きます。
まだ7時にならないこの時間でも、さすがに交通量が多くてバイクにはややこしい。
取りあえずバイパス終点の竜野まで一直線に行ってから、ようやくコンビニで朝ごはんの休憩。
腹も満たされたところで、改めて出発といきましょうかね。
ここからは、南へ南へ目ぼしい市道や県道を縫って海まで突き抜け、楽しい七曲りという海沿いの道を辿って行きます。
昔、この国道250号線を延々と走って、よく岡山の友人宅へ行きました。
あの頃は腰も背筋もまだまだ強靭で、無尽蔵に走れたなぁ
学生で収入も少なかったから、高速?なにそれ?状態だっただけに、下道をひたすら走り続けていました。
懐かしい道です。
この道は、七曲りの名の通り、海岸沿いにウネウネとコーナーが続く道で、ライダーには人気ですが、時間を選ばないと、田舎のおじいちゃんのやたらと安全運転な軽自動車に捕まるという道でもありますね。
今回は、そういう車もなく、すこぶる快調に走れ、気持ち良かった(^^)
その相生へと抜ける七曲りの中ほど、道から海側に小さな港町があります。
この小さな港町は室や室津と呼ばれ、中世では瀬戸内の物流拠点でした。
中世の物流拠点につきものと言えば?
そう、やはり城。
ここに室山城や室津城と呼ばれる城がありました。
ここが本日の第一目標です。
国道から港町へと入り、雰囲気のある細い路地のような港の道を抜け、小学校の前を過ぎ、大きく曲がりながら丘陵地へと入って行くと、ようやく室津城のすぐ下に出ます。
帰りに判ったんですが、港へ入らず、国道から丘陵東側の道へ入るとすぐ城だったんですけどね(^^;)
この城は、源平の合戦の頃に築かれたという伝承を持つほど古い城で、室町時代の最初期にも重要拠点として登場し、後には播磨の守護だった赤松氏の外港だった室津を押さえる城として機能したはずですが、その頃の城についてはあまり詳しくは判っていません。
戦国時代には、赤松氏の守護代から台頭し、播磨から備前にかけて大いに栄えた浦上氏の拠点となりました。
ただ、本拠地と言うとやや複雑で、もともとの浦上氏の本拠は、播磨と備前に睨みを利かせられる三石城だったのですが、政宗が当主の時、天文7年(1538)から翌年にかけての尼子氏の侵攻に敗れて落ち延びざるを得なくなってしまい、播磨に復帰してからこの城を本拠としたようです。
しかも、後に正宗と方針を異にした弟宗景が備前部分を奪って独立してしまい、本拠と言っても播磨の西端を領する領主の本拠に過ぎなくなってしまいました。
更には、政宗は後に竜野城主赤松政秀への対抗上、小寺家臣だった黒田職高の娘を嫡子清宗の室として迎え、誼を結びますが、その婚礼の日に、父子共々政秀に襲撃されて滅んでしまうという悲劇的な結末を迎えるのです。
なので、堂々としたイメージのある本拠という言葉を使うには、ちょっと寂しい城なんですよね。
この室山城は、港の東側の丘陵部を城郭化した城で、現在は、その頂上部付近に小さな城址碑があります。

江戸時代は番所になっていたので、番所跡の碑も兼ねていました。
ここからすぐの所が頂上部。
本丸跡です。

凄く茫漠としてました。
もう耕されなくなった畑なんでしょうか。
すぐ海側は民家で、海の景色が良いとは言えませんが、往時は海を監視するにはもってこいの場所だったのが容易に想像できます。
ここから北側には、その名もズバリ二の丸公園という公園もありました。

二の丸公園の南側は、やや段があり、上の写真はそこから撮ったものです。
この段の上と似たような高さで、集合住宅か養護ホームのような大きな建物があったので、実質的な二ノ丸は、この段の上の平坦な場所と大きな建物までの一帯だったのかもしれませんね。
この場所から先ほどの最高部までは100m足らずといった距離感でしょうか。
丘陵上すべてが城だったわけですから、城跡として残る部分から考えると、はるかに大きな城だったようです。
悲劇的な話を思い浮かべつつ、公園で一息ついて海を眺めると、雲一つ無い日で、景色がとても綺麗でした。
遺構は少ないながら、寂があって落ち着く良い城跡ですな。
つづく
参考:
室山城
地図付きはこちら
2017年4月20日木曜日
余剰HDD
最近のHDDは壊れなくなりましたね。
昔は、PC10台に1台は数年で壊れるというイメージでしたが。
そんなこんなで、技術の熟成が進んだ結果、PCを買い替えると共にどんどんHDDが積み上がって行くという現象が発生しています。
使える古いHDDは、数年前に複数を1台として認識できるHDDカバーを買って来て実装し、一括でHDDレコーダーのディスクとして使い切りました。
しかし、また今回、300GBのHDDが。
うむ。
今回はデスクトップPCのバックアップとして使おう。
というわけで、SATAケーブルを入手し、PCをオープン!
マザーボードのSATA接続スロットの空きヨシ!
増設用電源ケーブルの空きヨシ!
3.5インチディスクベイの空きヨ・・・ヨ?
よ?
増設ベイ自体が無い!!
まさか!
同じメーカーの同クラスの前のモデルは増設ベイがあったし、バックアップ用として確かに余剰HDDも増設しているのに・・・
まさかまさか。
取りあえずSATAと電源のケーブルを繋げてみると、しっかりHDDは認識されました。
でも、PC内に置き場所がないんよなぁ
どうしたものか。
・・・
・・・・・・
というわけで・・・
そっと置いてみた。
向かって左側に鎮座しております。
一応、ケーブルのたわみに挟む形になったので、何もしなければ動かないはず。
これでいいよな。
デスクトップで動かさへんし(^^;)
昔は、PC10台に1台は数年で壊れるというイメージでしたが。
そんなこんなで、技術の熟成が進んだ結果、PCを買い替えると共にどんどんHDDが積み上がって行くという現象が発生しています。
使える古いHDDは、数年前に複数を1台として認識できるHDDカバーを買って来て実装し、一括でHDDレコーダーのディスクとして使い切りました。
しかし、また今回、300GBのHDDが。
うむ。
今回はデスクトップPCのバックアップとして使おう。
というわけで、SATAケーブルを入手し、PCをオープン!
マザーボードのSATA接続スロットの空きヨシ!
増設用電源ケーブルの空きヨシ!
3.5インチディスクベイの空きヨ・・・ヨ?
よ?
増設ベイ自体が無い!!
まさか!
同じメーカーの同クラスの前のモデルは増設ベイがあったし、バックアップ用として確かに余剰HDDも増設しているのに・・・
まさかまさか。
取りあえずSATAと電源のケーブルを繋げてみると、しっかりHDDは認識されました。
でも、PC内に置き場所がないんよなぁ
どうしたものか。
・・・
・・・・・・
というわけで・・・
そっと置いてみた。

