関東管領山内上杉氏の居城だと思うと、さすがに感慨がありましたね。
室町時代から戦国時代の中頃まで、関東の歴史のど真ん中のお城でしたから。
時間の関係で平井金山城へ登るのを断念して、平井からさらに東へと進んで行きます。
今夜の宿は行田。
忍城のすぐ近くです。
時間的に、平井金山城をスルーしてなお忍城を今日中に散策するのは無理っぽいですが、ルート上にある雉岡城や鉢形城はしっかりと押さえておきたいところですね。
途中にある雉岡城は、史料によく出てくるという城でもないので、その歴史をほとんど知らなかったんですが、地図上で見る限りは、なかなかの城跡のように見えたので、訪れることにしました。
訪れてみると、周辺から少し盛り上がった丘陵にある城で、土塁や堀が素晴らしく、これは土の城として当たりのお城でしたね。
歴史を調べてみると、関東管領山内上杉氏の居城として築城されたものの、居城としては使われなかったということらしいですが、関東のNo.2で上野の主という大大名の居城候補だっただけあって、しっかりと築かれていたんでしょう。
それをベースとして、後に北条家臣の横地忠晴が大改修した為、現在に残っている城跡は、北条氏の城という雰囲気が強くなっていますが。
まずは入口です。
入口からすぐの所にある城址碑。
主郭部に向かっていくと、緩やかな坂が続きます。
明確に段に分かれるようになっていないのは、後に改修した北条氏のお城らしい感じでしょうか。
ただ、初期の頃の雉岡城はどうだったんでしょうか。
その頃からこんな地形ならば、北条氏ではなく、関東のお城全体の傾向ということになるんですが、少し気になりますね。
公園入口から入ると、すでにそこは本丸と二ノ丸に続く南ノ郭です。
ただ、縄張図に関して公園内には2つの案内板があり、各郭の名称が違っていました。
時代によって名称が違うんでしょうかね。
南ノ郭の東側には、明確に土塁も残っていました。
公園内の最高部はこの南ノ郭で、本丸と二ノ丸に続く郭ですが、二ノ丸方向には、ここだけ近世的になっている角馬出があります。
南ノ郭の南側は、主郭部の大手門跡。
現在は道路になっている堀に橋が渡され、南側の丘陵へと続いていたようです。
堀の切岸はそのままにされたようで、公園としての出入口にはなっていませんでした。
二ノ丸と南ノ郭の間は、深い空堀になっています。
堀底には、夜泣き石の碑がありました。
城の奥方によって非業の死を遂げた側女が大きな石になったという伝承があるようですね。
角馬出と二ノ郭方向の眺め。
本丸は児玉中学校の敷地になっていて入れないんですが、本丸東側の土塁まではギリギリ公園側で、立ち入り可能。
二ノ丸の本丸北側部分は、今は児玉高校の敷地になっているんですが、高校の近くまで行くと、綺麗に水堀が残っていました。
雰囲気がありますね。
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