向かって左側に鎮座しております。
一応、ケーブルのたわみに挟む形になったので、何もしなければ動かないはず。
これでいいよな。
デスクトップで動かさへんし(^^;)
2017年4月16日日曜日
北朝鮮情勢逼迫
北朝鮮で4/11に人民最高会議が開かれ、4/15には北朝鮮王朝を創業した金日成の生誕105周年を迎えました。
これを機に、北朝鮮で大陸弾道ミサイル発射や核実験が行われるのではないかという懸念が持ち上がり、アメリカのトランプ大統領が、北朝鮮やその後見役である中国に圧力を掛けています。
先だっての米中首脳会談で何が話し合われたのかは分かりませんが、取りあえず表に出てきた情報として、明日4/17より中国国際航空のピョンヤン直行便が休止されることが発表されました。
http://www.news24.jp/articles/2017/04/15/10359046.html
当面はヒトの動きを制限するという所でしょうが、これがモノの動きの制限にまで発展すれば、本格的な経済制裁となります。
米中の約束の中身は、外からは知る由もありませんが、一定の合意があったんでしょうね。
また、これに関連したニュースがチラホラと出ています。
「北朝鮮は問題だ。その問題は今後対処される。」というトランプ大統領の発言。
http://jp.reuters.com/article/northkorea-usa-trump-idJPKBN17F2IF
現場の前線としては、オーストラリアへ向かうはずだった米海軍空母カールビンソンを始めとする打撃群が、北朝鮮沖に展開するようです。
下は、そのカールバンソンと共同訓練をする自衛隊のニュース。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000301/20170412-OYT1T50059.html
また、日本の外務省による韓国渡航の注意喚起が出されています。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041101260&g=prk
そして、しばらく前の駐韓大使の帰任。
日本のメディアが報道する以上に、事態は逼迫している気がしてなりませんな。
そんな中、懸念されていたように、北朝鮮がミサイルを発射しました。
結果は失敗でしたが・・・
これが切っ掛けで自体が悪い方向に進展する可能性も考えられます。
いよいよ、本気で状況を見守る必要が出てきたようですね。
これを機に、北朝鮮で大陸弾道ミサイル発射や核実験が行われるのではないかという懸念が持ち上がり、アメリカのトランプ大統領が、北朝鮮やその後見役である中国に圧力を掛けています。
先だっての米中首脳会談で何が話し合われたのかは分かりませんが、取りあえず表に出てきた情報として、明日4/17より中国国際航空のピョンヤン直行便が休止されることが発表されました。
http://www.news24.jp/articles/2017/04/15/10359046.html
当面はヒトの動きを制限するという所でしょうが、これがモノの動きの制限にまで発展すれば、本格的な経済制裁となります。
米中の約束の中身は、外からは知る由もありませんが、一定の合意があったんでしょうね。
また、これに関連したニュースがチラホラと出ています。
「北朝鮮は問題だ。その問題は今後対処される。」というトランプ大統領の発言。
http://jp.reuters.com/article/northkorea-usa-trump-idJPKBN17F2IF
現場の前線としては、オーストラリアへ向かうはずだった米海軍空母カールビンソンを始めとする打撃群が、北朝鮮沖に展開するようです。
下は、そのカールバンソンと共同訓練をする自衛隊のニュース。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000301/20170412-OYT1T50059.html
また、日本の外務省による韓国渡航の注意喚起が出されています。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041101260&g=prk
そして、しばらく前の駐韓大使の帰任。
日本のメディアが報道する以上に、事態は逼迫している気がしてなりませんな。
そんな中、懸念されていたように、北朝鮮がミサイルを発射しました。
結果は失敗でしたが・・・
これが切っ掛けで自体が悪い方向に進展する可能性も考えられます。
いよいよ、本気で状況を見守る必要が出てきたようですね。
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